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現役中に死亡した力士一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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現役中に死亡した力士一覧(げんえきちゅうにしぼうしたりきしいちらん)は、現役中に死亡した大相撲の力士の一覧である。

一覧

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凡例

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  • デフォルトでは時代順に配列。没年月日のソートボタンで元の順序に戻る。
  • 力士名・部屋名は50音順ソート、番付は位の高い順にソート。
  • アスタリスク付きの没年齢は数え年
  • 番付は最高位。
力士
部屋
番付
没年月日
没年齢
死因
詳細・備考・補足
仁王大関1644年相撲の取組中に相手の明石志賀之助に頭上から胸を蹴り込まれたときに死亡したと伝わるが、実在不明の伝説的な力士。
丸山横綱1749年12月23日37歳*病死赤痢であったと言われる。
白川伊勢ノ海部屋大関1769年11月23日破傷風[1]
戸田川玉垣部屋前頭1773年5月30日病死大坂で死去[1]
釋迦嶽雷電爲五郎大関1775年2月14日27歳*
繪島潟大関1781年8月17日
御所車伊勢ノ海部屋関脇1783年
大比叡宮城野部屋前頭1787年
鬼面山笘ヶ島部屋小結1790年7月19日29歳*
鷲ヶ峰大関1791年12月22日
柏戸伊勢ノ海部屋小結1792年9月14日33歳*病死大坂・堺から住吉へ向かう街道中で死去。
嚴嶋雷部屋前頭1794年5月19日39歳*
谷風伊勢ノ海部屋横綱1795年2月27日44歳流感弟(異母弟)は同部屋の前頭筆頭・達ヶ関森右エ門
大空八ツヶ峰部屋前頭1800年3月28日39歳*
花頂山出羽ノ海部屋大関1802年8月13日35歳*病死
荒岩玉垣部屋小結1807年5月26日31歳*
四ツ車柏戸部屋前頭1809年4月3日38歳*
関ノ戸部屋前頭1811年9月4日 
大木戸伊勢ノ海部屋大関1811年12月11日 
江戸ヶ崎桐山部屋前頭1812年7月10日31歳
東関部屋大関1812年19歳*病死
大岬大関1814年8月3日
舞靏佐渡ヶ嶽部屋前頭1816年8月5日
大鳴戸前頭1817年8月19日
鳴滝佐渡ヶ嶽部屋関脇1818年2月13日37歳*病死
戸田川錣山部屋小結1819年4月10日28歳*番付・勝負付等の記録における戸田川鷲之助→戸田川吉五郎と、後の戸田川秀五郎→錣山秀五郎は、同一人物かどうか定かではない。
八十嶋追手風部屋前頭1819年10月4日60歳*
山の井佐渡ヶ嶽部屋関脇1822年6月2日28歳*
玉垣玉垣部屋大関1824年8月5日40歳
千田川玉垣部屋大関1828年1月8日36歳*
鳥井崎柏戸部屋前頭1830年
伊勢ノ海部屋前頭1834年6月3日38歳*
緋縅玉垣部屋大関1836年8月15日38歳*
錦木二所ノ関部屋小結1842年7月11日
杣ヶ花雷部屋前頭1849年8月26日32歳*病死庄野宿(現・四日市市)で巡業中に死去[1]
嚴嶋雷部屋前頭1854年4月13日自殺[1]入水自殺
荒馬宮城野部屋関脇1854年5月18日46歳*
君ヶ嶽境川部屋前頭1854年8月30日41歳*
黒崎二十山部屋前頭1855年9月29日31歳*大坂巡業中に死去。
黒岩雷部屋前頭1857年5月2日44歳*
寶川雷部屋前頭1858年7月18日43歳*病死江戸市中に流行したコレラに罹り死去[1]
