佐藤愛子 (作家)
佐藤 愛子 (さとう あいこ) | |
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| ペンネーム | 佐藤 愛子 |
| 生誕 |
佐藤 愛子 1923年11月5日 |
| 死没 |
2026年4月29日(102歳没) |
| 職業 |
小説家 エッセイスト |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 |
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| 最終学歴 | 甲南高等女学校卒業 |
| ジャンル |
小説 エッセイ |
| 代表作 |
『青い果実』(1950年) 『ソクラテスの妻』(1963年) 『花はくれない 小説佐藤紅緑』(1967年) 『戦いすんで日が暮れて』(1969年) 『女優万里子』(1974年) 『血脈』(1989年-2000年) 『晩鐘』(2014年) 『九十歳。何がめでたい』(2016年) 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(2021年) |
| 主な受賞歴 |
直木賞(1969年) 女流文学賞(1979年) 菊池寛賞(2000年) 紫式部文学賞(2015年) 旭日小綬章(2017年) |
| デビュー作 | 『青い果実』 |
| 配偶者 |
森川弘(死別) 田畑麦彦(離婚) |
| 親族 |
佐藤紅緑(父) 三笠万里子(母) サトウハチロー(異母兄) 大垣肇(異母兄) 杉山弘幸(娘婿) 杉山響子(長女) |
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影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年〈大正12年〉11月5日[1] - 2026年〈令和8年〉4月29日)は、日本の小説家[2]。大阪市生まれ、西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇[3]。甲南高等女学校卒業[4]。
経歴
[編集]出生から最初の結婚まで
[編集]1923年11月5日(戸籍上は11月25日)、佐藤洽六(筆名 ・佐藤紅緑)とシナ(元女優の三笠万里子)の次女として、大阪市住吉区帝塚山で出生した。父親は先妻のはるを棄て、シナと再婚していた[3]。1925年に「私の故郷」と呼ぶ[8]兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に転居。小学校時代は大衆小説の大家である父親に送られてくる雑誌の恋愛小説を読みふけっており、算術は苦手であったという[要出典]。1936年4月、甲南高等女学校に入学。スポーツや演劇でクラスの人気者になる。女学校卒業後に太平洋戦争[注 1]が勃発したため、防火演習や防空壕掘りなどをして、花嫁修業はせず、無為な青春時代を過ごす[9][10]。
1943年12月、最初の夫となる森川弘と見合結婚し、長野県伊那市で暮らす。夫は陸軍航空本部勤務であり、飛行場設営隊の主計将校として陸軍伊那飛行場へ赴任。同地で約5か月の新婚生活をおくる。翌年11月、静岡県静岡市清水区の興津に疎開中の佐藤紅緑と三笠万里子の隠居用の邸で長男を出産。その後夫の実家のある大井町(岐阜県恵那市の旧大井町)で敗戦を迎えた。なお、この年に次兄が広島で被爆死、三兄がフィリピンで戦死している。復員した夫、長男とともに千葉県東葛飾郡田中村(現柏市)で帰農生活に入る。1947年に長女を出産[3][11]。
夫は軍隊で原因不明の激しい腹痛に悩まされ、軍医に鎮痛剤としてモルヒネを打たれていた。そのために夫はモルヒネ中毒にかかっていた。モルヒネ中毒は戦後も治癒せず、それが原因で夫と別居することになる[11]。
文学活動開始
[編集]両親への手紙に記載された田中村の生活(嫁ぎ先の愚痴など)を読んだ父親に「面白い。嫁になどやらずに作家にすればよかった」と褒められていた。実家に出戻ってきた際に上記を思い出した母に作家になることを勧められ、父親(佐藤紅緑)の友人であった加藤武雄に師事した[9][注 2]。1950年に同人雑誌「文藝首都」に参加。同人仲間に北杜夫、田畑麦彦、なだいなだらがいた。同誌に処女作『青い果実』が発表され、同作で文藝首都賞を受賞した。1951年 に『宇津木氏の手記』、1952年に『冷焔』、1954年に『埋もれた土地』を発表。当時は同人仲間とよく街を歩きまわっていたという[9]。
なお、1949年に父親の佐藤紅緑と、1951年 に夫の森川弘と死別している。森川との間に生まれた子供は婚家の両親が引き取った[3]。
2度目の結婚と直木賞受賞
[編集]1953年に母親との衝突がきっかけで長野県の伊那谷の鉱泉に約1か月滞在。同人仲間の田畑麦彦が合流し、関西地方まで共に旅行をしたことで親しくなる。実家からの自立を目指して聖路加国際病院で庶務課員、病院ハウスキーパーとして働き始めるが、1955年に退職(作家以外の仕事に就いたのは、後にも先にもこのときだけであった)。1956年に田畑麦彦[12]と再婚し一女を設ける。田畑と暮らしていた渋谷区初台の家を売却。さらに、母親の世田谷区上馬の家も売却し、世田谷区太子堂で、母親と同居を開始[3]。新居は文学仲間のサロンとなった[13]。1957年に田畑、川上宗薫らと同人誌「半世界」を創刊した。1960年『文學界』に掲載された『冬館』で文壇に認められる[2]。1962年には自伝的小説『愛子』を刊行。 1963年度の上半期は『ソクラテスの妻』で、下半期は『二人の女』で芥川賞候補となった。『ソクラテスの妻』の執筆をきっかけにエッセイ執筆を依頼され[13]、以後はエッセイの注文も増えた。
田畑麦彦は 第1回文藝賞を受賞した小説家であったが[14]、結婚後は事業に力を入れるようになっていった。田畑の父親は実業家の篠原三千郎で、東京急行電鉄の創業者・五島慶太の右腕であった縁で同社の社長を務めたこともある[15]。佐藤は田畑とともに産業教育教材販売会社「日本ソノサービスセンター」を設立し、事業はいっときは軌道に乗ったが、田畑の「特殊な金銭感覚」が禍し、1967年12月に倒産した。夫婦は大きな借金を背負うこととなり、債権者に追われ、原稿料が会社の債務返済に消えていく日々が続いた。佐藤は借金返済のために多数のジュニア小説を執筆した。1968年1月、「きみを借金から身を守るために偽装離婚しよう」「借金の火の粉が妻に降りかからないための偽装離婚」という夫の説得を受け入れ離婚に至る。しかし、佐藤は借金を肩代わりし[16]、返済のため御意見番としてワイドショーに出演したり講演をしたりと忙しく働き続けた。そんな中、田畑は銀座で飲食店を経営する女性と密かに入籍していた[17]。
1969年、45歳の時に、借金返済で東奔西走した経験をモチーフとした短編小説『戦いすんで日が暮れて』 が直木賞を受賞する[18][19]。
旺盛な作家活動
[編集]1979年4月、離婚後に始まった、元プロ野球選手の別当薫[20]との不倫関係を書いた『幸福の絵』を刊行し、女流文学賞を受賞[21]。1989年7月より、自身のルーツである佐藤家をモチーフとした『血脈』を別冊文藝春秋に連載開始。父親の佐藤紅緑、異母兄のサトウハチローなど佐藤家の子孫たちに伝わる「荒ぶる血」が引き起こす破滅的な人生を描いた群像劇・大河小説である。『血脈』は佐藤のライフワークとなり、十数年かけて完成された。2000年、『血脈』で菊池寛賞を受賞[2]。高齢となっても執筆意欲は旺盛であり、2014年には91歳で作家人生最後の作品と位置付けた長編小説『晩鐘』を刊行し、紫式部文学賞を受賞[22]。この小説は元夫の田畑をモデルにしたものであった。
小説のほかにも、身の回りの人物や事件をユーモラスに描いたエッセイを多数執筆しており、「娘と私」シリーズ等が知られている。中でも娘・響子と共に、タイ、インド、エジプト、ギリシア、イタリア、イギリスへ23日間外国旅行した経験を記した『娘と私のアホ旅行』が著名である。佐藤のエッセイストとしての一面を評価した堀川とんこうは、随筆春秋[23](堀川の実母堀川とし[23]が1993年[23]に創設したエッセイを専門とする純文学の同人誌)の"指導者"を依頼し、佐藤はこれを引き受けた[24]。2020年には自身の希望により随筆春秋誌上に佐藤愛子奨励賞が新設され、唯一の審査員を務めている[25]。その後も『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(2021年)などのエッセイを発表している。2023年には『九十歳。何がめでたい』の映画化が公表された[26]。
叙勲
[編集]晩年・逝去
