年寄

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年寄(としより)とは、公益財団法人日本相撲協会(以下「協会」)の構成役員である。通常は「親方」の敬称で呼ばれることが多い。

現役を引退した力士が協会に残るためには、原則として年寄になる必要がある(若者頭世話人など例外もある。なお、相撲部屋と個々に契約しているコーチマネージャーは協会員ではない)。停年(定年)は65歳だが、希望者は70歳まで再雇用できる。

由来[編集]

江戸時代初期には各地で相撲興行集団が形成された。当初は浪人の集団や力士自身が勧進元となって興行が催されていたが、他の草相撲集団との諍いや暴力沙汰が絶えず、慶安寛文年間には幕府によって相撲禁止令が出された。しかし相撲人気は衰えるどころかますます盛んになり、業を煮やした幕府は、江戸における相撲興行を寺社奉行の管轄下におくこととし、そのために相撲集団の責任の所在を強く求めた。

その結果、貞享元年(1684年)に雷権太夫をはじめとする株仲間(相撲牢人と称した力士経験者の一団)が相撲興行の秩序を維持することを前提に、幕府は深川八幡宮(現在の富岡八幡宮)境内での勧進相撲を許可することとなった。これが現在に続く大相撲の発祥である。

そのため、角力会所(当時の名称)は、その後の運営を自発的に行うために、力士経験者を年寄というかたちにして、株仲間の制度を適用して、ギルド的結合を維持することとなった。年寄襲名の条件は時代によって異なるが、この制度のために、現在まで、相撲協会は現役経験者によって運営される、職能団体としての性格をも持つようになっている。

江戸時代の年寄は役員として筆頭、筆脇、中改に分かれ、さらに興行権を持つ歩持(ぶもち)と平年寄に分かれていた。歩持は会所に加入金を納め、興行を開催する権利を有していた。平年寄は加入金を納める必要はなかったが、出世の道は閉ざされていた。

興行は2人の歩持が受け持った。興行に伴う収益の分配金は莫大な金額になり、勧進元の遊びっぷりは江戸の豪商顔負けであったという。そして役員の権力が増大していき、シャモ帳と呼ばれる会所の大福帳を閲覧できるのは幹部のみ。そのため会計はドンブリ勘定になり、数えるのが面倒だという理由で収益はで計って配分されていた。

このような幹部の横暴に対して明治時代になると会所内部から不満が爆発し、機構改革が図られる。会所の権力を握っていた筆頭、筆脇の制度が廃止され、明治19年には角力会所が角力協会と名称変更される。筆頭は取締、筆脇は副取締、中改は勝負検査役と改称。差別的な平年寄の待遇も改善され、全ての年寄が歩持になった。役員も全年寄の選挙によって選ばれるようになった。

ただし、不況時の歩持は興行の赤字を身銭を切って負担しなければならない厳しい一面もあった(逆割りという)。

昭和32年に歩方と呼ばれる月給制度が取り入れられ、年寄の生活がやっと安定するようになった。

昭和36年1月1日より、年寄の65歳定年制が導入された。それまでは年寄名跡は終身有効であったが、後述の通り力士の平均寿命はもともと一般人よりも短く、年寄の多くは若くして亡くなっていたため、かつての大相撲においては年寄の定年制がなくても特に問題はなかった。事実、日本人の平均寿命が80歳代と長くなった現在においても、65歳の定年を迎える前に亡くなる年寄は決して少なくない[1]

平成26年11月16日より、定年を迎えて退職した年寄の再雇用制度が導入された。希望者は再雇用が認められれば最長で5年間年寄名跡を保有したまま参与の立場で協会に残ることができるが、給与は現行の7割になる。また、部屋持ち親方や、協会の理事・副理事になることもできない。導入8日後の11月24日に65歳となった16代楯山が最初の適用者となった(同年12月6日付で適用)。

襲名の条件[編集]

過去の襲名資格[編集]

明確に制度化される以前

1900年代初頭までは関取未経験者が年寄を襲名するケースも少数ながら存在した。これらが認められなくなった時代に入っても「師匠の実子または養子に限って関取1場所経験」という実子・養子力士に関する例外規定が運用され続けたが、この「実子・養子規定」については慣習的な拘束力に依存しているため、施行・廃止の時期に関して不明瞭な点がある。現在でも有効であるという説も存在している。

