獅子文六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
獅子 文六
(しし ぶんろく)
Shishi Bunroku 1954.JPG
1954年
誕生 岩田 豊雄
1893年7月1日
日本の旗 日本 神奈川県横浜市弁天通
死没 (1969-12-13) 1969年12月13日(満76歳没)
日本の旗 日本 東京都
墓地 谷中霊園
職業 小説家演出家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 慶應義塾大学理財科予科中退
活動期間 1931年 - 1969年
ジャンル 小説随筆評論翻訳
主題 ユーモア
文学活動 近代劇・演出・新聞小説
代表作 悦ちゃん』(1936年)
海軍』(1942年)
大番』(1956年)
ちんちん電車』(1966年、随筆)
主な受賞歴 朝日文化賞(1943年)
日本藝術院賞(1963年)
文化勲章(1969年)
デビュー作 『脚のあるパリ風景』(1931年)
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

獅子 文六(しし ぶんろく、1893年明治26年)7月1日 - 1969年昭和44年)12月13日)は、日本小説家演出家。本名は、岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章。牡丹亭。戦争により疎開した先の愛媛県北宇和郡津島町に句碑がある。

母方の祖父は花火職人の平山甚太。実父は元中津藩士の岩田茂穂。弟の岩田彦二郎は札幌グランドホテル社長。

来歴・人物[編集]

横浜弁天通の岩田商会に生まれる。父の岩田茂穂は、福澤諭吉に学んだのち絹織物商を営んでいたが、文六9歳のおりに死去する。

日清戦争開戦前年に生まれ、幼少の頃は中区月岡町9番地(現西区老松町の迎賓館付近)の官舎に住んでいた。横浜市立老松小学校から慶應義塾幼稚舎に編入学。普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進学するも中退。

1922年から数年間、演劇の勉強のためにフランスへ渡る。フランス人のマリー・ショウミー[1]と結婚し、帰国後に長女巴絵を得るが、のち妻は病死。以後、富永シヅ子と再婚し[2]、娘を育てる経緯が、のちに私小説『娘と私』となる。戦後にシヅ子も病死し、元男爵吉川重吉の娘・幸子と3度目の結婚をしている。

フランスからの帰国後、戯曲の執筆や翻訳の仕事だけでは生活が立ち行かなくなり、「四四、十六」をもじった獅子文六の筆名で、小説家として活動するようになる。1934年、雑誌『新青年』に掲載された『金色青春譜』が処女作である。1936年に、最初の新聞連載小説として報知新聞に掲載された『悦ちゃん』は大好評となり、このときに小説家としての獅子文六の筆名が知れ渡ることになった。

その翌年である1937年、岸田國士久保田万太郎と共に劇団文学座を創立する。「文学座」の命名は岩田のものによる。岸田、久保田と共に文学座幹事(のちに顧問)を務め、岸田、久保田がこの世を去った後は、文学座の最後の精神的支柱として、文学座座員はもとより、文学座を脱退した劇団雲劇団NLTの面々からも信頼を一手に受けた。

1942年、真珠湾攻撃の「九軍神」の一人を描いた『海軍』で朝日文化賞を受賞する。この作品がきっかけとなり、戦中には海軍関係の文章を多数発表したため、戦後に「戦争協力作家」として「追放」の仮指定がされたものの、1ヶ月半後に解除された。

解除後から晩年にかけて発表された長編小説は、多くの作品が映像化された。1951年には『自由学校』が松竹(渋谷実監督)と大映(吉村公三郎監督)で競作映画化、1955年には『青春怪談』が日活(市川崑監督)と新東宝(阿部豊監督)で競作映画化されている。また1961年に、NHKでテレビドラマ化された『娘と私』は、現在まで続く連続テレビ小説の第1作としても知られている。

1963年、日本芸術院賞受賞、1964年芸術院会員、1969年文化勲章受章、同時に文化功労者となる。同年12月に死去し、谷中霊園に眠る。

近年は著書のほとんどが絶版となってしまい、生前の人気や知名度からは意外なほど「忘れられた作家」となっていたが、2013年以降、ちくま文庫から長編小説が、中公文庫から随筆集が復刊されている。

家族[編集]

