杉村春子

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すぎむら はるこ
杉村 春子
杉村 春子
1953年(昭和28年)
本名 石山 春子
生年月日 (1906-01-06) 1906年1月6日
没年月日 (1997-04-04) 1997年4月4日(満91歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県広島市
死没地 日本の旗 日本東京都文京区
国籍 日本
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 舞台映画テレビ
活動期間 1927年 - 1997年
配偶者 1. 長広岸郎(1933–42死別)
2. 石山季彦(1950–66死別)
主な作品
映画
麦秋
めし
にごりえ
小島の春
東京物語
晩菊
午後の遺言状
舞台
女の一生
欲望という名の電車
鹿鳴館
華岡青洲の妻

杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年明治39年)1月6日 - 1997年平成9年)4月4日)は、広島県広島市出身の新劇女優。本名は石山 春子(いしやま はるこ)。旧姓は中野(なかの)。

築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した、日本を代表するカリスマ女優[1][2][3][4]称号東京都名誉都民

来歴・人物[編集]

舞台女優へ[編集]

広島県に生まれる[5]山中高等女学校(現・広島大学付属福山高)卒業後、声楽家を目指し上京して東京音楽学校(現・東京芸術大学)を受験するが、2年続けて失敗する。広島に戻り広島女学院で音楽の代用教員をしていた。築地小劇場俳優座の前身)の旅芝居を見て感動し、1927年に再び上京してテストを受け不合格だったが『何が彼女をそうさせたか』の オルガン弾きの役(台詞無し)で採用され築地小劇場の研究生となった。築地小劇場が分裂・解散した後は友田恭助らの築地座に誘われて参加、1935年の舞台『瀬戸内海の子供ら』に出演した。

文学座での活躍[編集]

築地座の解散後の1937年岸田国士久保田万太郎岩田豊雄らが創立した劇団文学座の結成に参加。1940年に『ファニー』で主役を演じて以降、同劇団の中心女優となった。また、文学座以外の舞台にも出演し、日本演劇界の中心的存在として活躍した。

1945年4月、東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された森本薫作『女の一生』の布引けいは当たり役となり、1990年までに上演回数は900回を超え、日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。作中の台詞 "だれが選んでくれたんでもない、自分で歩き出した道ですもの-" は、生涯"女優の一生"を貫いた杉村の代名詞として有名。

そのほか『欲望という名の電車』のブランチ役(上演回数593回)、『華岡青洲の妻』の於継役(上演回数634回)、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』のお園役(上演回数365回)、『華々しき一族』の諏訪役(上演回数309回)などの作品で主役を務め、『女の一生』と並ぶ代表作となった。

1948年には「女の一生」により演劇部門で戦後初の日本芸術院賞を受賞した[6]

しかし、1963年1月、杉村の感情の起伏が激しい性格と、専横ともいえる劇団への統率ぶりに不満を持った芥川比呂志岸田今日子仲谷昇神山繁加藤治子小池朝雄ら、中堅劇団員の大半が文学座を集団脱退し、現代演劇協会・劇団雲を結成。さらに同年12月には、それまで杉村主演の戯曲を何本も書いていた三島由紀夫の新作戯曲上演拒否問題(喜びの琴事件)が起こって、三島を筆頭に丹阿弥谷津子中村伸郎賀原夏子南美江ら、文学座の古参劇団員が次々に脱退していった[7]
杉村は、これらの脱退メンバーの大半とはその後の関係を断絶し、特に反杉村を鮮明にしていた福田恆存が代表となった劇団雲に参加したメンバーに対しては、共演を頑なに拒否するなど終生許すことはなかった[8][9][10]
それにより文学座は、主要メンバーの2度にわたる大量離脱で創立以来最大の危機を迎え、当時の新聞は"崩壊に瀕する文学座"などと書きたてたが、太地喜和子江守徹樹木希林小川真由美高橋悦史ら若手を育てることで何とか乗り切った[1][11][2][12]
しかし、杉村の専横に批判的だった人物が抜けてしまったことにより、杉村の劇団に対する独裁に近い影響力にさらに拍車がかかったとの見方もある。喜びの琴事件の際、三島由紀夫は杉村春子へ、「俳優は、良い人間である必要はありません。芸さへよければよいのです。と同時に、俳優は、俳優に徹することによつて思想をつかみ、人間をつかむべきではないでせうか。組織のなかで、中途はんぱなつかみ方をするのはいけないと思ひます」[13]と皮肉をまじえて批判している。

