本場所

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本場所(ほんばしょ)は、公益財団法人日本相撲協会によって定期的に行われる大相撲の興行。力士にとっては技量審査の性質があり、本場所での結果に基づき番付の昇降や力士褒賞金の加算が行われる。本場所における取組は公式戦とされ、通算の成績などは本場所のものを採用している。

概要[編集]

1958年(昭和33年)以降は年6回の興行で固定されている(下表)。開催地の命名権名称は2018年(平成30年)時点のもの。

開催月 正式名称[注釈 1] 通称 会場 開催地 初日
01月 一月場所 初場所 両国国技館 東京都墨田区 第1もしくは第2日曜日
03月 三月場所 春場所
大阪場所
エディオンアリーナ大阪
(大阪府立体育会館)
大阪市浪速区 第2もしくは第3日曜日
05月 五月場所 夏場所 両国国技館 東京都墨田区 第2日曜日
07月 七月場所 名古屋場所 ドルフィンズアリーナ
(愛知県体育館)
名古屋市中区 第2日曜日
09月 九月場所 秋場所 両国国技館 東京都墨田区 第1もしくは第2日曜日
11月 十一月場所 九州場所 福岡国際センター 福岡市博多区 第1もしくは第2日曜日

三月場所(大阪)[1]と七月場所(名古屋)[2]の会場では施設命名権が売却されており、主催者である日本相撲協会では上記のように施設命名権に基づく名称と正式名称を併記して使用している。施設名の扱いに関してはメディアごとに対応が分かれている。本場所のテレビ・ラジオ中継を行うNHK(日本放送協会) は本場所の会場名について正式名称のみを使用している。一方、新聞報道などでは報道機関により施設命名権による名称を使用する場合[3]、正式名称を使用する場合[4]、両名称を併記する場合[5]に分かれている。

江戸時代には本場所は各地で個別に行われており、力士は場所を主催する勧進元と自身の抱え大名の都合がついた本場所に個別に参加していた。その中でも三都(江戸・京都・大坂)の相撲がとくに盛んで、江戸で年2回、京都と大坂で年1回ずつ行われることが多かったが、天災や天候不順、不入りによる中止や打ち切りも頻発していた。明治時代になると各地の相撲集団は法人化して個別の力士を抱えるようになり、大正時代には相撲集団は東京と大阪に収斂し、それぞれ常設の国技館で年2回興行、さらに合同でも興行するようになる。昭和時代になると東西協会が合同して日本相撲協会となり、戦後には大阪・名古屋・福岡でそれぞれ興行を行うようになって現在に至る。

1場所は江戸時代は晴天10日間興行だったが徐々に延ばされ、現在は15日間連続で行われる。1日目は「初日(しょにち)」、8日目は「中日(なかび)」、最終日にあたる15日目は「千秋楽(せんしゅうらく)」と呼ばれる。初日は1場所15日制になって以降、昭和天皇崩御に伴い1日延期された1989年一月場所を除き、日曜日に設定されている。原則として初日は第2日曜日だが、3月・5月・9月・11月場所では日曜日が5週ある時は第3週から始まることもある。7月場所は夏巡業の期間確保のため6月から行われていたこともあり、現在も第1週から始まることがある。

番付は各場所初日の約半月前に日本相撲協会より発表される。1970年頃に、年末年始を挟む一月場所を除いては初日の13日前の月曜日と定められた。ほかのスポーツ行事の少ない曜日を選んだということである。例外として一月場所の番付発表については、直前が年末年始の期間に当たるため近年は前年12月24日頃に、また五月場所分は近年は初日の17日前の木曜日に行われている[6]

本場所の土俵進行(土俵入りや力士呼び出しの順序)は奇数日目が東方から、偶数日目が西方からとなっている。

本場所の進行[編集]

本場所は毎日8:00頃、呼出が会場前に設営された高櫓から打ち出す寄せ太鼓で始まる。この後序ノ口から順番に取組が始まるが、3日目(新弟子が多い3月場所は2日目から)から中盤にかけては、その前に前相撲が行われる。

