岩下俊作
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岩下 俊作(いわした しゅんさく、1906年11月16日 - 1980年1月30日)は、日本の小説家。本名:八田秀吉。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。
来歴
[編集]旧福岡県立小倉工業学校(現福岡県立小倉工業高等学校)機械科卒業。1928年から1961年まで八幡製鉄所に勤務した。1938年、同郷の芥川賞作家・火野葦平や劉寒吉らと共に同人誌「九州文学(第二期)」に参加し、代表作となる『富島松五郎伝』(「九州文学」1939年10月号。「オール讀物」1940年6月号)で、1939年下半期・第10回直木賞候補、翌1940年上半期・第11回直木賞候補に挙げられるも受賞ならず。さらに、「辰次と由松」で同年下半期・第12回直木賞候補、「西域記」で1943年上半期・第17回直木賞候補となったが、いずれも受賞できなかった。八幡製鉄所退職後は明治通信社に勤務しながら執筆活動を行う。73歳で死去。
「富島松五郎伝」は『無法松の一生』のタイトルで映画化、ドラマ化、舞台化が幾度となくされている。
作品
[編集]著書
[編集]- 辰次と由松(新小説社)1941年
- 富島松五郎伝(小山書店)1941年
- ※表題作および「聖・もうれん」(『信貴山縁起絵巻』の小説化)を所収
- 再刊(中公文庫)1981年
- 秋廓寥(泰光堂)1942年
- 熱風(土人社)1943年
- 熔鉱炉と共に四十年(東洋書館)1943年
- 無法松の一生 ※「富島松五郎伝」改題(啓示社)1949年
- 再刊(春陽文庫)1951年
- 再刊(五月書房)1958年
- 再刊(角川文庫)1958年
- 再刊(中村書店)1960年
- 明治 恋風(角川書店)1950年
- 再刊(角川書店)1959年
- 縄(五月書房)1958年
- 再刊(東西五月社)1960年
- 焔と氷 明治密偵風雲録(五月書房)1959年
- 青春の流域(五月書房)1959年
- 岩下俊作詩集(小壼天書房)1960年
全集、選集
[編集]- 「新文学選書 第1 翁 / 岩下俊作、劉寒吉編」(燎原社)1946年
- 「岩下俊作選集」全5巻(北九州都市協会)1997年 - 1998年
- 「くらしっく時代小説9 岩下俊作集」(リブリオ出版)1998年
直木賞候補作品
[編集]- 第10回「富島松五郎伝」(「九州文学」1939年(昭和14年)10月号)単行本初所収・小山書店刊「富島松五郎伝」
- 第12回「辰次と由松」(「オール讀物」1940年(昭和15年)9月号)単行本初所収・新小説社刊「辰次と由松」
- 第13回「諦めとは言へど」(「オール讀物」1941年(昭和16年)6月号)単行本初所収・新小説社刊「辰次と由松」
- 第17回「西域記」(「九州文学」1940年9月号 - 1946年9月号・連載中に候補となる)
映画原作
[編集]- 「熱風」東宝 1943年
- 「無法松の一生」大映京都 1943年(稲垣浩監督、阪東妻三郎主演版)
- 「龍虎伝」大映京都 1947年
- 「無法松の一生」東宝 1958年(稲垣浩監督、三船敏郎主演版)
- 「無法松の一生」東映東京 1963年(伊藤大輔監督、三国連太郎主演版)
- 「竜虎一代」東映東京 1964年
- 「無法松の一生」大映京都 1965年(三隅研次監督、勝新太郎主演版)
その他
[編集]- 「西域記」は、シルクロードを題材とした小説のさきがけ。
- 岩下が昭和13年に発表した「算額問答」は、数学(和算)を扱った小説のさきがけ。
- 岩下の長男、八田敏弘は元小倉北区長。
- 岩下の三男、八田昂は大学卒業後NHKに入り記者として活躍した後、50代でふるさと北九州局の局長となった。その後はNHK文化センターに移り、北九州教室の開設に尽力。退職後の現在も北九州市に住んでいる。
脚注
[編集]
関連項目
[編集]- 九州文学(昭和13年・1938年9月創刊。現在は第七期。岩下の「富島松五郎伝(無法松の一生)」及び「西域記」が掲載された文芸誌。岩下自身も創刊メンバーである)
- 福岡県出身の人物一覧