相撲茶屋

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相撲茶屋(すもう ぢゃや)とは、大相撲本場所において、入場券の売買仲介および会場での接客や案内を行う店舗である。単にお茶屋(おちゃや)ともいう。正式名称は相撲案内所(すもう あんないしょ)だが、あまり普及はしていない。なお、「相撲+茶屋」という連想からか「相撲茶屋○○」と名乗るちゃんこ料理店があるが、相撲案内所の業務とは無関係であり、本項の記述の対象としない。

概要[編集]

相撲茶屋は、2012年現在において、東京に20軒、大阪に8軒、名古屋に4軒あり、それぞれ両国国技館大阪府立体育会館愛知県体育館で行われる本場所について業務を行っている。九州場所については相撲茶屋が存在しない。

東京の相撲茶屋は、20軒全てを国技館サービス株式会社(こくぎかんサービス、本社:東京都墨田区横網1丁目3 両国国技館内)が経営している。大阪、名古屋については1軒ごとに独立した業者が行っている。大阪の8軒は「大阪相撲案内所組合」を編成している。

相撲茶屋には、店舗責任者である女将や主人のほか、事務長である番頭が置かれている。また、入場券販売の窓口となったり飲食の接待を行う出方と呼ばれる従業員がいる。女将・主人は往年の関取に縁のある人物が多い。

相撲茶屋の業務は、おおむね下記の2つに分けられる。

入場券の販売・仲介[編集]

相撲茶屋は枡席などの上等の席について日本相撲協会からの委託により入場券の販売権を持っており、その割り当ては慣例によりそれぞれの縄張りが定まっている。例えば、現在両国国技館には約1500の枡席があるが、そのうちの70%から80%が相撲茶屋の持分として売りさばかれる。[1]さらに、その一割以上を最大手の「四ツ万」が「保有」しており、他の相撲茶屋はこの席を売ることはできない。割り当ては旧慣のほか茶屋同士の話し合いで決まることもある。[2]

相撲茶屋が保有する入場券は、弁当・土産等の当日の飲食饗応とセットになって入場券の価格より高額な価格で売りさばかれる。多くの場合相撲茶屋の得意先や相撲関係の人脈のある客に優先して売りさばかれるが、最近は企業接待の低迷によりプレイガイドに出回ることもある。

また、本来は販売の対象とならない維持員席(溜席)についても、相撲茶屋が仲介し席の売買を行っていることが明らかとなっている。[3]

会場での接待[編集]

本場所期間中には、会場の入場口に各相撲茶屋の簡易店舗が設けられる。各相撲茶屋の販売権のもとに売りさばかれた入場券は、例え電話購入やプレイガイドで購入したものであっても「接待権」を有するため、入場客は該当の相撲茶屋で受付を行わなければならない。両国国技館の場合、入場券の裏面にその席を「縄張り」としている相撲茶屋の名称がスタンプで押されている。(平成18年までは相撲茶屋の番号が記されているだけであった。)

受付後に、出方が入場客を席に案内する。この際に入場客は出方にご祝儀(チップ)を渡すのが慣例となっており、ご祝儀の額によりその後のサービスの質が変わることがある。[4]

席には湯茶・弁当・取組表・土産物などが用意されているほか、入場客の注文に応じて随時出方が飲食を提供する。

相撲茶屋から相撲案内所へ[編集]

かつて歌舞伎人形浄瑠璃の劇場では芝居茶屋とよばれる専属のお食事処が観客の食事や飲み物をまかなっていた。これと同じように、大相撲においても、宝暦から明和年間に江戸勧進相撲の観客同士で桟敷札の調達や飲食提供を行っていたのを起源として、寛政年間には相撲茶屋の前身である「桟敷方」と呼ばれる業者が組織された。天保年間には14の桟敷方が相撲会所から委託を受けて席札の販売や接客を行うようになった。明治42年に旧両国国技館が設立された際に、当時の20あった桟敷方は入口に待合(待合茶屋)を設置して業務を行い、これより後「相撲茶屋」と呼ばれるようになった。[5]

日本相撲協会は1957年の制度改革の際、当時蔵前国技館に20軒あった「相撲茶屋」を新たに「相撲案内所」とし、それぞれの屋号をやめてこれを「一番」から「二十番」の案内所とした。そして新規に「相撲サービス株式会社」を立ち上げ、各案内所をその傘下に置いて法人化した。相撲サービス社は1985年に国技館が台東区の蔵前から墨田区の横網に移転する際、この社名が墨田区ではすでに登記されていたため、当時の日本相撲協会春日野理事長の発案で現行の「国技館サービス株式会社」の名称に変更された。