序ノ口、序二段三段目幕下と取組が進み、幕下の相撲が残り5番(幕下上位五番)になった時点で、十両力士の土俵入りが行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、昭和40年代末のオイルショックの際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間が変更された。この時点で14:20頃になる。その後十両の取組に入るが、初日と千秋楽は十両残り3番を残して日本相撲協会理事長からの挨拶(協会御挨拶)が入る。

十両取組終了後の概ね15:50頃に幕内力士の土俵入り・横綱土俵入りが行われる。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は賜杯優勝旗返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では優勝額除幕式、1月場所初日では年間最優秀力士の表彰式も行われる。2日目から13日目までは、時間に余裕がある時は翌日の幕内取組を紹介する「顔触れ言上」が行われる。幕内取組が半分消化したところで、時間調節のための小休止がある(17:00頃)。

幕内取組終了後に弓取式が行われ打出となり、1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で大相撲中継終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に幕内最高優勝の表彰式(場所によっては先立って優勝決定戦)が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。

かつて使われていた会場[編集]

1909年6月場所以前は回向院での晴天時興行の形を取っており、雨天中止となった場合その後2日続けて晴天とならなければ開始できない規則となっていた。 戦前は戦時戦後の一時期を除き旧両国国技館が使われ、1927年から1932年までの地方本場所は大阪市京都市名古屋市福岡市広島市で開催の実績がある。第二次世界大戦中には軍による接収、空襲による被災、そして戦後アメリカ軍による接収で国技館が使用できずに後楽園球場(番付上の表記は「小石川後樂園球場」)や神宮外苑相撲場等で晴天時限定で開催、その後仮設国技館(当時の表記は「假設國技館」)時代を経て蔵前仮設国技館へと本場所開催地を移した。

場所ごとの逸話など[編集]

初場所[編集]

  • 古くは1月場所は「春場所」と呼ばれた。1953年に大阪場所が出来て年4場所制となった時には1月場所は「初場所」か「春場所」かで協会発表に混乱があり、騒動になった。後で当時責任者だった年寄楯山(元幡瀬川)の明かしたところでは、マスコミを利用した話題づくりだった。
  • この場所で大関横綱への昇進を果たした力士は多く、「祝儀場所」の異名もある。
  • 中日8日目は天覧相撲になることが多い。
  • 1989年の初場所(=平成最初の場所)は1月8日日曜日)に初日の予定であったが、昭和天皇の崩御の関係で翌日の1月9日月曜日)に変更。初日が日曜日以外の曜日に行われたのは戦後の15日制復活後、初めてのことであった。
  • マーガレットコミックスベルサイユのばら第13巻』(集英社)が2017年初場所の懸賞として掲出し、話題となった。
名勝負
新入幕で連勝する大鵬に、小結柏戸が「止め男」として当てられた柏鵬初顔合わせ。後の柏鵬戦とは逆に攻めまくる大鵬を、柏戸が逆転の出し投げで下した。
ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が上手出し投げで決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。
この前の取り組みで、日馬富士が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。

春場所[編集]

  • 呼称については初場所も参照。ほかの地方場所と同じく「大阪場所」の名称を使用することもある。
  • 1973年に中学生力士が禁止されて以降、中学卒業見込みの入門者が多い関係で6場所の中で最も初土俵を踏む新弟子が多く、「就職場所」の異名がある。平成以降では1992年の151人が最多、2000年代に入ってからは100人を超えない年が続いている。
  • 「荒れる春場所」と呼ばれ[8]、番付上位が負けるいわゆる波乱の結果が多いとされる。
  • もともと大阪には大坂相撲の歴史があって相撲人気の根強い土地であり、毎年大いに盛り上がる場所である。
  • 3代目朝潮がこの場所で強く1956年から3連覇するなど通算5回の優勝のうち4回を大阪で達成、「大阪太郎」と呼ばれた。他に北勝海が通算8回優勝のうち4回が大阪での優勝。
  • 初の女性大阪府知事となった太田房江が在任中に幾度となく「大阪府知事賞の贈呈を自らの手で贈りたい」と土俵上は女人禁制と決めている協会と悶着を起こし、ファンや国民の間で議論を呼んだ。
  • 2011年の開催は、力士の八百長メール問題の外部委員会調査に時間がかかることと、世論動向から不祥事による初の開催中止となった。
名勝負
史上初めて、全勝力士同士が千秋楽結びの一番で優勝を争う形になった。栃錦が無理にまわしをきりにいったところを若乃花が一気に寄り、自身初の全勝優勝。栃若最後の一番にもなった。

