寺島紫明

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寺島 紫明(てらじま しめい[1][2]/てらしま しめい[3]1892年明治25年)11月8日1975年昭和50年)1月12日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家

来歴[編集]

1892年(明治25年)、兵庫県明石郡明石町樽屋(現:明石市樽屋町)の木綿問屋・柿屋の当主である父・寺島徳松と母・としの長男として生まれる[4]。本名は徳重で、二人の姉がいた[4]1899年(明治32年)、明石町立尋常高等小学校に入学[4]。小学校時代には絵を描くことや詩歌を好み、『源氏物語』などの日本文学に親しんだ[4]。明治39年(1906年)、高等小学校を修了[4]。さらに文学への傾斜を深め、寺島玉簾の筆名を使用して『少年倶楽部』や『兄弟姉妹』などの雑誌などに応募、入賞を果たす[5]1909年(明治42年)、17歳の時、長姉の嫁ぎ先であった大阪の木綿問屋、丹波屋(三浦家)に見習い奉公に入るが、10月には父の徳松が死去する[5]。約1年の大阪生活を経たのち、文学仲間を頼って1910年(明治43年)に上京、翌年には若山牧水に入門、短歌をたしなんだ[4]。1912年(大正元年)8月には母も亡くなり、文学から離れ、本格的に画家を志すようになった[5]

1913年(大正2年)、21歳の時、長野草風の紹介により、鏑木清方の象外画塾に入門する[4]。当時、紫明や同門の西田青坡笠松紫浪がこの控家の留守居をしていた。紫明はこの頃、近くにアトリエを構えていた。翌1914年(大正3年)、巽画会に「柚子湯」「菖蒲湯」の対幅を出品、三等賞を受賞する[4]。1916年(大正5年)、清方塾の展覧会郷土会」の第1回郷土会展に「夕立」「夕月」を出品[4]。この時から清方の命名による「紫明」の雅号を用いるようになる[4]1923年(大正12年)9月1日、清方の供をして西田青坡と一緒に院展を巡覧しているときに関東大震災に遭遇する[4]

1927年(昭和2年)、第8回帝展に初出品した「夕なぎ」が初入選を果たす[4]。以後、第9回帝展(1928年)で「日輪」、第11回帝展(1930年)で「爪」、第13回帝展(1932年)で「母娘」、第14回帝展(1933年)で「うつらうつら」、第15回帝展(1934年)で「女」、改組第1回帝展(1936年)で「あつさ」といった作品で入選を続ける[4]。1936年(昭和11年)、東京を出ることを決め、姉・つたの援助をうけて兵庫県武庫郡に移り住む[4]。その後、改組第1回文展(1937年)で「朝」、第2回文展(1938年)で「微匂」が入選、1941年(昭和16年)の第4回文展に出品した「寸涼」、1942年(昭和17年)の第5回文展に出品した「秋単衣」が連続して特選となる[4]

1944年(昭和19年)、川西航空機の仁川工場に徴用され、1945年(昭和20年)8月の終戦まで絵から離れる[4]第二次世界大戦後には主に日展を中心に活躍し、日展の審査員、評議員も務める[4]1961年(昭和36年)の第4回新日展において「舞妓」が文部大臣賞を受賞、昭和44年(1969年)の第1回改組日展に出品した「舞妓」により翌年日本芸術院恩賜賞を受賞[6]。このように晩年には多くの舞妓姿を描いた。1975年(昭和50年)1月12日、西宮市甲東園の自宅で死去。82歳没。

門人に山平義正がいる。

代表作品[編集]

  • 「夕月」 絹本着色 1916年(大正5年) 大関株式会社所蔵
  • 「夕映(姉弟)」 1919年(大正8年) 大関株式会社所蔵
  • 「旅芸人」 絹本着色 1921年(大正10年) 大関株式会社所蔵
  • 「爪」 絹本着色 1930年(昭和5年) 大関株式会社所蔵
  • 「秋単衣」 1942年(昭和17年)
  • 「彼岸」 絹本着色 1946年(昭和21年) 京都国立近代美術館所蔵
  • 「甲南夫人」 1953年(昭和28年)
  • 「夕ぐれ」 1954年(昭和29年)
  • 「長い髪の婦人」 団扇 1960年(昭和35年)頃 ホノルル美術館所蔵
  • 「舞妓」1961年(昭和36年)
  • 「舞妓」1969年(昭和44年)

脚注[編集]

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  1. ^ 寺島紫明 :: 東文研アーカイブデータベース(2021年8月3日閲覧)
  2. ^ 寺島紫明とは - コトバンク(2021年8月3日閲覧)
  3. ^ 寺島 紫明とは - コトバンク(2021年8月3日閲覧)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 瀬川與志編「寺島紫明年譜」『現代日本美人画全集 第四巻 寺島紫明』集英社、1980年、pp.126-127
  5. ^ a b c 寺島紫明 :: 東文研アーカイブデータベース、「寺島紫明」『日本美術年鑑』昭和51年版(288-290頁)、2021年8月4日閲覧
  6. ^ 『朝日新聞』1970年4月10日(東京本社発行)朝刊、14頁。

参考文献[編集]

  • 内山武夫・山平義正監修 『女性美の画家 寺島紫明展』 神戸新聞社、2003年
  • 国際アート編 『大正シック展 ‐ホノルル美術館所蔵品より‐』 国際アート、2007年
  • 鏑木清方記念美術館編 『鏑木清方の系譜 ‐師水野年方から清方の弟子たちへ‐』 鏑木清方記念美術館、2008年