呼出

呼出(よびだし)とは、大相撲での取組の際に力士を呼び上げる「呼び上げ」や土俵整備から太鼓叩きなど、競技の進行を行う者。呼び出しや呼出しとも書かれる。行司と異なり特に受け継がれている名跡はないが、力士・行司と違い、下の名前しかないことが特徴。
歴史[編集]
呼出の元々の云われは上覧相撲の際に、次に土俵に上がる力士の出身地や四股名を披露する人がおり、「前行司」「言上行司」[1]といって行司の役割に含まれる職種であった。
平安時代の相撲節会には呼出という呼称は存在しなかったが、天皇や貴族に相撲人の奏上する「奏上(ふしょう)」という役目があって、「奏上者」の職名があった。これが現在の呼出の始まりとされている[1]。
江戸時代以後に勧進相撲になり組織的な制度ができるにつれて独立した職種となった。「触れ」とか「名乗り上げ」と呼ばれた時代もあったが、享和年間(1801-1804年)になって「呼び出し」といわれるようになった(しかし、それ以前の寛政年間(1789-1801年)の番付に「呼び出し」の文字が確認されている)。
明治後期の呼出し長谷川勘太郎は名人と謳われ、呼び上げ写真がブロマイドにもなった[2]。
昭和初期までは呼出し奴と言われ地位も低かった。1932年では呼出し頭の長尾貞次郎を筆頭に40人ほどであった[3][4]。
栃若時代の太郎、小鉄も名人と謳われた。
現在の呼出の定員は45人、採用資格は義務教育を修了した満19歳までの男子、停年(定年。以下同)は65歳。大相撲においては、力士、行司、床山と同様に各相撲部屋に所属する。2019年3月場所前の相撲誌の記事によると、1場所の研修期間後に面接を経て採用となるという[5]。
役割[編集]

呼出の主要な役割は、呼び上げ、土俵整備、太鼓叩きであるが、その他にも多種多彩な業務を行っている[6][7]。
- 呼び上げ
- 呼出の役割のうち、最も目立つものである。土俵上で扇子を広げて、独特の節回しにより東西の力士を呼び上げる。初日から数えて奇数日は東方から先に、偶数日は西方から先に一声で呼び上げ、十両最後の取組および、片やが三役以上の力士の場合には二声で呼び上げる(優勝決定戦は地位に関わらず一声)。奇数日の場合、一声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~」、二声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~、○~○~やま~」となる。仕切りの制限時間は呼出の呼び上げが終わった時点から計測する。
- 土俵整備
- 太鼓叩き
- 触れ太鼓(初日の取組を触れ歩きながら打つ太鼓)、寄せ太鼓(本場所の早朝に打つ太鼓)、はね太鼓(本場所の全取組の終了後に翌日の来場を願って打つ太鼓)など。触れ太鼓の口上は、「相撲は明日が初日じゃぞぇ~、琴~×~×~には、○~○~やま~じゃぞぇ~、ご油断では詰まりますぞぇ~」となる。
- 拍子柝打ち
- 懸賞幕(懸賞金を出す者の行なう広告)をもって土俵を一周する、懸賞金を行司に渡すなど。
- 力士の世話
- 座布団を交換する、時間制限を伝える、水桶の横にてタオルを渡すなど。地方巡業では力水を力士につけることもある。
- 審判委員、行司の世話
- 審判委員の座布団交換、ひざ掛けの世話、顔触れ言上の介助など。
- 役員室、相撲部屋の雑務
現在では全員が呼び上げを行っているが、古くは分業制で、呼び上げ専門の呼出もいれば、他の仕事を専門とする者、つまり「呼出と名がつくものの、呼び上げない呼出」もいた。現在のように全員が呼び上げを行うようになったのは、1965年(昭和40年)からである。また、呼び上げのときの声の通り具合や声量は評価の対象ともなっている。
階級[編集]
大相撲において、呼出の番付制が導入されたのは1994年(平成6年)7月場所からで、以下の9階級となる。同時に本場所における場内アナウンスでも紹介されるようになった。それまでの階級は、1等から5等までの等級制であった。
「日本相撲伝」では1902年5月の呼出し名簿があり勘太郎、勝次郎、金次郎、重吉、亀吉、清吉、源七、三金、藤作、市太郎、與吉、伊勢徳、平吉、三代吉、市郎、小徳、駒吉、金作、才次郎と19人が掲載されている[8]。
1911年発行の「相撲鑑」には勘太郎を筆頭に25名いて給金は僅少だが錦絵や番付等を売って余禄とするとある。
