八番相撲

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八番相撲(はちばんずもう)は、大相撲幕下以下の力士本場所において例外的に取る1場所8番目の相撲のことである。

概説[編集]

通常、幕下以下の力士は1場所に7番の相撲を取る。休場者が出る等して出場力士が奇数になった場合、序ノ口の下位力士を4日で3番取らせるなどして調整するが、最終的にどうしても全力士均等に7番のを組めないことがある。その場合、特別に7番取り終えた力士1名を選び、割を組む。この場合、その力士が8番目の相撲に勝てばこれは勝ち星として評価され(1勝6敗の力士が八番相撲に勝って2勝6敗となった場合、4点の負け越しとして取り扱われる)、負けても黒星として扱わないことになっている。これを「勝ち得、負け得」という。例えば、2001年7月場所では東筆頭の須磨ノ富士が八番相撲に勝って3勝5敗としたものの、翌場所の番付は西筆頭で3勝4敗だった錦風と逆転することから、八番相撲に勝っても七番相撲で同じ数の勝星をあげた力士よりは低い成績として取り扱われる。

2012年現在、主に既に5敗以上している幕下上位の力士か、序ノ口の力士(3勝4敗や勝ち越しの場合もある)が選ばれている。幕下は、勝ち越している力士の場合、十両昇進に有利に働くためと見られる。近年では、序ノ口では全出場者が奇数になったために14日目に八番相撲が組まれるが、幕下上位では13日目以降の関取の休場を理由に千秋楽に八番相撲が組まれる傾向が強く、そのように組まれる理由が異なるため序ノ口と幕下の両方で八番相撲が組まれる場所もある。具体例を挙げれば、平成23年初場所、12日目終了時点で出場者が奇数となったため、序ノ口の山田に14日目に八番相撲が組まれたが、14日目に十両の舛ノ山が休場しその日は不戦敗になり、千秋楽の割から舛ノ山が消えたため、千秋楽に幕下の持丸に八番相撲が組まれた。無作為に選ばれていた当時の話として、1972年3月場所に東幕下筆頭で3勝4敗と負け越していた青葉山が、八番相撲で4勝4敗と五分の星になった(番付編成上は4勝3敗とはならず、4勝4敗の五分として取り扱われる)。その前の場所で、東筆頭の渥美洋が逆に4勝3敗から八番相撲をとり、負けて4勝4敗になったもののこの場合は4勝3敗として取り扱われるため、十両に返り咲いた。一方、青葉山は翌場所も同じ地位に留まっている[1][2] 。それ以降、幕下上位で3敗、4敗している力士の八番相撲は1度も組まれていなかったが、2008年9月場所において東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越しを決めていた若荒雄に千秋楽に八番相撲が組まれ、当人は勝利している[3]。なお、青葉山は5月場所を3勝4敗と負け越し、結局十両に昇進した時期は2年後のことだった。

脚注[編集]

  1. ^ 2012年現在は、東の筆頭で勝ち越した力士は翌場所の十両昇進が保証されるため、筆頭での勝ち越し力士の番付据え置きは先ず起こらないこととされている
  2. ^ 渥美洋、青葉山以前に1961年3月場所で東幕下筆頭・廣川が3勝4敗から、八番相撲を白星で取り終え4勝4敗となり、翌場所も同地位に留まっていた。このことから東幕下筆頭の地位で八番相撲の結果に関係なく七番相撲までに勝ち越しを決めている力士は十両昇進、七番相撲までに負け越し八番相撲で白星を挙げ4勝4敗の五分の星勘定になった力士は同地位に踏み留まるものと考えることが出来る。
  3. ^ これは、前日の取組編成中に十両の玉春日が引退の意向を示し、審判部に直接出向き「千秋楽の割から名前を抜いてもらいたい」と願い出たため、イレギュラーな八番相撲が組まれた。

関連項目[編集]