琴奨菊和弘

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琴奨菊 和弘 Sumo pictogram.svg
Kotoshogiku 08 Sep.jpg
入場する琴奨菊
基礎情報
四股名 琴奨菊 和弘
本名 菊次 一弘
愛称 キク、ボロ奨菊[1]、柳川の石臼[2]
生年月日 1984年1月30日(32歳)
出身 福岡県柳川市
身長 179cm
体重 181kg
BMI 56.49
所属部屋 佐渡ヶ嶽部屋
得意技 左四つ、がぶり寄り
成績
現在の番付 大関
最高位 大関
生涯戦歴 661勝476敗26休(86場所)
幕内戦歴 552勝427敗26休(67場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
殊勲賞3回
技能賞4回
データ
初土俵 2002年1月場所
入幕 2005年1月場所
趣味 釣り、アロマオイル[3]
備考
2016年1月24日現在

琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は、菊次 一弘(きくつぎ かずひろ)。身長179cm、体重181kg、血液型はO型。得意手は左四つ、がぶり寄り。最高位は東大関(2014年9月場所〜11月場所、2016年3月場所)。愛称はキク。好物は米、しゃぶしゃぶ、プリン。[3][4]既婚。左利き

人物[編集]

大相撲入門前[編集]

建設会社の社長をしている父の三男として生まれる。柔道の山下泰裕物語に影響された祖父の下、小学3年生で相撲を始める。祖父がつくった自宅の庭の土俵で1日2時間の稽古を行い、隣のグラウンドでは100メートルのタイヤ引きを1時間かけて40本行い、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けた。[5]ソフトボールで4番打者を務めた経験もある。幼少時に、地元に巡業で訪れた貴花田(後の横綱・貴乃花)の膝に乗せられて記念写真を撮ったことが相撲を続ける上での大きな励みになったという。高知県明徳義塾中学校に相撲留学し、3年生となった1998年には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学横綱となり、その後、明徳義塾高校に進学して活躍した。小学生のころから佐渡ヶ嶽親方の知遇を得ており、初心通りに佐渡ヶ嶽部屋へ入門した。

大相撲入門後〜大関昇進前[編集]

2002年1月場所に琴菊次(こときくつぎ)の四股名初土俵を踏んだが、当初は誤って「こときくじ」と読まれることが多かったという。順調に出世し、2004年7月場所に新十両へ昇進し、この時に佐渡ヶ嶽から「人から尊敬される力士になれ」との意味で送られた「琴奨菊」の四股名を得る。[5]2005年1月場所に新入幕を果たした。新入幕となった1月場所では5勝10敗と大きく負け越して、翌3月場所には十両へ陥落したが、その3月場所で13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、同年5月場所に再入幕を果たすと、その後は幕内上位に定着した。三役昇進が期待された2006年7月場所では3勝12敗の大敗に終わるが、同年11月場所では10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。東前頭筆頭に据え置かれた2007年1月場所では栃東魁皇の2大関を破る活躍を見せて9勝6敗と勝ち越し、翌3月場所では一気に西関脇へ昇進した。その3月場所では7勝8敗と負け越し、西小結へ下がった同年5月場所でも千秋楽に出島に敗れて7勝8敗と負け越し、翌5月場所では平幕へ陥落した。小結へ復帰した2007年11月場所では初日に横綱白鵬に初めて勝利して、9勝6敗と勝ち越しを果たして2回目の技能賞を受賞した。翌2008年1月場所では9日目から途中休場したものの、12日目から再出場して9勝を挙げた。西関脇へ復帰した翌3月場所では12日目に横綱・朝青龍に初めて勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞した。翌5月場所でも8勝7敗と勝ち越したものの、翌7月場所では6勝9敗と負け越して5場所連続して務めた三役から陥落した。以降は大関昇進を期待されながらも、2008年9月場所から2009年5月場所にかけては5場所連続で平幕に留まるなど、三役には定着しきれない日々が続いた。

西関脇の位置で迎えた2011年1月場所では11勝4敗という好成績を挙げて、三役では初めてとなる二桁勝利を挙げて3回目の技能賞を受賞した。稀勢の里と入れ代わる形で、自身初となる東関脇の位置で迎えた続く5月技量審査場所では、終盤に失速したものの関脇の位置で2場所連続しての二桁勝利となる10勝5敗の成績を挙げた。