昭和初期までは呼出し奴と言われていた。1932年では呼出し頭の長尾貞次郎を筆頭に40人ほどであった[3][4]。
相撲雑誌の名鑑等にも昭和40年代まで掲載されなかった[9]。
現在は十両呼出以上の名前が番付に書かれており、それ以前は1949年(昭和24年)5月場所から1959年(昭和34年)11月場所までの10年間、呼出が番付に掲載された(番付には「呼出し」と書かれた)。初めて呼出として番付に掲載された者は太郎、夘之助、栄次郎、源司、安次郎、栄吉、福一郎、小鉄、徳太郎、茂太郎、粂吉、松之助、寅五郎、雄次、多賀之丞、島吉の16人。歴史的経緯もあり、呼出は行司よりもやや地位が低く見られた[1]。
呼出の番付上の位置は、現在では西の最下段の親方衆より左側である。平成期の一時期は若者頭や世話人とともに中軸の下の方(「日本相撲協會」の文字よりは上)に記載されていたことがあった。
現在の階級[編集]
9階級の役責に分類され、行司の階級と違い、幕内格、十枚目格といった「格」という名称は用いない。
力士・行司はすべての階級が番付に表記されているが、呼出は十枚目呼出以上が番付表に表記されていて幕下呼出以下は番付表に表記されない。
また、幕下格以下の行司と同様、幕下呼出以下は本場所の取組における場内アナウンスでの紹介は行われていない。ただし、千秋楽の幕内土俵入りの前に行われる十枚目以下各段の優勝決定戦では、幕下格以下の行司・幕下呼出以下でも「呼出は○○、行司は木村(式守)○○、○○(階級)優勝決定戦であります」との場内アナウンスが行われる。
基本的にはほぼ年功序列であるが、昇格のときに地位の追い抜きが発生することもある。例えば、1999年9月場所から2000年11月場所までは次郎と克之の序列が現在と入れ替わっていた。
昇格規定[編集]
- 三役呼出以上(立呼出:1人、副立呼出:2人以内、三役:4人以内)
- 勤続40年以上で成績優秀な者、または勤続30年以上40年未満で特に優秀な者。
- 幕内呼出(8人以内)
- 勤続30年以上で成績優秀な者、または勤続15年以上30年未満で特に優秀な者。
- 十枚目呼出(8人以内)
- 勤続15年以上で成績優秀な者、または勤続10年以上15年未満で特に優秀な者。
装束[編集]
- 着物 - 慣例で、足元を絞ったたっつけ袴。「紀文」(紀文食品)、「救心」(救心製薬)、「なとり」、「スギヨ」、「永谷園」、「シーチキン」(はごろもフーズ)、「JA共済」、「Daiwa House」(大和ハウス工業)など広告が入る場合がある。
- 裁付袴(たっつけばかま)
- 足袋
- 扇子 - 神聖な土俵に唾を飛ばさないための措置 [10]。白色で無地のものと定められている。
呼び上げ番数[編集]
階級 | 初日から12日目 | 13日目から千秋楽 |
---|---|---|
立呼出 | 1番 | 1番 |
副立呼出 | 2番 | 2番 |
三役呼出 | ||
幕内呼出 | ||
十両呼出 | ||
幕下呼出 | 4番 | 3番 |
三段目呼出 | 6番 | 4番又は3番 |
序二段呼出 | 7番[注釈 1] | 4番[注釈 1] |
序ノ口呼出 | 9番[注釈 1] | 5番又は4番[注釈 1] |
呼出の一覧[編集]
現役の呼出[編集]
2023年9月28日現在
階級 | 名前 | 所属部屋 |
---|---|---|
立呼出 | 空位[注釈 2] | |
副立呼出 | 空位[注釈 3] | |
三役呼出 | 次郎[注釈 4] | 三保ヶ関→春日野 |
克之[注釈 5] | 花籠→放駒→芝田山 | |
志朗 | 押尾川→大嶽 | |
重夫 | 九重 | |
吾郎 | 押尾川→大嶽 | |
幕内呼出 | 幸吉 | 大鳴戸→桐山→友綱/大島 |
旭 | 大島→友綱/大島 | |
隆二 | 宮城野 | |
琴三 | 佐渡ヶ嶽 | |
琴吉 | 佐渡ヶ嶽 | |
大吉 | 東関→八角 | |
照喜 | 安治川/伊勢ヶ濱 | |
幸司 | 伊勢ヶ濱→桐山→朝日山→浅香山 | |
利樹之丞 | 高砂 | |
光昭 | 鳴戸/田子ノ浦 | |
十両呼出 | 邦夫 | 若松→高砂 |
松男 | 松ヶ根/二所ノ関/放駒 | |
弘行 | 峰崎→西岩 | |
禄郎 | 押尾川→尾車→二所ノ関 | |
正男 | 花籠→峰崎→西岩 | |
悟 | 荒磯→松ヶ根/二所ノ関/放駒 | |