1967年の『女の一生』の再演は文学座が立ち直るきっかけとなった。経営の苦労を身に染みて知る杉村はお客を大切にした。このことは新劇の商業演劇進出の走りといわれる[14]

映画・テレビでの活躍[編集]

舞台以外にも映画・テレビでも幅広く活躍。映画初出演は築地小劇場時代の1927年に小山内薫が監督をした『黎明』か[15]1932年初代水谷八重子と共演した『浪子』[16]か、1937年、松竹の『浅草の灯』[17]か、文献によって記述が異なる[18]

戦後、黒澤明木下惠介小津安二郎成瀬巳喜男豊田四郎などの名監督たちから、既存の映画俳優には無い自然でリアルな演技力を高く評価され、日本映画史を彩る100本以上の名作に出演、映画史にもその名を刻んだ。森雅之と共に最も映画に貢献した新劇俳優でもある[15]

特に、『東京物語』『麦秋』をはじめとする小津安二郎作品の常連でもあり、小津組でたった一人、読み合わせへの不参と"縫い"(かけ持ち)を許された俳優であった[19]

1995年、当時89歳で新藤兼人の『午後の遺言状』で主演し、毎日映画コンクール日刊スポーツ映画大賞キネマ旬報で主演女優賞を受賞している。

演劇人・映画人の目標[編集]

杉村は多くの演劇人の目標であった[3][20]

高峰秀子は『小島の春』を観た際に杉村の演技に感動、「仕方なしにやっていた(本人談)」役者稼業に以後本気で取り組むようになったという逸話も残す[21]森光子もやはりこの映画の杉村の演技に大きな衝撃を受け、これ以上の衝撃を以降感じたことはないと話している。森は「演技の師匠を持たない私が、心から尊敬しお手本としたのは10代から憧れた杉村先生ただ一人です。時代劇の娘役の頃からいつか近づきたいとひそかに思い続けてきました」と話している[22]

成瀬巳喜男監督『流れる』で共演した山田五十鈴は、「あの映画の杉村さんの芝居は、ぜんぶ杉村さんがお考えになったもの。そういうことが許されるようになった時代です。それこそ役者の力量が問われる時代になってきたんです」と述べている[23]

気が強いことで有名だった岡田茉莉子[24]の名前を冠した「岡田茉莉子シリーズ」が1965年2月~4月までTBS金曜劇場枠で全13回放送され[24][25]、この第3回『猫のいる家』(1965年2月19日放送)で、岡田自ら杉村との共演を希望した[24]。しかしさすがの岡田も杉村の前であがり、最初の稽古のときメロメロになり、セリフ合わせでトチり、キッカケは間違うしで、「この大スターにして杉村春子にガタガタするのか」と、岡田にビビッていた演出の大山勝美も気が楽になったと話している[24]。 

若尾文子は「杉村春子さんは特別な存在」と話し、杉村の代表作『華々しき一族』を熱望し2008年に演じた[26][27][28]


勝新太郎は杉村を大崇拝し、「杉村と共演した勝は『はい、はい』と杉村の言うことは何でも聞いていた」と石井ふく子は話している[29]

吉永小百合は美しい所作の先生は杉村と話している[30]。また舞台を一度もやっていない理由について、20代半ばで市川團十郎との舞台の共演を病気で断ったことと、杉村や坂東玉三郎らの舞台を見過ぎてしまい、これから勉強して舞台に立つのは無理かなという思いがしたことを挙げている[31]