大関獲りへの挑戦となった翌7月場所では、初日に豊ノ島に敗れたものの、以降は9日目に日馬富士に敗れる以外は白星を重ね、11日目には横綱・白鵬も破り、大関獲りが実現する雰囲気が一気に高まったものの、13日目に平幕の隠岐の海に敗れ、続く14日目にも平幕の若の里に敗れてしまい、最終的には11勝4敗の成績となり、2回目の殊勲賞は受賞したものの、大関獲りは次場所への持ち越しとなった。この好機を逃したことを本人は「次はない。あれで上がれないんだから自分は上がれないんだろう。」と嘆き、場所後は朝起きるのもいやなくらいだったという。しかしその頃ちょうどテレビの密着取材を受けていたため「一日中テレビカメラを向けられて、気持ちが乗らなくても稽古しないわけにいかない。だったらしっかりやろうと思った。それがよかったのかもしれない。名古屋場所ではシャットアウトしていたマスコミを、秋場所では受け入れて心が強くなった。」と心機一転して続く9月場所に挑んだ。[6]

再び大関獲りへの挑戦となった翌9月場所では、初日から7連勝した。途中で2敗したものの、13日目にはその時点で1敗だった白鵬を2場所連続で破る活躍を見せ、千秋楽まで白鵬と共に優勝を争っていた。千秋楽では把瑠都に上手投げで敗れて12勝3敗の成績となり優勝は逃したものの、3回目の殊勲賞と4回目の技能賞を受賞した。また、この場所を終えた時点で大関昇進の目安とみなされている直近3場所合計33勝に達したため、場所後に行われた理事会で満場一致による大関昇進が決定した[7]。日本出身の大関誕生は、2007年9月場所に新大関昇進を果たしたかつての兄弟子である琴光喜(2010年5月場所後に解雇処分)以来4年ぶりのこととなった。昇進伝達式では「大関の地位を汚さぬよう『万理一空』の境地を求めて、日々努力精進致します」と口上した[8]

大関昇進後[編集]

2011年 - 2012年[編集]

新大関の場所となった2011年11月場所は、白鵬と共に初日から9連勝と好調だったものの、10日目で把瑠都に初黒星を喫してから4連敗し優勝争いから脱落したが、千秋楽に同場所大関獲りだった関脇・稀勢の里を下して11勝4敗の成績で終えた(尚稀勢の里は場所後大関昇進を果たした)。翌2012年1月場所では初日に豪風に黒星を喫し、以降も調子が上がらずに7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、千秋楽の日馬富士戦に勝利して8勝7敗と辛うじて勝ち越した。翌3月場所では終盤に崩れて9勝6敗の成績に終わった。翌5月場所と7月場所でも終盤に失速したが共に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。

翌9月場所では、3日目の豊真将戦において上手出し投げで敗れた際に左膝を痛め、左膝内側側副靱帯損傷により全治1週間という診断(同場所10日目にさらに3週間加療の診断書が提出された)を受けて、翌4日目より休場した。本人の途中休場は、2008年1月場所以来2回目のこととなった(他大関陣は同4日目に把瑠都、6日目に琴欧洲も途中休場)。次の11月場所は自身初の大関角番となった。この場所は苦戦し、14日目に旭天鵬を破ってなんとか勝ち越し、角番を脱出した。

2013年[編集]

2013年1月場所は初日から3連勝したが、中盤で4連敗するなど、最終的には千秋楽に8勝7敗と勝ち越しにとどまった。翌3月場所も2場所連続の8勝7敗に留まった。

2013年5月、年寄名跡秀ノ山を取得した[9]。5月場所は初日から4連勝、千秋楽では最後まで白鵬と幕内優勝を争っていた稀勢の里を一方的に寄り倒し、5場所ぶりの2桁勝利となる11勝4敗で終え久々に存在感をアピール[10]。7月場所は5連勝の好スタートだったが、6日目以降黒星が増え9勝6敗に終わった。千秋楽では先場所に引き続き稀勢の里を寄り切りで下した。翌9月場所も中日まで3敗を喫し優勝争いから早々脱落した結果、10勝5敗に留まった。

しかし11月場所では2日目の松鳳山戦で押し出しで勝利したが、その際自らも倒れこんで土俵の淵に右胸上部を強打したため、勝ち残り[11]であるにも拘わらず、応急処置を優先して苦悶の表情で直後花道を下がり支度部屋へと引き上げた。病院での検査・診断の結果「右大胸筋断裂で全治3カ月の見込み」の重傷により3日目から途中休場となり[12]、翌2014年1月場所は7場所ぶり2回目の大関角番となる。

2014年[編集]

次の2014年1月場所は怪我が完治していない状態で苦しみながらも12日目で勝ち越しを決め角番を脱出した。尚、この場所4日目の妙義龍戦と勝ち越しを確定した後に行われた千秋楽の稀勢の里戦の計2番で不戦勝を獲得している。