夏場所[編集]

  • 2001年首相就任直後の小泉純一郎総理大臣杯の授与を行い前日の負傷を押して出場し22回目の幕内優勝を勝ち取った横綱貴乃花に対して「痛みに耐えてよく頑張った! 感動したっ! おめでとう!」との賛辞を送った。小泉の「感動したっ!」は流行語ともなった。なおこの負傷が原因となり、貴乃花はこの優勝を最後として2003年に現役を引退した。
  • 2011年は前場所の開催中止に引き続き八百長問題の影響で、通常の興行としてではなく技量審査場所として開催された(成績は正式記録として残る)。この場所は無料公開され、NHKはこの場所の生中継を行わず、総合テレビと衛星放送でのダイジェスト放送も行わない(ニュースでの報道は行う)。優勝額もなし。一方でニコニコ生放送ひかりTV等のネット配信で、前相撲から結びの一番まで完全生放送が行われた(詳しくは技量審査場所を参照)。
  • 2012年は、関脇鶴竜の大関昇進で1横綱6大関時代と話題になったが、前頭7枚目の旭天鵬が同4枚目栃煌山との史上初の平幕同士の優勝決定戦を制すると同時に初優勝の最年長記録を更新した。
名勝負
  • 1991年初日 前頭筆頭貴花田 - 横綱千代の富士
1980年代、昭和最後の大横綱・千代の富士と後に貴乃花として平成の名横綱になる貴花田の初顔合わせの一番。この一番で、千代の富士は寄り切られて完敗。貴花田は初金星を獲得。一方、千代の富士は2日後に現役引退。力士の世代交代の時を世間に知らしめた一番となった。

名古屋場所[編集]

平成21年大相撲名古屋場所開催中の模様。画面右上に中日新聞社社旗が見える。午前中の撮影につき観客はまばらである。(撮影日2009.07.14)
  • 本場所となったのは1958年で、6場所の中では一番後である。
  • 日本相撲協会中日新聞社の共催となっている。九州場所が相撲協会の完全自主興行に移行した1974年以降(後述)、相撲協会以外の団体が本場所の主催元になっているのは名古屋場所だけである。中日新聞社関連では以下の特記事項がある。
    • 場所中、会場の愛知県体育館の館内には中日新聞社の社旗が掲げられる。
    • 毎年3月中旬頃から中日新聞社(北陸本社北陸中日新聞)・東京本社東京新聞)・東海本社福井支社日刊県民福井・編集自体は北陸本社で行っている)を含む)で桝席の販売が行われている。
    • 場所中、毎日必ず1本は中日新聞社が懸賞を出す。懸賞を出した取組は当日の中日新聞(北陸中日新聞・日刊県民福井・東京新聞を含む)のスポーツ欄及び中日スポーツ東京中日スポーツを含む)の大相撲欄で「本日の好取組」として展開予想が掲載される。
    • 本場所を共催している縁もあってか、1987年以降、加藤巳一郎、大島宏彦、大島寅夫と歴代の中日新聞社社長が横綱審議委員会の委員を務めている。
    • 関係会社の中部日本放送→CBCテレビで直前に「大相撲名古屋場所前夜祭」を開催している。但し、九州場所前夜祭(後述)と違い、自局の施設であるCBCホールで行っている。
    • 関係会社でもある中日ドラゴンズは球団創設80周年にあたる2016年にプロ野球チームとしては初となる懸賞を提供した。「80」に因み中入り後の8番目の取組に懸賞が掛けられている。
  • 「荒れる名古屋」で知られる。夏場の開催となって、とりわけ気温が高いことで知られる名古屋ということもあり、「熱帯場所」、「南国場所」の異名をとるほどの暑さのため体調管理が難しいことから調子を落とす上位力士も多いのが、その要因と言われている[9]。生涯ただ一度の優勝をこの場所で果たした力士も多い。
  • かつては場所後の夏巡業の日程を確保するために6月下旬から始まったこともあった。
    • また、同様の理由で、1960年代後半から1990年代までは第2日曜日になることのない7月1日~7日(即ち、必ず第1日曜日)から始まっていた。2000年代以降は概ね他の場所と同じ第2日曜日から始まっている[10]
  • 夏巡業を控えていることも有って、かつては名古屋場所では夏巡業の目玉となる新横綱を確保するために、やや甘い基準で名古屋場所で横綱昇進を果たす力士が少なからず存在した。しかし双羽黒光司が廃業騒動を起こすと横綱昇進の基準が厳格化。1993年7月場所の貴乃花光司、1994年7月場所の武蔵丸光洋、2006年7月場所の白鵬翔などは、双羽黒廃業騒動以前の基準なら、場所後に横綱昇進を果たしていた可能性がある[9]
  • 1923年関東大震災による東京の国技館焼失のため、翌年の1月場所が名古屋市内の仮設国技館で行われた。
  • 1972年高見山大五郎が外国人力士として初めての優勝を遂げた。
  • 2010年は大相撲野球賭博問題の為NHKの生中継が中止となり(ダイジェスト版のみ放送)、協会が外部からの表彰を辞退した為表彰式は優勝旗と賞状のみとなった。
名勝負
史上2度目、横綱同士では初となる同部屋相星決戦。場所前に娘を亡くし、この場所は数珠を首にかけながら場所入りしていた千代の富士が、右上手投げで先輩横綱の意地を見せ28度目の優勝を果たす。
1988年春場所が初土俵の同期生3人による巴戦。横綱昇進のかかる大関・貴ノ花が結びの一番に勝って決定戦に持ち込んだが曙が連勝、横綱初優勝を決めた。場所後若ノ花は大関昇進。優勝 - 優勝同点の貴ノ花の昇進は見送られた。