テレビで共演作品の多い劇団民藝奈良岡朋子は、「文学座の方には申し訳ないけれど、私が一番芝居を教えていただいた」と述べている[32]

杉村の付き人として小津安二郎監督の『秋刀魚の味』の撮影を観たという樹木希林は、2011年、第34回日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞を受賞して「50年ほど前に役者を始めた時に杉村春子さんに『役者は定年がない』と言われました。今、しみじみそう思います」と語った[33][34]

結婚・恋愛[編集]

1933年に5歳年下で慶応大学出身の医学生である長広岸郎と結婚したが、1942年結核で亡くなっている。『女の一生』などを書いた劇作家の森本薫の愛人でもあったが、森本も1946年に結核で亡くなった。1950年に10歳年下の医者である石山季彦と結婚するも、1966年にこれまた結核で亡くなっている。

晩年・没後[編集]

1974年、杉村は女優としては東山千栄子初代水谷八重子に次いで3人目の文化功労者に選ばれた。

1995年には文化勲章授章決定の内示を受けたが、「勲章は最後にもらう賞、自分には大きすぎる。勲章を背負って舞台に上がりたくない、私はまだまだ現役で芝居がしていたいだけ」「戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらうことはできない」とこれを辞退。周りの者がいくら説得しても聞く耳持たずだった。

1996年日本新劇俳優協会会長に就任。

杉村は70年の芸能生活で仕事を一度も降りたことがなかったが、1997年1月19日にNHKドラマ『棘・おんなの遺言状』の収録中に貧血と腰痛を訴えて入院し降板、代役は南美江が勤めた。2月に入り文学座の会見では十二指腸潰瘍と発表されたが、そのときすでに医師から膵臓癌でもあることが文学座の社長の梅田濠二郎、戌井市郎北村和夫江守徹など親しい者にだけ知らされていたという。3月に新橋演舞場で予定されていた『華岡青洲の妻』も、チケットが発売されている中での緊急降板となり、代役は藤間紫が勤めた。しかし病室では簡単なストレッチをしたり、男性の見舞い客が来ると聞くと長い時間をかけてお化粧をしたりと、常に弱っている姿を見せまいと気丈に振る舞っていたという。

3月16日から意識が混濁し、4月4日午前0時30分、頭部膵臓癌のため東京都文京区日本医科大学付属病院で死去、満91歳。最期を看取ったのは養女のヒロと、当時70歳の長年親しくしていたファンの女性だけだった。本人には癌であることを知せなかったため、死去の直前まで台本を読んでおり、最期まで女優であり続けた。死後、政府から銀杯一組が贈られた。

杉村の死後1998年、若手演劇人の育成に力を注いだ杉村の遺志を尊重し、新人賞的意味合いを持つ杉村春子賞が新たに創設された。

エピソード[編集]

