コンテンツにスキップ

辻原登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
辻原 登
(つじはら のぼる)
誕生 村上 博(むらかみ ひろし)
(1945-12-15) 1945年12月15日(79歳)
日本の旗 日本和歌山県印南町
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 文化学院
活動期間 1985年 -
ジャンル 小説
代表作 『村の名前』(1990年)
『翔べ麒麟』(1998年)
『遊動亭円木』(1999年)
『花はさくら木』(2006年)
『許されざる者』(2009年)
『冬の旅』(2013年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1990年)
読売文学賞(1999年)
谷崎潤一郎賞(2000年)
川端康成文学賞(2005年)
大佛次郎賞(2006年)
毎日芸術賞(2010年)
芸術選奨(2011年)
司馬遼太郎賞(2012年)
紫綬褒章(2012年)
伊藤整文学賞(2013年)
毎日出版文化賞(2013年)
日本芸術院賞恩賜賞(2016年)
旭日中綬章(2024年)
デビュー作 『犬かけて』(1985年)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

辻原 登(つじはら のぼる、1945年12月15日 - )は、日本小説家和歌山県印南町出身。日本芸術院会員、文化功労者神奈川近代文学館前館長。

十代から小説を書きはじめ、文化学院桂芳久に学ぶ。21歳で文藝賞(河出書房)佳作に選ばれるが、その後は中国貿易の仕事に就きたびたび現地に赴く。1985年、「文學界」に発表した「犬かけて」で作家デビューを果たし、1990年、44歳の時に「村の名前」で芥川賞を受賞する。 主な作品は、『翔べ麒麟』(読売文学賞)、『遊動亭円木』(谷崎潤一郎賞)、『枯葉の中の青い炎』(川端康成文学賞)、『許されざる者』(毎日芸術賞)、『闇の奥』(芸術選奨)、『冬の旅』(伊藤整文学賞受賞)。その作品世界は、19世紀ヨーロッパ小説を意識した物語性に、独自の幻想性と緻密な構成を備え、長い雌伏期に培われた文学への想いと、物語ることそのものへの傾倒が随所にうかがえる。読売文学賞大佛次郎賞などの選考委員も務める。

来歴・人物

[編集]

1945年和歌山県日高郡切目村(現在の印南町)に父・村上六三、母・絹子の次男として生まれる。兄弟は1歳半で亡くなった兄のほかに弟がいる[1]

切目は熊野三山の入り口に位置する村。南の岬が切目崎で、悲劇の皇子として知られる有間皇子がここで挽歌を詠んだ。村には梛(なぎ)を神木とする切目王子神社がある。切目王子神社は熊野古道九十九王子の中で特に格式の高い五体王子のひとつ[2]

父・村上六三(1916-1970)は和歌山師範を卒業し、戦前戦中は上海の日本人学校で教鞭を執った。戦争末期に帰国し、戦後は日高郡内の山間の小学校の校長となり、日教組(日本教職員組合)執行部に入って活動するようになった。1955年に日本社会党の和歌山県議会議員となり、日中友好協会の運営にも携わる。1957年には中国経由で北朝鮮へ入る友好使節団に加わり、北京では団員のひとりとして、毛沢東周恩来平壌金日成と会談した。1968年、県議会議員4期目半ばで参議院議員通常選挙和歌山県選挙区に出馬するも落選。その後日中友好運動と山岸会の活動に専念した[3][4]

辻原の幼年時代の一番初めの記憶は父が校長を務めた山間の小学校の教室や職員室で遊んだ3、4歳のころのもの。5歳で父の郷里・切目村に移り住む。この海辺の村で少年時代を過ごし、浜野球とチャンバラごっこに興じた[4]。映画狂で隣町の田辺の5つの映画館に通う[5]

1958年、村の外に出たいという思いが強くなり、地元の中学には進まず、自分の希望で受験した和歌山大学教育学部附属中学校に入学。和歌山市内の知人の家に下宿した。「チボー家の人々」を読む。小説を書くようにもなり、家出も経験する[4][6]