[編集]2022年秋頃、帯状疱疹を患ってから心身の衰えがひどく、2024年には肋骨と大腿骨を骨折し、その後は認知機能も徐々に低下した。逝去(2026年)から2年前の秋近くになって介護施設に入居。2025年には認知機能がさらに低下しアルツハイマー型認知症と診断された。要介護4の認定を受ける[30]。施設入居前に受けたインタビューをもとにまとめられ、上梓された『ぼけていく私』(共著者:杉山響子[注 3]・杉山桃子[注 4])(文藝春秋、2026年4月)が最後の著書となった[31]。
2026年4月29日、老衰のため東京都内の施設で死去。満102歳175日没[32][33]。大正から令和までの4つの時代を生き抜いた。
略年譜
[編集]- 1923年 - 佐藤紅緑とシナの次女として、大阪市住吉区帝塚山で出生。
- 1925年 - 兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に転居。
- 1936年 - 甲南高等女学校に入学。
- 1941年 - 甲南高等女学校卒業。
- 1943年 - 森川弘と見合結婚。
- 1944年 - 長男を出産。
- 1947年 - 長女を出産。
- 1950年 - 同人雑誌『文藝首都』に参加。同誌に処女作『青い果実』が発表され、同作で文藝首都賞受賞。
- 1951年 - 同人雑誌『西風の街』6月号に『宇津木氏の手記』を発表。別居中の夫と死別[34]
- 1952年 - 『冷焔』を発表。
- 1954年 - 『三田文学』に『埋もれた土地』を発表。
- 1956年 - 田畑麦彦(本名:篠原省三)と2度目の結婚。
- 1957年 - 田畑、川上宗薫らと同人誌「半世界」を創刊。
- 1960年 - 3月、田畑との間に響子を出産。母との共同出資で自宅を新築。
- 1962年 - 最初の著作『愛子』を刊行。
- 1963年 - 上半期『ソクラテスの妻』で芥川賞候補[35]。連続して下半期『二人の女』で芥川賞候補。
- 1964年 - 上半期『加納大尉夫人』で直木賞候補。
- 1967年 - 12月、夫・田畑の会社が倒産。
- 1968年 - 1月、夫・田畑麦彦と離婚。
- 1969年 - 『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。
- 1979年 - 『幸福の絵』(新潮社)で女流文学賞を受賞。
- 1989年 - 『血脈』を「別冊文藝春秋」に連載開始。
- 2000年 - 『血脈』で菊池寛賞受賞。
- 2014年 - 自身の最後の長編小説と称する『晩鐘』を刊行[22]。
- 2017年 - 旭日小綬章受章[29]。『九十歳。何がめでたい』が年間ベストセラー総合第1位となる[34]。
- 2020年 - 同人誌 随筆春秋で佐藤愛子奨励賞が新設。
- 2023年11月5日 - 満100歳の誕生日を迎える。
- 2026年4月29日 - 老衰のため死去。102歳175日没。
逸話
[編集]- 普段は和服を着こなし、夏の暑い時期だけ洋装するようにしている。嫁入り道具だった帯を使い続けるなど古い着物を着ることが多い[36]。
- 自慢げに何かを語る時、自身を「大佐藤」と呼ぶ癖があり、娘の響子からは「自慢屋」と呆れられているという[37]。
- 作家になる決心については、最初の結婚が上手く行かなかった際に、男に頼らず生きてみたいと思ったからと、後年語っているが、すぐに大成できると甘い見込みをしていたと述懐しており、「10年間、売れない小説を書いてるということになりましてね」と明かした上で、それでも書き続けられたのは、自身が良い意味で「自惚れ屋」だったからだと分析している[38]。
- 借金に追われながら受賞した直木賞に関しては「ちょっと待った」と感じており[39]、受賞の電話に対して「やむを得ません」と言いかけるほどであった[9]。
- 北原武夫(宇野千代の夫)に師事していたことがある。門人には川上宗薫もおり、佐藤とは異性の親友となった[40]。川上は「人の家の飯ほど美味いものはない」と言ってよく佐藤の家にご飯だけを食べにきていた[9]。佐藤は川上を「小川上」と呼んでいたという[41]。
- 北杜夫との交友関係が知られている。初対面で「えらいお父様を持たれたお気持ちはどんなものですか?」と聞かれた。のちに北が斎藤茂吉の子息であることを知り悔しく思った。北の『楡家の人びと』の構想を聞いていつかは自分の実家をテーマにした作品を書こうと考えており、そこから『血脈』が生まれた[9]。
- 遠藤周作は、エッセイの中で、「灘中学校時代、通学電車で乗り合わせた彼女は我々のマドンナ的な存在だった」と記述している。後年、これは悪戯好きの遠藤の作り話だったことが佐藤の筆により明らかにされた[42]。
- 美人作家の家に白昼強盗が入る事件が続いた際、遠藤周作や北杜夫に「まだ来ないかねえ。美人じゃないってことかねえ。泥棒にも見捨てられたか」とからかわれていた。自宅に強盗が入って「作家の佐藤愛子さん宅に白昼強盗」とニュースになった際には電話で北杜夫に「おめでとうございます」と言われた[43]。
- 白昼強盗が押し入った時分は正午で、佐藤は昼食用にパンを焼いて食べようとする最中だった。別棟に同居していた甥の木原一郎は朝が弱く、夫婦共々就寝中で、佐藤夫妻と誤認されて既に猿轡で縛られていた。若い男の強盗は佐藤のお手伝いを短刀で脅し、居場所を聞き出そうとしたが、お手伝いは来客と誤認して「先生、お客様が見えました」と案内してしまった。佐藤は首だけ出して応対したが、マスクとサングラスで顔を隠し、拳銃を忍ばせた袋を下げ、土足だった姿を一瞥して客ではないと察知。貞操の危機を感じたが、強盗が何度も「佐藤愛子か?」としつこく確認してきたため、「それがどうした!」と一喝すると、甥夫婦が縛られているとは知らず、加勢を求めるため、火事場の馬鹿力で塀を飛び越えて甥宅に向かった。その間に、強盗は一度は佐藤を追いかける素振りを見せたものの、思い直して勝手口から出て行ったという[44]。
- 1975年[45]、北海道の浦河町に建てた別荘で、ラップ現象やポルターガイスト現象と呼ばれる心霊現象に悩まされた。何人もの霊能者に相談し、約20年かかって(ほぼ)解決した[46]。
- 堀川とんこうはTBS時代、『安ベエの海』(1969年)、『愛子』(1973年)という佐藤愛子原作のテレビドラマと関わった。『愛子』は佐藤の自伝的小説であり、堀川は佐藤の自宅を時々訪れて取材を行っていた[47]。
- 随筆春秋が創刊されてまもなく堀川とし(堀川とんこうの実母で随筆春秋の創設者)は佐藤の自宅に押しかけ、「随筆春秋の指導者になってくれないか」と応接間で機関銃のようにまくし立てた。佐藤は気おされて承諾したが、「どうしてそんなことになったのか今もって分からない」と自身のエッセイに記載している。また、堀川とんこうの妻である高木凛も随筆春秋と佐藤とを結びつけるべく内助の功を尽くしていた[24]。
- 私生活ではメス犬のチビや迷い犬のタロを飼うなど、愛犬家としての一面も知られる[11]。
- 最初の夫・森川弘の実家は岐阜県恵那市(旧大井町)で病院を営んでいた。森川との間に設けた長男が実家の病院[48]を継いでいる。
- 田畑との間に設けた娘の響子(後の杉山響子)はジュエリーデザイナー杉山弘幸と結婚している。
- 孫の杉山桃子は佐藤の著作で度々名前が出るほか、誕生以来佐藤が桃子とコスプレした写真による年賀状を作成、関係者に送られていた。この年賀状については『孫と私の小さな歴史』として本にまとめられている(文藝春秋、2016年。のち文春文庫で『孫と私のケッタイな年賀状』で2019年に文庫化)。桃子は「青乎(あを)」名義で映像や楽曲の制作活動を行っているほか、本名名義で漫画家として祖母や佐藤家の日常を漫画・イラスト・エッセイで綴った『佐藤愛子の孫は今日も振り回される』(コスミック出版、2024年)を発表している[49]。
著書
[編集]国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)での網羅的な検索結果を逆時系列で年代別に列挙した[注 5]。
単著
[編集]2026年5月18日現在で419件ありそれを以下に列挙した[注 5]。
2020年代
[編集]- 『佐藤愛子の一喝箴言集. 2』きずな出版、2026年5月。
- 『ぼけていく私』文藝春秋、2026年4月。
- 『こんな考え方もある』実業之日本社、2026年3月。
- 『こんな老い方もある』実業之日本社、2026年3月。
- 『娘と私の時間』集英社、2026年2月。
- 『なんのこれしき! : 人生は叱られて笑って立ち上がれ : 佐藤愛子の一喝箴言集』きずな出版、2026年2月。
- 『こんな幸福もある』実業之日本社、2026年2月。
- 『こんな暮らし方もある』実業之日本社、2026年2月。
- 『娘と私の部屋』集英社、2026年1月。
- 『百一歳。終着駅のその先へ』中央公論新社、2025年3月。
- 『はからずも人生論 : 往復書簡集』小学館、2025年1月。
- 『老いはヤケクソ』リベラル社 星雲社、2025年1月。