明確に制度化されて以降
  • 1929年(昭和4年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)出場176日(本場所11日、年4場所)
  • 1936年(昭和11年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)出場110日(本場所11日、年2場所)
  • 1939年(昭和14年)5月 幕内1場所以上又は十両(以上)8場所全勤(本場所15日、年2場所)
  • 1950年(昭和25年)10月 幕内1場所以上又は十両(以上)8場所連続全勤(本場所15日、年3場所)
  • 1957年(昭和32年)12月 幕内1場所全勤以上、十両(以上)連続20場所在位、十両(以上)通算25場所在位のいずれか(本場所15日、年6場所)
  • 1998年(平成10年)5月 三役在位1場所以上、幕内在位通算20場所以上、十両(以上)在位通算30場所以上のいずれか
    • 横綱は引退後5年間年寄優遇に加え、大関は引退後3年間年寄優遇、関脇以下は引退後2年間準年寄(2002年9月に1年間へ変更、2006年12月に準年寄廃止)を追加。
    • 2013年(平成25年)11月より、この規則の例外として年寄名跡の前保有者や師匠、保証人(現役年寄)の願書があれば十両(以上)在位通算28場所以上で襲名が可能となった。
  • かつては横綱は成績にかかわらずすべて一代年寄の権利があったが、昭和34年に廃止された(優勝1回の吉葉山潤之輔もこの権利を行使している)。

複数所有の禁止[編集]

年寄名跡は一人で複数所有することはできない。ただし一代年寄に限っては、一代年寄名跡とそれ以外の年寄名跡を一つ所有することができる(通常の年寄名跡が年寄株譲渡できるのに対し、一代年寄名跡は譲渡できないため)。

売買、借り株の禁止[編集]

日本相撲協会が公益法人に移行したことに伴い、年寄名跡は日本相撲協会が管理することとなった。また、年寄名跡の襲名及び年寄名跡を襲名する者の推薦に関して金銭等の授受が禁止された。ただし、協会に申告することを条件に前親方に指導料を支払うことができるとしている。[2]借り株は禁止されており、移行時点で借り株の年寄は移行日から3年間に限って現状維持が認められている。

襲名手続[編集]

2014年1月30日を以て日本相撲協会が公益法人に正式移行する以前は力士の引退に際して理事会が開かれ直接年寄襲名の承認を得ていたが、それ以降は新設された年寄資格審査委員会で過半数の承認を経て、理事会で最終承認を得るという形式をとるようになった。この手続き形式で年寄襲名を果たした初の例が琴欧洲(大関3年)である。[3]

年寄名跡[編集]

年寄名跡とは年寄株とも呼ばれ、年寄の数は当初は15名前後だったようだが、相撲興行が軌道に乗るにつれて名跡が増え始め、天明から寛政年間にかけては36名に増え、天保から弘化年間にかけて54名に増えた。明治38年には88名、昭和2年に東京と大阪の相撲協会が合併した時に大阪の頭取17名を加えて105名に増員された。

年寄襲名条件は基本的に一定の実績・最高位が必要な傾向にあるが、昭和の中頃までは養子縁組や職務能力等の要素を有していれば実績・最高位が他の力士より劣っていても年寄襲名の際に有利に立てる傾向にあった。例として、1961年1月1日付で年寄65歳停年制が施行されて以降昭和の内に停年を迎えた年寄43人の内25人が三役以上未経験者であり、その内最高位・平幕2ケタ台が6人、最高位・十両が4人であった。ところがそれ以降は現役時代の実績・最高位を重視する傾向が顕在化した。平成に入って初めて年寄として停年退職した大田山(元前頭20枚目、停年時点で年寄・錦戸)から停年制導入以降104番目に年寄として停年退職(退職後に再雇用された者を含む)となる玉ノ富士にいたる61人の中で最高位が平幕以下の年寄は21人であり、停年退職を迎えた年寄の比率として三役以上の経験者が増えた。そればかりか、大潮から魁輝に至るまで停年退職者(予定者含む)が16人連続で三役以上経験者となる可能性もあり、これが年寄襲名に現役時代の最高位・実績が強く反映されるようになった証拠と言える。[4]