翌3月場所では、14日目に勝ち越しを決め、千秋楽に鶴竜に敗れ、8勝7敗と場所を終えた。この場所は両横綱を破り、結果的に鶴竜の初優勝にも貢献した。2014年5月3日には片男波部屋で行われた二所ノ関一門の連合稽古で日馬富士、稀勢の里と14番取り、これが4か月ぶりとなる関取との申し合いとなった。この稽古では怪我の状態を考えて右四つを模索していた。[13]

5月場所は右肩胸部に一切テーピングをせずに土俵に上がり続けた。この場所は13日目の白鵬戦で負け越しが決まり、5勝10敗と2桁黒星を喫した(大関の地位での2桁黒星は、2009年3月場所で大関として2勝13敗とワースト皆勤敗数を記録した千代大海以来5年ぶり)。次の7月場所は通算3回目の大関角番となったが、2011年11月場所以来となる中日勝ち越しを達成する絶好調ぶりで角番を脱出[14]。9日目に鶴竜、12日目に白鵬に敗れたが、14日目に高安との2敗同士対決を制し、白鵬と同じく12勝2敗で優勝争いの先頭を走った。千秋楽はこの1番に大関取りを懸ける豪栄道と対戦して黒星を喫するも、場所自体は12勝3敗の準優勝という好成績に終わった。[15]これを受けて、翌9月場所の番付は在位18場所目で初めて東正大関となった。[16]

しかし東大関で迎えた9月場所は、5日目からの3連敗で早々優勝争いから脱落、後半戦で立ち直ったが9勝6敗に留まった。続く11月場所も不調で中日で3勝5敗と黒星先行、13日目からは3連敗で6勝9敗と2014年5月場所以来大関として2度目の皆勤負け越しを喫した。

2015年[編集]

角番で迎えた翌1月場所は3日目の栃煌山戦で早くも土がつく。更に、続く4日目の逸ノ城戦も注文相撲で敗れてしまい、序盤で2連敗を喫してしまう。[17]しかし、その後の中盤は順調に星を重ね、5連勝と調子を取り戻す。7勝2敗と角番脱出に王手をかけ挑んだ日馬富士戦には敗れるものの、翌日に鶴竜を破って角番脱出。しかし、終盤に負けが込んでしまい、この場所は9勝6敗で場所を終えた。続く3月場所は2014年7月場所以来の初日から4連勝を達成する。しかし、5日目の栃煌山戦で土がついてしまい、対栃煌山戦は2連敗となってしまう。翌6日目の逸ノ城戦でも黒星がついてしまい、対逸ノ城戦も2連敗を喫してしまう。奇しくも2場所連続で栃煌山・逸ノ城戦で連敗を喫してしまった。9日目の豪栄道戦にも敗れてしまう。翌10日目も好調の照ノ富士戦にも敗れてしまい、2回目の2連敗を喫してしまう。11日目の栃ノ心戦は勝利したが、12日目の白鵬戦、13日目のライバル・豊ノ島戦でも連敗を喫してしまうが、14日目に対戦成績で勝ち越している横綱・日馬富士を4場所ぶりに破る活躍を見せ勝ち越しを決める。奇しくも琴奨菊は2場所連続で横綱を破り勝ち越しを決めた。千秋楽に稀勢の里に敗れ、8勝7敗で場所を終えた。だが翌5月場所は中日で4勝4敗、9日目に4勝5敗と黒星が先行。14日目に日馬富士に敗れ6勝8敗、千秋楽も稀勢の里に負けて6勝9敗と、3場所ぶり3度目の大関皆勤負け越しとなった。次の7月場所は通算5回目の大関角番となった。序盤から波に乗れずに12日目は白鵬に敗れ5勝7敗と絶体絶命、関脇陥落の大ピンチとなってしまう。だがそこから3連勝し千秋楽は新大関の照ノ富士を立ち合いで変化して叩き込み、8勝7敗と辛くも勝ち越しカド番を脱出した。

続く9月場所は、持ち味のがぶり寄りが発揮して10日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗と、7場所ぶりの2桁勝利を挙げた。ご当地で迎えた11月場所は、2014年7月場所以来の初日から5連勝。6日目に逸ノ城に敗れると、9日目にから4連敗するなど精彩を欠いた。13日目に妙義龍に小手投げで勝って勝ち越しを決めたが、左前脛骨筋挫傷で14日目から休場した。

2016年 -初優勝-[編集]