  • 築地小劇場時代の杉村のいちばん強烈な想い出は、小山内薫が死の二日前に劇団員の給料を払うため、印税を出版社から前借りしたことだったという。
    「私の女優としての形成期は、新劇運動のいわば受難の季節の間にありました。今でも私には、演劇することとお金もうけとが、どうにも結びつかない気持ちがあります」「朝から晩まで劇場暮らしで、泥絵具の臭気は、たまらなくなつかしい、ふるさとのにおいになりました。私は演劇と自分が、まぎれもなく一心同体になることを感じました」「私は仲間たちの革命論から離れたところにいました。でも、どんなあらしがこようと、雷が鳴ろうと、女優という職にしがみついて離れない心は、新劇を愛する心は、誰にも負けないつもりでした」などと話していた[35]。杉村の自宅は文学座の裏にあった[3]
  • 5歳のとき『小島の春』で杉村と共演して以来、長い長い付き合いで、杉村の公演には必ず観に行ったという中村メイコは、希代の名優には「杉村春子説」、つまり女優は結婚しないほうがいい、まして子どもなど産まないほうがいいというというものがある、と話している。中村は3人の子供が大きくなった頃、楽屋に杉村を訪ね、「先生、私は2歳半からですから、もうずいぶん役者をやっています。そのわりにはいまだに代表作といわれるものがありません。やっぱり早々と結婚して、子どもを3人産んで、おかあさんをやってしまったからでしょうかねえ」と言ったことがあり、他の女優さんなら「メイコちゃんにはね、カンナちゃんという作品があるじゃないの」とか、「3人のお子さんという作品を残したのだから」などと慰めてくれるところだが、杉村だけは「あたり前ですよ、片手間で女優はできません。その証拠に、私の夫は3人とも先に死んだわ」と、この程度の仕事しかできないのは当然なんだ、ときっぱり言われたという。慰めの言葉よりも、杉村の厳しい言葉にかえって救われたと述べている[36]
  • 1940年に初演された山田耕筰歌劇黒船』では姐さん役を担当している。これは、彼女の声こそ日本語でオペラを歌うのにふさわしいと山田が判断したものであるという。
  • 黒澤明監督の『赤ひげ』においては、憎まれ役である娼屋の女主人・きんを演じた。その際、養生所の賄婦たちに大根で殴られるコミカルなシーンがある。賄婦を演じていた女優達も既にベテランであったが、杉村はその上を行く彼女達の大先輩に当たる存在で、大根で殴るとき遠慮してしまいNGが連発され、撮影のために用意していた大根がすべてなくなってしまった事がある。
  • 小津安二郎は、杉村さんに関しては自由に演技をしてもらったと聞きましたが」の質問に対して「そんなことないですよ。『浮草』で、あたしが中村鴈治郎さんに、『あゝそう』っていうところなんか、70回ぐらいNGが出ましたよ」と答えている[37]
  • 山田洋次は、「葬式は人間にとって一大ショーでね、よく演出された葬式は後からみんなが喜びますよ。"よかった"ってね」と話し、その例として小津安二郎の葬儀を挙げ、「長いこと小津さんと一緒に仕事をやっていた助手が、一人大袈裟に悲しんで、納棺という一番大事な時にも、その人一人で泣き騒いで、他の出席者がみんなシラけてしまったんです。するとクギを打ってふたを閉めるという時に杉村さんが「ちょっと待って」とツツツーと出てきてみんながじっと見ている中、「もう一回だけ」と言って顔を見て、ハンカチをツツッと顔にあててハーッと泣いた。その時初めてみんな悲しみが迫ったというんです。やっぱり役者だなあとみんなで感心したんですね。自分の出番をよく知ってたんじゃないか、このままでは葬式が完成しないと。一人だけあんなブザマに泣いていてどうするんだろうと。最後にしめて自分の役割をきちんと演じたのではないか。それでみんなも初めて納得できて、涙が快く流れて"よかった"ということになるわけです」と解説している[38]
  • 寺島しのぶから「外でやってみたいんですが」と、文学座退団の相談を受けたが、「あなたはその方が向いていると思っていた」と、あっさり送り出したという[39]
  • 杉村のように亡くなる直前まで舞台に立ったり、老年で若い役を演じるというのは外国ではあり得ないという[40]

受賞[編集]

出演作品[編集]

映画[編集]

わが青春に悔なし』(1946年)
晩春』(1949年)
東京物語』(1953年)左から山村聡三宅邦子笠智衆原節子杉村東山千栄子
流れる』(1956年)のポスター(中央の写真が杉村)

太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品(戦後のみ)
◎印は小津安二郎監督作品

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

年月日は、杉村が最初に演じたときのものである。

★=上演回数の多い演目トップ5、●=その他の注目すべき演目

「女の一生」以前[編集]