年寄名跡所有者は常に日本相撲協会から安定した収入を得ることができ、刑事事件を起こすなどのよほどのことがない限り「失業」の心配もない。選手寿命が短い(30歳代で引退)相撲界においては、年金的な要素も持っている。年寄名跡が交換売買可能なのものであるとしているため、非常に高値(数千万〜億単位)で取引されている。年寄名跡の取得に当たっては、現にその年寄名跡を所有している者の意向が強く働くため、現役引退後に協会に残りたいと思っても、資金不足や交渉不成立のため名跡を取得できずに去っていった者も多数いた。

かつては、年寄名跡保持者(親方)は停年(定年)を迎えるまでに早々と廃業(退職)して後進に道を譲ったり[5]、若年から大食・鯨飲・喫煙という生活習慣を続けることや頭部を激しくぶつける競技の性格もあって若くして亡くなることが多く、名跡が売買可能であっても売買価格が超が付くほど高額になるようなことはなく特に問題とはならなかった(たとえば、昭和元年から昭和30年までの昭和時代前半に誕生した横綱13人のうち、定年退職したのは鏡里喜代治ただ一人である)。

しかし、近年は健康意識の高まりや世間における労働観念の変化もあり、定年まで協会に残る者が非常に多くなった。また年寄の待遇も改善され、そのためなかなか名跡に空きが出ず、どうしても欲しいと思う者が高値で買い取るようになり相場が高騰する、という事態に陥ってしまった。

年寄名跡は一門内でやり取りするのが常識的な方法であり、一門外へ株を売却することは理事選での票数の減少を意味するため好ましくなく、一門制度を軽んじる行為として取得する側も批判される。過去には阿武松押尾川から、光法賢一宮城野から、両者とも門外の株を襲名したという理由で、前者は押尾川部屋から、後者は立浪一門から破門された。一方で、武蔵川部屋(現在の藤島部屋)は門外の株を多く、しかも円満に取得した例外であり、武蔵川部屋出身の3大関は全て一門外からの取得である。雅山と武双山は初代貴ノ花と貴乃花光司から取得しており、取得する前はそれぞれ二所ノ関一門、貴乃花グループ所属の名跡であった(ただし武双山が取得した藤島はもともと出羽海一門の名跡)。出島は伊勢ヶ濱一門(その後立浪一門、春日山・伊勢ヶ濱連合を経て再び伊勢ヶ濱一門の呼称に戻っている)所属の名跡であった大鳴戸を襲名している。他にも、垣添が借株の押尾川を経て雷(それぞれ二所ノ関一門、伊勢ヶ濱一門)を取得する、武蔵丸が武蔵川を襲名する前に元横綱としては他に例が無い門外からの借り替え(高砂一門から振分、立浪・伊勢ヶ濱連合から大島)を経験している。

『相撲』2013年11月号88頁から89ページの記述は、1961年1月1日より施行された年寄の65歳停年退職制度の影響で後継者探しに苦労する親方衆が増えた結果として一門外まで奔走して後継者を求めるようになり、このことから停年制が名跡が所属していた一門外へ流出する原因となったと解釈すべきであるという内容の主張をしており、近年になって一門制度の実質が弱まっている点との関連が指摘される。

年寄名跡の売買には億単位の金が動くといわれ、ブームのピークであった1990年代前半は、3億円程度まで暴騰したとも言われている。実際に、第11代花籠親方の遺族が第13代花籠親方(元関脇太寿山)に対して起こした訴訟では、第三者に渡った年寄名跡の権利を原告が取り戻すのに2億5000万円支払ったことが事実認定されている(東京地裁平成10年9月21日判決)。また、立浪親方(元旭豊)が年寄名跡の承継について先代立浪親方から金銭の支払いを求められた訴訟では、東京地裁平成15年2月24日判決において、「相撲界の慣習に従って相当額の金員を支払うとの口頭による合意が成立した」と認定され、その金額として、現立浪親方の兄弟弟子が先代立浪親方から別の年寄名跡を受ける際に1億7500万円支払った事実(先代立浪親方は当該年寄名跡を2億4000万円で取得したことも事実認定された)が引き合いに出され、結局先代立浪からの1億7500万円の請求が認容された(もっとも、東京高裁では原告敗訴の逆転判決が出され、最高裁もそれを維持した)。