2016年1月場所は、4日目の安美錦戦こそ際どい相撲だったが、中日には稀勢の里との58回目の対戦(武蔵丸貴ノ浪とならび史上最多)に寄り切りで勝利すると、10日目鶴竜、11日目白鵬(全勝対決)、12日目日馬富士と3横綱を圧倒し、優勝争いの先頭に立つ。3横綱連破は1991年初場所、霧島が旭富士、大乃国、北勝海を破って以来25年ぶりのことである。13日目に2敗で追う豊ノ島にとったりで不覚をとり白鵬と並んだが、14日目は栃煌山に勝って1敗を守り、自身の取組後に白鵬が敗れたため、再び優勝争いの単独先頭にたった。 千秋楽は豪栄道を突き落としで破り、2006年1月場所の栃東以来10年ぶり(59場所ぶり)の日本人出身力士の優勝(帰化日本人を含めれば2012年5月場所の旭天鵬以来3年半ぶり)を決めた。なお、31歳11カ月での初優勝は、年6場所制が定着した1958年以降、霧島の31歳9カ月を抜いて旭天鵬、貴闘力に次ぐ3位の年長記録。初土俵から84場所での初優勝は、優勝制度が制定された1909年5月場所以降、隆の里に次いで6番目のスロー記録。新入幕から66場所での初優勝は、1909年5月場所以降、旭天鵬に次いで2番目のスロー記録。大関26場所目での初優勝は、昭和以降の新大関で、21場所の千代大海を上回る史上最スロー記録。佐渡ケ嶽部屋の優勝は2008年5月場所の琴欧洲以来14度目。部屋別では九重部屋の52度が最多となっている。[18]福岡県出身力士としての優勝は沖ツ海魁皇に次いで3人目。32歳の誕生日の1月末に結婚式を行った。 3月場所は、今までの安定感の欠如から、高い水準での優勝、内容が求められる、という条件のもと、初の綱獲り場所となった。初日から先場所の勢いそのままに4連勝。しかし、5日目の隠岐の海戦で土俵際のはたきこみに屈して初黒星。9日目からは稀勢の里、豪栄道、照ノ富士の3大関に敗れ3連敗で4敗、場所後の綱取りは消滅した。13日目以降の3横綱との戦いもいいところなく全敗し、8勝7敗の成績で終えた。5月場所は6日目までに格下相手に2回立ち会い変化を受けて2敗し、早々に優勝戦線から脱落。最終的には10勝5敗だった。

取り口[編集]

  • 左四つの型を持ち、左を差し右上手を取り、がぶり寄りで相手を一気に寄り切るのを得意とする。上手が取れなくても右からのおっつけや右で抱えて相手の左差しを封じながら寄ることもできる。そのがぶり寄りの威力は尾崎勇気(元関脇隆乃若)が「まわしを取らずに抱え込んだままがぶる力士は過去にいなかったのでは」と評するほどのものである[19]。このがぶりは入幕からしばらくした頃ある場所の把瑠都戦でたまたま出たことがきっかけで得意技となったという。[20]一方、立ち合いで頭を下げて突っ込むことが多いため、立ち合いの変化にあっさりと屈してしまうことがある。廻しを取ることが苦手な力士でもあり、元文化放送アナウンサー坂信一郎は2014年11月場所前の座談会で「廻しを引かずに圧力に任せてがぶるのでは安定した成績を残せない」と指摘している。他にこの座談会では元テレビ朝日アナウンサー銅谷志朗が「廻しをしっかり取っていれば土俵際で逆転負けを食うことも無い」と話してもいる。[21]右を抱える相撲の結果として上述のように右胸筋断裂の重傷を負い、師匠の佐渡ヶ嶽も「右を抱えるのは危険」と判断して右四つの稽古を指導するようになった。[13]差し手を取っても相手を正面に置かないと脆い部分があり、2014年7月場所千秋楽の取組を終えた琴奨菊自らが「負けた相撲は全部(相手を)正面に置いていない」と場所を総括しつつ12勝3敗で優勝を逃した要因を口にしていた。[22]

合い口[編集]