  • 祖父・平山甚太 - 花火職人。1840年生、1900年没。
  • 父・岩田茂穂 - 横浜市弁天通りで、欧米人を相手に「S.EWATA(岩田商店)」を営んでいた商人[3]
  • 母・あさじ
  • 弟・岩田彦二郎 - 札幌グランドホテル社長、府中カントリークラブ創設者・初代会長[4]、東京スポーツマンクラブ創業者
  • 妻・マリー・ショウミー - フランス人。小学校長の娘[5]矢田部達郎のフランス語家庭教師だったショミイと同一人物ではないかと言われている[6]。文六とともに1925年に日本に来て娘・巴絵をもうけたが精神を病み、帰国後、病没[5]
  • 妻・シヅ子 - 1934年結婚。愛媛県宇和島市津島町岩松生まれ[7]。1906年生まれ[8]。1950年2月死去[9]。軽度の心臓弁膜症を患っていたが、脳血栓により44歳で急死した[8]。巴絵との仲も良好で、生前の暮らしは『娘と私』に詳しい。
  • 妻・幸子 - 1951年結婚。1912年生まれ、2002年5月14日没[10]吉川重吉の娘。松方勝彦(松方幸次郎四男)と死別後、大磯で18歳年上の文六と見合いし、友人の白洲正子に「御曹司などより海千山千の作家のほうが面白い」と勧められ決断した[5]。文六との暮らしは自著『笛ふき天女』(講談社、1986年)(1988年に「花くらべ」の題でドラマ化)[11]や、家政婦をしていた福本信子の『獅子文六先生の応接室、「文学座」騒動のころ』(影書房、2003年)に詳しい。
  • 長女・巴絵 - マリーとの子。外交官の伊達宗起に嫁ぐ。宗起はアルジェリア大使などを務めたが、EC代表部大使時代、外交特権を不正利用した投資話に加わり、のちに更迭された[12]
  • 長男・敦夫 - 幸子との子。『父の肖像-芸術・文学に生きた「父」たちの素顔-』(かまくら春秋社、1999年)に「思い出すがままに」を寄稿している。

句碑[編集]

小説・随筆[編集]