武藏野武蔵川部屋前頭1859年7月36歳*不明大坂巡業中に急逝。某大名の息子が土俵上で放尿したのを咎めて殴り付け、即日手打ちにされたと伝わる[1]
真鶴秀ノ山部屋前頭1859年自殺[1]
一力木瀬部屋前頭1859年8月25日44歳病死(殺害とも)奥州一ノ関で巡業中に急逝
伊吹嶋雷部屋小結1860年5月9日
錦木二所ノ関部屋前頭1861年11月26日39歳
待乳山待乳山部屋前頭1862年4月12日
小柳阿武松部屋前頭1862年4月16日33歳*殺害弟弟子の不動山岩吉殿り峰五郎により睡眠中に斬殺される[1]
熊川小野川部屋前頭1863年6月4日殺害壬生浪士組(後の新選組)と乱闘の末死亡[2]
外ヶ濱伊勢ノ海部屋前頭1863年7月25日45歳*
千羽ヶ嶽玉垣部屋前頭1868年4月23日29歳*
白真弓浦風部屋前頭1868年11月9日40歳*
桑ノ弓伊勢ノ海部屋前頭1869年1月3日水死熊本藩細川氏の抱えで、戊辰戦争に熊本藩の出兵に参加中、千葉県沖で船が座礁し死去[1]
常盤山常盤山部屋関脇1869年8月27日44歳*
最上山若松部屋前頭1874年7月22日34歳*病死療養先の愛知県一宮で死去[1]
盤石木瀬部屋前頭1875年10月15日42歳*脳卒中京都で行われた三都合併相撲興行中に死去[1]
小ノヶ崎境川部屋前頭1877年4月24日36歳病死
藤田川湊川部屋前頭1880年10月21日35歳病死巡業先で死去[1]
荒虎伊勢ノ海部屋小結1882年9月19日38歳肺炎盛岡巡業中に死去[1]
荒角桐山部屋前頭1882年9月21日病死新潟巡業中に死去[1]
男山花籠部屋番付外1886年9月24日21歳病死206cmの長身力士であったが、初土俵前に事故で重傷を負い、下半身不随の状態となった後に病死[3]
友綱梅ヶ谷部屋前頭1887年6月21日32歳
綾瀬川雷部屋前頭1887年8月29日36~38歳急死[1]
相生玉ノ井部屋前頭1888年3月16日27歳熱病東京・赤十字病院で死去[1]
緋縅玉垣部屋前頭1888年9月9日31歳病死長野県湯田中温泉で死去[1]
稲野花田子ノ浦部屋前頭1889年9月15日32歳
楯甲粂川部屋前頭1891年10月28日29歳事故死巡業先の大垣濃尾地震に遭遇、倒壊寸前の家屋から弟弟子の若島権四郎を逃がした直後、その家屋が倒壊して圧死。
泉滝雷部屋前頭1891年11月9日37歳コレラ大阪巡業中に死去[1]
音羽山雷部屋前頭1894年1月8日36歳場所中(3日目)に死去、4日目の取組は休場扱い。
黒岩高砂部屋前頭1899年9月27日28歳心臓病[1]
玉ノ井伊勢ノ海部屋前頭1900年10月28日40歳脳充血巡業先の愛知県愛知郡熱田で死去[1]
緑川高砂部屋前頭1906年6月1日27歳脳充血[1]
駒ヶ嶽井筒部屋大関1914年4月11日33歳[4]脳出血腸穿孔大酒を飲んだ後に日差しの下で眠ったため、酒が胃の中で発酵、毒素が全身に回った。
加勝山友綱部屋前頭1914年9月20日24歳心臓脚気新潟県三条町の興行場で死去[1]
恵比寿洋出羽海部屋十両1915年8月10日32歳水死
大ノ川君ヶ浜部屋小結1917年1月20日36歳事故死場所中4日目、朝稽古で腹を強打し腸を痛め5日後死去[1]
真砂石尾車部屋小結1918年4月6日26歳大腸破裂台湾巡業中に死去[1]スペインかぜとの関連説もある。
花ノ山片男波部屋十両1924年1月1日29歳
槍ヶ嶽出羽海部屋前頭1926年5月30日29歳
福柳出羽海部屋関脇1926年12月11日33歳フグ中毒死差し入れのフグを食べた後に乗った船内で昏睡状態になり、中毒死。
鬼風出羽海部屋前頭1927年5月24日27歳
桂川三保ヶ関部屋前頭1928年5月16日33歳腸チフス場所中(6日目)に死去。番付は同年10月場所まで残された。
沖ツ海若藤部屋関脇1933年9月30日23歳フグ中毒死
玉錦二所ノ関部屋横綱1938年12月4日34歳腹膜炎虫垂炎を悪化させた。