1961年、大阪学芸大学附属高等学校(現・大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)に入学し、大阪に下宿[1]。17歳の時、映画監督になることを目指し夜行列車で東京へ。父が政治活動でライバルとした辻原弘市議員の家に転がり込むも、家からの迎えに連れられ戻る[3]。高校時代はサルトルの影響を受け、同志社大学鶴見俊輔研究室に通い家の会に参加した[7]。1962年12月には、山岸会に参画し三重県春日実顕地で半年間暮らしたこともあった。[1]後年、この行動について「ユートピアに興味があって」と語っている。[8]。家の会の影響から、「高校生による高校生のための総合雑誌」として同人雑誌「太陽」を発行する。創刊号には鶴見俊輔に書いてもらった詩を掲載し、2号の巻頭には、バートランド・ラッセルから送られたメッセージを掲載した。サルトルの『自由への道』を真似て、大阪を舞台とした小説を学校新聞に連載する[7][6]

1964年春、大阪学芸大学附属高等学校を卒業し上京。大学受験より小説修行を選び、和歌山県新宮出身の西村伊作が創立した文化学院に通い、文科で桂芳久に師事した。三田と文化学院の同人誌「第二次文学共和国」に参加。[1]同人には詩人の井上輝夫もいた。[4]神楽坂に下宿し、高校の友人が入っていた和敬塾に入り浸る。[9]

1967年3月文化学院を卒業[1]。本名・村上博で応募した「ミチオ・カンタービレ」が文藝賞河出書房)佳作に選ばれる。選考委員の小島信夫吉行淳之介に評価されるものの、江藤淳からは「これは単にフランスのアンチ・ロマンの物真似に過ぎない」と酷評され雑誌不掲載となる。同じく佳作に選ばれた福永令三は、後に「クレヨン王国」を書いた童話作家。この文藝賞事件以降しばらく小説を書くことをやめる。アパートに閉じこもり本を読むことに専念し、アテネフランセに通ったりもした。[6]

1970年、故郷の父が膵臓癌を発病し看病する。翌年父は54歳で死去。そのまま実家で本を読む蟄居生活を送り、小説を書き始める。[6]

1974年、故郷で3年をかけて書き上げた1000枚の小説「千春(せんしゅん)」を携えて上京し、「文藝」編集部に持ち込むが「長すぎる」と没となる。文化学院時代からの友人の市川の家に居候し、職を得るために市ヶ谷にあった中国語研修学校の夜間に2年程通う。[6]

1979年、33歳で日中貿易会社・新天交易に就職し[1]、中国現地で買い付けなどを行いながら北京語をマスターした。[6]芥川賞を受賞した「村の名前」は、畳用の藺草の買い付けのために湖南省・長沙に二か月程逗留した時のメモから生まれた。[8]

辻原が勤めた新天交易は赤坂にあり従業員は5人ほど。日中国交回復前に民間大使として北京に滞在した西園寺公一が興した会社で、社名は周恩来が命名し、中国側の関心が高い会社だった。在職中のある日、西園寺に呼び出され「小説書きはいらん。書き続けるなら辞めてくれ」と通告される。以来会社に知られないようにペンネームを使い、早朝と休日に小説を書いたが、西園寺はそのことをずっと知っていて、芥川賞受賞の時には祝電を送った[10]

1980年8月、結婚し杉並区上高井戸に住む。[1]2年ほどたったある休日、「物語を書く幸福をつかまなくてどうする」、やはり小説を書かねばと思い立つ。[6][11]

1985年、「犬かけて」を「文學界」11月号に発表し作家デビューを果たす。「犬かけて」は桂芳久が同誌に紹介し、「文學界」編集長・湯川豊のもとで4、5回書き直した作品[6][11]。翌年芥川賞候補に挙げられる。

高井戸から横浜市鶴ヶ峰に転居、1986年ころ藤沢市鵠沼東に転居。

1990年3月、作家活動が本格的になったことから、常務取締役営業部長として働いていた新天交易を退社[1]。4月、義兄が経営するコスモ・コンピュータ・ビジネスに転職し、総務部長として大阪本社に勤務[6]。芦屋市に隣接する神戸市東灘区深江南町に住む。芦屋川に近く、最寄り駅は阪神電車の芦屋駅だった[12]