いずれも2016年5月場所終了現在。
  • 横綱白鵬には全く歯が立たず、対戦成績は5勝48敗と大きく負け越している。しかし幕内初優勝時の2016年1月場所、11日目に全勝対決で白鵬を押し出して勝利を果たした。
  • 横綱鶴竜には20勝21敗と、ほぼ互角の成績である。
  • 横綱日馬富士には31勝25敗と勝ち越している。特に2010年3月場所から2011年1月場所まで6連勝をするなど日馬富士を苦しめた。しかし、日馬富士が横綱に昇進してからはやや分が悪くなっており、6勝11敗となっている。
  • 大関稀勢の里にも32勝28敗と勝ち越している。特に、初顔から稀勢の里が大関へ昇進するまでは24勝11敗と大きく勝ち越し、2010年11月場所から2011年11月場所まで6連勝をするなど圧倒的に分が良かった。しかし、稀勢の里が大関昇進後は2012年5月場所から2013年3月場所まで5連敗を喫するなど、逆に8勝17敗と分が悪くなっている。
    • 尚幕内での対戦60回は歴代1位の記録である。それ迄は武蔵丸-貴ノ浪戦の58回が最多だった。
  • 共に後輩大関の豪栄道には18勝21敗、照ノ富士にも3勝6敗と負け越している。
  • 時津風部屋豊ノ島とは同年齢。小学校時代に出場した全国大会で初対面、以降も今日まで良きライバルにして親友という間柄で、初土俵も同期。優勝した2016年1月場所では唯一の黒星をつけられた。同期デビューだったこともあり、序ノ口、序二段で梶原(当時)に優勝をさらわれ、十両昇進も豊ノ島に1場所越されている。豊ノ島には27勝12敗(うち、不戦勝・不戦敗各1)と相性は良いが、豊ノ島の兄弟子の時天空を苦手としており、7勝16敗と大きく負け越しているが、大関昇進後は4連勝している。
  • その他格下の力士では豪風栃煌山を苦手としており、それぞれ13勝13敗、15勝17敗である。
  • 元横綱朝青龍には1勝15敗。琴奨菊が勝ったのは2008年3月場所の1度だけ。
  • 同じ福岡出身の元大関魁皇には12勝16敗とほぼ互角だったが、千代大海には3勝16敗と大きく負け越している。

エピソード[編集]

  • 下戸で酒は飲めず、「ビールはグラス1杯でふらふら」「マドラーで混ぜた水で酔った」「奈良漬10本で記憶が飛んだ」といった逸話がある[5][3]。代わりに青汁を毎日飲んでいる[3]
  • アナログ人間を自称していたが、2008年より「琴奨菊物語」と題されたブログを開始し、同年6月にはテレビで紹介されてアクセス数が急増し好評を博していた。ブログは2009年8月を最後に更新されなくなり、同年12月7日の記事で更新終了を宣言した。その後ブログは閉鎖され、2011年2月に再開する予定だったものの大相撲八百長問題の影響などもあり延期され、同年9月場所後の自身の大関昇進を機にブログを再開した。また、2008年5月号から2009年12月号まで雑誌『相撲』にブログとタイアップした企画「月刊ガブの部屋」を連載していた。
  • 冒頭でも述べた様に左利きであり、塩撒きも左手で行っている。
  • 大関へ昇進してからは、最後の仕切りのときに左手に塩を握ったまま上体を大きく反らして深呼吸をするようになっている。客席からもそのたびに歓声が上がる。本人は2016年初場所千秋楽の打ち上げパーティーでこの所作をイナバウアーにひっかけて「琴バウアー」と称した。しかし、一部のメディア等では「菊バウアー」と称されたこともあり[23]、ファンの間でも呼び名が分かれるなど「論争」になっていたが、最終的にこのルーティンの名は「琴バウアー」に落ち着いた[24]
  • 日本テレビのバラエティ番組ぐるぐるナインティナインの名物コーナーグルメチキンレース・ゴチになります!のパート12の最終戦に出場し1位通過のニアピンという記録を残した(ニアピン賞の賞金は千円だった)がこれは同番組の同コーナーに出場した力士及び相撲関係者の中で最高順位である。
  • 小学生の頃、先代佐渡ヶ嶽は初対面の菊次少年に「琴櫻の四股名を継がせたいが、本名に特徴があるから… そうだ、琴奨菊!」などと当時から四股名候補を出して大相撲への興味を持たせたという逸話がある。
  • 青色の廻しを非常にきつく締めていることで知られており、廻しを取ろうとした日馬富士の爪が割れたことまである[25]
  • 2009年に知人の紹介で佐賀県在住の一般女性と交際し、その3年後の2012年11月場所番付発表の朝に婚約を発表し、2013年4月20日に挙式する予定を告知した[26]。2人でこの試練を乗り切ると決意し、敢えて自身初のカド番で挑む苦境の中で発表したのであった。ところがその3ヶ月後の2月12日には、既に招待状を発送した段階にもかかわらず「人生観の違い」や部屋関係者曰く「大関の妻としての重責」を理由に婚約破棄に至った。角界においても挙式寸前で白紙に戻すのは非常に珍しく、最近では平成5年の貴乃花(当時は貴ノ花)以来である[27]
  • 2013年11月場所2日目に負傷したが協会指定の病院は担当医が手術中だった。タクシーの運転手が紹介してくれたのが、ソフトバンク上野由岐子を担当した肩治療の名医だった。だが閉所恐怖症でMRIに入れず2014年1月場所初日の検査は断念。怪我の影響で呼吸困難になるほどで、翌日からは精神安定剤を飲んで勝ち越しを決めたが3日目以降の薬がラムネだったことは後から聞かされた[28]
  • 優勝争いに最後まで加わった2014年7月場所は「全てを受け入れて後悔しないようにやってきた。だって失うモノはないんだもん。体がちぎれてもいい」と前向きな気持ちで挑み、優勝に対する決意の表れとして部屋では場所終了を待たず祝勝会用に約8キロのタイを準備していたが、この場所に賜杯を抱くことは無かった。[29]
  • 2015年7月10日、2月に婚約を発表していた一般女性と結婚[30]。プロポーズの際には自身で絵本を作り、それにダイヤの指輪を挟んでプレゼントしたという[31]