しかし、今日でもこれらの業者のことを正式名称の「相撲案内所」と呼ぶことは稀で、一般には「相撲茶屋」または「お茶屋」と呼ぶことがほとんどである。「一番」から「二十番」の案内所番号に至ってはほとんど有名無実化しており、それぞれのお茶屋では今日でもそれぞれの由緒ある屋号を前面に打ち出して使用している。それぞれの枡に置かれた湯のみや急須(かつて枡席での喫煙が認められていた時代には灰皿も)、出方の持っている荷物運搬用の籠には、その枡席を保有するお茶屋の番号が無造作にマジックインキで書きつけられているが、一般の観客が案内所番号のことを意識するのは、これを見て一瞬考え込むときぐらいのものである。作家の喜多哲士は自身のウェブサイトで、この有様を「大相撲は現代に残る江戸時代だ。スポーツではない、興行だ」と評している(『大相撲小言場所』)。

案内所(お茶屋)の一覧[編集]

毎年一月、五月、九月の大相撲本場所が開催される期間中、国技館サービス社のもとには「一番」〜「二十番」の「相撲案内所」が置かれ、これが実際の営業業務を行う。

以下の一覧は1997年当時のもの。

案内所 屋号 備考
 一番 たかさごや
高砂家
店主は元横綱 常陸山(五代 出羽海親方)の裔
 二番 きのくにや
紀の国家
店主は元横綱 柏戸(七代 鏡山親方)の未亡人
 三番 やまとや
大和家
店主は元横綱 栃錦(九代 春日野親方)の義妹
 四番 よしかわ
吉可和
店主は元関脇 寺尾(二十代 錣山親方)の叔母[6]
 五番 みのひさ
みの久
 六番 なかばしや
中橋家
 七番 わかしま
和歌島
店主は元関脇 福の花(十三代 関ノ戸親方)の妻
 八番 じょうしゅうや
上州家
店主は元小結 射水川(八代 若松親方)の裔
 九番 にしかわや
西川家
店主は元前頭 清恵波(九代 中川親方)の未亡人
 十番 みかわや
三河屋
店主は元大関 伊勢ノ濱(七代 中立親方)の裔
十一番 じょうしょう
上庄
十二番 よつまん
四ツ万
店主は元横綱 佐田の山(十二代 境川親方)の義母
十三番 むさしや
武蔵屋
十四番 しらとよ
白豊
店主は元横綱 常ノ花(七代 出羽海親方)の長女
十五番 はせがわや
長谷川家
十六番 かわへい
河平
店主は元横綱 玉錦(六代 二所ノ関親方)の子
十七番 ふじしまや
藤しま家
店主は元横綱 常ノ花(七代 出羽海親方)の次女
十八番 いせふく
伊勢福
店主は元関脇 鷲羽山(十代 出羽海親方)の義母
十九番 たてかわ
竪川
二十番 はやしや
林家

逸話[編集]

  • 両国国技館の名物の一つに焼き鳥がある。「国技館の焼き鳥」などとも呼ばれるこの飲食土産は、一度蒸してから焼くことにより冷たくなっても味が落ちないように工夫されている。その製造の全工程(仕込・調理・梱包)を一括して行っているのが地下の「焼き鳥工場」だが、これを管理経営しているのも国技館サービス社である。以前は毎年1月、5月、9月の本場所が開催される期間中のみの営業であったが、焼き鳥そのものはJRの東京・上野・新宿・八王子・大宮の各駅構内の駅弁屋と両国国技館で通年購入することができる。
  • かつてGAORAなどでプロレス中継の実況をしていた松崎年男は、父が元関脇 房錦の十代 若松親方で、本人も相撲茶屋「上州家」(相撲案内所 八番)の会長代行をつとめている(2007年現在)。

脚注[編集]

  1. ^ 中島隆信『大相撲の経済学』(筑摩書房 2008年)
  2. ^ 大相撲、客足遠のき売り上げ激減 茶屋もつらいよ
  3. ^ 相撲案内所前代表が元組員 委託契約を解除
  4. ^ 『大相撲を見に行こう』(叢文社 2002年)pp.25
  5. ^ 金指基『相撲大事典』(日本相撲協会 2002年)
  6. ^ 鶴ヶ嶺昭男夫人であった母の実妹。鶴嶺山宝一井筒伸重と寺尾常史の井筒3兄弟の叔母にあたる

外部リンク[編集]