大山忠作
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大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2009年2月19日)は、日本画家。日展会長。福島県二本松市出身。妻和子。
長男は日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ)役員の大山昌作、娘は女優の一色采子。
経歴
[編集]1943年、学徒出陣の為、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を繰り上げ卒業。埼玉県で特別操縦見習士官3期となり、台湾の航空隊で終戦を迎えた[1]。
1946年、復員し、その年の第2回日展『O先生』が初入選。翌年、高山辰雄らの日本画研究団体「一采社」に参加。山口蓬春に師事した。人物画、宗教的作品、花鳥、風景など高範な題材を得意とする。1961年、日展会員となり、事務局長、理事長などを歴任。1973年、日本芸術院賞受賞[2]。1986年、日本芸術院会員。1996年、勲三等瑞宝章受章[3]。1999年、文化功労者。2006年、文化勲章受章[4]。2009年2月19日、敗血症による多臓器不全のため死去。86歳。
代表作
[編集]- 『五百羅漢』
- 『池畔に立つ』
脚注
[編集][脚注の使い方]
- ^ “会報 特攻 75号” (PDF). 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会 (2008年5月). 2024年1月28日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1973年4月10日(東京本社発行)朝刊、22頁。
- ^ 「96秋の叙勲受章者 勳三等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ “美術界年史 2006年(10月 文化勲章受章者、文化功労者)”. 東京文化財研究所. 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月24日閲覧。
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太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 |