荒汐部屋

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荒汐部屋(あらしおべや)は、日本相撲協会の所属で時津風一門の相撲部屋。

歴史[編集]

1987年(昭和62年)1月場所限りで引退し、以降は時津風部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていた年寄・8代荒汐(元小結・大豊)が、2002年(平成14年)6月1日付で時津風部屋から分家独立して荒汐部屋を創設した。

一時期は弟子が1人となり部屋存続の危機を迎えたが、中国内モンゴル自治区から蒼国来をスカウトし、また8代荒汐夫人がウェブサイトを通して部屋の飾らない日常を報じてアピールに努めたことにより弟子の人数が増加して、現在では12人の力士が在籍している。実際に弟子の過半数が荒汐部屋の公式ウェブサイトを見て入門を決めており、入門者不足に悩む角界におけるスカウトの成功例としてマスコミにも取り上げられて注目されている。

2010年1月場所において蒼国来が新十両へ昇進し、創設から7年半にして部屋史上初となる関取が誕生したものの、2011年に発覚した大相撲八百長問題において蒼国来が八百長に関与したとされて、同年4月11日に日本相撲協会から蒼国来が解雇処分を受け、師匠である8代荒汐も監督責任として委員から主任への降格処分を受けた。しかし、蒼国来は同年4月22日に幕内力士としての地位保全などを求める仮処分申請を東京地方裁判所にて行った後、同年6月17日には日本相撲協会に対して幕内力士としての地位確認を求める訴訟を東京地方裁判所に起こし、同年6月28日には荒汐部屋関係者が日本相撲協会に対して蒼国来の幕内力士としての地位確認などを求める訴訟を東京地方裁判所に起こした[1]。その後、2年近くにわたる裁判の結果、2013年3月25日に東京地裁は蒼国来の解雇を不当とする判決を出し[2]、同年4月3日に日本相撲協会が控訴を断念したことで蒼国来の勝訴が確定したことにより、同年7月場所から蒼国来が幕内力士として復帰することが決定し[3]、同時に8代荒汐の降格処分も取り消された。なお、荒汐部屋はこの蒼国来の地位確認訴訟に関する記録を『蒼国来の二年の闘い - 全記録 : 平成二三年四月十一日 - 二五年四月三日』と題した資料として編纂し、2013年4月に国立国会図書館へ寄贈している。

所在地[編集]

師匠[編集]

  • 8代:荒汐崇司(あらしお しゅうじ、小結・大豊、新潟

力士[編集]

現役の関取経験力士[編集]

エピソード[編集]

  • 以前から部屋にて飼っている「モル」と「ムギ」という名前の2匹のネコが、近年になってテレビ番組やインターネット上で紹介されて人気を集め、それらの2匹の部屋での生活を撮影した下記の4冊の写真集が、2016年10月から同年11月にかけて立て続けに発表された。写真集には8代荒汐や所属力士などといった荒汐部屋の関係者たちも登場しており、写真集の発刊に関連した写真展やファンを交えての荒汐部屋でのちゃんこ会といったイベントも行われた。
    • 『相撲部屋の幸せな猫たち』(安藤青太/撮影、リブレ
    • 『荒汐部屋のモルとムギ』(ゆかい(池田晶紀・川瀬一絵・池ノ谷侑花)/撮影、徳永明子(ゆかい)/ブックデザイン、リトルモア
    • 『モルとムギ 相撲部屋の猫親方』(荒汐部屋/著、前田悟志 /撮影、河出書房新社
    • 『荒汐部屋のすもうねこ モルとムギと12人の力士たち』(安彦幸枝/撮影、佐藤亜沙美(サトウサンカイ)/ブックデザイン、平凡社

旧・荒汐部屋[編集]

荒汐の年寄名跡は雷部屋殿り政五郎が継承し、大正時代から5代荒汐として荒汐部屋を運営していたが、1943年1月場所後に5代荒汐は荒汐部屋を閉鎖して双葉山道場に弟子を譲った。当時の弟子には十両・常陸海(のちに入幕)や、幕下以下には後の小結・潮錦や十両・豊ノ花などがいた。

脚注[編集]

  1. ^ “荒汐部屋の関係者”が相撲協会を訴える 2011年6月28日 スポーツ報知
  2. ^ 蒼国来が八百長問題勝訴、解雇は不当 現役復帰確実に スポニチアネックス 2013年3月26日
  3. ^ 蒼国来、現役に復帰=相撲協会が控訴断念 時事ドットコム 2013年4月3日

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度41分12.5秒 東経139度47分18.4秒 / 北緯35.686806度 東経139.788444度 / 35.686806; 139.788444