秋場所[編集]

  • 長期に及ぶ夏巡業の後の本場所であるため、ここで大きく「化ける」力士も多い。
  • 同様に夏巡業を経て再起を目指す、連続休場明けの横綱がよく登場する。
  • 1955年は勤務で本場所を観戦できないビジネスマンにも会社帰りに大相撲を楽しんでもらおうとの配慮から、午前10時30分から取組開始、午後5時30分に中入り、午後8時に打ち出しという「ナイター興行」で行われた。ナイター興行はビジネスマンには好評だったが、力士にとってはコンディション作りが難しく、体調を崩す力士が続出、また遠隔地向けの版に間に合わないという理由で新聞社からクレームが入り、1場所限りで取りやめとなり、2015年1月現在では、現状唯一のナイター本場所である[11]
    • しかも、このナイター本場所の11日目において、横綱千代の山対関脇若乃花の取り組みが、史上最長となる合計17分15秒の「大相撲」となる珍事があった。本割で2回にわたり水入りの中断があり、更に力士の疲労を考えて、次の2番を先に消化してから取り直しとなり、結果引き分けとなった。このため、打ち出しは夜8時15分と最も遅いものとなった[11]
  • 2000年シドニーオリンピック開催に伴い第1日曜日(9月3日)が初日となった。
  • 俳句では相撲の季語。
名勝負
入幕2場所目で上位力士をなぎたおし優勝を争っていた「小錦旋風」を、三役陣最後の砦として琴風が止めた一番。結果、蔵前国技館最後の優勝は平幕の前頭12枚目多賀竜となった。

九州場所[編集]

