玉春日良二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
玉春日良二 Sumo pictogram.svg
Tamakasuga 08 Sep.jpg
基礎情報
四股名 玉春日 良二→玉春日 公二→玉春日 良二
本名 松本 良二
生年月日 (1972-01-07) 1972年1月7日(45歳)[1]
出身 愛媛県東宇和郡野村町(現:西予市
身長 183cm
体重 157kg
BMI 46.88
所属部屋 片男波部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西関脇
生涯戦歴 603勝636敗39休(89場所)
幕内戦歴 444勝537敗24休(67場所)
優勝 十両優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞2回
技能賞2回
データ
初土俵 1994年1月場所[1]
入幕 1996年1月場所[1]
引退 2008年9月場所[1]
引退後 年寄楯山→年寄・片男波
備考
金星7個(貴乃花3個、若乃花2個、1個、武蔵丸1個)
2014年1月3日現在

玉春日 良二(たまかすが りょうじ、本名:松本 良二(まつもと りょうじ)、1972年1月7日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋所属の元大相撲力士。身長183cm、体重157kg[2]。最高位は西関脇1997年7月場所)。得意手は突き、押し。現在は年寄片男波[1]

趣味は音楽鑑賞、血液型はO型。

来歴[編集]

農家の六人兄姉の三男。松本の相撲との出会いは小学3年の時だった。野村町では毎年11月に乙亥大相撲が開催され同級生たちよりひと回り体の大きかったことで松本は必然的に地区の代表に選ばれた。それまで遊びですら相撲を取ったことはなく付け焼刃の稽古をして臨んだ相撲だったが蓋を開けてみれば対戦相手をなで斬りにする大活躍を果たした松本であった。この乙亥大相撲での活躍ぶりはすぐに野村町の相撲愛好会の面々の目に留まり、その後はしばしば稽古に連れ出される内に自然と相撲が体に染み付いていった。小学4年になるとわんぱく相撲の予選に出場し、県大会では上位に入って四国大会まで進んでしまった。同世代の中では巨漢であった松本は運動神経にも人並み外れたものが認められ、野村町立惣川中学校(現在は廃校)時代には大会がある度に水泳や陸上競技の砲丸投げ、走り幅跳びの選手として駆り出され、ことごとく好成績を収めた。一方で相撲でも活躍を果たし、3年時に部を全国大会団体戦ベスト16に導き個人では8位に入賞した。[3]


中学卒業前には競技に対する劣等感から相撲に見切りをつけてラグビーに対する憧れから新居浜工業高等専門学校に進学しようと考えていたが春日館で相撲を指導していた兵頭洋和が松本の抜群の素質に惚れ込んだことから相撲の断念を慰留したことで「高校に行ったら髪を伸ばさせてほしい。相撲もやる代わりにラグビーもやらせてほしい」と条件付きながら野村高校への進学に至った。結果として高校時代は「相撲の稽古が厳しすぎて結局、ラグビーどころじゃなかった。髪も伸ばせなかった」ようであり、引退後に本人は「あのまま相撲を続けてよかった。現在の自分があるのも兵頭さんのお陰」と感謝しているという。抜群の素質は高校時代の切磋琢磨でさらに輝きを増し、当時から一徹した押し相撲の型を武器にインターハイでは1年生のころからベスト16に食い込み、2年の東西対抗では軽量級全国2位になった。[4]

6人兄姉を育て上げた父の苦労を理解していた松本本人は兄姉の末弟として「これ以上迷惑はかけられない」と感じて大学進学を望まず高校卒業後は警察官になるはずだったが、活躍が認められて中央大学へ進学。大学では相撲部に所属し、3年時に1年先輩の栗本剛(後の十両・武哲山)と共に中央大学に34年ぶりとなる学生相撲団体戦日本一をもたらした。一方で個人では目立った活躍をしておらずタイトルは体重別大会(135kg未満級)1冠どまりであり、他に全日本相撲選手権でベスト8の実績を残した程度であった。[5]学生時代に11冠を獲得したこともあってプロ入り前から活躍が期待されていた同じ中央大学の2年後輩である出島とは対照的な評価を周囲から下されており当時の中大監督の羽瀬重幸も「出島は確実に関脇にはなるが、玉春日は十両止まりかもしれない」と考えていた。玉春日自身も「どこまで通用するか分からない」と疑心暗鬼だった[6]が、プロになってから頭角を表した[7]

1994年1月場所、幕下付出初土俵を踏む。初土俵から「玉春日」[8]四股名で相撲を取った。なお、学生時代の同期に武双山土佐ノ海がいた。1994年1月場所を4勝3敗で終えてから自身に不足を感じ、一念発起して1日100番の猛稽古で鍛え直しを図った。[6]