- 『鼓笛隊物語』潮出版社、2024年11月。
- 『百歳もヘチマもあるものか。』プレジデント社、2024年9月。
- 『まだ生きている』リベラル社 星雲社、2024年7月。
- 『気がつけば、終着駅』中央公論新社、2024年6月。
- 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』小学館、2024年5月。
- 『人生は美しいことだけ憶えていればいい』PHP研究所、2024年4月。
- 『これだけ言って死にたい』コスミック出版、2024年4月。
- 『老い力』リベラル社 星雲社、2024年1月。
- 『かくて老兵は消えてゆく』埼玉福祉会、2023年11月。
- 『思い出の屑籠』中央公論新社、2023年11月。
- 『そもそもこの世を生きるとは』リベラル社 星雲社、2023年7月。
- 『愛子戦記 : 佐藤愛子の世界』文藝春秋、2023年6月。
- 『女の背ぼね』リベラル社 星雲社、2023年3月。
- 『幸福とは何ぞや』中央公論新社、2022年9月。
- 『あぁ面白かったと言って死にたい』コスミック出版、2022年9月。
- 『風の行方. 下』文藝春秋、2022年6月。
- 『風の行方. 上』文藝春秋、2022年6月。
- 『凪の光景』文藝春秋、2022年1月。
- 『愛子の格言』中央公論新社、2021年11月。
- 『冥界からの電話』新潮社、2021年8月。
- 『佐藤愛子の役に立たない人生相談』ポプラ社、2021年8月。
- 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』小学館、2021年8月。
- 『九十歳。何がめでたい』小学館、2021年8月。
- 『何がおかしい』中央公論新社、2020年11月。
- 『それでもこの世は悪くなかった』埼玉福祉会、2020年11月。
2010年代
[編集]- 『気がつけば、終着駅』中央公論新社、2019年12月。
- 『ガムシャラ人間の心得』海竜社、2019年8月。
- 『人生は美しいことだけ憶えていればいい』PHP研究所、2019年4月。
- 『孫と私のケッタイな年賀状』文藝春秋、2019年1月。
- 『神さまのお恵み』青志社、2018年12月。
- 『冥界からの電話』新潮社、2018年11月。
- 『日めくり佐藤愛子の人生のコツ』扶桑社、2018年10月。
- 『樂天道』海竜社、2018年8月。
- 『女優万里子』小学館、2018年6月。
- 『役に立たない人生相談. 2』ポプラ社、2018年5月。
- 『冥途のお客』青志社、2018年4月。
- 『加納大尉夫人/オンバコのトク』めるくまーる、2018年4月。
- 『老い力』海竜社、2018年4月。
- 『ソクラテスの妻』小学館、2018年3月。
- 『こんな生き方もある』KADOKAWA、2018年1月。
- 『血脈. 下』文藝春秋、2017年12月。
- 『血脈. 中』文藝春秋、2017年12月。
- 『血脈. 上』文藝春秋、2017年12月。
- 『愛子の小さな冒険』青志社、2017年11月。
- 『晩鐘. 下』文藝春秋、2017年9月。
- 『晩鐘. 上』文藝春秋、2017年9月。
- 『戦いすんで日が暮れて』講談社、2017年9月。
- 『こんな老い方もある』KADOKAWA、2017年9月。
- 『お徳用愛子の詰め合わせ : 週刊文春版』文藝春秋、2017年8月。
- 『破れかぶれの幸福』青志社、2017年7月。
- 『冥途のお客 : 夢か現か、現か夢か』埼玉福祉会、2017年6月。
- 『犬たちへの詫び状』PHP研究所、2017年4月。
- 『上機嫌の本』PHP研究所、2017年3月。
- 『それでもこの世は悪くなかった』文藝春秋、2017年1月。
- 『人間の煩悩』幻冬舎、2016年9月。
- 『九十歳。何がめでたい』小学館、2016年8月。
- 『佐藤愛子の役に立たない人生相談』ポプラ社、2016年6月。
- 『院長の恋』埼玉福祉会、2016年6月。
- 『孫と私の小さな歴史 = Une petite histoire à propos de ma petite-fille et moi』文藝春秋、2016年1月。
- 『かくて老兵は消えてゆく』文藝春秋、2015年9月。
- 『晩鐘』文藝春秋、2014年12月。
- 『楽天道』文藝春秋、2014年11月。
- 『これでおしまい』文藝春秋、2014年5月。
- 『女の背ぼね』文藝春秋、2014年3月。
- 『そもそもこの世を生きるとは』海竜社、2014年2月。
- 『かくて老兵は消えてゆく』文藝春秋、2013年8月。
- 『お徳用愛子の詰め合わせ』文藝春秋、2013年6月。
- 『幸福とは何ぞや : 佐藤愛子の箴言』海竜社、2013年3月。
- 『老兵の消燈ラッパ』文藝春秋、2012年9月。
- 『ああ面白かったと言って死にたい : 佐藤愛子の箴言集』海竜社、2012年7月。
- 『院長の恋』文藝春秋、2012年3月。
- 『私の遺言. 上』埼玉福祉会、2011年12月。
- 『私の遺言. 下』埼玉福祉会、2011年12月。
- 『老兵の進軍ラッパ』文藝春秋、2011年11月。
- 『これでおしまい : 我が老後』文藝春秋、2011年11月。
- 『今は昔のこんなこと』文藝春秋、2011年5月。
- 『幸福の絵』集英社、2011年2月。
- 『お徳用愛子の詰め合わせ』文藝春秋、2011年1月。
- 『老い力』文藝春秋、2010年11月。
- 『わが孫育て』文藝春秋、2010年6月。
- 『老兵の消燈ラッパ』文藝春秋、2010年3月。
- 『花は六十』集英社、2010年3月。
2000年代
[編集]- 『樂天道』海竜社、2009年9月。
- 『まだ生きている : 我が老後 6』文藝春秋、2009年9月。
- 『日本人の一大事』集英社、2009年5月。
- 『女の背ぼね』海竜社、2009年2月。
- 『院長の恋』文藝春秋、2009年1月。
- 『こんなことでよろしいか : 老兵の進軍ラッパ』集英社、2008年7月。
- 『佐藤家の人びと : 「血脈」と私』文藝春秋、2008年5月。
- 『わが孫育て』文藝春秋、2008年1月。
- 『老い力』海竜社、2007年10月。
- 『冥途のお客』文藝春秋、2007年9月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 8』集英社、2007年8月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 7』集英社、2007年7月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 6』集英社、2007年6月。
- 『戦いすんで日が暮れて. 上』埼玉福祉会、2007年5月。
- 『戦いすんで日が暮れて. 下』埼玉福祉会、2007年5月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 5』集英社、2007年5月。
- 『今は昔のこんなこと』文藝春秋、2007年5月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 4』集英社、2007年4月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 3』集英社、2007年3月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 2』集英社、2007年2月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 1』集英社、2007年1月。
- 『まだ生きている : 我が老後』文藝春秋、2006年10月。
- 『それからどうなる』文藝春秋、2006年8月。
- 『犬たちへの詫び状』文藝春秋、2005年12月。
- 『私の遺言』新潮社、2005年10月。
- 『「血脈」と私』文藝春秋、2005年1月。
- 『血脈. 中』文藝春秋、2005年1月。
- 『血脈. 上』文藝春秋、2005年1月。
- 『血脈. 下』文藝春秋、2005年1月。
- 『不敵雑記 : たしなみなし』集英社、2004年11月。
- 『日本人の一大事』海竜社、2004年11月。
- 『冥途のお客 : 夢か現か、現か夢か』光文社、2004年9月。
- 『冬子の兵法愛子の忍法』文藝春秋、2004年9月。
- 『それからどうなる : 我が老後』文藝春秋、2004年8月。
- 『そして、こうなった』文藝春秋、2003年8月。
- 『老残のたしなみ : 日々是上機嫌』集英社、2003年4月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 4』集英社、2002年12月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 3』集英社、2002年11月。