同年8月、「村の名前」で第103回芥川賞を受賞。丸谷才一は選評で、「われわれの文学の宿題みたいになつてゐるリアリズムからの脱出」を成し遂げたとして絶賛した[13]

東京で作家活動を行うために、阪神淡路大震災の前年の1994年8月、関西から神奈川県横浜市に移住。横浜支社に移る[14]

1994年に出版した最初の長編『森林書』を、日野啓三に「現代の奇書」と評され[15]丸谷才一からは「君、こんな小説を書いていたら駄目だ、出直せ」と叱責される[8]。純文学を狭く追究することに限界を感じるようになり、もっと多くの読者へ向けて新聞小説を書くことを思い立つ。阿倍仲麻呂を主人公とした小説の企画書を新聞各社に送り、読売新聞での連載が決まる[16]。1997年4月から「翔べ麒麟」の連載を開始した。

新聞小説を手掛けるにあたっては、新聞を活躍の舞台とした19世紀ヨーロッパの小説家・バルザックディケンズトルストイスタンダール、または漱石鷗外など明治の文豪の存在を強く意識した[16][17]

このあと手がけた新聞小説は、「発熱」(日本経済新聞)、「花はさくら木」(朝日新聞・大佛次郎賞)、「許されざる者」(毎日新聞・毎日芸術賞)、韃靼の馬(日本経済新聞・司馬遼太郎賞)、「陥穽 陸奥宗光の青春」(日本経済新聞)。

「翔べ麒麟」はダイナミックなストーリーで多くの読者の支持を得て、1999年の読売文学賞を受賞[14]。翌年には、盲目の噺家を主人公にした連作集『遊動亭円木』で第36回谷崎潤一郎賞受賞。2005年には短篇「枯葉の中の青い炎」が川端康成文学賞を受賞し、純文学の枠を超えた、卓越した物語作者としての名声を不動のものとした。

2004年、 阪神淡路大震災天安門事件を題材とした『ジャスミン』を刊行。刊行を記念して「物語ることへの偏愛 「村の名前」から「ジャスミン」へ」と題して湯川豊からインタビューを受ける(文學界2004.3)。その後も、犯罪小説(クライムノベル)三部作として「冬の旅」(2013)、「寂しい丘で狩りをする」(2014)、「籠の鸚鵡」(2016)を発表。谷崎潤一郎へのオマージュでもある「卍どもえ」(2010)、ラブドールとの交情を描いた「隠し女 小春」(2022)など様々な作品世界に挑み続けている。

辻原は、物語はもともと自分の内にあるわけでなく、「外からやってくる」ものだと述べている。自分の中に流れ込んできた古今東西の物語を受け継いで書かれた作品に、「黒髪」(近松秋江、徳田秋声、大岡昇平「黒髪」)、「抱擁」(ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」)、「闇の奥」(コンラッド「闇の奥」)、「許されざる者」(トルストイ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」)、「冬の旅」(トルストイ「にせ利札」)、「卍どもえ」(谷崎潤一郎「卍」)などがある。注:()内は影響を受けた作品。[18][15][8]

作品執筆の際には現地を取材して、できるだけ具体的な地図、図面、風景スケッチを準備する。江戸期の対馬と朝鮮を舞台にした「韃靼の馬」執筆の際には、内モンゴル、倭館があった釜山周辺、対馬を取材。将軍・吉宗へ献上する伝説の汗血馬を積んだ船が立ち寄る場所として設定した、絶海の孤島・鬱陵島(ウルルンド)にも行っている。[19]

かつて丸谷才一が一新した毎日新聞の書評欄「今週の本棚」には、2002年から現在まで、不定期に書評を発表。『新版 熱い読書 冷たい読書』(ちくま文庫)に本や映画にまつわるエッセイとともに収録され、2013年度の毎日出版文化賞書評賞を受賞した。