1995年3月場所に十両に昇進し、1996年1月場所には幕内に昇進した。初土俵から入幕まで13場所負け越し知らずだった[1]。その新入幕の場所では10勝を挙げ敢闘賞を受賞した。1997年5月場所では、横綱貴乃花を破る初金星を挙げて8勝7敗と勝ち越し、殊勲賞を受賞し、翌7月場所には関脇への昇進を果たした。その場所は7勝8敗と負け越し、関脇はこの1場所だけで、以後2度の小結を経験するも、三役での勝ち越しはなかった。それでも、全盛期には幕内上位の地位で7個の金星を挙げるなど、上位キラーとして活躍した。しかし、2003年1月場所に右膝の半月板を痛めて休場し幕内から陥落した後は、怪我にも悩まされ幕内中下位や十両に甘んじることが増えた。

2006年7月場所では、本来の押し相撲が久々に鋭さを見せ、11勝4敗の好成績で技能賞を受賞した。この三賞受賞は前述した1997年5月の殊勲賞受賞以来55場所ぶりとなったが、これは史上最も2回の三賞受賞の間隔が開いた事例となった。また、この場所は幕内で初めて11勝をあげた[9]。しかし、東前頭4枚目に昇進して久々の幕内上位となった翌9月場所は初日から12連敗で、1勝14敗と散々な成績だった。2007年1月場所は鋭い突き押しで初日から7連勝し、一時は優勝争いの先頭に立ったが、中日から6連敗を喫し、結局9勝6敗に終わった。3月場所は2日目から9連敗を喫するなど一転して不調に陥り4勝11敗だった。その後は首の痛みもあり幕内の中位〜下位を行き来していたが、十両に下がった2008年9月場所の千秋楽に引退を表明し、年寄・楯山を襲名した[10]。引退相撲は2009年5月30日に行われた。その後、2010年2月4日に師匠である玉ノ富士茂との名跡交換により年寄・片男波(14代目)を襲名すると共に、片男波部屋を継承した。

取り口[編集]

基本に忠実な突き押し相撲は高く評価された。突き押しは角界入り後になって磨きがかかった[1]。土俵生活も後半にさしかかると若い頃の突き押しの馬力はやや影を潜め、左右のおっつけ、いなしなどの技を生かした押し相撲を取った。体が柔らかく、土俵際でのしぶとさがあり、突き落としや捨て身の首投げも時として鮮やかに決まった。

エピソード[編集]

人物[編集]

  • 野村高校時代は生徒会役員を務めた。
  • 真面目な性格、誠実な人柄で知られている。ある親方は玉春日の人柄を「真面目で素直。人のいうことをよく聞く」と評していた[11]。現役時代は、負けた時でも報道陣の受け答えに必ず応じていた。
  • 現役時代、場所中はサインには応じなかった。だが、現役引退後に年寄楯山となってからは、サインにも気さくに応じる姿がみられる。
  • 子犬を飼い始めたことなどが、2008年12月から始めたブログで報告されている。ちなみに犬種はゴールデン・レトリバー、名前はタロウでブログにも写真付でたびたび登場している。

大相撲[編集]

  • 中央大学相撲部出身の幕内力士は元小結・豊國範以来2人目であった[12]
  • 2008年9月の引退場所では14日目に猛虎浪を破り白星を挙げた相撲が最後となった。場所途中で引退(あるいは休場)となる場合、その旨を審判部に申し出ても既に次の日の取組が決まっているために、次の日の不戦敗が記録上の最後の一番となる、という場合が多いため、場所途中における白星を最後とする引退は非常に珍しいといえる。これは、玉春日が14日目の取組の直後に千秋楽の取組を編成していた(通例千秋楽の取組が他の日に比べ決まるのが遅いこともこの珍事の一因)審判部に行き、「明日の割から自分を抜いて下さい」と依頼し千秋楽の取組から名前を外してもらったことによる。

その他[編集]

  • 1998年6月に久万高原天体観測館の職員が発見した小惑星の一つが、同じ愛媛県出身の力士として勝ち星を挙げてほしいと願い、「Tamakasuga」と名付けられた。また、天体に力士名が命名されたのは世界初のことだった。
  • デーモン小暮閣下明石家マンション物語のコーナー「クレーマークレーマー」に出演した際、大相撲中継におけるアナウンサーの「玉春日出る」という実況が卑猥な意味に聞こえると指摘した。

主な成績[編集]

  • 通算成績:603勝636敗39休 勝率.487
  • 幕内成績:444勝537敗24休 勝率.453
  • 現役在位:89場所
  • 幕内在位:67場所
  • 三役在位:3場所(関脇1場所、小結2場所)
  • 三賞:5回[1]
    • 殊勲賞:1回(1997年5月場所)
    • 敢闘賞:2回(1996年1月場所、1997年3月場所)
    • 技能賞:2回(1996年5月場所、2006年7月場所)
  • 金星:7個(貴乃花3個、若乃花2個、1個、武蔵丸1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(2003年5月場所)

場所別成績[編集]

