小坂奇石

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小坂 奇石(こさか きせき、1901年1月13日 - 1991年10月6日)は、日本書家徳島県海部郡美波町(旧由岐町)出身。本名は小坂 光太郎(みつたろう)。関西大学中退。書道研究璞社(ぼくしゃ)初代会長。

娘の小坂淳子徳島県立文学書道館名誉館長。「奇石体」と呼ばれる独自の書風を確立し、書家としては初めて日本芸術院恩賜賞を受賞した。

経歴[編集]

  • 1901年明治34年)1月13日 - 徳島県海部郡三岐田町(由岐町から現・美波町)に生まれる。
  • 1914年大正03年) - 阿部捉龍に師事。
  • 1917年(大正06年) - 黒木拝石に師事(1945年(昭和20年)まで)。
  • 1921年(大正10年) - 関西大学専門部入学(1923年病気中途退学)。
  • 1924年(大正13年) - 徳島三岐田町に臨濤書会をつくり主宰。
  • 1927年昭和02年) - 関西書道会で入賞。
  • 1929年(昭和04年) - 漢学者梅見有香、土田江南、増田半劍、長岡参寥、土屋竹雨師事。
  • 1935年(昭和10年) - 東方書道会展特選入賞 以後4年連続特選入賞。
  • 1937年(昭和12年) - 関西書道会理事審査員。
  • 1941年(昭和16年) - 東方書道会理事。
  • 1947年(昭和22年) - (社)日本書芸院創立・理事・審査員。
  • 1948年(昭和23年) - 第4回日展(書道参加第1回)「牀屏山水図歌」入選。
  • 1949年(昭和24年) - 大阪市主催関西展審査員。
  • 1950年(昭和25年) - 第6回日展「白楽天詩」特選 師黒木拝石没。
  • 1956年(昭和31年) - 日展審査員。
  • 1957年(昭和32年) - 現代書道二十人展(朝日新聞主催)第一回展より出品。没年まで(例外が一回?)出品。
  • 1960年(昭和35年) - 奈良学芸大学(現・奈良教育大学)助教授、日展評議員。
  • 1961年(昭和36年) - 還暦記念個展(大阪高島屋画廊))日本書芸院顧問・審査員。
  • 1962年(昭和37年) - 奈良教育大学教授(昭和41年まで)。
  • 1966年(昭和41年) - 徳島大学講師(昭和54年まで)。
  • 1967年(昭和42年) - 書道研究誌『書源』創刊。大阪(府・市)芸術賞。
  • 1970年(昭和45年) - 高野山大学教授。「寒山詩」で日展文部大臣賞。万国博迎賓館並自治体館に作品陳列。
  • 1971年(昭和46年) - 古稀記念個展(東京日本橋三越画廊)。
  • 1972年(昭和47年) - 四国女子大学講師。
  • 1976年(昭和51年) - 日展参与。讀賣書展審査員、由岐町名誉町民。
  • 1978年(昭和53年) - (社)日本書芸院名誉顧問* 1980年(昭和55年) - 徳島県文化賞受賞。
  • 1981年(昭和56年) - 奈良教育大学名誉教授。第25回現代書道二十人展開催。「寒山詩二首」で日本芸術院賞恩賜賞を受賞[1]、受賞作品を日本藝術院が買上。(社)日展参事、(社)日本書芸院顧問。紺綬褒章受章。小松島市に史跡、旧跡、名勝顕彰の石碑を書く。
  • 1982年(昭和57年) - 勲三等瑞宝章
  • 1984年(昭和59年) - 読売書法会名誉会員。
  • 1991年平成03年) - 10月6日死去。戒名は常照院光寿奇石居士。従五位
  • 1997年(平成09年) - 遺作寄贈(徳島県立文学書道館、リーヴスギャラリー小坂奇石記念館(大阪市法楽寺)財)、驥山館長野県篠ノ井))。

故郷徳島の徳島県立文学書道館には、書作品三百余点とコレクション・蔵書などが小坂淳子から寄贈され、奈良市自宅の書斎を再現した「奇石窟」が設置されている。

主な門弟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『朝日新聞』1981年3月4日(東京本社発行)朝刊、22頁。

関連項目[編集]