  • 東西合併以降1930年に九州地方初の本場所が行われており、以降太平洋戦争が激化するまで九州場所は行われていた。1955年から2年間は準場所として施行され、1957年から本場所に昇格した[12]。昇格した年から4年連続で大関以下が優勝、「横綱が優勝できない場所」と言われたが1961年に大鵬が優勝してようやくそのジンクスが破られた。その大鵬は32回の優勝の内7回を九州場所で果たしており、大鵬にとって九州場所が最も験の良い場所となった[12]
  • 福岡スポーツセンターで開催されていた1973年までは同名の運営会社(西鉄グループ)との共催だったが、1974年から日本相撲協会単独主催の自主興行となり、同時に九電記念体育館に移った。
  • 千代の富士の1981年から1988年までの8連覇は同一場所連続優勝の最多記録。
  • 地方で行われる本場所の中でも、最も地元出身力士への声援が大きい。毎年初日の数日前に、相撲協会とNHK福岡放送局の共催で前夜祭が開かれ九州出身力士が紹介される。とりわけ魁皇博之が現役力士だった頃には福岡県直方市出身ということもあって大きな声援が飛び、相撲の観客からは珍しい「魁皇コール」が場内から起こるほどであった。これは相手力士には相当なプレッシャーであり、魁皇はこの場所だと好調ではあったが、遂に九州場所で幕内最高優勝を果たすことなく引退した。その後は福岡県柳川市出身の琴奨菊和弘が大関に昇進、魁皇人気を引き継いだ。
  • 2008年からは観客の座布団投げ(座布団の舞。主に横綱が平幕に敗れた(金星)場合に観覧席から土俵に向けて座布団が飛ばされていた)を、危険行為とみなして厳しく取り締まることになり、マス席の座布団はこれまでの1人用の正方形4枚から2人用(縦1メートル25、横50センチ)の座布団2枚に変更しさらに2枚をひもで結んでつなげた形に変わった。これにより、1人でも座布団に座っていれば座布団を投げられない仕組みになった。しかし重さが2枚計4.8キロとなって投げられた場合の危険性が増したということで、同場所以降、座布団投げが確認された場合は警察へ110番通報するという非常に厳しい措置(警察沙汰)がとられた。
  • なるほど・ザ・ワールドフジテレビ)が2005年九州場所の懸賞として提出され、同年12月28日放送の『年末の祭典スペシャル』で視聴者プレゼントした。
  • コンサートで来日した元ビートルズポール・マッカートニーが2013年九州場所を観戦した。この場所に登場したポールの懸賞が話題になった。
  • 週刊少年ジャンプ(集英社)が2014年九州場所の懸賞として掲出され、話題となった。
  • 九州場所が開催される「福岡国際センター」は、地方3本場所の中で、1万席と最も観客席の数が多く、チケットが売れ残る現象が長く続いていたが、2017年(平成29年)の場所で久しぶりに前売りが完売。
  • 集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼の連続記録が途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には相撲茶屋が無く、チケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店とプレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手の顧客、贔屓筋が無いのも要因である。時期的にも一年の締めくくりであるがゆえにこの一年の相撲人気、または優勝争いの行方が売上に直接影響する場所でもある。[13]
名勝負
一年納めの九州場所千秋楽結びの一番が、年間最多勝の決定戦となった例。それぞれ栃錦77勝、北の富士63勝で最多勝を獲得。なお、どちらも同場所の優勝に直接かかわる相撲ではなかった。
他に九州場所千秋楽まで年間最多勝を争った例として1967年の横綱柏戸がおり、横綱大鵬が同年九州場所終盤を3休したためもあるが千秋楽に前頭5枚目福の花に勝って70勝20敗、70勝6敗14休の大鵬と年6場所以降はじめての最多勝同点となった。なお柏戸は12日目にこの場所優勝の横綱佐田の山にも勝っており、この勝敗が逆であったら佐田の山(この年69勝)が大鵬と同点になっているところだった。
千代の富士の53連勝を、久しく脇役に甘んじていた大乃国が止めた一番。千代の富士はこれに勝っていれば54連勝、翌初場所で双葉山の成した69連勝への挑戦権を得られるはずだった。大乃国はこの一番のために千代の富士の相撲をビデオで研究し尽くしたという。結果的にこれが昭和最後の一番にもなった。
  • 1995年千秋楽(優勝決定戦) 横綱貴乃花 - 大関若乃花
当時一大ブームを起こしていた、元大関・貴ノ花の長男・若乃花と次男・貴乃花の花田兄弟による最初で最後の対決。同門(二子山部屋)のため本割での取り組みは組まれないため優勝決定戦ではあるが、唯一本場所の土俵での2人の対戦が実現した。取り組みは若乃花が貴乃花を下し、2度目の優勝を飾った。ちなみに貴乃花はのちに同門の貴ノ浪との2度の優勝決定戦にも敗れ、同門の優勝決定戦には勝利していない。
前日に横綱若乃花に敗れたもののこの場所の初日から11連勝と好調の琴錦と貴乃花の対戦。結果は琴錦の完勝で金星獲得。この大金星がきっかけとなり琴錦は自身2度目の平幕優勝を果たした。
白鵬の63連勝を稀勢の里が止めた一番。白鵬はこれに勝っていれば64連勝、この場所の7日目で双葉山の成した69連勝への挑戦権を得られるはずだった。前場所まで4場所連続で全勝優勝をしていた白鵬が敗れるといった大一番であるが、上述の理由で座布団は1枚も飛ばなかった。