福岡県繋がり[編集]

地元が福岡県ということで、福岡県内では引退した魁皇と共に人気がある。本人は大関昇進後の会見において魁皇を目標とする力士として挙げており、逆に魁皇も自身の後継者として期待を寄せている。

  • 地元の柳川市では琴奨菊が勝利した場合に花火が打ち上げられている。番付上位者に対して勝利した場合には2発、それ以外では1発が地元有志によって打ち上げられる。
  • 柳川市は「川下り」が有名であるが、「川下りでは縁起が悪い」として、大関昇進の際にはわざと川を遡る「川上り」パレードが実施された。
  • プロ野球福岡ソフトバンクホークスの大ファンであり、本多雄一などのホークスの選手とは友人である。2011年にホークスがパシフィック・リーグ優勝を決めた際には、地元メディアのインタビューに互いの健闘を誓うメッセージを寄せ、その年の九州場所の前の稽古期間中には地元テレビ局の企画で福岡Yahoo!JAPANドームでのクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦(対埼玉西武ライオンズ)を観戦し、8年ぶりの日本シリーズ進出の瞬間を見届けた。

略歴[編集]

  • 初土俵:2002年1月場所
  • 新十両:2004年7月場所
  • 新入幕:2005年1月場所
  • 新関脇:2007年3月場所
  • 新大関:2011年11月場所
  • 初優勝:2016年1月場所(2006年の栃東大裕以来、10年ぶりの日本出身力士としての優勝)

主な成績[編集]

2016年5月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:661勝476敗26休(86場所)
  • 通算勝率:.581
  • 幕内成績:552勝427敗26休(67場所)
  • 幕内勝率:.563
  • 大関成績:236勝160敗24休(28場所)
  • 大関勝率:.596
  • 三役成績:132勝106勝2休(16場所)
  • 三役勝率:.555
    • 関脇成績:84勝66敗(10場所)
    • 関脇勝率:.560
    • 小結成績:48勝40敗2休(6場所)
    • 小結勝率:.546
  • 前頭成績:184勝161敗(23場所)
  • 前頭勝率:.533
  • 幕内在位:65場所
  • 大関在位:26場所
  • 三役在位:16場所(関脇10場所、小結6場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2005年3月場所)
  • 幕内最高優勝:1回(2016年初場所)

三賞[編集]

  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:3回(2008年3月場所、2011年7月場所、2011年9月場所)
    • 技能賞:4回(2006年11月場所、2007年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所)

場所別成績[編集]

                                                                                                                                                                                  

琴奨菊和弘[32]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
(前相撲) 東 序ノ口 #32
6–1
 
東 序二段 #61
7–0
 
西 三段目 #59
5–2
 
西 三段目 #29
6–1
 
東 幕下 #46
6–1
 
2003年
(平成15年)
東 幕下 #20
3–4
 
東 幕下 #30
4–3
 
西 幕下 #24
4–3
 
東 幕下 #19
5–2
 
西 幕下 #10
3–4
 
西 幕下 #17
3–4
 
2004年
(平成16年)
東 幕下 #22
6–1
 
西 幕下 #6
4–3
 
西 幕下 #5
5–2
 
東 十両 #13
10–5
 
西 十両 #5
9–6
 
西 十両 #3
10–5
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #16
5–10
 
東 十両 #4
優勝
13–2
東 前頭 #14
10–5
 
東 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
6–9
 
2006年
(平成18年)
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #3
9–6
 
東 前頭 #1
3–12
 
西 前頭 #7
10–5
 
東 前頭 #2
10–5
2007年
(平成19年)
東 前頭 #1
9–6
 
西 関脇
7–8
 
西 小結
7–8
 
東 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #3
10–5
 
西 小結
9–6
2008年
(平成20年)
東 小結
9–4–2[33]
 
