相撲教習所

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相撲教習所の看板

相撲教習所(すもうきょうしゅうじょ)は、公益財団法人日本相撲協会が、新たに入門した力士を指導教育する施設である[1]

相撲教習所の目的は、相撲の基本を習得させ、相撲部屋での稽古に耐える体力・気力を養うこと等である[2]。設備としては3面の稽古土俵および講義室からなる。1957年10月に当時の蔵前国技館内に開設され、1985年1月に現在の両国国技館が落成すると同時に、国技館敷地内の向正面側に移転した。

概説[編集]

設立の背景には、1925年に協会が寄附行為に定めた「相撲専修学校」の設立が、1957年に至っても実現しないままであることを国会で追及されたことがあった[3]。この質疑では公益法人たる協会の性質及び寄附行為の文面上から、質問した議員や参考人として出席した天竜阿久津川らは「相撲専修学校」とは指導者養成機関であるとの前提で質疑を進めたが、協会を代表して答弁に立った武蔵川は力士養成機関との認識を示した。武蔵川の認識は天竜から「ピントがずれている」と批判されたが、のちの協会改革で武蔵川はあくまで力士養成にこだわり、新弟子教育のための機関として相撲教習所が開設された。

ここでは大相撲に入門した力士が半年間、相撲の実技及び教養を学ぶ。なお、幕下付出の形で入門した力士は教習内容の一部が免除される。教養の授業は行司呼出も一緒に受講することもある[4]

幕下付出力士の中でも入門から半年以内に関取昇進を果たした者はその時点で教習所通いを免除される。ただし遠藤聖大は初土俵から所要2場所目十両昇進を果たしたにもかかわらず、師匠である追手風親方の意向に従いその特権を行使せず2013年9月の卒業まで通常通りに教習所の課程を修めた[5]。翌2014年には、遠藤同様所要2場所で逸ノ城駿が十両昇進を果たし、外国出身者で初めて教習所卒業前に関取昇進を果たしたが、遠藤に倣って特権を行使しない意向を示し[6]、卒業まで通い続けた。

関取特権として受講義務を免除された時点で卒業扱いと言うわけではなく、遠藤や逸ノ城と同じく幕下付出デビューから所要2場所で関取昇進を果たした尾曽武人(武双山正士)は入門から半年後の卒業まで相撲教習所に籍を置いており、相撲教習所の卒業式にも出席した[注釈 1]。それ以降ある時期から3期半年の履修が必須となったが、矢後太規は残り1期2ヶ月の履修を免除されただけでなく繰り上げで正式に卒業[7]

また外国人力士は1年間在籍する[注釈 2]。多くの外国人力士は、日本に来てすぐ相撲部屋に入り、ここで指導を受けることが多い。そのため、まだ日本語を覚えていない外国人力士は多くの場合ここで日本語を覚える。まだ日本語がわからない力士にも、通訳などがつくことは基本的にない。しかし、指導の親方が日本語で指導する時には、ジェスチャー外国語を織り交ぜて指導するため、ほとんどの力士は相撲のとり方などを理解することができる。

超満員となったファン対象のトークイベント中の教室

この教習所は公益財団法人としての相撲文化の継承・普及のための施設でもある。アマチュア相撲の講習会等で使用されるほか[8]、東京での本場所の前に行われる横綱審議委員会稽古総見もこの相撲教習所内の土俵で行われている[注釈 3]

2004年からは、NHK学園高等学校(開始時は日本放送協会学園高等学校)のスクーリング会場も設けられているほか、2011年からは東京場所終了後に自立就職支援相談室の窓口が開設されるなど、力士引退後のセカンドキャリア支援の拠点にもなっている。

東京での本場所直前の時期には、相撲教習所配属の親方を中心にファン対象のイベントが開かれることがある。このため、年に数回ほど、相撲教習所の教室が一般開放されている。

課程[編集]

朝7時より正午ごろまで開講され、前半は実技、後半は座学となっている[9][10]

実技では、四股鉄砲股割りすり足等相撲の基本動作を学ぶ。また実力別にクラス分けが行われてのぶつかり稽古等も行われる[11]。教習所担当の年寄及び現役力士(おもに古参の幕下三段目の力士)が指導員となる。

座学では、曜日ごとに相撲の歴史一般常識国語書道作文)・相撲甚句運動医学・スポーツ生理学等の教養を学ぶ。大学教員等の有識者を講師に招き、また力士が寝ているときに竹刀で力士をたたき起こす「竹刀係」という者もいる。

一日の課程が終わると、食事・入浴・掃除の後解散となる。

在籍期間は半年間となっているが、本場所開催中及びその前後の期間は開講されないため、実際に通学するのは約3か月程度である。卒業時の成績により「皆勤」「優等」「精励」「特別」の4つの表彰があり、出席が足りなければ落第もありうる。

現在の教習所担当年寄[編集]

2022年3月30日現在

年寄名 役職 最高位・四股名 所属部屋 備考
花籠 相撲教習所長 関脇太寿山[注釈 4] 高田川部屋 理事
甲山 相撲教習所員 11・大碇 伊勢ノ海部屋 委員
楯山 前6・誉富士 伊勢ヶ濱部屋 主任
清見潟 関脇・栃煌山 春日野部屋 年寄
音羽山 前8・天鎧鵬 尾上部屋

相撲教習所担当の年寄、あるいは配属された経験のある年寄は本場所では決まり手係を担当する。

相撲教習所歴代所長[編集]

相撲教習所の所長は日本相撲協会理事に選出された年寄が代々務めている。

参考文献[編集]

公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』67p

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、武双山は相撲教習所の卒業式に出席した史上初の幕内力士となった。遠藤も卒業時には入幕していたが、ケガのため卒業式を欠席。
  2. ^ 逸ノ城は日本の高校に留学経験があるためか、半年で卒業が認められた。
  3. ^ ただし2000年から5月場所前は国技館内の本土俵で無料一般公開されており、2010年9月場所から2012年5月場所まではすべての東京場所前でも同様に無料一般公開されていた。
  4. ^ 協会本部付として危機管理部長、コンプライアンス部長、博物館運営委員を兼任する。
  5. ^ 4代目所長の再任
  6. ^ 5代目所長の再任。
  7. ^ 在任中の2014年2月1日に高崎に名跡変更。
  8. ^ 16代目所長の再任。

出典[編集]