最初は端役やスタアが演じないような老け役、そして、だんだんと重要な役を演じるようになっていく。

  • 彼女(1927年4月)築地小劇場藤森成吉の「何が彼女をさうさせたか」を、当局の要請により改題して上演したもの。杉村の初舞台。ただし、台詞は無く、舞台上でオルガンを弾くだけの役であった。
  • 富島松五郎伝(1942年5月、主役松五郎の相手役・吉岡良子役)文学座。翌年映画化(無法松の一生)されることになる岩下俊作の小説を舞台化。森本薫による脚色。
  • 北京の幽霊(1943年2月、會伸英(女官)役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。戦時下に書かれた風刺劇。
  • 鳥獣合戦(1944年10月、梟(ふくろう)ハラグ大使役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。鳥と動物とが戦うという風刺劇。戦時体制に対するシニカルな姿勢がうかがえる作品であり、その上演をめぐって検閲機関ともめたという。

最初の充実期[編集]

後に再演が繰り返され代表作となる作品に、次々出会う。

  • 女の一生(1945年4月、主役・布引けい役)文学座。森本薫のオリジナル戯曲。初演時の台本は、戦後版とはいくつかの点で大きな違いがある。渋谷の映画館を借りて行なわれた初演(当初上演劇場に予定された国民新劇場〈戦時体制で築地小劇場から改称〉は、1945年3月10日の空襲で焼失していた)は、上演中に空襲警報で中断されることも度々であったという(※TV放送のため収録された、1961年当時の記録映像が現存する。2度にわたる分裂/大量脱退以前の公演であるため、資料的にも価値があると考えられる。杉村の死後、NHKで再放送され、DVDとしても発売された)。上演回数947回。
  • 華々しき一族(1950年5月、主役・諏訪役)文学座。森本薫のオリジナル戯曲。1935年に発表されたが未上演であったもの。上演回数309回。
  • 欲望という名の電車(1953年3月、主役のブランチ・デュボア役)文学座。テネシー・ウィリアムズのオリジナル戯曲、日本初演。上演回数594回。
  • 二号(1954年11月、主役・御園とく役)文学座。飯沢匡のオリジナル戯曲。コメディ。

三島由紀夫との時代[編集]

後に起こった文学座と三島とのトラブルにより、杉村はこの時期以外にはこれらの作品を演じていない。

  • 鹿鳴館(1956年11月、主役・影山朝子役)文学座創立20周年記念公演。三島由紀夫のオリジナル戯曲。後に新派・さまざまな商業演劇・劇団四季などによって上演される当戯曲の、これが初演になる。
  • 大障碍(だい・しょうがい)(1957年4月、主役・岑子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 薔薇と海賊(1958年7月、主役・楓阿里子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 熱帯樹(1960年1月、主役・律子役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • 十日の菊(1961年11月、主役・奥山菊役)文学座。三島由紀夫のオリジナル戯曲。
  • トスカ(1963年6月、主役・トスカ役)文学座。ヴィクトリアン・サルドゥの原作を、三島由紀夫が潤色したもの。11月に三島が退座した(⇒喜びの琴事件)ために、これが三島との最後の作品になった。

円熟・絶頂期[編集]