準場所[編集]

年6場所制が定着するまえには、本場所の間の時期を利用して、本場所の開催されない土地で興行をすることがあった。そのころは、巡業も一門ごとに別の土地を回るのが普通だったので、全力士集合して行われる興行は、準場所と呼ばれ、持ち給金の加算も行われた(番付の昇降には関係しない)。1940年代には、満洲で、3箇所5日間ずつ開催で15日興行としたこともあった。

脚注[編集]

  1. ^ 大阪場所 観戦案内”. 日本相撲協会. 2018年7月25日閲覧。
  2. ^ 名古屋場所 観戦案内”. 日本相撲協会. 2018年7月25日閲覧。
  3. ^ 例として、“優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽”. 日本経済新聞. (2018年7月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00296_S8A720C1000000/ 2018年7月25日閲覧。 “優勝の御嶽海が2敗目 名古屋場所千秋楽”. 時事通信. (2018年7月22日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2018072200270&g=spo 2018年7月25日閲覧。 
  4. ^ 例として、“初優勝の御嶽海、豊山に敗れ2敗…豪栄道10勝”. 読売新聞. (2018年7月22日). https://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/20180722-OYT1T50067.html 2018年7月25日閲覧。 。なお、読売新聞は紙面ではウェブサイトと異なり両名称を併記する場合がある。
  5. ^ 例として、“【大相撲名古屋場所】優勝の御嶽海は13勝2敗 来場所、大関へ挑戦”. 産経新聞. (2018年7月22日). https://www.sankei.com/sports/news/180722/spo1807220020-n1.html 2018年7月25日閲覧。 
  6. ^ 本場所の年間日程表”. 財団法人日本相撲協会. 2017年3月3日閲覧。
  7. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p40
  8. ^ 「荒れる大阪場所」のルーツ 大相撲コラム集(大相撲あんなこと・こんなこと) - goo 大相撲
  9. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p41
  10. ^ 例外として、2002年〜2004年、2013年、2019年(予定)は第1日曜日から始まっている。また、2020年は東京オリンピックに配慮して第1日曜日から始まる予定である。
  11. ^ a b 1場所限りのナイター興行 大相撲コラム集(大相撲あんなこと・こんなこと) - goo 大相撲
  12. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p39
  13. ^ 不入りが続く九州場所。その打開策はあるのか?~販売力改善と、土俵内の充実を~-2015年1月14日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 1958年(昭和33年)に制定された内規によると、大相撲の本場所の名称は、それぞれの場所が開催される月の名で表したものを正式名称としている。これに元号による開催年を冠して、例えば「昭和五十六年一月場所」「平成二十年七月場所」などのようにする(数字も正式には漢字表記)。実際に、協会が発行する番付や・取組表・星取表などはすべてこの「〜月場所」という表記方で書かれている。 新聞テレビなどの媒体では、近年民放を中心に内規通りの名称を用いているところがあるが、「春場所」「夏場所」など四季名や、「名古屋場所」「九州場所」など開催地名での通称が広く用いられており、NHKの大相撲中継では、「大相撲夏場所三日目」「大相撲九州場所千秋楽」などとタイトルテロップが用いられている。