伊藤京子 (ソプラノ歌手)
伊藤 京子 | |
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生誕 | 1927年2月21日 |
出身地 |
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死没 | 2021年7月25日(94歳没) |
学歴 | 東京音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
声楽家(ソプラノ) 音楽教育者 オペラ歌手 |
伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)[1]、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。
略歴[編集]
静岡県掛川市出身。1947年(昭和22年)東京音楽学校卒[2]、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、原信子等に師事[2]。
1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクールで第1位を獲得後、1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー[3]。以後、東京藝術大学、藤原歌劇團、長門美保歌劇團、二期會、日生劇場、東京オペラ協會、關西オペラグループ等の主催により、計八十余本にのぼるオペラに出演[3]し、実力と人気を兼ね備えた、戦後の日本を代表するプリマドンナとして一世を風靡した。モーツァルトの諸役や日本の創作オペラで卓越した歌唱を聞かせたが、特に重要な持ち役としては、團伊玖磨『夕鶴』つうと、J.シュトラウス2世『こうもり』ロザリンデがあり、なかでも『夕鶴』のつうは当たり役で、1954年(昭和29年)の北京公演で絶賛された[4]ほか、数多く演じている。また、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団をはじめ、多くのオーケストラと共演を行っている。
歌曲についても造詣が深く、とりわけ日本歌曲のコンサート・レコーディングでは目覚ましい活躍をしている。
後進の育成にも力を注ぎ、国立音楽大学教授、名古屋音楽大学教授[4]、沖縄県立芸術大学教授[2]を務め、増田いずみ、永井和子、佐藤ひさら、本島阿佐子[2]等の優秀な門下生を数多く育てた。
2021年7月25日、老衰の為に死去[5]。94歳没。
受賞・栄典[編集]
- 1963年 第5回毎日芸術賞[6]
- 1969年 第19回芸術選奨文部大臣賞[6]
- 1970年 第12回毎日芸術賞[6]
- 1988年 紫綬褒章[1]
- 1988年12月31日 第39回NHK紅白歌合戦において審査員を務める
- 1989年 昭和63年度(第45回)日本芸術院賞[1]
- 1995年 日本芸術院会員[1]
- 1997年 勲三等瑞宝章[1]
- 1999年 第52回中日文化賞[7]
主な録音[編集]
2001年12月19日、ビクターより本人選曲で初のベストアルバム『MY FAVORITE SONGS』[4]がリリースされた。その他にも、オペラ『夕鶴』(全曲)をはじめとして、オムニバス版を含め、過去の録音が大量に存在する[8]。
楽界への貢献[編集]
- 公益社団法人日本演奏連盟理事長(1996年 - 2015年)。現在は理事(非常勤)
- 日本音楽コンクール顧問。
- 二期会名誉会員[9]
- 静岡国際オペラコンクール審査委員長[2](第1回(1996年) - 第6回(2011年))[10]
脚注[編集]
- ^ a b c d e “会員詳細”. 日本藝術院. 2016年3月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e “日本人オペラ名鑑 ソプラノ”. 2020年2月19日閲覧。
- ^ a b “[=Find_PerformanceInformation 伊藤京子]”. 昭和音楽大学オペラ情報センター. 2020年2月19日閲覧。
- ^ a b c “伊藤京子”. コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説. 2020年2月19日閲覧。
- ^ "ソプラノ歌手の伊藤京子さん死去、94歳…戦後を代表するプリマドンナの一人". Yomiuri ONLINE. 讀賣新聞社. 30 July 2021. 2021年8月2日閲覧。
- ^ a b c 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団第128回(2003年)定期演奏会パンフレット
- ^ “中日文化賞 受賞者一覧”. 中日新聞. 2022年9月14日閲覧。
- ^ “ミュージック 伊藤京子”. Amazon. 2020年2月19日閲覧。
- ^ “二期会のアーティスト 名誉会員”. 東京二期会. 2020年2月19日閲覧。
- ^ “これまでのコンクール”. 静岡国際オペラコンクール. 2020年2月20日閲覧。