文学座公演として、レパートリーとなった代表作や新作に主演しながら、商業演劇にも数多く出演。商業演劇のスタアたちと同格の主演として舞台に立つ。

  • 華岡青洲の妻(1970年6月、主役・於継役)文学座。有吉佐和子の同名原作を、有吉が自身で戯曲化したもの。初演は1967年の東宝公演、主演は山田五十鈴であった。杉村がその演目のオリジナル・キャストではないという意味で、杉村の当たり役の中では珍しい演目(翻訳劇を除く)。上演回数634回。
  • ふるあめりかに袖はぬらさじ(1972年12月、主役・お園役)文学座。有吉佐和子の短篇「亀遊の死」を、有吉が自身で戯曲化したもの。初演。上演回数365回。
  • [既出]華岡青洲の妻(1973年5月、於継役)新派公演への客演。中村勘三郎の青洲、水谷八重子の加恵というキャスティング。
  • 怪談 牡丹燈籠(1974年8月、お峰・お米の二役)文学座。三遊亭圓朝の怪談噺を、大西信行が杉村に請われて脚色したもの[45]。コメディ。
  • [既出]怪談 牡丹燈籠(1976年4月、お峰・お米の二役)松竹公演。尾上松緑との初顔合わせ歌舞伎座で「怪談 牡丹灯篭」仁左衛門と玉三郎が共演 欲望まみれの怖い夫婦に
  • やどかり(1978年1月、向井さつ子役)東宝公演。作・榎本滋民。山田五十鈴と、舞台での初共演[46]。映画では『流れる』がある。山田の新劇出演は1959年の「関漢卿」以来。
  • 日の浦姫物語(1978年7月、日の浦姫役)作・井上ひさし[47]
  • 風流浮世ぶし(1979年1月、おみね役)新派公演。作・川口松太郎。水谷八重子との最後の共演。
  • ターリン行きの船(1979年3月、主役のリージャ・ワシリーナ役)松竹公演。作・アレクセイ・アルブーゾフ「古風なコメディ」。尾上松緑 (2代目)との2人芝居。
  • 月夜の海(1979年11月、由良琴女役)東宝公演。作・小幡欣治。山田五十鈴との共演。
  • 路地に咲く花(1982年6月、おかね役)松竹公演。歌舞伎の演目を大西信行が脚色したもの。尾上松緑との共演。
  • ウェストサイドワルツ(1985年2月、主役・マーガレット役)文学座。アーネスト・トンプソンのオリジナル戯曲。
  • 浮巣(1985年6月、おけい役)東宝公演。作・八木柊一郎。森光子と、舞台での初共演。
  • 木瓜(ぼけ)の花(1986年11月、木村正子役)東宝公演。有吉佐和子の同名小説を、大藪郁子が脚色したもの。森光子との共演。

最後の10年[編集]

「女の一生」を文学座内で平淑恵に継承(杉村生前の1996年に平主演の公演があった)。商業演劇での活躍も続き、スタアとの共演ではない大劇場での単独主演も行なう。89歳まで新作公演に出演、90歳まで主演舞台に立った。

  • [既出]欲望という名の電車(1987年2月、主役のブランチ・デュボア役)文学座創立50周年記念公演。杉村による最後の上演。
  • 流れる(1988年4月、染香役)東宝公演。幸田文の同名小説を、平岩弓枝が脚色したもの。山田五十鈴との共演。
  • 花霞(1990年4月、秀千代役)東宝公演。作・川口松太郎、脚色・戌井市郎。森光子との共演。
  • [既出]女の一生(1990年6月、主役・布引けい役)文学座。杉村による最後の上演。初演:1945年(昭和20年)4月~終演:1990年(平成2年)6月 45年間ロングラン上演記録
  • 恋ぶみ屋一葉(1992年6月、主役・前田奈津役)松竹公演。斎藤雅文のオリジナル戯曲。
  • 晩菊(1993年3月、主役・相沢しの役)東宝公演。林芙美子の同名小説を、山崎圓が脚色したもの。
  • [既出]ふるあめりかに袖はぬらさじ(1994年9月、主役・お園役)文学座。杉村による最後の上演。
  • 絹布の法被(けんぷのはっぴ)(1995年2月)文学座。江守徹のオリジナル戯曲。杉村にとって、最後の新作公演。
  • [既出]華岡青洲の妻(1996年1月、主役・於継役)文学座。杉村による最後の上演。
  • [既出]華々しき一族(1996年9月、主役・諏訪役)文学座。杉村による最後の上演。また、この演目での旅公演(最終日は1996年12月12日)が、杉村自身にとっても最後の舞台となった。