西 関脇
8–7
西 関脇
8–7
 
西 関脇
6–9
 
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #3
9–6
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #2
6–9
 
東 前頭 #6
10–5
 
西 小結
8–7
 
西 関脇
6–9
 
東 前頭 #2
10–5
 
2010年
(平成22年)
東 小結
6–9
 
西 前頭 #3
10–5
 
東 小結
9–6
 
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
9–6
 
西 前頭 #1
9–6
 
2011年
(平成23年)
西 関脇
11–4
八百長問題
により中止
東 関脇
10–5
 
東 関脇
11–4
東 関脇
12–3
西 大関 #2
11–4
 
2012年
(平成24年)
西 大関 #1
8–7
 
西 大関 #3
9–6
 
西 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
10–5
 
東 大関 #2
2–2–11[34]
 
東 大関 #2
8–7[35]
 
2013年
(平成25年)
西 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
8–7
 
東 大関 #2
11–4
 
西 大関 #1
9–6
 
東 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
1–2–12[36]
 
2014年
(平成26年)
東 大関 #2
9–6[35]
 
西 大関 #1
8–7
 
西 大関 #1
5–10
 
西 大関 #1
12–3[35]
 
東 大関 #1
9–6
 
東 大関 #1
6–9
 
2015年
(平成27年)
西 大関 #1
9–6[35]
 
西 大関 #1
8–7
 
西 大関 #1
6–9
 
東 大関 #2
8–7[35]
 
西 大関 #2
11–4
 
東 大関 #2
8–6–1[37]
 
2016年
(平成28年)
東 大関 #2
14–1
 
東 大関 #1
8–7
 
東 大関 #2
10–5
 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

2015年5月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
玉春日 2 1 時天空 7 16 春日王 1 3 朝赤龍 12 5
十文字 4 1 時津海 1 2 豊ノ島 25(1) 11(1) 安美錦 28 19
霜鳳 1 1 稀勢の里 30(1) 24 旭鷲山 1 5 追風海 0 1
片山 2 0 豪風 13 13 豊桜 1 3 隆乃若 2 0
日馬富士 30 22 高見盛 6 5 闘牙 1 0 海鵬 1 1
栃栄 2 0 岩木山 4 0 武雄山 1 0 玉飛鳥 1 1
出島 6 6 土佐ノ海 2 1 旭天鵬 14 10 北勝力 7 1
玉乃島 4 2 露鵬 4 3 朝青龍 1 15 千代大海 3 16
栃東 2 3 黒海 4 1 普天王 6 3 垣添 4 1
栃乃花 2 1 駿傑 1 0 嘉風 13 3 若の里 6 5
北桜 1 0 雅山 11 9(1) 魁皇 12(1) 16 白鵬 4 44
把瑠都 13 15 白露山 2 0 栃乃洋 4 2 豊真将 15 4
栃煌山 11 16 豊響 5 4 鶴竜 18 17 豪栄道 13 20
若ノ鵬 1 1 栃ノ心 16 4 玉鷲 6 1 阿覧 10 2
翔天狼 1 0 武州山 2 0 土佐豊 1 0 北太樹 6 1
白馬 2 1 德瀬川 0 1 隠岐の海 9 2 若荒雄 2 0
臥牙丸 5 1(1) 栃乃若 2 1 妙義龍 8(1) 4 高安 10 2
松鳳山 8 3 碧山 7 3 3 3 逸ノ城 2 2
遠藤 4 1 大砂嵐 2 0 魁聖 4 0 佐田の海 2 0
常幸龍 1 0 宝富士 6 2 千代大龍 5 1 千代鳳 0 1
照ノ富士 1 4

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2015年5月場所終了現在、現役力士

改名歴[編集]

  • 琴菊次 一弘(こときくつぎ かずひろ)2002年1月場所 - 2003年11月場所
  • 琴奨菊 一弘(ことしょうぎく -)2004年1月場所 - 2005年3月場所
  • 琴奨菊 和弘(- かずひろ)2005年5月場所 -