年寄名跡を取得するだけの金銭的余裕のない者は、複数所有している年寄や、まだ現役の力士、停年(定年)などによって協会を離れた元年寄らから名跡を借りて襲名することが多い。借り名跡によって年寄となった場合は理事や監事になることはできず、いわゆる平年寄のままであり、部屋を開くことも許されない(後述する2002年9月の年寄名跡貸借再開以降)。よって理事選挙に立候補したり部屋を創設する際には名跡を取得する必要があるが、借り名跡について協会は所有者について明らかにしてこなかったため、非常に不透明なケースも見られた。

こうした背景を受けて、1998年(平成10年)相撲協会は、年寄名跡の貸し借り、複数所有を禁止とし、所有者を公開するという抜本的な改革を実行、これに伴い新たに準年寄が設けられた。 しかし2002年(平成14年)9月、協会は一転して名跡の貸し借りを容認することを決定した。その背景として、現役力士の取得や年寄の退職による空き名跡の増加(当時の空き名跡は合計で9家)による協会業務への支障があった(協会の仕事のほとんどは年寄によって行われてきた)。2006年12月に準年寄は廃止された。その経緯については年寄名跡を参照。なお、一代年寄については例外として一代年寄名跡以外に通常の年寄名跡一つを所有することが認められている。

2010年代からの傾向としては公益法人移行や団塊の世代の大量定年による後継者不足などの影響もあって「ゼロが一つ違う」と親方衆がもらすほど名跡の価値が下落しており、2013年12月14日の時点では一代年寄を除いた105名跡の内1割超の11名跡が空き名跡となる事態が発生していた。[6]尚、公益法人移行の過程で協会から名跡証書の提出を求められた際、14代鳴戸21代春日山16代熊ヶ谷の3人が2013年12月20日に設定された提出期限に間に合わない事態に陥り、同時に名跡の所有に実効性を欠くことが明らかとなった。3人については証書の提出期限が年明け後の2014年1月11日まで延長されたが、その内14代鳴戸は部屋運営資格を維持するために実効性のある名跡取得に追われ、14代田子ノ浦未亡人を頼って田子ノ浦を正式取得して12月25日に16代田子ノ浦を襲名すると同時に実質的な部屋運営者であった13代鳴戸遺族[7]の元を離れて部屋施設を移転した。16代熊ヶ谷は証書の取得が難航していたが、年明け後に証書を入手して2014年1月9日に提出した。21代春日山は年寄株の引き渡しを巡って実際の証書所有者である20代春日山に対して法的措置を講じており、2016年8月2日に横浜地裁川崎支部で21代春日山に対し、20代春日山へ名跡の譲渡対価として1億7160万円の支払を命じる判決を言い渡されたが控訴し、2016年10月現在も係争中である。なお、協会側は21代春日山の年寄名跡所有に実効性を欠く状態が長期化したことに加え、21代春日山が地裁判決が出た直後の9月場所中に一度も部屋に向かわなかったことを重く見て、2016年10月12日に21代春日山に師匠辞任の勧告を行い、21代春日山もこれを受け入れて、春日山部屋は継承者が現れるまで一時閉鎖されることになった。

年寄の職務[編集]

年寄は協会と人材育成業務の委託契約を結んでいる[8]。現在では、親方にとって最も重視される仕事は部屋に所属する力士に対する指導・監督とされる。技術面の指導はもちろん、若い力士が部屋で集団生活を送るという相撲界の慣習から、精神面の指導や、さらにはちゃんこ番や付き人といった部屋内での力士の雑務についても親方が責任を負う。また部屋持ち親方の場合はスカウト活動にも余念がなく、全国の高校や大学を訪れたり入門希望者の面接なども親方として必要になってくる。部屋の経営に必要な資金は、協会から補助金が出るものの基本的には部屋持ち親方の持ち出しであり、活躍する力士を多く輩出することで有力な後援者を求めることも必要となる。

また全ての親方は協会の構成員として、理事長から指示された職務分掌に従い協会内の各部署の職務に当たる。勝負審判巡業地の宿の手配や土俵造り、木戸口での入場券のもぎりを含む館内警備、協会の事務まで多岐にわたる。毎年1月場所終了後に定期の職務分掌異動があり(西暦偶数年は役員改選も行われる)、その他欠員・増員が生じた際は随時異動が命じられる。

