鶴ヶ濱増太郎

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基礎情報
四股名 大鶴 増太郎 → 若ノ川 増太郎 → 大寉 増太郎 → 鶴ヶ濱 増太郎
本名 西本 増太郎
生年月日 1893年7月19日
没年月日 (1939-01-16) 1939年1月16日(45歳没)
出身 奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市
身長 178cm
体重 105kg
BMI 33.14
所属部屋 荒磯部屋(当初は中立部屋)
得意技 右四つ、吊り、泉川突っ張り
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 74勝66敗8分4休(20場所)
幕内戦歴 58勝57敗7分4休(12場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
データ
初土俵 1911年2月場所
入幕 1921年1月場所
引退 1926年5月場所
引退後 年寄玉垣
備考
2014年3月19日現在

鶴ヶ濱増太郎(つるがはまますたろう、1893年7月19日 - 1939年1月16日)は日本の大相撲力士奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市)出身。荒磯部屋(当初は中立部屋)所属。本名は西本増太郎。身長178cm、体重105kg。最高位は西小結。得意手は右四つ、吊り、泉川突っ張り

来歴[編集]

1911年明治44年)2月場所に「大鶴」の四股名初土俵を踏んだが病に罹り帰郷、間もなくして「若ノ川」の四股名で大坂相撲に出ていた。1912年(明治45年)5月場所で東京相撲に復帰し三段目から再出発、1918年大正7年)1月場所で新十両1921年(大正10年)1月場所で入幕すると、入幕3場所目の1922年(大正11年)1月場所、東前頭4枚目で源氏山(のちの横綱3代西ノ海)・千葉ヶ嵜の両大関を破るなど9勝1敗の好成績で平幕優勝

均整の取れた体格で足腰や腕力も強く、泉川や突っ張りを武器に期待されたもののその年の東西合併相撲で足を怪我した事がもとで、その後は平凡な成績のまま1926年(大正15年)5月場所を最後に引退、年寄玉垣を襲名した。一方で千葉県市川市で料亭を経営していた。

東京都世田谷区妙寿寺に墓所がある。

主な成績[編集]

  • 通算成績:74勝66敗8分4休 勝率.529
  • 幕内成績:58勝57敗7分4休 勝率.504
  • 現役在位:20場所
  • 幕内在位:12場所
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:1回(1922年1月場所)
    • 十両優勝:1回(1920年5月場所)

場所別成績[編集]

鶴ヶ濱増太郎
春場所 夏場所
1911年
(明治44年)
(前相撲) x
1912年
(明治45年)
x x
1913年
(大正2年)
x x
1914年
(大正3年)
x x
1915年
(大正4年)
x x
1916年
(大正5年)
x x
1917年
(大正6年)
x x
1918年
(大正7年)
西 十両 #11
2–3 
x
1919年
(大正8年)
x 西 十両 #9
3–1
(1引分)
 
1920年
(大正9年)
西 十両 #2
4–3 
西 十両 #2
優勝
7–2
1921年
(大正10年)
西 前頭 #12
5–5 
東 前頭 #8
5–5 
1922年
(大正11年)
東 前頭 #4
9–1 
西 前頭 #1
4–6 
1923年
(大正12年)
東 前頭 #5
7–3 
西 小結
4–5
(2引分)
 
1924年
(大正13年)
西 小結
4–6 
東 前頭 #4
6–4
(1引分)
 
1925年
(大正14年)
東 前頭 #3
2–8
(1引分)
 
西 前頭 #11
3–6
(2引分)
 
1926年
(大正15年)
西 前頭 #10
8–2
(1引分)
 
東 前頭 #2
引退
1–6–4
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]