間垣部屋

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間垣部屋(まがきべや)は、昭和期から平成期にかけて日本相撲協会に存在した相撲部屋

伊勢ヶ浜一門[編集]

1958年(昭和33年)9月場所限りで引退した追手風部屋大関清水川)所属の元小結清水川は、年寄名跡間垣を取得、16代間垣を襲名して追手風部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、1959年(昭和34年)2月1日付で追手風部屋から分家独立して間垣部屋を創設した。

しかし関取を育てることができず、幕下に幕内(本名・幕内邦雄)という力士がいたことが話題になった程度で、結局1975年(昭和50年)1月場所限りで部屋を閉じた。この間垣部屋には、後にプロレスラーに転向した上田馬之助松岡巌鉄も入門していた。

二所ノ関一門から貴乃花グループ[編集]

1983年(昭和58年)1月場所限りで引退した二子山部屋(第45代横綱初代若乃花)所属の第56代横綱・2代目若乃花は、一代年寄・若乃花(後に18代間垣に名跡変更)を襲名して二子山部屋所属の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、同年12月27日に内弟子1名を連れて二子山部屋から分家独立して間垣部屋を創設した。18代間垣は独立後、幕内・五城楼若ノ城大和若ノ鵬など多くの関取を輩出したものの、三役以上の力士は出せなかった。

2010年1月の日本相撲協会の理事選において、貴乃花親方が、所属する二所ノ関一門の意向に反して立候補を表明し一門を離脱すると、18代間垣はこれに同調したため、二所ノ関一門は間垣部屋を破門した。以後間垣部屋は、貴乃花部屋を中心とする貴乃花一門(当時は貴乃花グループ)に所属した。

18代間垣は2007年(平成19年)3月に病に倒れて以降、部屋での指導は満足に行えなくなったため、2013年3月場所を最後に18代間垣は自らの停年まで5年を残して部屋を閉鎖、18代間垣と所属力士ら計7名は、貴乃花グループの部屋ではなく、同年3月25日付で伊勢ヶ濱一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍した[1]。このうち、部屋閉鎖の時点で幕下上位だったモンゴル出身の若三勝は、伊勢ヶ濱部屋移籍後間もなく十両に昇進し照ノ富士と改名。その後も出世を続け2015年5月場所で幕内最高優勝を果たし大関に昇進したものの2017年7月場所・9月場所で2場所連続負け越しとなり大関から陥落。いったんは序二段にまで番付を落としたが復活を遂げ、2020年7月場所で5年ぶり2回目の幕内最高優勝を果たした。

師匠[編集]

力士[編集]

  • いずれも18代の弟子である。
平幕
十両
幕下

脚注[編集]

  1. ^ “横審委員に杉田氏ら2人”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2013年3月17日). オリジナルの2013年3月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130317113403/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130317-OHT1T00135.htm 2020年8月2日閲覧。