年寄の報酬[編集]

年寄の報酬には、月例給、賞与のほかに、勤続年数に応じた勤続手当、年3回支給される場所手当、協会在勤者への在勤手当、羽織で勝負審判を務める者への衣装補助費、年寄名跡の取得補償として名跡金などが支給される。

また部屋持ち親方には、力士1人当たり1場所ごとに部屋維持費と稽古場経費、幕下以下の力士への力士養成費、関取を育てあげた養成奨励金などが支給される。

日本相撲協会の構成役員である年寄の職責には、理事、監事、役員待遇委員、委員、主任、参与、平年寄があるが、役員待遇委員の者の給与等は、理事又は監事と同等額と定めている。相当数を占める委員の年収は、1,500万円から1,600万円と推定される。2006年12月に廃止された準年寄の年収は地方場所における宿泊費や養老金(退職金)の計算基準などで平年寄との差異が設けられていたが給与や在勤手当は平年寄と同額であった。

2006年6月に押尾川親方(大関大麒麟將能)が定年まで1年残して早期退職をしたとき、「もったいない」との記事が全国版新聞に掲載された。

年収の内訳[編集]

(単位:円)

項 目 理 事 副理事・監事 委 員 主任・参与 平年寄
月額給与 1,405,000 1,232,000 1,001,000 849,000 784,000
勤続手当 5,000 5,000 5,000 5,000 5,000
年額給与 16,920,000 14,844,000 12,072,000 10,248,000 9,468,000
年額賞与 2,810,000 2,464,000 2,002,000 1,698,000 1,568,000
場所手当 600,000 600,000 600,000 600,000 600,000
名 跡 金 600,000 600,000 600,000 600,000 600,000
年収合計 20,930,000 18,508,000 15,274,000 13,146,000 12,236,000
在勤手当 600,000 480,000 180,000 180,000 180,000
審判手当 300,000 300,000 300,000 300,000 300,000
  • 勤続手当(月額)
    • 勤続6年以上11年未満の者:5,000円
    • 勤続11年以上16年未満の者:8,000円
    • 勤続16年以上21年未満の者:11,000円
    • 勤続21年以上26年未満の者:14,000円
    • 勤続26年以上31年未満の者:17,000円
    • 勤続31年以上の者:20,000円
  • 場所手当
    1月場所、5月場所,9月場所の年3回、各200,000円、年額600,000円
  • 名跡金
    年寄名跡の取得補償として月額50,000円、年額600,000円
  • 在勤手当
    協会在勤者のみに支給、月額15,000〜50,000円、年額180,000〜600,000円
  • 審判手当
    審判委員のみに衣装補助費の名目で支給、各場所50,000円、年額300,000円

年寄名跡に関する諸問題[編集]

年寄名跡の売買価格の高騰、不明瞭な取引の実態に関わる諸問題をいう。

出典[編集]

  1. ^ 2000年代以降に限定しても、二子山二十山鳴戸田子ノ浦音羽山北の湖九重間垣などの年寄が定年を迎えることなく現職のまま死亡している。
  2. ^ 読売新聞社説 2014年2月3日
  3. ^ 琴欧洲引退 白鵬に敗れ「終わりが来た」 nikkansports.com 2014年3月21日9時52分 紙面から
  4. ^ 『相撲』2013年11月号75ページ
  5. ^ 中でも10代雷の初代梅ヶ谷藤太郎は、廃業後も協会から「大雷」の尊称を贈られて相談役待遇として半ば公式的に角界に身を置いていた。
  6. ^ 相撲協会:親方の座がら空き 埋まらない11名跡 毎日新聞 2013年12月14日 08時00分(最終更新 12月14日 08時27分)
  7. ^ 『相撲』2014年2月号17頁
  8. ^ 公益財団法人日本相撲協会定款第8章第64条

関連項目[編集]

  • 現役年寄一覧
  • 根岸治右衛門:番付の版元として力士・行司以外で唯一の年寄の権利を持っていたが、1952年に返上。
  • 高見山大五郎:年寄には日本国籍が必要という規定は、高見山の現役時代に制定された。
  • 金親和行:「相撲部屋継承者と認定された場合の例外規定」の適用第一号。