- 『私の遺言』新潮社、2002年10月。
- 『不運は面白い幸福は退屈だ : 人間についての断章326』集英社、2002年10月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 2』集英社、2002年10月。
- 『加納大尉夫人』埼玉福祉会、2002年10月。
- 『これが佐藤愛子だ : 自讃ユーモアエッセイ集. 1』集英社、2002年9月。
- 『不敵雑記 : たしなみなし』集英社、2001年11月。
- 『犬たちへの詫び状』PHP研究所、2001年4月。
- 『血脈. 下』文藝春秋、2001年3月。
- 『大黒柱の孤独』集英社、2001年2月。
- 『血脈. 中』文藝春秋、2001年2月。
- 『血脈. 上』文藝春秋、2001年1月。
- 『だからこうなるの』文藝春秋、2000年12月。
- 『こたつの人』集英社、2000年10月。
- 『そして、こうなった : 我が老後』文藝春秋、2000年9月。
- 『老残のたしなみ : 日々是上機嫌』集英社、2000年3月。
1990年代
[編集]- 『我が老後』埼玉福祉会、1999年10月。
- 『風の行方. 下』集英社、1999年8月。
- 『風の行方. 上』集英社、1999年8月。
- 『不運は面白い幸福は退屈だ : 人間についての断章327』海竜社、1999年7月。
- 『虹は消えた』角川書店、1999年5月。
- 『萩あらし : 句集』東京四季出版、1999年2月。
- 『結構なファミリー』集英社、1998年11月。
- 『なんでこうなるの : 我が老後』文藝春秋、1998年9月。
- 『戦いやまず日は西に』集英社、1998年6月。
- 『幸福のかたち』角川春樹事務所、1998年6月。
- 『だからこうなるの : 我が老後』文藝春秋、1997年11月。
- 『娘と私と娘のムスメ』集英社、1997年10月。
- 『その時がきた』中央公論社、1997年8月。
- 『風の行方. 下』毎日新聞社、1997年8月。
- 『風の行方. 上』毎日新聞社、1997年8月。
- 『幸福の里』読売新聞社、1997年6月。
- 『女の学校』埼玉福祉会、1997年5月。
- 『我が老後』文芸春秋、1997年3月。
- 『死ぬための生き方』集英社、1997年2月。
- 『上機嫌の本』PHP研究所、1996年5月。
- 『結構なファミリー』日本放送出版協会、1996年5月。
- 『人生って何なんだ!』集英社、1996年3月。
- 『なんでこうなるの : 我が老後』文芸春秋、1995年12月。
- 『虹は消えた』角川書店、1995年11月。
- 『幸福の絵』埼玉福祉会、1995年5月。
- 『娘と私と娘のムスメ』立風書房、1995年4月。
- 『戦いやまず日は西に』海竜社、1995年3月。
- 『耳の中の声』中央公論社、1995年2月。
- 『遠い歳月』日曜随筆社、1995年2月。
- 『憤怒のぬかるみ : さんざんな男たち女たち』集英社、1995年1月。
- 『ヴァージン』角川書店、1994年11月。
- 『娘と私と娘のムスメ』学習研究社、1994年10月。
- 『男と女のしあわせ関係』集英社、1994年5月。
- 『窓は茜色』中央公論社、1993年10月。
- 『自讃ユーモア短篇集. 下』集英社、1993年10月。
- 『自讃ユーモア短篇集. 上』集英社、1993年10月。
- 『淑女失格 : 私の履歴書』集英社、1993年10月。
- 『死ぬための生き方』海竜社、1993年8月。
- 『我が老後』文芸春秋、1993年6月。
- 『こんな老い方もある』角川書店、1993年5月。
- 『娘と私の部屋』埼玉福祉会、1992年12月。
- 『こんなふうに死にたい』新潮社、1992年12月。
- 『神さまのお恵み』PHP研究所、1992年11月。
- 『日当りの椅子』PHP研究所、1992年10月。
- 『こんな女もいる』角川書店、1992年9月。
- 『老兵は死なず』PHP研究所、1992年6月。
- 『メッタ斬りの歌』集英社、1992年5月。
- 『上機嫌の本』PHP研究所、1992年3月。
- 『凪の光景. 下』集英社、1992年1月。
- 『凪の光景. 上』集英社、1992年1月。
- 『こんな暮らし方もある』角川書店、1992年1月。
- 『こんな幸福もある』海竜社、1991年12月。
- 『マリアの恋』中央公論社、1991年11月。
- 『ヴァージン』実業之日本社、1991年11月。
- 『花はくれない : 小説・佐藤紅緑』埼玉福祉会、1991年10月。
- 『女の怒り方』集英社、1991年9月。
- 『痛みの話 : 生活から治療から研究から』日本文化科学社、1991年8月。
- 『何がおかしい』角川書店、1991年7月。
- 『こんな老い方もある』海竜社、1990年11月。
- 『今どきの娘ども』集英社、1990年11月。
- 『夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ』角川書店、1990年8月。
- 『淑女失格 : 私の履歴書』日本経済新聞社、1990年8月。
- 『人生って何なんだ!』中央公論社、1990年6月。
- 『虹が…』角川書店、1990年1月。
1980年代
[編集]- 『ひとりぽっちの鳩ポッポ』集英社、1989年12月。
- 『愛子の新・女の格言』角川書店、1989年11月。
- 『樹齢 : 句集』東京四季出版、1989年7月。
- 『娘と私のただ今のご意見』集英社、1989年6月。
- 『こんな女でなくっちゃ : 好きになったら別れるまで』青春出版社、1989年5月。
- 『女の怒り方 : その習生その触覚その性癖』青春出版社、1989年5月。
- 『マドリッドの春の雨』角川書店、1989年1月。
- 『耳の中の声』中央公論社、1988年12月。
- 『凪の光景』朝日新聞社、1988年10月。
- 『夢かと思えば : エッセイ集』立風書房、1988年9月。
- 『老兵は死なず』角川書店、1988年6月。
- 『幸福という名の武器』集英社、1988年6月。
- 『窓は茜色』中央公論社、1988年3月。
- 『さんざんな男たち女たち : 憤怒のぬかるみ』青春出版社、1988年2月。
- 『ウララ町のうららかな日』新潮社、1988年2月。
- 『こんな考え方もある』角川書店、1988年1月。
- 『バラの木にバラの花咲く』集英社、1987年12月。
- 『こんなふうに死にたい』新潮社、1987年11月。
- 『スニヨンの一生』文芸春秋、1987年10月。
- 『こんないき方もある』角川書店、1987年10月。
- 『今どきの娘ども』集英社、1987年10月。
- 『こんな暮らし方もある』海竜社、1987年5月。
- 『古川柳ひとりよがり』集英社、1987年5月。
- 『夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ』実業之日本社、1987年4月。
- 『ミチルとチルチル』中央公論社、1987年4月。
- 『日当りの椅子』角川書店、1987年1月。
- 『ひとりぽっちの鳩ポッポ』読売新聞社、1986年9月。
- 『花は六十』集英社、1986年9月。
- 『娘と私のただ今のご意見』集英社、1986年7月。
- 『虹が…』角川書店、1986年7月。
- 『男はたいへん』集英社、1986年1月。
- 『老兵は死なず』読売新聞社、1985年12月。
- 『丸裸のおはなし』大和書房、1985年11月。
- 『バラの木にバラの花咲く』集英社、1985年7月。
- 『男と女のしあわせ関係』青春出版社、1985年6月。
- 『躁病のバイキン』光文社、1985年5月。
- 『男友だちの部屋』集英社、1985年5月。
- 『マドリッドの春の雨』角川書店、1985年4月。
- 『幸福の終列車』光文社、1985年4月。
- 『男たちの肖像』集英社、1985年2月。
- 『幸福という名の武器』海竜社、1985年1月。
- 『うらら町字ウララ』新潮社、1984年12月。
- 『人生・男・女 : 愛子のつぶやき370』文化出版局、1984年11月。
- 『ミチルとチルチル』中央公論社、1984年10月。
- 『娘と私の天中殺旅行』集英社、1984年9月。
- 『スニヨンの一生』文芸春秋、1984年8月。
- 『古川柳ひとりよがり』読売新聞社、1984年6月。
- 『女はおんな』集英社、1984年3月。
- 『花はいろいろ』集英社、1983年12月。
- 『愛子の獅子奮迅』集英社、1983年9月。
- 『枯れ木の枝ぶり』角川書店、1983年7月。
- 『日当りの椅子』文化出版局、1983年6月。
- 『幸福の絵』集英社、1983年4月。
- 『男たちの肖像』集英社、1983年3月。
- 『むつかしい世の中』角川書店、1983年1月。
- 『躁病のバイキン』読売新聞社、1982年10月。