1945年頃
  • 『脚のある巴里風景』岩田豊雄名義 白水社 1931
  • 『金色青春譜・浮世酒場』 アトリエ社、1936年(のち角川文庫)
  • 『遊覧列車』 改造社、1936年
  • 『楽天公子』 白水社、1936年(のち角川文庫)
  • 悦ちゃん』(『報知新聞』1936年7月19日-1937年1月15日)講談社、1937年(のち角川文庫、ちくま文庫、2015年)
  • 『達磨町七番地』(『朝日新聞』1937年1月5日-3月2日)白水社、1937年
  • 『胡椒息子』 (『主婦之友』1937年7月-1938年9月)新潮社、1938年(のち春陽文庫、角川文庫)(ちくま文庫、2017年)
  • 『青春売場日記』 春陽堂、1937年
  • 『舶来雑貨店』 白水社、1937年
  • 『青空部隊』(青空の仲間) 春陽堂、1938年
  • 『沙羅乙女』 新潮社、1939年(のち角川文庫)
  • 『信子』(『主婦之友』1938年1月-1940年)
  • 『断髪女中』 コバルト社、1940年
  • 『東京温泉』 新潮社、1940年(のち角川文庫)
  • 『牡丹亭雑記』 白水社、1940年
  • 『太陽先生』(岩田豊雄名義)主婦之友社、1941年
  • 『虹の工場』 新潮社、1941年
  • 『女軍』 河出書房、1941年
  • 『将軍鮒を釣らず』 錦城出版社、1942年
  • 『南の風』(『朝日新聞』1941年5月22日-11月23日)新潮社、1942年(のち角川文庫)
  • 『おばあさん』(『主婦之友』1942年2月-1944年5月)新潮社、1944年(のち角川文庫)
  • 海軍』(『朝日新聞』1942年7月-12月24日)朝日新聞社、1943年、のち新潮文庫、原書房(各・岩田豊雄名義)、(中公文庫、2001年)
  • 『牡丹亭新記』(岩田豊雄名義)白水社、1943年
  • 『海軍随筆』 新潮社、1943年、のち原書房(中公文庫、2003・2014年)
  • 『二階の女』 扶桑書房、1947年
  • 『南国滑稽譚』 新潮社、1948年(のち角川文庫)
  • 『青空の仲間』(岩田豊雄名義) 尾崎書房 1948
  • 『舶来雑貨店』 愛翠書房、1949年
  • 『おぢいさん』 主婦之友社、1949年
  • 『西洋色豪伝』 鱒書房、1949年
  • てんやわんや』(『毎日新聞』1948年11月22日-1949年4月14日)、新潮社、1949年
    • のち毎日新聞社毎日メモリアル図書館、1999年、新潮文庫、2000年、ちくま文庫、2014年
  • 『随筆てんやわんや』 尾崎書房、1949年
  • 自由学校』(『朝日新聞』1950年5月26日-12月11日)朝日新聞社、1951年(のち角川文庫、ちくま文庫、2016年)
  • 『へなへな随筆』 文藝春秋新社、1952年
  • 『やっさもっさ』 新潮社、1952年(のち文庫)
  • 娘と私』(『主婦之友』1953年1月-1956年5月)主婦之友社(上下)、1955-56年、各全1巻(のち角川文庫、新潮文庫)、(ちくま文庫、2015年)
  • 『青春怪談』 (『読売新聞』1954年4月27日-11月12日)新潮社、1954年(のち新潮文庫、角川文庫)、(ちくま文庫、2017年)
  • 大番』(『週刊朝日』1956年2月26日-1958年4月27日)新潮社(上下)、1956-58年
    • のち角川文庫、1960年、ゼネックス、1997年、小学館文庫、2010年
  • 『山の手の子』 創元社、1950年(『山の手の子 町ッ子』木鶏社、1996年に抄録)
  • 『太平滑稽譚』 創元社、1951年
  • 『嵐というらむ』 主婦之友社、1951年
  • 『信子』 数寄屋書房、1953年(のち「信子・おばあさん」角川文庫)
  • 『あちら話こちら話』 大日本雄弁会講談社、1955年
  • 『飲み食ひの話』 河出書房、1956年
    • 改題『わが食いしん坊』角川春樹事務所・グルメ文庫、2005年。抄録版
  • 『愚連隊』 角川書店、1957年
  • 『遊べ遊べ』 東京創元社、1957年
  • 『夫婦百景』 新潮社、1957年
  • 『探偵女房』 春陽堂書店、1958年
  • 『ドイツの執念』 講談社、1958年
  • 『東京の悪口』 新潮社、1959年
  • 『バナナ』 中央公論社、1959年(のち角川文庫)
  • 『すれちがい夫婦』 新潮社、1959年
  • 『ロボッチイヌ』 文藝春秋新社、1959年
  • 『七時間半』(『週刊新潮』1960年1月-10月)(新潮社、1960年) (ちくま文庫、2015年)
  • 『箱根山』(『朝日新聞』1961年3月17日-10月7日)新潮社、1962年(のち新潮文庫講談社文庫
  • 『飲み・食い・書く』 角川書店、1961年、のち角川文庫、1980年
    • 『好食つれづれ草』、1969年、『わが食いしん坊』 角川春樹事務所・グルメ文庫、2005年にも抄録
  • 石川武美歌ノート五万首から』 主婦の友社、1961年
  • 『その辺まで』 朝日新聞社、1961年
  • 『べつの鍵』 中央公論社、1961年
  • 『アンデルさんの記』 角川書店、1963年(のち角川文庫)
  • 『可否道(コーヒーと恋愛)』(『読売新聞』1962年11月-1963年5月。1963年、新潮社)。角川文庫、1969年、ちくま文庫、2013年
  • 『随筆町ッ子』 雪華社、1964年(『山の手の子 町ッ子』木鶏社、1996年に抄録)
  • 『ある美人の一生』 講談社、1964年
  • 『南の男』 新潮社、1964年
  • 『谷間の女』 東方社、1964年
  • 『愚者の楽園』 角川書店、1966年
  • ちんちん電車』 朝日新聞社、1966年(河出文庫、2006年)
  • 『但馬太郎治伝』 新潮社、1967年(のち講談社文芸文庫、2000年)
  • 『食味歳時記』 文藝春秋、1968年、文春文庫、1979年。中公文庫、1997年、新版2016年。
  • 『父の乳』(『主婦の友』1965年1月-1966年12月)新潮社、1968年(のち新潮文庫)
  • 『好食つれづれ草』 角川選書、1969年(『飲み・食い・書く』1961年の抜粋版)
  • 『私の食べ歩き』 ゆまにて出版、1976年(中公文庫、1999年、新版2016年)(『飲み食ひの話』1956年、『飲み・食い・書く』1961年の抄録)

演劇関連[編集]

演劇関連の著作は、本名の岩田豊雄の名で出版されている。

  • 『脚のある巴里風景』白水社、1931年
  • 『近代劇以後―批評と紹介』河出書房、1940年
  • 『劇場と書斎』モダン日本社、1942年
  • 『フランスの芝居』生活社、1943年
  • 『雑感 劇について』道統社、1943年
  • 『新しい芝居』早川書房 (悲劇喜劇選書)1948年
  • 『日本現代戯曲集』第1巻-第5巻 編集担当 新潮社(新潮文庫) 1951年
  • 『自由学校―戯曲』小山祐士共著 河出書房(市民文庫) 1951年
  • 『観覧席にて』読売新聞社(読売新書)、1954年
  • 『新劇と私』新潮社、1956年
  • 『岩田豊雄演劇評論集』 新潮社、1963年
  • 『新編日本現代戯曲集』第1-3 新潮社(新潮文庫) 1963年-1964年
  • 『岩田豊雄創作翻訳戯曲集』 新潮社、1963年