橋詰出羽海部屋[5]三段目1942年4月28日23歳戦死殉職した行司の木村良雄と合同で協会葬が営まれた。
三舩浪井筒部屋十両1943年9月23日29歳
枩浦潟立田山部屋小結1945年3月10日29歳認定死東京大空襲で行方不明(死亡認定
豊島出羽海部屋関脇1945年3月10日25歳焼死東京大空襲で死去。
朝明高砂部屋十両1946年8月25日32歳心不全木曽川を遊泳中に心臓麻痺
鹿嶌洋春日野部屋前頭1947年5月5日32歳腹膜炎広島巡業中に腹膜炎を患って死去。
佐渡ノ花佐渡ヶ嶽部屋三段目1963年11月12日18歳フグ中毒死佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件を参照。場所中(3日目)に死去、4日目は死去による不戦敗。
斎藤山佐渡ヶ嶽部屋序二段1963年11月14日18歳フグ中毒死佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件を参照。場所休場中(5日目)に死去。
鳴瀬川宮城野部屋序二段1971年10月7日21歳急性心不全
玉の海片男波部屋横綱1971年10月11日27歳急性冠症候群虫垂炎の手術後に併発した右肺動脈幹血栓症肺血栓により死去。
中ノ村伊勢ノ海部屋序二段1974年8月28日17歳急性心不全
蒼竜時津風部屋幕下1985年10月12日26歳白血病
本松間垣部屋幕下1986年9月7日24歳腎不全悪性骨腫瘍による。
若鬼竜時津風部屋三段目1987年4月3日26歳心不全(虚血性心不全・鬱血性心筋症
塩沢伊勢ノ海部屋幕下1987年6月19日22歳肺癌
市川九重部屋序二段1988年10月25日[6]16歳自殺当時部屋付き年寄であった君ヶ濱の財布を預かっていたところ紛失してしまったことを苦にした。
榎田
[注釈 1]
高砂部屋序二段1989年10月20日18歳急性白血病クモ膜下出血
龍興山出羽海部屋前頭1990年2月2日22歳虚血性心不全
近村九重部屋序二段1990年7月23日19歳心不全(急性心不全)1990年7月場所千秋楽の翌日に死去。
大威力朝日山部屋序二段1992年2月10日18歳水死朝稽古後の入浴中に意識を失い溺死。
琴干場佐渡ヶ嶽部屋三段目[注釈 2]1992年3月1日24歳心不全(急性心不全・肥大型心筋症
魁士放駒部屋序ノ口1992年7月14日15歳心不全心筋梗塞場所中(10日目)に死去、10日目は取組なし。
若藤光宮城野部屋三段目1996年10月21日25歳心不全
剣晃高田川部屋小結1998年3月10日30歳肺出血汎血球減少症による。場所休場中(3日目)に死去。
前田北の湖部屋序ノ口2003年7月17日15歳心臓病心臓肥大による拡張性心筋症
吉村田子ノ浦部屋三段目2004年8月7日17歳多臓器不全髄膜炎による[7]
中渕貴乃花部屋幕下2004年10月16日32歳心不全(虚血性心不全)[8][9]
時太山時津風部屋序ノ口[注釈 3]2007年6月26日17歳ショック多発外傷による外傷性ショック死詳細は時津風部屋力士暴行死事件を参照。
若三梅間垣部屋幕下2008年12月15日25歳急性骨髄性白血病
勝武士高田川部屋三段目2020年5月13日28歳多臓器不全同年世界的に流行した新型コロナウイルスによる肺炎のため死去。日本国内における同感染症による20歳代初の死者[10]
響龍境川部屋三段目2021年4月28日28歳急性呼吸不全同年3月場所の13日目の一番で、相手力士の掬い投げを受け土俵に頭部から落下し強打した[11]。入院し治療を行っていたが、1ヶ月後に死去[12]。寝たきり状態が続き、肺血栓を患っていたという。
若戸桜式秀部屋序二段2025年4月14日33歳外陰部壊死性筋膜炎[13]3月場所後に体調不良を訴えて入院し、緊急手術を受けたが、容態が急変して死去した[14]

