神田駿河台

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神田駿河台
聖橋。向かって右側が神田駿河台。左側が湯島。
神田駿河台の位置(東京23区内)
神田駿河台
神田駿河台
座標: 北緯35度41分57秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.69917度 東経139.76361度 / 35.69917; 139.76361
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chiyoda, Tokyo.svg 千代田区
人口 (2015年(平成27年)8月1日現在)
 - 計 416人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 101-0062 
市外局番 03 (東京MA)
ナンバープレート 品川
※座標は神田駿河台二丁目付近

神田駿河台(かんだするがだい)は、東京都千代田区町名。現行行政地名は神田駿河台一丁目から神田駿河台四丁目。2015年8月1日現在の住民基本台帳による人口は416人[1]郵便番号は101-0062。

地理[編集]

千代田区・神田地域の北に位置し、文京区本郷湯島)との区境にあたる。「駿台(すんだい)」との略称も存在する。

もとは本郷台地と連続していたが、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗1620年元和6年)に仙台堀(神田川)の開削によって分離した[2][3][4][5][6]。また、削って下町を埋めた為に、今では台地では無い所もある。

関東大震災復興区画整理事業の第1号地となった。戦前の旧神田区時代は、明治の元勲である西園寺公望が私邸を構えるなど、山の手の住宅街として知られていたが、1970年代に入ると民家が主としてオフィスビル、店舗などに取って変わられ現在では住宅の存在が稀になった。

1960年代には御茶ノ水駅から本郷通り沿い周辺を中心として学生相手の店が多くなり始めた事もあって日本のカルチェ・ラタンと呼ばれた。

河川[編集]

歴史[編集]

地名の由来[編集]

徳川家康の死後、江戸幕府駿府の役人を住まわせた事が地名の由来。

沿革[編集]

  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 神田駿河台二丁目の一部で住居表示を施行し、町名を変更する[7]
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 神田駿河台二丁目7番地[8]で住居表示を施行し、町名を変更する[9]

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその一部)
三崎町一丁目 1967年4月1日 神田三崎町一丁目、神田駿河台二丁目
猿楽町二丁目 1969年4月1日 神田猿楽町二丁目(全域)、神田駿河台二丁目

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

施設[編集]

山の上ホテル
古今書院
教育
企業法人
宗教施設

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]