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ NHK大相撲ジャーナル 2014年6月号 
    怪我だらけであることに由来しており、同じ二所ノ関一門の戦前の横綱・玉錦に与えられた異名に基づいて北の富士勝昭が命名。因みに琴奨菊は玉錦の曾孫弟子である(玉錦→初代琴錦琴櫻→琴奨菊)。
  2. ^ 顔が四角いことから大相撲解説者の舞の海が命名。
  3. ^ a b c d 琴奨菊は酒が苦手。奈良漬10本で記憶が飛んだ! J-CASTテレビウォッチ 2011年9月29日
  4. ^ 琴奨菊生出演 体重10キロ減告白も大好物プリンに「すぐ戻るんじゃ」 2016年1月25日12時49分 スポーツ報知
  5. ^ a b c 琴奨菊、小学時代に牛乳毎日1リットル/略歴 日刊スポーツ 2016年1月25日10時6分 紙面から
  6. ^ 琴奨菊「心を鍛えた先に大関があった」(1/4ページ) 日本経済新聞 2011/11/16 7:00
  7. ^ 琴奨菊 大関昇進決まる 4年ぶりの日本人 スポニチアネックス 2011年9月28日
  8. ^ 琴奨菊「万理一空(ばんりいっくう)」と口上 nikkansports.com 2011年9月28日
  9. ^ 琴奨菊、年寄「秀ノ山」取得 引退後の独立へ道開けた スポーツ報知 2013年5月7日
  10. ^ ライバル対決琴奨菊が稀勢の里圧勝 デイリースポーツ 2013年5月27日
  11. ^ 十両以上の場合、取組に勝利した力士は同じ方屋に控える後続の力士に力水を付ける役割がある。平成25年11月場所2日目の琴奨菊の場合は結び二番前の取組に勝ち、この日の結び前の取組に出場した安美錦が敗れたため、本来であれば勝ち残りとして当日の結びの一番に出場する日馬富士に力水をつける役目になっていた。
  12. ^ 大関琴奨菊が休場 右大胸筋断裂、全治3カ月 日本経済新聞 2013年11月12日
  13. ^ a b 琴奨菊 4カ月ぶり申し合い「怖さあるが我慢して」 Sponichi Annex 2014年5月4日 05:30
  14. ^ 琴奨菊、一気にかど番脱出=大相撲名古屋場所8日目 時事ドットコム 2014/07/20-20:06
  15. ^ 初優勝逃した琴奨菊「悔しい、ですね」 朝日新聞DIGITAL 2014年7月27日20時13分
  16. ^ 新大関豪栄道は西2番目=豪風が最年長新関脇-秋場所新番付 時事ドットコム 2014年9月1日(2014年9月1日閲覧)
  17. ^ 大相撲:逸ノ城、また変化 勝っても拍手はまばら 毎日新聞 2015年1月14日(2015年4月5日閲覧)
  18. ^ 琴奨菊Vなら大関史上で最スロー 記録アラカルト 2016年1月24日(2016年1月24日閲覧)
  19. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号51頁から52頁
  20. ^ ベースボール・マガジン『歴代大関大全』
  21. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年10月号51頁
  22. ^ 琴奨菊は準V「悔しい」 nikkansports.com 2014年7月28日12時30分 紙面から
  23. ^ 琴バウアー?菊バウアー? 琴奨菊がうれしい悩み 日刊スポーツ 2016年2月11日18時58分
  24. ^ ““琴菊論争”に終止符!ルーティン名「琴バウアー」に決定”. スポニチ Sponichi Annex. (2016年2月17日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/02/17/kiji/K20160217012055170.html 
  25. ^ 『相撲』2012年1月号43頁
  26. ^ “琴奨菊関が婚約 佐賀市の会社員福地さんと”. 佐賀新聞ニュース. (2012年10月30日). http://www1.saga-s.co.jp/news/saga.0.2317972.article.html 
  27. ^ 週刊実話2013年3月3日号
  28. ^ 琴奨、遠藤下し「あ~良かった」/初場所 nikkansports.com 2014年1月24日9時31分 紙面から
  29. ^ 琴奨菊「失うモノない」決戦心待ち 部屋では8キロのタイ準備 MSN産経ニュース 2014.7.26 19:56
  30. ^ “琴奨菊が結婚、名古屋場所かど番Vへラブパワー注入”. 日刊スポーツ. (2015年7月11日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1505062.html 
  31. ^ “2度目婚約…琴奨菊“今度こそ” 語学堪能美女に絵本で求婚”. スポニチ Sponichi Annex. (2015年2月21日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/02/21/kiji/K20150221009846180.html 
  32. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年7月24日閲覧。
  33. ^ 右膝内側側副靱帯損傷及び右足関節捻挫により9日目から途中休場、12日目から再出場
  34. ^ 左膝内側側副靱帯損傷により4日目から途中休場。
  35. ^ a b c d e 大関角番(全5回)
  36. ^ 右大胸筋断裂により3日目から途中休場
  37. ^ 左前脛骨筋挫傷により14日目から途中休場

外部リンク[編集]