- 『女の怒り方 : その習性その触覚その性癖』青春出版社、1982年10月。
- 『あなない盛衰記』集英社、1982年10月。
- 『男はたいへん』集英社、1982年9月。
- 『こちら2年A組』秋元書房、1982年7月。
- 『娘と私のアホ旅行』集英社、1982年5月。
- 『こんな幸福もある』角川書店、1982年5月。
- 『娘と私の天中殺旅行』集英社、1982年4月。
- 『こんな考え方もある』海竜社、1982年4月。
- 『たいへんだア青春』集英社、1982年3月。
- 『日本人の感覚と生活 : 適度な環境をさぐる』ナカニシヤ出版、1982年2月。
- 『愛子の新・女の格言』角川書店、1982年1月。
- 『愛子の小さな冒険』角川書店、1981年10月。
- 『男友だちの部屋』集英社、1981年9月。
- 『あなない盛衰記』光風社出版、1981年8月。
- 『丸裸のおはなし』集英社、1981年7月。
- 『憤激の恋』角川書店、1981年6月。
- 『一天にわかにかき曇り』角川書店、1981年5月。
- 『父母の教え給いし歌』集英社、1981年4月。
- 『躁鬱旅行』角川書店、1981年4月。
- 『こんないき方もある』海竜社、1981年4月。
- 『愛子の小さな冒険』光風社出版、1981年3月。
- 『花はくれない : 小説佐藤紅緑』講談社、1981年2月。
- 『女はおんな』集英社、1981年2月。
- 『或るつばくろの話』角川書店、1981年2月。
- 『愛子の百人斬り』角川書店、1981年2月。
- 『愛子の日めくり総まくり』集英社、1981年1月。
- 『加納大尉夫人』角川書店、1980年12月。
- 『娘と私のアホ旅行』集英社、1980年11月。
- 『さて男性諸君』角川書店、1980年11月。
- 『坊主の花かんざし. 4』集英社、1980年10月。
- 『忙しいダンディ』角川書店、1980年10月。
- 『束の間の夏の光よ』角川書店、1980年9月。
- 『九回裏』光風社出版、1980年9月。
- 『坊主の花かんざし. 3』集英社、1980年8月。
- 『総統のセレナード』角川書店、1980年8月。
- 『奮闘旅行』光風社出版、1980年7月。
- 『九回裏』角川書店、1980年7月。
- 『黄昏夫人』角川書店、1980年6月。
- 『坊主の花かんざし. 2』集英社、1980年5月。
- 『朝雨女のうでまくり』角川書店、1980年5月。
- 『アメリカ座に雨が降る』角川書店、1980年4月。
- 『ぼた餅のあと : 他五篇』角川書店、1980年3月。
- 『坊主の花かんざし. 1』集英社、1980年3月。
- 『枯れ木の枝ぶり』文化出版局、1980年3月。
- 『男の学校』集英社、1980年2月。
- 『むつかしい世の中』作品社、1980年1月。
- 『悲しき恋の物語』角川書店、1980年1月。
- 『女の庭』光風社出版、1980年1月。
1970年代
[編集]- 『忙しい奥さん』角川書店、1979年12月。
- 『娘と私の時間』集英社、1979年11月。
- 『一番淋しい空』角川書店、1979年11月。
- 『詩の花びら : 童謡から現代詩まで』芸風書院、1979年10月。
- 『女の学校』集英社、1979年9月。
- 『愛子のおんな大学』講談社、1979年6月。
- 『幸福の絵』新潮社、1979年3月。
- 『女優万里子』集英社、1979年1月。
- 『娘と私の時間』集英社、1978年10月。
- 『坊主の花かんざし. 4』読売新聞社、1978年10月。
- 『娘と私の部屋』集英社、1978年9月。
- 『坊主の花かんざし. 3』読売新聞社、1978年8月。
- 『坊主の花かんざし. 2』読売新聞社、1978年8月。
- 『坊主の花かんざし. 1』読売新聞社、1978年8月。
- 『一天にわかにかき曇り』文化出版局、1978年5月。
- 『赤鼻のキリスト』集英社、1978年5月。
- 『男の学校』毎日新聞社、1978年3月。
- 『八重歯のあいつ』集英社、1978年1月。
- 『こんな幸福もある』海竜社、1977年12月。
- 『私のなかの男たち』講談社、1977年9月。
- 『娘と私の部屋』立風書房、1977年9月。
- 『天気晴朗なれど』集英社、1977年9月。
- 『雨が降らねば天気はよい』集英社、1977年8月。
- 『鎮魂歌』集英社、1977年6月。
- 『好きになっちゃった』集英社、1977年6月。
- 『坊主の花かんざし. 続々』読売新聞社、1977年5月。
- 『女の学校』毎日新聞社、1977年4月。
- 『微笑みのうしろに』集英社、1977年3月。
- 『坊主の花かんざし. 続』読売新聞社、1976年。
- 『花はくれない : 小説・佐藤紅緑』講談社、1976年。
- 『黄昏夫人』実業之日本社、1976年。
- 『黄昏の七つボタン』講談社、1976年。
- 『青春はいじわる』集英社、1976年。
- 『悲しき恋の物語』毎日新聞社、1976年。
- 『一番淋しい空』読売新聞社、1976年。
- 『朝雨女のうでまくり』文化出版局、1976年。
- 『マッティと大ちゃん』秋元書房、1975年。
- 『坊主の花かんざし』読売新聞社、1975年。
- 『父母の教え給いし歌』文芸春秋、1975年。
- 『ただいま初恋中』秋元書房、1975年。
- 『黄昏の七つボタン』講談社、1975年。
- 『その時がきた』中央公論社、1975年。
- 『加納大尉夫人』光風社書店、1975年。
- 『女の鼻息男の吐息 : 愛子闘論』立風書房、1975年。
- 『女の庭・ソクラテスの妻』光風社書店、1975年。
- 『おかしくない本 : 犬が西向いても…』ベストセラーズ、1975年。
- 『あなない盛衰記』光文社、1975年。
- 『私のなかの男たち』講談社、1974年。
- 『愉快なやつ』秋元書房、1974年。
- 『まんなか娘』秋元書房、1974年。
- 『丸裸のおはなし』大和書房、1974年。
- 『ぼた餅のあと』番町書房、1974年。
- 『美人の転校生』秋元書房、1974年。
- 『戦いすんで日が暮れて』講談社、1974年。
- 『ソクラテスの妻』中央公論社、1974年。
- 『女優万里子』文芸春秋、1974年。
- 『困ったなア』集英社、1974年。
- 『おさげとニキビ』秋元書房、1974年。
- 『豚は天国へ行く』広済堂出版、1973年。
- 『天気晴朗なれど』広済堂出版、1973年。
- 『黄昏の七つボタン』講談社、1973年。
- 『ソクラテスの妻』成瀬書房、1973年。
- 『忙しい奥さん』読売新聞社、1973年。
- 『或るつばくろの話』講談社、1973年。
- 『愛子のおんな大学』講談社、1973年。
- 『愛子』角川書店、1973年。
- 『破れかぶれの幸福』白馬出版、1972年。
- 『鎮魂歌』文芸春秋、1972年。
- 『躁鬱旅行』光文社、1972年。
- 『アメリカ座に雨が降る』講談社、1972年。
- 『赤鼻のキリスト : 津軽風流譚』光文社、1972年。
- 『愛子の風俗まんだら』朝日新聞社、1972年。
- 『マッティと大ちゃん』講談社、1971年。
- 『天気晴朗なれど』読売新聞社、1971年。
- 『その時がきた』中央公論社、1971年。
- 『さよならのうしろに』講談社、1971年。
- 『九回裏』文芸春秋、1971年。
- 『加納大尉夫人』講談社、1971年。
- 『愛子の小さな冒険』文芸春秋、1971年。
- 『ああ戦いの最中に』講談社、1971年。
- 『戦いすんで日が暮れて』講談社、1970年。
- 『三十点の女房 : 随筆集』講談社、1970年。
- 『おしゃれ失格 : 佐藤愛子随想集』みゆき書房、1970年。
- 『赤い夕日に照らされて』講談社、1970年。
- 『ああ戦友』文芸春秋、1970年。
1960年代
[編集]- 『母について : 詩集』詩宴社、1969年。
- 『戦いすんで日が暮れて』講談社、1969年。
- 『青春はいじわる』集英社、1969年。
- 『鼓笛隊物語』潮出版社、1969年。
- 『加納大尉夫人』講談社、1969年。
- 『女の庭』光風社書店、1969年。
- 『忙しいダンディ』講談社、1969年。
- 『愛子』読売新聞社、1969年。
- 『微笑みのうしろに』集英社、1968年。
- 『さて男性諸君』立風書房、1968年。
- 『美人の転校生』秋元書房、1967年。
- 『花はくれない : 小説佐藤紅緑』講談社、1967年。
- 『まんなか娘』秋元書房、1965年。
- 『加納大尉夫人』光風社、1965年。
- 『美人の転校生』秋元書房、1964年。
- 『愉快なやつ』秋元書房、1963年。
- 『ソクラテスの妻』光風社、1963年。
- 『おさげとニキビ』秋元書房、1962年。
1950年代
[編集]- 『愛子』現代社、1959年。
共著
[編集]2026年5月18日現在で101件ありそれを以下に列挙した[注 5]。