玉春日良二
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1994年
(平成6年)
幕下付出 #60
4–3 
西 幕下 #48
4–3 
東 幕下 #36
5–2 
東 幕下 #22
5–2 
西 幕下 #13
4–3 
西 幕下 #10
5–2 
1995年
(平成7年)
東 幕下 #3
6–1 
西 十両 #12
9–6 
西 十両 #9
8–7 
東 十両 #7
9–6 
東 十両 #3
8–7 
西 十両 #1
10–5 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #16
10–5
西 前頭 #5
7–8 
東 前頭 #6
9–6
東 前頭 #1
6–9 
東 前頭 #3
6–9 
東 前頭 #5
9–6 
1997年
(平成9年)
東 前頭 #2
5–10 
東 前頭 #6
10–5
東 前頭 #1
8–7
西 関脇
7–8 
東 小結 #2
6–9 
東 前頭 #1
4–11 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #6
6–9 
西 前頭 #9
8–7 
西 前頭 #4
4–11 
西 前頭 #10
9–6 
西 前頭 #3
6–9
西 前頭 #4
8–7
1999年
(平成11年)
西 前頭 #2
5–10
西 前頭 #4
7–8 
西 前頭 #5
7–8 
西 前頭 #6
9–6 
西 前頭 #1
8–7
東 前頭 #1
3–12
2000年
(平成12年)
東 前頭 #8
8–7 
東 前頭 #2
5–10 
西 前頭 #4
9–6 
西 小結
2–13 
東 前頭 #9
7–8 
東 前頭 #10
8–7 
2001年
(平成13年)
西 前頭 #5
7–8 
東 前頭 #7
9–6 
西 前頭 #4
6–9 
東 前頭 #7
8–7 
西 前頭 #3
5–10
東 前頭 #7
6–9 
2002年
(平成14年)
東 前頭 #9
8–7 
西 前頭 #7
8–7 
西 前頭 #5
7–8 
東 前頭 #6
6–7–2[13] 
西 前頭 #8
10–5 
西 前頭 #3
2–13 
2003年
(平成15年)
東 前頭 #12
0–5–10[14] 
西 十両 #7
休場
0–0–15
西 十両 #7
優勝
12–3
東 前頭 #15
7–8 
東 十両 #1
10–5 
東 前頭 #13
6–9 
2004年
(平成16年)
西 前頭 #16
7–8 
東 十両 #2
8–7 
東 十両 #1
7–8 
西 十両 #1
11–4 
西 前頭 #14
8–7 
西 前頭 #13
7–8 
2005年
(平成17年)
西 前頭 #14
7–8 
東 前頭 #15
7–8 
東 前頭 #16
8–7 
東 前頭 #13
0–3–12[15] 
西 十両 #8
11–4 
東 十両 #2
5–10 
2006年
(平成18年)
東 十両 #6
12–3 
東 前頭 #15
9–6 
東 前頭 #10
6–9 
西 前頭 #12
11–4
東 前頭 #4
1–14 
東 前頭 #14
9–6 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #11
9–6 
西 前頭 #5
4–11 
東 前頭 #12
5–10 
西 前頭 #15
8–7 
東 前頭 #11
8–7 
東 前頭 #9
8–7 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #5
4–11 
西 前頭 #10
6–9 
西 前頭 #12
8–7 
西 前頭 #11
3–12[16] 
西 十両 #2
引退
6–8–0[17]
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 玉春日 良二(たまかすが りょうじ):1996年1月場所-2000年5月場所、2000年9月場所-2008年9月場所
  • 玉春日 公二(- こうじ):2000年7月場所

年寄変遷[編集]

  • 楯山 良二(たてやま りょうじ)2008年9月-2010年2月
  • 片男波 良二(かたおなみ -)2010年2月-

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p26
  2. ^ 水野尚文・亰須利敏編著『平成22年版大相撲力士名鑑』共同通信社、2009年、250頁
  3. ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第1回「乙亥相撲で培った勝負魂」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-01 20:31:00
  4. ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第2回「本当は相撲が嫌いだった」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-02 21:40:00
  5. ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第3回「雑草魂で前人未到の大記録達成へ」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-03 19:50:00
  6. ^ a b サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第4回「後輩・出島への挑戦状」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-04 19:58:00
  7. ^ 同上
  8. ^ この四股名は野村高校在学時代の下宿先である相撲道場『春日館』に由来する。
  9. ^ この場所では、同部屋弟弟子の玉乃島も11勝を挙げ、こちらは敢闘賞を受賞している。
  10. ^ 玉春日が引退、年寄「楯山」を襲名 スポニチ 2008年09月29日配信
  11. ^ 『平成22年版大相撲力士名鑑』250頁
  12. ^ 同上
  13. ^ 左下肢蜂窩織炎により10日目から途中休場、13日目から再出場
  14. ^ 右膝内側半月板損傷により5日目から途中休場
  15. ^ 頸椎椎間板障害・左C7放散痛により3日目から途中休場
  16. ^ 頸椎椎間板ヘルニアにより千秋楽不戦敗
  17. ^ 14日目に引退。年寄楯山襲名

関連項目[編集]

外部リンク[編集]