太助 | 北の湖/山響 | |
重太郎 | 九重 | |
富士夫 | 安治川/伊勢ヶ濱 | |
啓輔 | 放駒→芝田山 | |
陽平 | 出羽海 | |
総一 | 二十山→北の湖/山響 | |
幕下呼出 | 照矢 | 間垣→伊勢ヶ濱 |
護 | 時津風 | |
駿佑 | 玉ノ井 | |
耕平 | 高島→春日山→追手風→中川→片男波 | |
悠斗 | 立浪 | |
節男 | 錣山 | |
直起 | 木瀬→北の湖→木瀬 | |
慎 | 陸奥 | |
三段目呼出 | 重次郎[注釈 6] | 九重 |
鶴太郎 | 錦戸 | |
大将 | 北の湖/山響 | |
序二段呼出 | 雄志[注釈 7] | 境川 |
広[注釈 7] | 千賀ノ浦/常盤山 | |
序ノ口呼出 | 健太[注釈 8] | 鳴戸 |
天琉[注釈 8] | 朝日山 | |
仁 | 阿武松 | |
隈二郎 | 武隈 | |
安希隆 | 安治川 |
引退した主な呼出[編集]
- 明治・大正
- 勘太郎(明治・大正時代の頭)
- 勝次郎
- 金次郎
- 重吉
- 亀吉
- 清吉
- 源七
- 三金
- 藤作
- 市太郎
- 與吉
- 伊勢徳
- 平吉
- 三代吉
- 市郎
- 小徳
- 駒吉
- 金作
- 才次郎
- 頭
- 長尾貞次郎
- 太郎
- 昭和・平成(番付制導入以前)
- 立呼出
- 副立呼出
- 三役呼出
- 幕内呼出
- 十両呼出
- 幕下呼出
- 和也
- 三段目呼出
- 友太郎
- 進介
- 新太郎[注釈 9]
- 貴大
- 序二段呼出
- 祥吉
- 鶴吉
- 太郎太
- 扇太郎(2008年6月19日死去、25歳没)
- 竜
- 誠之
- 序ノ口呼出
呼出し太郎伝[編集]
1888年、本所南二葉町(現在の墨田区亀沢)の俥屋の長男に生まれた。本名:戸口貞次郎。すぐ隣が大関初代朝汐太郎の家だったこともあり、相撲の盛んな町に育った。その朝汐の口利きで1898年、11歳のとき呼出し親分の勘太郎の弟子となり、朝汐にあやかって「太郎」の名をもらう。入門5年目に小結源氏山頼五郎以下40余名の脱走事件があり、そのとき太郎も一緒に飛び出している。これが苦労の始まりで、いろいろ地方を渡り歩く長い放浪時代もあり、無謀なことも数々やったが、やがて大坂相撲に縁ができ、呼出として再起[12]。
大坂相撲の呼出は満足に太鼓を叩ける者がおらず、太郎はにわかに頭角を現すこととなる。ここで行司の木村金八(後の木村錦太夫、22代木村庄之助)と知り合い意気投合、生涯の交遊が始まる。大坂相撲時代、巡業先で太鼓を質に入れたため、宿でカラの醤油樽を借りて叩いたが、仲間の内誰も気がつかなかったという。その後、昭和時代の幕開けとともに、東京と合併。太郎は大坂の呼出を全員東京に売り込んで男を上げた。親分の下地はそのときからで、太鼓も東京の呼出の誰にも負けなかったという[12]。
定年退職した1960年まで63年間を貫き、「太鼓の名人」「相撲界の名物男」「呼出の親分」として知られた。また両国の自宅を長年相撲記者クラブに開放し世話係を務め(定年後も続けていた)、確固たる地位を築いた。この頃はもう櫓に上がることはなかったが、花相撲のおりの「太鼓の打ち分け」はまさに圧巻、独壇場の名人芸だったという。
1952年1月に行われた巣鴨拘置所、A級戦犯慰問大相撲で「太鼓の打ち分け」を披露し、荒木貞夫、鈴木貞一、畑俊六ら10人の旧日本軍の重鎮、軍閥の連名からなる礼状が届けられた。所属が角界一の大部屋出羽海部屋ということも幸いし、7代出羽海(元横綱常ノ花)、8代春日野(元横綱栃木山)の両取締とは気軽に口のきける立場にあった。
1949年5月場所前、太郎が協会で取締に「呼出も番付の隅っこに名前を載っけて欲しい」と請願したことがきっかけで、16人の呼出の名前が初めて世話人とともに番付に掲載されることになった。これは1959年11月場所、太郎が停年退職する直前まで10年間続いた。1969年11月3日、秋の叙勲で勲六等単光旭日章を受章。相撲界では初めて生存者叙勲の光栄に浴した。1970年1月8日には武藏川理事長、春日野審判部長(元横綱栃錦)をはじめ180人が出席し祝賀会が挙行された。席上、高橋義孝横綱審議委員は「醤油樽叩いてもらう勲六等」の句を披露し祝福した[13]。1971年3月3日、83歳で逝去[12]。妻には家と現金7千円(死去当時、企業物価指数は2021年の2分の1程度であった)を遺産として残した。墓所は両国回向院。戒名は「太鼓院技巧日貞居士」[12]。
