入江美樹

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1960年

入江 美樹(いりえ みき、1944年8月13日[1] - )は、日本のモデル女優ファッションデザイナー。身長165センチメートル (cm)、B87cm、W54cm、H87cm(1965年11月)[2][3]

略歴[編集]

1944年頃、入江麻木(左)、美樹(右)
2015年、左から小澤征悦、美樹、小澤征爾ジョン・F・ケリー小澤征良

本名はイリン・ヴェラ[3][4]で、元木・ベラ・イリーン[2]として神奈川県横浜市に生まれる[3]。ヴェラは父方祖母の名を受け継いだ[3]。父親のヴィタリー・ペトロヴィチ・イリーンはロシア貴族末裔[5]白系ロシア人[4]で、大連育ちの不動産業者[2]である。母親の元木君江・イリーン[6]は日本人[4]で、のちに料理研究家の入江麻木として活動する。父イリーンが日本大学法学部留学中に[2]、君江の母が保証人を務めたことが縁で結婚した[2]

正教徒[2]で、イリン家は世田谷にあった[3]。幼少期は父母が話すロシア語と日本語を片言で用いた[3]。家族でアメリカ行を計画[3]したことから、すべて英語を用いるサンモール修道院[2]で英語とフランス語を習得[2][3]して日、英、仏、露の四か国語話者[3]となるが、20歳頃までは日本語の読み書きに不自由した[3]。在学中の1958年メイドが『装苑』のモデル募集を見つけ[3]、メイドと二人で化粧をした写真を母に内緒で送り応募したところ[2][3]、200倍以上の競争率[3]で2000人から1位に選ばれる。モデルとして活動当初は元木信子の芸名を用いた[2]。入江美樹の芸名は永六輔が付けた[2]ファッション誌やテレビに登場すると学校から注意を受け、高校2年時に中退[2]する。日本人が通う高校に転校を考えたが、英語が得手で敬遠されたり、逆に漢字が苦手で断念[2]する。

1964年4月にアメリカラスベガスデザート・インで開催された第1回インターナショナル・ファッション・フェスティバルで[2]森英恵のモデルとして[2]世界11か国50余人のモデルから1位に選ばれ「世界で一番美しいモデル」となる[2]。日本に於ける混血モデルの元祖はヘレン・ヒギンスとされ[2]、入江は2人目とも評される[2]

日本テレビ系『シャボン玉ホリデー』にマスコットガールとして出演し、1965年第16回NHK紅白歌合戦の審査委員を務める、1966年勅使河原宏監督の映画『他人の顔』に出演する。

1968年9月に指揮者小澤征爾と結婚して小澤ヴェラとなる。結婚後はファッションデザイナーとして活動し、レディスブランド「ザ・ギンザ・バイ・ミズ・ヴェラ」などを手がける。

征爾との間に生まれた長女の小澤征良エッセイスト、長男の小澤征悦俳優となった。

その他[編集]

吉田拓郎は入江美樹のファンだったことから楽曲提供者として別名「入江剣」を用い、酒井法子シングル『幸福なんてほしくないわ』の作曲などでクレジットされている[7]

著書[編集]

主な出演作品[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

広告[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 入江麻木『バーブシカの宝石』p.150(講談社、1987年)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「表紙の人 入江美樹 世界一美しいファッション・モデル ベラちゃん」『週刊朝日』1964年7月17日号、朝日新聞社、24–26頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 「男難の相をもつ世界一のモデル ロマンチックな恋愛にあこがれるロシア貴族の末裔 入江美樹」『週刊文春』1965年11月8日号、文藝春秋、90–94頁。 
  4. ^ a b c 「表紙モデルインタビュー 入江美樹 撮影・秋山庄太郎」『週刊現代』1966年10月6日号、講談社、26頁。 
  5. ^ 「表紙の人 入江美樹 世界一美しいファッション・モデル ベラちゃん」『週刊朝日』1964年7月17日号、朝日新聞社、24–26頁。 
  6. ^ 「表紙の人 入江美樹 世界一美しいファッション・モデル ベラちゃん」『週刊朝日』1964年7月17日号、朝日新聞社、24–26頁。 
  7. ^ 幸福なんてほしくないわ/酒井法子 音楽ダウンロード - mora