2009年には、柴田元幸、野崎歓、沼野充義、野谷文昭の働きかけで東京大学大学院人文社会系研究科・現代文芸論研究室において「近現代小説」と題する講義を行った[20]セルバンテスゴーゴリからドストエフスキーに至るまで、世界文学の数々を読み解いた全14回の講義は、翌年集英社から『東京大学で世界文学を学ぶ』として刊行された。2013年には再び、「近現代小説研究2」として講義を行った。ドストエフスキーから谷崎潤一郎までを扱った講義内容は『東大で文学を学ぶ』(2016、朝日選書)にまとめられている。

1992年、東海大学文学部で「言語芸術学特別講義」、翌年には文章創作を課題とした「文章作法II」を担当する。2001年には「文芸創作学科」の設立に携わり主任教授に就任する[21]。独学時代に自らに課したプログラムをベースにカリキュラムを編み、創作だけではなく「よく読む」ことで良く生きること、「精読者」(リズール)の育成を目標とした。[22][23]文芸創作学科の教授陣には、湯川豊、山根貞男、長谷川櫂、伊井直行、寺田農らが名を連ねた。

2012年から2024年まで、神奈川近代文学館の館長をつとめた[24]

2025年現在、川端康成文学賞、読売文学賞、大佛次郎賞、和辻哲郎文化賞、金魚屋新人賞、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員。2010年に織田作之助賞を主催する大阪文学振興会会長に就任。

賞歴

[編集]

栄典

[編集]

作品一覧

[編集]

書籍(小説)

[編集]
  • 『村の名前』(文藝春秋1990)/(文春文庫1993、解説:千石英世)
  • 『百合の心』(講談社1990)/『百合の心・黒髪その他の短編』(講談社文庫2004、作者覚書)
  • 『森林書』(文藝春秋1994)
  • 『マノンの肉体』(講談社1994)/(講談社文庫2008、解説:藤沢周)
  • 『家族写真』(文藝春秋1995)/(河出文庫2011、解説:湯川豊)
  • 『だれのものでもない悲しみ』(中央公論社1995)/(中公文庫1995、あとがき:辻原登)
  • 『黒髪』(講談社1996)/『百合の心・黒髪その他の短編』(講談社文庫2004、作者覚書)
  • 『翔べ麒麟』(読売新聞社1998)/(文春文庫2001)、(角川文庫2012)
  • 『遊動亭円木』(文藝春秋1999)(文春文庫2004、解説:堀江敏幸)
  • 『熱い読書冷たい読書』(マガジンハウス2000)/新版『熱い読書冷たい読書』(ちくま文庫2013、解説:刈谷政則)
  • 『発熱』(日本経済新聞社2001)/(文春文庫2005、解説:吉田修一)
  • 『約束よ』(新潮社2002)
  • 『ジャスミン』(文藝春秋2004)/(文春文庫2007、解説:野崎歓)
  • 『枯葉の中の青い炎』(新潮社2004)/(新潮文庫2007、解説:鴻巣友季子)
  • 『花はさくら木』(朝日新聞社2006)/(朝日文庫2009、解説:池澤夏樹)
  • 『夢からの手紙』(新潮社2006)/『恋情からくり長屋』(新潮文庫2014、解説:縄田一男)
  • 『円朝芝居噺夫婦幽霊』(講談社2007)/(講談社文庫2010、解説:金原瑞人)
  • 『許されざる者上下』(毎日新聞社2009)/(集英社文庫上下(2012、解説:いしいしんじ)
  • 『抱擁』(新潮社2009)
  • 『闇の奥』(文藝春秋2010)/(文春文庫2013、解説:鴻巣友季子)
  • 『韃靼の馬』(日本経済新聞社2011)/(集英社文庫上下2014、解説:桜庭一樹)
  • 『熊野でプルーストを語る』(ちくま文庫2011)
  • 『父、断章』(新潮社2012)
  • 『冬の旅』(集英社2013)/(集英社文庫2015、解説:中条省平)
  • 『寂しい丘で狩りをする』(講談社2014)/(講談社文庫2016、解説:池上冬樹)
  • 『Yの木』(文藝春秋2015)
  • 『籠の鸚鵡』(新潮社2016)/(新潮文庫2019、解説:溝口敦)
  • 『不意撃ち』(河出書房新社2018)/(集英社文庫2024、解説:円城塔)
  • 『卍どもえ』(中央公論新社2020)/(中公文庫2023、解説:阿部公彦)
  • 『隠し女小春』(文藝春秋2022)
  • 『陥穽 陸奥宗光の青春』(日本経済出版2024)