本場所途中の力士の死亡について

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力士が現役中に死亡したケースの大半は本場所期間外での死亡である。本場所途中に死亡した力士は、戦前では桂川大ノ川、戦後では剣晃・前田などの例があるが、それでも大抵は病気の悪化などの原因で死亡直前の時点では休場している。休場していない出場期間中に死亡した例は、明治時代の音羽山市平(1894年1月場所、十両、4日目(死亡翌日)までの0勝2敗の成績が残されており、4日目は取組が組まれたが休場扱い)、平成時代の魁士(1992年7月場所、序ノ口、9日目(死亡前日)までの2勝3敗の成績が残されている)など僅かな例が見られるのみである。昭和戦後の佐渡ノ花(1963年11月場所、三段目、4日目(死亡翌日)までの0勝2敗の成績が残されている)は休場届が提出されていたかどうかは不明だが、2番相撲が死後の4日目に組まれていたため、大相撲史上唯一の死亡による不戦敗(対戦相手が不戦勝)を記録した。なお響龍は本場所の取組中の事故が原因で死亡したが、実際に死亡したのは当該取組(2021年3月場所13日目)から1ヶ月後の本場所の開催されていない時期であった。

参考:現役中に死亡した行司・呼出・床山

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行司

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行司名 部屋 最高位 没年月日 没年齢 死因 備考
10代木村庄之助立行司1839年2月4日 9代庄之助と同一人物
5代式守伊之助立行司1850年3月1日 
5代木村多司馬8人目1868年5月 
6代式守伊之助立行司1880年9月2日66歳 
7代式守伊之助立行司1883年8月15日 
14代木村庄之助立行司1884年8月14日58歳 
15代木村庄之助立行司1897年9月22日57歳 
8代式守伊之助立行司1897年12月18日54歳 
木村瀬平立行司1905年2月5日68歳心臓麻痺
9代式守伊之助立行司1910年6月28日56歳 
16代木村庄之助立行司1912年1月6日62歳肺炎
11代式守伊之助立行司1914年3月15日54歳 
18代木村庄之助高砂部屋立行司1925年6月11日55歳脳溢血
14代式守伊之助立行司1925年12月26日55歳 式守伊之助としては1場所も務められなかった
2代木村銀治郎峰崎部屋十両格1930年5月 
19代木村庄之助出羽海部屋立行司1932年5月30日63歳 
5代式守錦太夫幕内格1938年5月 
20代木村庄之助立行司1940年3月9日63歳胃癌
木村良雄出羽海部屋十両格1942年11月31歳事故死皇軍慰問の先発の為に乗っていた船が中国上海市近くで被雷し、沈没
8代木村清之助立浪部屋立行司1942年12月1日68歳 もと大阪相撲、大相撲の東西合併で東京に加入、東京では三役格
6代式守錦太夫十両格1945年3月17日戦死硫黄島の戦いで玉砕
木村友治郎幕内格1946年11月30日49歳 
木村公乃助中村部屋幕内格1961年10月9日50歳 
10代式守与太夫立浪部屋三役格1983年5月25日57歳胃癌
木村筆之助伊勢ノ海部屋幕内格1984年4月26日60歳糖尿病1980年9月場所より休場、1984年1月場所より番付行司欄最下位に別格扱いで掲載
2代式守伊三郎時津風部屋三役格1987年10月15日62歳脳梗塞
15代木村玉光放駒部屋幕内格1988年9月15日60歳肝臓癌
木村圭吾二子山部屋幕下格1995年1月7日23歳脳挫傷門限に遅れて締め出されたため、部屋の2階から入ろうとして転落した[15]
木村誠司郎九重部屋幕下格2003年12月26日33歳胃癌
4代木村正直朝日山部屋三役格2013年1月29日59歳肝細胞癌

