コンテンツにスキップ

蓮田修吾郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蓮田 修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年8月2日[1] - 2010年1月6日[1])は、鋳金家。文化勲章受章、日本芸術院会員。日本の金属造型の第一人者である[1][2]

来歴

[編集]

石川県金沢市生まれ[2]。1928年石川県立工業学校図案絵画科卒業[1]、1938年東京美術学校工芸科鋳金部卒業[1]。在学中は高村豊周に師事した[1]1949年、第5回日展に初入選し[1]1951年「トロフィー」で日展特選朝倉賞を受賞[1]。1952年創作工芸協会設立を設立した[1]。1953年「黒豹鋳銅スクリーン」で日展北斗賞[1]、1959年「野牛とニンフ」で日展文部大臣賞を受賞[1]。1961年日本現代工芸美術家協会設立に参加[1]、「森の鳴動」で日本芸術院賞を受賞[1]。1975年東京芸術大学教授(のち名誉教授)、日本芸術院会員となる[1]。1976年日本金属造型研究所を設立[1]、1978年金属造型作家展を創設した[1]。1981年、北海道の納沙布岬に北方領土返還祈念のモニュメント「四島のかけ橋」を制作した[1]1996年に日展顧問を委嘱される[1]

2010年1月6日敗血症のため死去[3]。94歳没。叙従三位[4]

戦前は「用即美」という理念のもとで創作活動を行っていたが、戦後は「純粋美」を追求し、金属による環境造型へとテーマが移った[1]

蓮田修吾郎作『悠颺』(金沢駅西口)

受賞・栄典

[編集]

著書・作品集

[編集]
  • 『黄銅への道 金属造型作家のあゆみ』日貿出版社、1979
  • 『蓮田修吾郎金属造型』京都書院、1981
  • 『公共の空間へ 金属造型作家の活動』日貿出版社、1982
  • 『環境造型への対話』日貿出版社、1986

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 蓮田修吾郎 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2023年10月5日閲覧。
  2. ^ a b 近代日本を支えた偉人たち 【蓮田 修吾郎】”. www.kanazawa-museum.jp. 金沢ふるさと偉人館. 2023年10月5日閲覧。
  3. ^ 蓮田修吾郎氏死去 産経新聞 2010年1月12日閲覧
  4. ^ 『官報』第5250号、平成22年2月10日
  5. ^ 県政の主なあゆみ平成4年 前期”. 石川県. 2022年7月21日閲覧。
  6. ^ a b 常設展 (蓮田 修吾郎)”. 金沢ふるさと偉人館. 2022年7月21日閲覧。
  7. ^ 鎌倉市名誉市民 - 鎌倉市、2022年7月12日閲覧

関連項目

[編集]