玉垣部屋

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玉垣部屋(たまがきべや)は、日本相撲協会に所属していた相撲部屋

昭和の玉垣部屋[編集]

江戸時代には雷部屋伊勢ノ海部屋と並んで隆盛していた玉垣部屋も、明治になって閉鎖され、後継者が出ないままであった。1941年1月場所から、14代玉垣を襲名していた元巴潟誠一が、玉垣部屋を再興した。その後、1943年1月場所から名跡を安治川に変更したため、名称は安治川部屋になった。その後、巴潟は現役時代に所属していた高島部屋を安治川部屋と合併する形で1951年に継承し、その後友綱部屋に改称したので、現在の友綱部屋の源流のひとつにあたるということができる。

この部屋から関取は出ず、高島との合併後も旧玉垣・安治川組からは十両昇進者は出なかった。