1997年には、3月に新橋演舞場で「華岡青洲の妻」(松竹公演。杉村主演としてチケットはすでに発売されていた。藤間紫が代役で於継を演じた)、5月に紀伊國屋サザンシアターで文学座60周年記念舞台「柘榴のある家」(新作、文学座公演)、9-10月には芸術座で「もず」(東宝公演、山岡久乃と舞台での初共演)などが予定されていた。 また、主演連続ドラマ「棘 おんなの遺言状」(NHK 竹山洋脚本 大竹しのぶ、島田正吾共演)は第1回収録途中に病気降板。没後10年のBS特集番組でその一部が放送された。

ラジオドラマ[編集]

テレビ番組[編集]

  • すばらしき仲間「女優として女として」(1986年、CBCテレビ) - 山田五十鈴と出演[49]
  • テレビ・私の履歴書「杉村春子」(1987年、テレビ東京)[50]
  • 芸を語る「杉村春子 「女の一生」と私」(1988年、NHK)[51]
  • 舞台ひとすじ・女優杉村春子の世界(1994年、NHK) - インタビューと舞台中継
    • 「夜のキャンヴァス」「ふりだした雪」[52]
    • 「女の一生」[53]
    • 「宵庚申思いの短夜」[54]
    • 「桜の園」[55]
    • 「怪談牡丹灯籠」[56]
    • 「華々しき一族」[57]

文献[編集]

著書[編集]

参考文献[編集]

杉村春子を演じた女優[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 日本経済新聞2009年6月7日24面。
  2. ^ a b 文春写真館 あのとき、この一枚”. 文藝春秋社 (2010年2月13日). 2010年2月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年2月13日閲覧。
  3. ^ a b c 杉村春子 没後10年特集[リンク切れ]
  4. ^ 杉村春子 - NHKアーカイブス NHK映像ファイル あの人に会いたい(2016年3月5日時点のアーカイブ
  5. ^ 杉村春子コトバンク
  6. ^ 『朝日新聞』1948年4月29日(東京本社発行)朝刊、2頁。
  7. ^ 内外タイムス文化部編『ゴシップ10年史』、三一書房、1964年、202-204頁
  8. ^ 週刊朝日1978年1月6日号、130-135頁
  9. ^ サンデー毎日1978年10月1日号、56、57頁
  10. ^ 『軟派昭和史』、スポーツニッポン新聞社文化部、1975年、220頁
  11. ^ 文学座:藤田弓子オフィシャルブログ 2010年3月21日(2010年11月25日時点のアーカイブ
  12. ^ 『回想の文学座』北見治一著、中央公論社、1987年、238、239頁
  13. ^ 三島由紀夫『俳優に徹すること - 杉村春子さんへ』(週刊読売 1963年12月15日に掲載)
  14. ^ 『新宿 歴史に生きた女性一〇〇人』、折井美那子・新宿女性史研究会編者、ドメス出版、2005年、97頁。
  15. ^ a b 日本経済新聞2009年6月14日24面。
  16. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、371頁。
  17. ^ 『演劇研究 第8集』、演技研究所、371頁。
  18. ^ 「『浪子』はほとんどセリフがない役だったので、自分としては『浅草の灯』が最初の作品」と杉村は話していたという(川本三郎『君美わしく―戦後日本映画女優讃』 文藝春秋、1996年、147頁)。
  19. ^ 高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』、文藝春秋、1982年、57頁。
  20. ^ よみがえる杉村春子〜没後10年特集 第1部・杉村春子が生きた“女の一生”[リンク切れ]ニッポン大女優伝説 2011年10月11日 | TBSテレビ
  21. ^ 週刊朝日1980年1月4日号、142頁。
  22. ^ 森光子 『人生はロングラン』 日本経済新聞出版社、2009年、218頁。
  23. ^ 川本三郎『君美わしく―戦後日本映画女優讃』 文藝春秋、1996年、302頁。
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外部リンク[編集]