作品初出

[編集]
  • 「犬かけて」(文學界1985年11月号)/収録:『村の名前』
  • 「十三月」(文學界1987年6月号)/収録:『黒髪』
  • 「野の寂しさ」(群像1988年4月号)/収録:『百合の心』
  • 「はらんきょ」(群像1988年12月号)/収録:『百合の心』
  • 「戸外の紫」(群像1989年5月号)/収録:『マノンの肉体』
  • 「村の名前」(文學界1990年6月号)/収録:『村の名前』
  • 「家族写真」(文學界1990年9月号)/収録:『家族写真』
  • 「百合の心」(群像1990年9月号)/収録:『百合の心』
  • 「わが胸のマハトマ」(文學界1991年1月号)/収録:『家族写真』
  • 「森林書」(文學界1991年10月号~1993年4月号)/収録:『森林書』
  • 「片瀬江ノ島」(群像1992年9月号)/収録:『マノンの肉体』
  • 「緑色の経験」(海燕1993年5月号)/収録:『家族写真』
  • 「塩山再訪」(海燕1994年1月号)/収録:『家族写真』
  • 「光線の感じ」(文學界1994年1月号)/収録:『家族写真』
  • 「マノンの肉体」(群像1994年4月号)/収録:『マノンの肉体』
  • 「松籟」(文學界1994年7月号)/収録:『家族写真』
  • 「谷間」(文學界1994年10月号)/収録:『家族写真』
  • 「だれのものでもない悲しみ」(中央公論文芸特集1994年冬季号)/収録:『だれのものでもない悲しみ』
  • 「黒髪」(群像1996年2月号)/収録:『百合の心』
  • 「黒髪」(群像1996年2月号)/収録:『黒髪』
  • 「日付のある物語」(群像1997年1月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「翔べ麒麟」(日本経済新聞朝刊1997年4月10日~1998年5月8日)/収録:『翔べ麒麟』
  • 「遊動亭円木」(文學界1997年8月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「大切な雰囲気」(文學界1998年4月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「短夜の雨」(文學界1998年8月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「夜が安莉に駆けこむ」(文學界1998年9月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「探偵」(文學界1998年10月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「金魚」(文學界1998年11月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「強きうなじ」(文學界1998年12月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「青葉の飛翔」(群像1999年1月号)/収録:『約束よ』
  • 「笑いの郷」(文學界1999年1月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「足にさわった女」(文學界1999年3月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「べけんや」(文學界1999年4月号)/収録:『遊動亭円木』
  • 「かみにさわった男」(小説新潮1999年8月号)/収録:『約束よ』
  • 「窓ガラスの文字」(小説新潮2000年3月号)/収録:『約束よ』
  • 「発熱」(日本経済新聞朝刊2000年4月4日~2001年4月24日)/収録:『発熱』
  • 「約束よ」(小説新潮2001年5月号)/収録:『約束よ』
  • 「父、断章」(群像2001年7月号)/収録:『父、断章』
  • 「河間女」(文學界2001年8月号)/収録:『約束よ』
  • 「この世でいちばん冴えたやりかた」(小説新潮2001年11月号)/収録:『約束よ』