2020年代
[編集]- 『犬と : いぬのエッセイアンソロジー』河出書房新社、2025年11月。
- 『80代から人生を楽しむ人、後悔する人』PHPエディターズ・グループ PHP研究所、2025年4月。
- 『アンソロジーたまご』主婦と生活社、2025年3月。
- 『幸せって何だろう : Anthology Essay』JAFメディアワークス、2025年2月。
- 『雨の中で踊れ : 現代の短篇小説ベストコレクション2023』文藝春秋、2023年9月。
- 『ぷくぷく、お肉』河出書房新社、2023年5月。
- 『おいしいアンソロジーおやつ : 甘いもので、ひとやすみ』大和書房、2022年8月。
- 『少女たちの戦争』中央公論新社、2021年11月。
- 『佐藤愛子の世界 : 完全保存版 : オール讀物創刊90周年記念編集』文藝春秋、2021年7月。
- 『人生論あなたは酢ダコが好きか嫌いか : 女二人の手紙のやりとり』小学館、2020年5月。
2010年代
[編集]- 『ベスト・エッセイ = THE BEST ESSAY. 2018』光村図書出版、2018年6月。
- 『男の背中、女のお尻』中央公論新社、2018年4月。
- 『50代から、いい人生を生きる人 : この世で起こることすべてを勇気をもって受け入れる!』PHP研究所、2017年8月。
- 『片づけたい : 暮らしの文藝』河出書房新社、2017年6月。
- 『いい言葉、よき人生。』PHP研究所、2017年2月。
- 『50代から生きるのがうまい女(ひと)、ヘタな女(ひと)』PHP研究所、2016年8月。
- 『男の詫び状』文藝春秋、2016年6月。
- 『60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人』PHP研究所、2016年3月。
- 『きみと出会えたから : 34人がつづる愛犬との日々』PHP研究所、2015年11月。
- 『ぷくぷく、お肉』河出書房新社、2014年2月。
- 『おやつ : アンソロジー』パルコエンタテインメント事業部、2014年2月。
- 『あさめし・ひるめし・ばんめし : アンチ・グルメ読本』筑摩書房、2014年2月。
- 『おいしいおはなし : 台所のエッセイ集』筑摩書房、2014年1月。
- 『いつも一緒に : 犬と作家のものがたり』新潮社、2013年1月。
- 『ベスト・エッセイ = THE BEST ESSAY. 2012』光村図書出版、2012年6月。
- 『短篇ベストコレクション : 現代の小説. 2012』徳間書店、2012年6月。
- 『言葉の力』PHP研究所、2012年6月。
- 『ネクタイと江戸前 : ベスト・エッセイ集 '07年版』文藝春秋、2010年9月。
- 『この星の時間 : ベスト・エッセイ 2010』光村図書出版、2010年6月。
- 『皇太子と雅子妃の運命 : 平成皇室大論争』文藝春秋、2010年2月。
2000年代
[編集]- 『片手の音』文藝春秋、2008年7月。
- 『不機嫌の椅子 : ベスト・エッセイ2008』光村図書出版、2008年6月。
- 『愛子とピーコの「あの世とこの世」』文藝春秋、2008年3月。
- 『ネクタイと江戸前』文藝春秋、2007年8月。
- 『面白半分best随舌選』文藝春秋、2007年8月。
- 『人生の落第坊主』文藝春秋、2007年7月。
- 『女流作家』日本経済新聞出版社、2007年4月。
- 『贈る物語wonder : すこしふしぎの驚きをあなたに』光文社、2006年11月。
- 『愛犬幸福論 : 犬を愛する名文家35人の私的エッセイ』PHP研究所、2006年11月。
- 『幸福論』PHP研究所、2006年9月。
- 『けむりの居場所』幻戯書房、2006年9月。
- 『人生へんろ : 「いま」を生きる30の知恵』講談社、2006年4月。
- 『片手の音』文藝春秋、2005年8月。
- 『成り行きにまかせて : ベスト・エッセイ2005』光村図書出版、2005年6月。
- 『鳴尾村誌 : 1889-1951』西宮市鳴尾区有財産管理委員会、2005年3月。
- 『人生の落第坊主』文藝春秋、2004年7月。
- 『犬のため息 : ベスト・エッセイ2004』光村図書出版、2004年6月。
- 『戦後の出発と女性文学. 第9巻 (昭和29年)』ゆまに書房、2003年5月。
- 『手紙の文章教室』朝日新聞社、2003年1月。
- 『贈る物語wonder』光文社、2002年11月。
- 『木炭日和:ベスト・エッセイ集1999年版』文藝春秋、2002年7月。
- 『あの世の話』文藝春秋、2001年12月。
- 『冬子の兵法愛子の忍法』海竜社、2001年11月。
- 『買いも買ったり』光文社、2001年4月。
- 『司馬サンの大阪弁:ベストエッセイ集1997年版』文藝春秋、2000年9月。
- 『この国で戦争があった』PHP研究所、2000年8月。
1990年代
[編集]- 『木炭日和:ベスト・エッセイ集1999年版』文藝春秋、1999年7月。
- 『あの世の話』青春出版社、1998年11月。
- 『佐藤愛子・田辺聖子』角川書店、1998年9月。
- 『夜となく昼となく』光村図書出版、1998年7月。
- 『「優駿」観戦記で甦る日本ダービー十番勝負』小学館、1998年6月。
- 『日本の名随筆. 別巻 86』作品社、1998年4月。
- 『日本の名随筆. 別巻 84』作品社、1998年2月。
- 『日本の名随筆. 別巻 80』作品社、1997年10月。
- 『日本の名随筆. 別巻 77』作品社、1997年7月。
- 『三人姉妹 : 自分らしく生きること』読売新聞社、1997年2月。
- 『日本の名随筆. 別巻 70』作品社、1996年12月。
- 『日本の名随筆. 別巻 60』作品社、1996年2月。
- 『日本の名随筆. 別巻 57』作品社、1995年11月。
- 『恋愛小説名作館. 2』講談社、1995年8月。
- 『日本の名随筆. 別巻 53』作品社、1995年7月。
- 『ふるさと文学館. 第2巻』ぎょうせい、1995年6月。
- 『日本の名随筆. 別巻 38』作品社、1994年5月。
- 『日本の名随筆. 別巻 39』作品社、1994年4月。
- 『日本の名随筆. 別巻 26』作品社、1993年4月。
- 『ファクス深夜便 : エッセイ'91』楡出版、1991年5月。
- 『現代の小説. 1991』徳間書店、1991年5月。
- 『日本の名随筆. 97』作品社、1990年11月。
- 『日本ユーモア文学傑作選. 2 (笑いの双面神)』白水社、1990年1月。
1980年代
[編集]- 『日本の名随筆. 82』作品社、1989年8月。
- 『日本の名随筆. 78』作品社、1989年4月。
- 『誰にも青春があった』文芸春秋、1989年2月。
- 『日本の名随筆. 60』作品社、1987年10月。
- 『日本随筆紀行. 第19巻』作品社、1987年4月。
- 『日本の名随筆. 53』作品社、1987年3月。
- 『日本の名随筆. 49』作品社、1986年11月。
- 『日本の名随筆. 42』作品社、1986年4月。
- 『日本の名随筆. 40』作品社、1986年2月。
- 『男の結び目』大和書房、1985年12月。
- 『女たちの八月十五日 : 戦争の惨禍を二度と繰り返さないために』小学館、1985年8月。
- 『ザ・エンターテインメント. 1985-2』角川書店、1985年7月。
- 『日本の名随筆. 12』作品社、1983年12月。
- 『日本の名随筆. 16』作品社、1983年11月。
- 『愛のかたち』集英社、1982年4月。
- 『ロマンチックはお好き?』集英社、1981年7月。
- 『男の結び目』集英社、1980年11月。
1970年代
[編集]- 『現代の女流文学. 第8巻』毎日新聞社、1975年。
- 『男の結び目』大和書房、1975年。
- 『現代の小説. 1974年度前期代表作』三一書房、1974年。
- 『現代の小説. 1973年度後期代表作』三一書房、1974年。
テレビ番組
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 戦争中は新聞などマスコミも含めて「大東亜戦争」と呼んでいた。それを終戦後、マッカーサー率いるGHQ(進駐軍)に指摘され、「太平洋戦争」に変えた。「大東亜戦争」という名称は日本の帝国主義による侵略行為を正当化するニュアンスを含んでいたからとされる。
- ↑ 同人誌 随筆春秋を指導する中で、自身の文学修行についても言及している。佐藤愛子は、加藤武雄、北原武夫と複数の日本人作家に師事し筆写を行なう。他に、米国の作家アーネスト・ヘミングウェイの日本語訳を筆写している。ヘミングウェイは元新聞記者で、短く区切った男性らしい骨太の文章が特徴であった。これが佐藤愛子の作風に大きな影響を与えている。
- ↑ 佐藤愛子の実娘