全集[編集]

  • 『獅子文六作品集』全5巻 文藝春秋新社 1952
  • 『獅子文六作品集』全12巻 角川書店 1958-1959
  • 『獅子文六作品集』全12巻 集英社(コンパクトブックス) 1965-1967
  • 『獅子文六自選集』集英社
  • 『獅子文六全集』(全16巻・別巻)、朝日新聞社、1968年5月-1970年9月

翻訳[編集]

映画化[編集]

  • 『悦ちゃん』 日活多摩川、1937年
  • 『楽天公子』 日活多摩川、1938年
  • 『青空二人組』 東宝映画東京、1938年
  • 『胡椒息子』 東宝映画東京、1938年
  • 『沙羅乙女 前篇』 東宝映画東京、1939年
  • 『沙羅乙女 後篇』 東宝映画東京、1939年
  • 『信子』 松竹大船、1940年
  • 『初春娘』 新興東京、1940年
  • 『鮒と将軍』 新興京都、1941年
  • 『太陽先生』 新興東京、1941年
  • 『南の風 瑞枝の巻』 松竹大船、1942年
  • 『続南の風』 松竹大船、1942年
  • 『兵六夢物語』 東宝映画、1943年
  • 海軍』 松竹太秦、1943年
  • 『おばあさん』 松竹太秦、1944年
  • 『てんやわんや』 松竹大船、1950年
  • 『自由学校』 松竹大船、1951年
  • 『自由学校』 大映東京、1951年
  • 『やつさもつさ』 松竹大船、1953年
  • 『胡椒息子』 大映東京、1953年
  • 『お嬢さん先生』 大映東京、1955年
  • 青春怪談』 新東宝、1955年
  • 青春怪談』 日活、1955年
  • 『青空の仲間』 日活、1955年
  • 大番』 東宝、1957年
  • 『続大番 風雲編』 東宝、1957年
  • 『続々大番 怒濤篇』 東宝、1957年
  • 『夫婦百景』 日活、1958年
  • 『大番 完結篇』 東宝、1958年
  • 『続夫婦百景』 日活、1958年
  • 『広い天』 松竹大船、1959年
  • 『かくれた人気者』 松竹京都、1959年
  • 『予科練物語 紺碧の空遠く』 松竹大船、1960年
  • 『バナナ』 松竹大船、1960年
  • 特急にっぽん』 東宝、1961年
  • 『娘と私』 東京映画、1962年
  • 『箱根山』 東宝、1962年
  • 海軍』 東映東京、1963年
  • 『「可否道」より なんじゃもんじゃ』 松竹大船、1963年

テレビドラマ[編集]

1950年代から60年代にかけては、これら以外にも、文六の作品を原作とする連続、あるいは単発のテレビドラマが数多く製作された。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 森茉莉『記憶の絵』(ちくま文庫)に「ショミイ」という女性が出てきて、「小柄で赤褐色の髪に眼鏡、紅く薄い唇。ルイズのような可愛らしさはないが、医者と窃(ひそ)かな関係を持つ看護婦、といったような型で強(したた)かなところがある。会社の帰りの黒のスウツでブラウスだけが薔薇色の新調だが、アメリカ人的なショミイが着るとピンクの感じだ」と書かれている。
  2. ^ http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/04/20090426ddm015070036000c.html
  3. ^ 横浜・作家の居る風景 横浜市中区役所福祉部、1980年
  4. ^ 府中カントリークラブ
  5. ^ a b c NHKラジオアーカイブ「獅子文六」(3) 2014年10月6日放送
  6. ^ 森茉莉『記憶の絵』
  7. ^ 獅子文六を語る牧村健一郎、明治大学大磯駿台会文化講演会、2013年10月20日
  8. ^ a b 岩田夫人の死を悼む岸田國士、1950年
  9. ^ 獅子文六『自由学校』について南谷覚正、群馬大学社会情報学部研究論集、2006
  10. ^ 岩田幸子さん死去共同通信、2002/05/15 06:06
  11. ^ 花くらべテレビドラマデータベース
  12. ^ 外交特権使い財テク 外務省元職員がスイスに私設ファンド毎日新聞、朝日新聞、読売新聞1988年10月11日

参考文献[編集]

  • 牧村健一郎、『獅子文六の二つの昭和』、2009年、朝日新聞出版(朝日選書)、ISBN 4022599545
  • 福本信子、『獅子文六先生の応接室―「文学座」騒動のころ』、2003年、影書房、ISBN 4877143114

外部リンク[編集]