  • 「野球王」(新潮2002年1月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「かな女への牡丹」(小説新潮2002年7月号)/収録:『約束よ』
  • 「ザーサイの甕」(新潮2003年1月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「ジャスミン」(文學界2003年3月号~9月号)/収録:『ジャスミン』
  • 「水いらず」(小説新潮2003年11月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「ちょっと歪んだわたしのブローチ」(新潮2004年2月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「午後四時までのアンナ」(文學界2004年3月号)/収録:『父、断章』
  • 「枯葉の中の青い炎」(新潮2004年8月号)/収録:『枯葉の中の青い炎』
  • 「おとし穴」(小説新潮2004年9月号)/収録:『夢からの手紙』
  • 「闇の奥」(文學界2005年2月号)~2009年10月号)/収録:『闇の奥』
  • 「花はさくら木」(朝日新聞朝刊2005年4月17日~11月27日)/収録:『花はさくら木』
  • 「川に沈む夕日」(小説新潮2005年9月号)
  • 「菊人形異聞」(すばる2006年2月号)/収録:『夢からの手紙』
  • 「もん女とはずがたり」(小説新潮2006年2月号)/収録:『夢からの手紙』
  • 「夢からの手紙」(小説新潮2006年6月号)/収録:『夢からの手紙』
  • 「円朝芝居噺夫婦幽霊」(群像2006年6月号~10月号)/収録:『円朝芝居噺夫婦幽霊』
  • 「有馬」(小説新潮2006年9月号)/収録:『夢からの手紙』
  • 「母、断章」(群像2006年10月号)/収録:『父、断章』
  • 「チパシリ」(文學界2007年7月号)/収録:『父、断章』
  • 「許されざる者」(毎日新聞朝刊2007年7月11日~09年2月28日)/収録:『許されざる者』
  • 「虫王」(新潮2009年1月号)/収録:『父、断章』
  • 「抱擁」(新潮2009年11月号)/収録:『抱擁』
  • 「韃靼の馬」(日本経済新聞朝刊2009年11月1日~2011年1月21日)/収録:『韃靼の馬』
  • 「冬の旅」(すばる2011年8月号~2012年8月号)/収録:『冬の旅』
  • 「天気」(新潮2011年12月号)/収録:『父、断章』
  • 「夏の帽子」(文藝2012年夏季号)/収録:『父、断章』
  • 「寂しい丘で狩りをする」(群像2013年1月号~11月号)/収録:『寂しい丘で狩りをする』
  • 「たそがれ」(新潮2013年5月号)/収録:『Yの木』
  • 「シンビン」(新潮2014年6月号、原題「観戦」)/収録:『Yの木』
  • 「Yの木」(文學界2014年10月号)、12月号)/収録:『Yの木』
  • 「首飾り」(すばる2015年3月号)/収録:『Yの木』
  • 「籠の鸚鵡」(新潮2015年7月号)~2016年7月号)/収録:『籠の鸚鵡』
  • 「渡鹿野」(文藝2015年夏季号)/収録:『不意撃ち』
  • 「仮面」(すばる2017年1月号)/収録:『不意撃ち』
  • 「いかなる因果にて」(文藝2017年夏季号)/収録:『不意撃ち』
  • 「卍どもえ」(中央公論2017年8月~2018年6月号・2018年8月号~2019年9月号)/収録:『卍どもえ』
  • 「Delusion」(新潮2017年10月号)/収録:『不意撃ち』
  • 「月も隈なきは」(文藝2018年秋季号)/収録:『不意撃ち』
  • 「隠し女小春」(文學界2020年9月号~2021年12月号)/収録:『隠し女小春』
  • 「陥穽陸奥宗光の青春」(日本経済新聞朝刊2023年3月1日~2024年1月31日)/収録:『陥穽陸奥宗光の青春』
  • 「鋸山奇譚」(文學界2024年12月号)
  • 「山吹散るかほろほろと」(新潮2025年8月号~)

