大相撲出身のプロレスラー一覧

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大相撲出身のプロレスラー一覧は、プロレスラーとしてデビューする以前、バックボーンとして大相撲を経験した者の一覧である。プロレスラーは、アマチュアレスリングアメリカンフットボール等々、様々な競技をバックボーンとしているが、日本人レスラーにおいては、日本のプロレスの開祖力道山をはじめとして国技である大相撲出身者が多いほか、外国人力士からプロレスラーとなった人物も複数存在する。

大相撲出身のプロレスラー一覧[編集]

括弧内には当時の番付と四股名も記載する。 力士を辞めてレスラーになるまでと、レスラーとしての簡単な紹介文を添える。詳細は個人名を参照。

日本人初のプロレスラー。
怪力を活かした押し相撲を得意とし、1949年に関脇となるも1950年に25歳の若さで力士を廃業。その後プロレス入りし、空手チョップで一世を風靡。外国人レスラーを次々となぎ倒す姿が、戦後の荒廃した日本国民に希望の光を当てた事は周知の事実である。今日では日本プロレス界の父とも呼ばれる。
初めての元横綱のプロレスラー。
  • 豊登(元前頭15枚目 豊登道春)
小柄ながらも筋肉質であり、豪快な取り組みを得意としたが23歳で廃業しプロレス界へ。力道山の死後、ポスト力道山として活躍しジャイアント馬場の台頭後に東京プロレスを設立。ギャンブル好きや数多くの武勇伝で有名であり、アントニオ猪木グレート小鹿山本小鉄の名付け親である。
史上初の本名、そして学士の横綱であり、元相撲協会理事長の北の湖と共に一時代を築いた。引退・年寄花籠襲名後に金銭問題で協会退職を余儀なくされ1986年に鳴り物入りで全日本プロレスに入団。マッチメイク等々で他のレスラー以上に優遇されるも、レスラーとしての評価は高くなく、1988年に引退。その後はタレントとしてもお茶の間を賑わせた。
中学卒業後すぐに角界入りして前頭筆頭まで登り詰めるも押尾川事件に巻き込まれ、二所ノ関部屋に連れ戻されて以降新師匠の金剛との確執を抱き、これが原因となって廃業。直後に全日本プロレスへ入門。ちなみに、断髪式土俵でなくリング上で行った稀なレスラーである。デビュー後は、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田に次ぐ存在として期待され、数多くのタイトル、数多くの強敵を退け、還暦を過ぎても第一線で戦い続けたミスタープロレスである。2015年引退。2大巨頭の馬場・猪木からフォールを奪った唯一の日本人レスラーである。
若い頃の糖尿病が原因で力士を廃業、その後全日本プロレスに入門。1988年と1998年に2度引退し、現在は清掃会社を設立。
力士時代から問題児であり、1990年のレスラーデビュー後も変わる事は無く、プロレス界のトップに立てる素質を兼ね備えていた[要出典]が、その性格・問題行動等々からファンだけで無くレスラー仲間からも嫌われる存在となった。その後は総合格闘家・指導者となり、性格や行動面では謙虚な態度を見せるなど大きく改善された。1998年に引退。現在は立浪部屋のアドバイザーとして、再び大相撲に関わっている。
1993年に新日本プロレスに入門、当時の社長坂口征二の意向で、上記の北尾や輪島の様な優遇はされず、長い間中堅として甘んじるも、アントニオ猪木に見出され総合格闘技にも参戦。IWGP王座を獲得する等活躍したが、根っからのギャンブル好きと素行不良により、試合数減少や解雇等没落。2007年には練炭による自殺未遂を起こし、結局2011年2月4日に引退。
  • 力皇猛(元西前頭4枚目 力櫻猛)
中学卒業後に隆の里内弟子の形で二子山部屋に入門してから鳴戸部屋発足で移籍するも本人は二子山部屋への残留を望んでいたとされ、ことごとく鳴戸の管理主義に反発した揚句自身の交際相手の女性を巡っての話で師匠と女将の両者と対立したことが決め手となって脱走するような経緯を経て24歳にして引退に至った。引退後は全日本プロレスを経てプロレスリング・ノア旗揚げに参加し、以降引退までノアを主戦場としていた。プロレス引退後は修業を経てラーメン屋を開業した。

大相撲出身の外国人レスラー[編集]

大相撲出身の格闘家[編集]

  • 戦闘竜(元前頭13枚目 戦闘竜扁利)
  • 玉海力剛(元前頭8枚目 玉海力剛 元パンクラス)
  • 小椋誠志(元前頭10枚目 大飛翔誠志)
  • 太子郎(元十両13枚目 日出ノ国太子郎)
  • 島虎(元幕下16枚目 島虎富茂)
  • 星風(元東十両3枚目 星風芳宏)
  • 把瑠都(元大関 把瑠都凱斗)


大相撲では無いものの、何かしらの相撲を経験したレスラー・格闘家[編集]