エピソード[編集]
- 1911年(明治44年)2月場所2日目、小結鳳 - 大関2代西ノ海戦は行司の軍配は鳳に挙がったが、呼出の金次郎はこの相撲に物言いがついたとは知らず、「ニィーシ、千年川、ヒガーシ、常陸山」と美声を張り上げたが、勝負検査役に注意されてすごすごと引き下がった。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ a b c d 取組数によって呼び上げ番数が増減することがある。
- ^ 呼出拓郎が退職して以降。
- ^ 呼出秀男が停年(定年)退職で引退し、その時の副立呼出拓郎が立呼出に昇進して以降。
- ^ 2023年12月25日(2024年1月場所番付発表日)付で立呼出に2階級昇進予定[11]。
- ^ 2023年12月25日(2024年1月場所番付発表日)付で副立呼出に昇進予定[11]。
- ^ 2023年12月25日(2024年1月場所番付発表日)付で幕下呼出に昇進予定[11]。
- ^ a b 2023年12月25日(2024年1月場所番付発表日)付で三段目呼出に昇進予定[11]。
- ^ a b 2023年12月25日(2024年1月場所番付発表日)付で序二段呼出に昇進予定[11]。
- ^ 湊部屋所属
- ^ 春日野部屋所属
出典[編集]
- ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2019年3月号 pp.48-49.
- ^ “私の“奇跡の一枚” 連載18 長谷川家創業者 呼出し勘太郎 - ベースボール・マガジン社WEB”. www.bbm-japan.com. 2020年5月11日閲覧。
- ^ a b “相撲の話 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2020年5月11日閲覧。
- ^ a b “呼出し太郎一代記、13 七、再出発、前編”. www.syounosuke.net. 2020年5月11日閲覧。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2019年3月号 pp.53-55.
- ^ 山木秀男『呼出秀男の相撲ばなし』現代書館、2016年1月10日、14-43頁。ISBN 9784768457801。
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)pp.80-83
- ^ “日本相撲伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2020年5月11日閲覧。
- ^ “呼出し 在位表”. shiverle.web.fc2.com. 2020年5月11日閲覧。
- ^ 日本の国技「大相撲」の知られざる裏側 東洋経済 2015年01月09日
- ^ a b c d e 「次郎が立呼び出しに昇進 呼び出し最高位が約4年ぶりに復活、12月25日付」『日刊スポーツ』、2023年9月28日。2023年9月28日閲覧。
- ^ a b c d 商売道具の太鼓も借金の形に 名呼び出しの人生 朝日新聞DIGITAL 2021年6月9日 12時00分 (文・鈴木健輔、2021年7月14日閲覧)
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.81
参考文献[編集]
- 木村政勝『古今相撲大全』宝暦13年
- 福寿軒序『珍作鸚鵡石』安永6年(活字本:武藤禎夫編「おとしはなし珍作あふむ石」、古典文庫、平成3年)
- 子明山人『相撲今昔物語』天明5年(活字本:国書刊行会(朝倉夢声か)編「新燕石十種」第4、国書刊行会、大正4年)
- 成島峰雄『相撲の私記』寛政3年
- 松浦静山『甲子夜話』文政4年~天保12年(活字本:中村幸彦・中野三敏校訂「甲子夜話」平凡社東洋文庫、平凡社、昭和52年~昭和58年)
- 綾川五郎次『一味清風』大正3年(復刻:ベースボールマガジン社、昭和60年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 呼出一覧 - 日本相撲協会