書籍(評論・エッセイなど)

[編集]
  • 『創業者は七代目―ジャスコ会長、岡田卓也の生き方』(毎日新聞社1995)
  • 『退屈している暇はない ―コスモ・コンピュータ・ビジネスという会社の場合』(日本デザインクリエーターズカンパニー1996)
  • 『熱い読書冷たい読書』(マガジンハウス2000)/新版『熱い読書冷たい読書』(ちくま文庫2013、解説:刈谷政則)
  • 『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社2010年)/(集英社文庫2013)
  • 『熊野でプルーストを読む』(ちくま文庫2011) 
  • 『東大で文学を学ぶドストエフスキーから谷崎潤一郎まで』(朝日選書2014) 
  • 『辻原登の「カラマーゾフ」新論 ドストエフスキー連続講義』(光文社2017)

書籍(共著・編)

[編集]
  • 『新聞小説の魅力』(堀啓子,辻原登,尾崎真理子,山城むつみ著、東海大学出版会 2011)
  • 『丸谷才一全集』(池澤夏樹,辻原登,三浦雅士,湯川豊編、文藝春秋2013~2014)
  • 『日本文学全集』12与謝蕪村(選・河出書房新社2016)(河出文庫2025、解説:吉増剛造)
  • 『ポケットマスターピース』05ディケンズ(編・集英社文庫2016)
  • 『ポケットマスターピース』08スティーヴンソン(編・集英社文庫2016)
  • 『歌仙はすごい』(辻原登,永田和宏,長谷川櫂著、中公新書2019)

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 佐藤春夫記念館『許されざる者の世界と辻原登文学ワールド 略年譜』2009年。 
  2. ^ 辻原登『父・断章』新潮社、2012年、9頁。 
  3. ^ a b 辻原登『父・断章』新潮社、2012年、10頁。 
  4. ^ a b c d 辻原登「私の原点・視点」「ラジオNIKKEI」ポッドキャスト2022年2月24日
  5. ^ 『新版 熱い読書、冷たい読書』ちくま文庫、2013年、20頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i 「辻原登小説文学を語る」前編”. Web文學金魚インタビュー (2025年9月3日). 2025年9月3日閲覧。
  7. ^ a b “「鶴見俊輔 高校生に応えた詩- 56年前、作家・辻原登さんらの同人誌に寄稿」”. 「朝日新聞」. (2019年12月19日) 
  8. ^ a b c d 亀山郁夫・辻原登 (2024秋). “館長の作家対談”. 世田谷文学館ニュース (83). 
  9. ^ 「朝銀近畿の破綻処理、「和敬塾の人脈」が難航極めた交渉を救った」(岩城本臣談)” (2025年9月11日). 2025年9月11日閲覧。
  10. ^ “「学びのふるさと」”. 「日本経済新聞」. (2011年5月6日) 
  11. ^ a b “「私の出発点」”. 「毎日新聞」夕刊. (2016年5月23日) 
  12. ^ 辻原登『家族写真』文庫版あとがき』河出文庫。 
  13. ^ 選評の概要”. 2025年9月12日閲覧。
  14. ^ 辻原登『『熱い読書冷たい読書』「もはやだれの息子でもない」』マガジンハウス、250頁。 
  15. ^ a b 聞き手・湯川豊 (2004年3月1日). “辻原登「インタビュー・物語ることへの偏愛」”. 「文學界」 
  16. ^ a b 『『新聞小説の魅力』』東海大学出版会、2011年、151頁。 
  17. ^ “「大陸駆ける冒険ロマン」”. 「朝日新聞」. (2011年8月23日) 
  18. ^ 辻原登『『東京大学で世界文学を学ぶ』』講談社文庫、2013年、385頁。 
  19. ^ “「ウルルンドの幻」”. 「日本経済新聞」. (2011年2月13日) 
  20. ^ “「大波小波」”. 「東京新聞」. (2010年11月30日) 
  21. ^ 直木賞のすべて 余聞と余分”. 2025年9月23日閲覧。
  22. ^ “ひと”. 「朝日新聞」. (2000年10月12日) 
  23. ^ “「よむ」は良き人生の基本”. 「聖教新聞」. (2014年8月30日) 
  24. ^ “「県の枠超え、文化行政に寄与」 旭日中綬章の小説家・辻原登さん”. 毎日新聞. (2024年4月29日) 
  25. ^ 春の褒章、役所広司さんら674人”. 日本経済新聞 (2012年4月28日). 2023年3月29日閲覧。
  26. ^ 文化勲章・文化功労者の業績 2022年度”. 日本経済新聞 (2022年10月25日). 2023年2月13日閲覧。
  27. ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
  28. ^ “春の叙勲、黒田前日銀総裁ら4108人 桐花に大谷直人氏”. 日本経済新聞. (2024年4月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26D3M0W4A420C2000000/ 2024年5月6日閲覧。 

外部リンク

[編集]