- ↑ 佐藤愛子の実孫。杉山響子の実娘
- 1 2 3 具体的検索手順は以下の通り:国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)で、「図書館」では"国立国会図書館”のみを選択。「著者・編者」では"佐藤愛子”を入力。「資料種別」に"図書"を選択。「資料形態」で"紙"を選択。その結果、572件がヒット(2026年5月18日現在)。同ページ最下部の「書籍情報を一括出力」では、「フォーマット」で"tsv"を選択。「最大件数」では"1000件"を選択。そして出力させる。その内容をAIに読み込ませる。AIには、それを<『作品名』出版社名、年月日。>の書式で逆時系列に列挙するようプロンプトを記述する。そこから手作業で単著(2026年5月18日現在で419件)と共著(2026年5月18日現在で101件)及び不要な作品を抽出する。その結果をWikipedia紙面に貼り付け「番号なし箇条書」の書式を付加する。その後、10年毎の年代別に分けた。なお、共著では、特集などで佐藤愛子の作品が取り上げられている場合なども含めた。
出典
[編集]- ↑ 『九十歳。何がめでたい』小学館、2016年、37頁。
- 1 2 3 4 新潮社 ホーム > 著者一覧 > 著者ページ:佐藤愛子 https://www.shinchosha.co.jp/writer/1624/
- 1 2 3 4 5 『「血脈」と私 佐藤家の人びと』文藝春秋、2008年5月9日。ISBN 978-4167450144。
- ↑ “佐藤 愛子 | 兵庫ゆかりの作家”. ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ “オンラインジャーナル/図書紹介”. www.pmaj.or.jp. 2024年10月3日閲覧。
- ↑ 1. 佐藤愛子の作品・発言における「憤怒」 エッセイ: 「我が老後」シリーズをはじめとする数々のエッセイで、社会問題や人間に対する痛烈な批判を展開している。これらの作品は、佐藤愛子の「憤怒」を強く感じさせるものであり、「憤怒の作家」と呼ばれる所以を示唆している。具体的な記述としては、 「我が老後」: 老後に対する不安や不満、社会保障制度への批判など、高齢者の置かれた状況に対する怒りが表現されている。 「戦いすんで日が暮れて」: 戦争体験や戦後の社会状況に対する怒り、平和への強い願いが込められている。 「冥途のお客」: 死や病気に対する率直な思い、医療制度や社会福祉に対する批判などが述べられている。 小説: 「血脈」「ソクラテスの妻」などの作品でも、社会の不条理や人間の愚かさに対する怒りが描かれている。 インタビュー記事: さまざまなインタビューで、社会問題に対する怒りや不満を率直に語っている。例えば、 「文藝春秋」2016年3月号: 「九十三歳 私は怒っている」というタイトルで、高齢化社会や政治に対する怒りを表明している。 これらの作品や発言は、「憤怒の作家」という記述を間接的に裏付けるものと言える。 2. 佐藤紅緑の「憤怒の作家」としての評価 佐藤愛子の父親である佐藤紅緑も、社会批判的な作品を多く執筆し、「憤怒の作家」と呼ばれていた。父娘ともに社会に対する強い憤りを持っており、その姿勢が「憤怒の作家」という共通の評価につながっている可能性がある。 3. 批評家・研究者による評価 文学評論家や研究者の間では、佐藤愛子の作品における「憤怒」や「批判精神」について言及されることが多くある。具体的な文献を特定するには、さらなる調査が必要となるが……。
- ↑ 佐藤愛子は、社会の不正や矛盾に対して鋭い批判を行う姿勢から「憤怒の作家」と呼ばれている。彼女の作品やエッセイには、戦後の世相の乱れや社会問題に対する強い怒りが表現されているからである。さらに佐藤愛子は、男性的な視点から社会を批判することから「男性評論家」とも呼ばれている。彼女の鋭い批評スタイルや、男性的な視点を持つ評論がその理由とされている。 「吉田勝昭の「私の履歴書」研究―私にとって日経『私の履歴書』は人生の教科書です―」に以下の記述がある。(以下抜粋)――借金返済のためにテレビ出演・全国公演を遂行して戦後の世相の乱れ等を厳しく批判するので父同様「憤怒の作家」と言われ「男性評論家」と呼ばれていた時期もある。――(以上抜粋) この出所は日経「私の履歴書」であると吉田氏自らが記している。
- ↑ 佐藤愛子「淡路島」(『文藝春秋』2007年5月号)
- 1 2 3 4 5 6 『愛子戦記 佐藤愛子の世界』文藝春秋、2023年6月7日。ISBN 978-4167920586。
- ↑ “佐藤愛子「私は戦争向きの人間らしいの。借金取りも気の毒に」”. AERA dot. (アエラドット) (2022年2月22日). 2024年10月5日閲覧。
- 1 2 3 “『ちょっとコワイWikipedia』”. のろ猫プーデルのひゃっぺん飯 おかわりっ!!. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ “篠原省三(筆名:田畑麦彦)|篠原家系図 - 池田元のエッセイ教室”. 随筆春秋ポータル(公式). 一般社団法人随筆春秋. 2026年5月19日閲覧。
- 1 2 “作家・佐藤愛子「2度の離婚も、借金も…つまずいたら起き上がるしかない」 気がつけば、96歳。もうこれでおしまい”. 婦人公論.jp. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ “文藝賞|河出書房新社”. 文藝賞|河出書房新社. 2024年10月3日閲覧。
- ↑ 篠原家(東急電鉄社長・篠原三千郎の家系図・子孫) https://keibatsugaku.com/shinohara/ 篠原三千郎が、1944年から1945年の1年間、東京急行電鉄の社長を務めたことが明記されている。また、1928年には、後妻である松尾ナツとの間に、篠原省三が誕生したことも明記されている。篠原省三が後の佐藤愛子の夫であり、その筆名が田畑麦彦であったことは、周知の事実である。また、東急の創業者、五島慶太と篠原三千郎は、同じ東大法科の卒業で、社会人となってからも2人が盟友であったことも周知の事実である。その五島慶太が、東条内閣に請われて運輸逓信大臣になった折り、その五島に頼まれて、篠原三千郎が代わって東急の社長を務めた。 東急社史 https://www.tokyu.co.jp/history/chapter01_4_1/ にも、以下のように記述されている。「なお新会社(後の東京急行電鉄)の取締役社長には五島慶太が、専務取締役には篠原三千郎が就任した。篠原三千郎は五島の大学時代の同期で、田園都市会社の発起人の一人、服部金太郎の娘婿という縁で同社に入社。時には親友、時には腹心の部下として、長年にわたり五島を支えてきた人物で、のちに当社社長となる」 東急歴代社長顔写真 https://www.tokyu.co.jp/history/pdf/tokyu100th_data_04_reki-kaityo.pdf (五島慶太が)東条内閣の運輸逓信大臣に就任 https://j-net21.smrj.go.jp/special/venture/20050104.html 「昭和19年(つまり1944年)、五島慶太は請われて東条内閣の運輸逓信大臣に就任する。 事業家としての五島は「強盗」と呼ばれようが、才覚を示した。」 との記述がある。余談であるが、五島慶太はあの「三越」をも買収しようと目論んだ。失敗に終わったが、五島の剛腕は世間でも評価され「強盗慶太」の異名をとったほどだった。