呼出

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呼出名 部屋 最高位 没年月日 没年齢 死因 備考
初太郎双葉山道場(番付制以前)1940年10月2日 呼び上げを務め、「三羽烏」と呼ばれた3人の呼出の内の1人(残りの2人は宗吉と清吉)
関造時津風部屋(番付制以前) 土俵作りを務めた戦前の呼出
卯之助出羽海部屋(番付制以前)1960年4月30日74歳 呼び上げを務めた
源司(番付制以前)1960年69歳 
栄吉時津風部屋(番付制以前)1965年12月29日51歳 呼び上げを務めた
真吉間垣部屋(番付制以前)1984年18歳 入門直後に死去
出羽海部屋十両呼出1995年5月11日54歳溺死病気を苦にした自殺とみられる
幸太郎伊勢ヶ濱部屋幕内呼出1996年1月12日63歳膀胱腫瘍
政弘二所ノ関部屋三役呼出1999年12月29日63歳心不全
扇太郎田子ノ浦部屋序二段呼出2008年6月19日25歳 

床山

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床山名 部屋 最高位 没年月日 没年齢 死因 備考
床泰浦風部屋 戦前の頃の床山、入門から5年半ほどで死去
床熙伊勢ヶ濱部屋一等床山1989年3月3日57歳 
床泉東関部屋三等床山2016年6月3日35歳 
床朝山響部屋特等床山2025年5月29日62歳心嚢血腫

脚注

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注釈

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  1. 1989年11月場所より「巨象」の四股名で土俵に上がる予定で改名届も出しており、同四股名も番付に掲載されたが、同四股名で土俵に上がることはなかった。
  2. 新三段目で迎える筈だった1992年3月場所の7日前に死去した為、三段目に四股名は掲載されたが、土俵に上がることはなかった。
  3. 新序ノ口で迎える筈だった2007年7月場所の12日前に死去した為、序ノ口に四股名は掲載されたが、土俵に上がることはなかった。

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 古今大相撲事典(ISBN 978-4336018786
  2. -力士と喧嘩騒動-
  3. 武州の力士(中 英夫著(1976)出版社:埼玉新聞社)
  4. 荒井太郎『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』(2008年5月大空出版)27頁
  5. 「近世日本相撲史」第2巻20頁
  6. 相撲」1988年12月号133頁
  7. “大相撲の三段目力士が死去 将来を期待された17歳”. 47NEWS/共同通信. (2004年8月8日) 2010年8月7日閲覧。
  8. “大相撲の序二段力士が死去 イベント参加中に倒れる”. 47NEWS/共同通信. (2004年10月16日) 2010年8月7日閲覧。
  9. 相撲ニュース(2004年10月6日-11月29日分)
  10. 高田川部屋の勝武士がコロナ感染死 28歳」『日刊スポーツ』2020年5月13日。2020年5月13日閲覧。
  11. 響龍が俵に激しく頭部ぶつける 動けず救急搬送」『日刊スポーツ』2021年3月26日。2021年4月29日閲覧。
  12. 響龍さん死去 28歳 春場所取組で倒れ入院、寝たきり続き急性呼吸不全で」『日刊スポーツ』2021年4月29日。2021年4月29日閲覧。
  13. 式秀部屋の若戸桜こと澤田剛さんが急死 33歳 外陰部壊死性筋膜炎のため14日に茨城県内の病院で 日本相撲協会が発表」『デイリースポーツ』2025年4月15日。2025年4月15日閲覧。
  14. “序二段力士・若戸桜の澤田剛さん死去、33歳 春場所皆勤した後、体調不良を訴えて入院していた”. 日刊スポーツ. (2025年4月15日)
  15. 相撲』1995年2月号123頁。

関連項目

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