- ↑ “(4ページ目)佐藤愛子さん100歳「誕生日もヘチマもありませんよ。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなもの」 忘れることは、死に支度”. 婦人公論.jp. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ 佐藤愛子『晩鐘』文藝春秋、平成26年12月10日第1刷.のP314~P315に以下記述がある。「杉と辰彦は偽装離婚をした。当然、辰彦の戸籍の妻の欄は空いている。香苗をそこに入れるのはた易いことだ。杉を説得することも、諒承させることもいらない。何の支障もなく、すらすらと彼女を籍に入れることが出来る。 辰彦は住民票をそのままにしておいたので、畑中辰彦がこの家の戸主である限り、香苗もまた妻としてこの家に住んでいることになった。 『つまり、こういうことよ。この家にはまず畑中辰彦という戸主がいて、前の女房の藤田杉と娘の多恵がいる。杉の母、藤田のぶもいる。そして畑中辰彦の新しい妻とその連れ子……その六人がこの家にゴタゴタと住んでいるということなのよ……』」 杉が、佐藤愛子。辰彦が、田畑麦彦である。藤田のぶ、が佐藤愛子の実母、シナである。香苗が、銀座で飲食店を経営している女性。 『晩鐘』は小説であるから原則フィクション。虚構である。よって歴史的事実の査証にはならないというのは正論である。しかし、佐藤愛子が後年になった上梓した、この『晩鐘』をはじめ『血脈』では、結婚、離婚、死別などの出来事に関しては、端的に事実を述べていると考えてもいいのではないか。現に、『血脈』の「あとがき」には、その旨、佐藤愛子の筆で、以下のように綴られている。 佐藤愛子『血脈(下巻)』文藝春秋、平成13年3月10日第1刷.P594「あとがき」より 「『血脈』はその人たちをどんなにか失望させ、憤らせることだろう。書きながらいつもそのことが気にかかっていた。暴露小説だと批判されるかもしれないとも思った。だがそう思ったからといって、書くのをためらうという気持は起こらなかった。それを書くことは私にとって必然だった。そう考えるようになっていた」 「あとがき」は、小説本文ではない。よって、それが歴史的事実の査証とはならない、とは言えない。現にこの中で佐藤愛子は「暴露小説」という言葉を使っている。 その『晩鐘(中巻)』P.318に以下の記述がある。 「二、三日して暫く行方のわからなかった誠二が来て、愛子に相談があるといった。愛子が現在の窮状から脱け出すための方策として、『離婚』ということがある。これは誠二のためではなく、あくまで愛子とシナのためである。離婚といっても倒産の後始末がつくまでの一時的な離婚で、すべてが片附いた時には戸籍を戻すという偽装離婚である。誠二の債権者の中には暴力団まがいの者も少くない。彼らは佐々の親戚から一文の金も取れないとなったら、曲りなりにも収入のある愛子に返済を迫ってくることは明らかだ。この家の抵当が勲の力で抹消されればされたで、彼らは家を売れと要求してくるだろう。それを防ぐには離婚して、その後で勲が抵当を抜く金を出す。この家の名義を誠二から愛子に変更すれば暴力団も四の五のいえない。そうすることしか愛子との家の安泰は図れないのだ、と誠二はいった。彼はくり返した。 『わかるかい? 奴らがやって来て、金を返せといって暴れたとしてもだね、佐々とは離婚した、他人だ、といえば、どうすることも出来ないんだよ』」 愛子が、佐藤愛子。誠二が、田畑麦彦である。 この中に「偽装離婚」という言葉が記述されている。 また同P.356には以下の記述がある。 「二度目に川上から電話がかかってきて、女は銀座のクラブのママで誠二のことを『先生』と呼んでいるそうだ、といった時、愛子は皮肉に笑っていた」 ここに「女は銀座のクラブのママで」との記述がある。
- ↑ “直木賞 過去の受賞作品一覧”. www.honyaclub.com. オンライン書店Honya Club com. 2024年10月3日閲覧。
- ↑ “02. 直木賞受賞作『戦いすんで日が暮れて』ラスト抜粋 - 直木賞作家 佐藤愛子の誕生と業績”. 随筆春秋ポータル(公式). 一般社団法人随筆春秋. 2026年5月19日閲覧。
- ↑ 愛子の二つ年上で、旧制甲陽中学校のエースで四番の花形選手であった別当は、甲南女学校に通っていた愛子にとって当時は憧れの存在であった。
- ↑ “各賞紹介|中央公論新社”. www.chuko.co.jp. 2024年10月3日閲覧。
- 1 2 “91歳・佐藤愛子さん「晩鐘」、紫式部文学賞に”. YOMIURI ONLINE. (2015年8月3日) 2015年8月6日閲覧。
- 1 2 3 “随筆春秋の30年”. 随筆春秋ポータル(公式). 一般社団法人随筆春秋. 2026年5月19日閲覧。
- 1 2 随筆春秋創刊号(1993年発刊)
- ↑ “佐藤愛子奨励賞”. 随筆春秋資料室 (2021年9月9日). 2024年9月30日閲覧。
- ↑ “『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子 | 小学館”. 『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子 | 小学館. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ “インターネット版官報 平成29年5月1日(号外 第94号)”. 官報. 内閣府大臣官房総務課制度室. 2026年5月27日閲覧。
- ↑ “鼻歌を歌うように 佐藤愛子さんに旭日小綬章”. 共同通信 KYODO NEWS. 共同通信社. 2026年5月17日閲覧。
- 1 2 “春の叙勲4080人 森元首相、作家の佐藤愛子さんら受章”. J-CAST. (2017年4月29日) 2023年1月26日閲覧。
- ↑ 《追悼・佐藤愛子さん》娘と孫が明かした“最後の日々”と“認知症”〈肋骨と大腿骨を骨折、時間も分からなくなり…〉,CREA WEB,2026年5月15日
- ↑ 作家・佐藤愛子さん、老衰で逝去 『九十歳。何がめでたい』など話題 “断筆宣言”をくつがえし100歳を超えても毎年新刊を刊行,NEWSポストセブン,2026年5月15日
- ↑ 「直木賞作家・佐藤愛子さん、老衰で死去 102歳 代表作は『戦いすんで日が暮れて』や映画化『九十歳。何がめでたい』など」『ORICON NEWS』oricon ME、2026年5月15日。2026年5月15日閲覧。
- ↑ “作家の佐藤愛子さんが102歳で死去 「九十歳。何がめでたい」”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2026年5月15日). 2026年5月15日閲覧。
- 1 2 佐藤愛子『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』小学館、2021年8月11日、197頁。ISBN 978-4-09-396552-1。
- ↑ 『現代人物事典 : 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年。
- ↑ 黒柳徹子『徹子の部屋』全国朝日放送株式会社、昭和52年4月15日発行、p.246.
- ↑ 黒柳徹子『徹子の部屋』全国朝日放送株式会社、昭和52年4月15日発行、p.247.
- ↑ 黒柳徹子『徹子の部屋』全国朝日放送株式会社、昭和52年4月15日発行、pp.253-254.
- ↑ 随筆春秋, 一般社団法人 (2023年7月13日). “直木賞作家 佐藤愛子の誕生と業績+α”. 同人誌 随筆春秋. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ 佐藤愛子「みんないなくなってしまった 『愛子戦記 佐藤愛子の世界』(佐藤 愛子 編著)」『本の話』。2024年10月3日閲覧。
- ↑ 黒柳徹子『徹子の部屋』全国朝日放送株式会社、昭和52年4月15日発行、p.247.
- ↑ 佐藤愛子 (1996-12). “おもろうて、やがて悲しき<追悼 遠藤周作>”. 婦人公論 (中央公論新社) 81 (13): 186-191.
- ↑ “(5ページ目)佐藤愛子さん100歳「誕生日もヘチマもありませんよ。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなもの」 忘れることは、死に支度”. 婦人公論.jp. 2024年9月30日閲覧。
- ↑ 黒柳徹子『徹子の部屋』全国朝日放送株式会社、昭和52年4月15日発行、pp.248-252.
- ↑ 「佐藤さんは1975年に北海道・浦河町に別荘を建てて以来、事情がない限り毎夏をそこで過ごしてきた」“佐藤愛子さんがこよなく愛する北海道浦河町で『九十歳。何がめでたい』が上映 笑顔で溢れる48席の映画館「大黒座」”. NEWSポストセブン. (2024年8月12日)
- ↑ 佐藤愛子著『私の遺言』
- ↑ 堀川とんこう『ずっとドラマを作ってきた』新潮社、1998年。ISBN 978-4104213016。
- ↑ 森川クリニックHP
- ↑ “杉山桃子さん、祖母を書いた&描いたデビュー作についてインタビュー「佐藤愛子の人生を自分なりに表現できるのはありがたい財産」”. NEWSポストセブン. (2024年11月17日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 佐藤愛子先生 ご逝去 満102歳 - これまでの業績を振り返る(随筆春秋ポータル内)
- 佐藤愛子先生の熱血指導 - 池田元のエッセイ教室を振り返る(随筆春秋ポータル内)
- 佐藤愛子プロフィール ‐ 新潮社
- 佐藤愛子先生・浦河町(北海道)の別荘
- 佐藤愛子の作品 ‐ Amazon.co.jp
- 佐藤愛子さん100歳 ‐ 婦人公論.jp
- 佐藤愛子の著書 ‐ 小学館
- 鼻歌を歌うように 佐藤愛子さんに旭日小綬章 ‐ KYODO NEWS
- 佐藤愛子 ‐ ネットミュージアム兵庫文学館
- 同人誌 随筆春秋|ポータルサイト
- 第5回 佐藤愛子奨励賞|第30回 随筆春秋賞・授賞式が終了
