大嶽部屋

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Otake stable 2014.JPG

大嶽部屋(おおたけべや)は、日本相撲協会所属で貴乃花一門相撲部屋。ここでは、前身の大鵬部屋についても記す。

歴史[編集]

二所ノ関部屋(元大関佐賀ノ花)所属の横綱大鵬1969年(昭和44年)5月場所に史上初となる30回目の優勝を達成。この功績を讃えて同年9月場所初日に日本相撲協会から一代年寄「大鵬」が授与された。大鵬は1971年(昭和46年)5月場所限りで引退し、一代年寄・大鵬を襲名。同年12月に十数名の内弟子と花籠部屋所属の12代大嶽[1](元前頭・花光)を引き連れて二所ノ関部屋から分家独立して大鵬部屋(たいほうべや)を創設した。創設当時は「大横綱・大鵬」のネームバリューもあり入門希望者が非常に多く、所属力士が40人を超える大部屋となった。 1977年(昭和52年)に大鵬が脳梗塞で倒れて以降、一時の勢力はなくなってきたが、関脇・巨砲や前頭2枚目・嗣子鵬らが関取に昇進し、多数の個性派力士を輩出した。

12代大嶽改め15代放駒の廃業後、部屋付きの親方が不在であったが、病床に伏した大鵬一人での力士指導が困難となり同じ二所ノ関一門に所属する13代大嶽の元前頭・若ノ海、 7代西岩の元前頭・大文字らが大鵬部屋に移籍し、大鵬の補佐役を務めた。

1992年(平成4年)には、12代阿武松(元関脇・益荒雄)が師匠・17代押尾川(元大関・大麒麟)と押尾川部屋からの分家・独立で揉め、事実上破門された。そこで大鵬は阿武松に助け舟を出し、大鵬部屋に迎え入れ独立に協力。1994年阿武松部屋を創設するまで在籍した[2]

大鵬の娘婿である二子山部屋所属の貴闘力1993年に三女と結婚していた)は2002年(平成14年)9月場所限りで引退し、年寄・16代大嶽を襲名した。直後に大鵬部屋に移籍し、部屋付の親方として後進の指導に当たっていたが、2005年(平成17年)5月の大鵬の定年に先立ち、2004年(平成16年)1月1日付けで16代・大嶽が大鵬部屋を継承。同時に名称が大嶽部屋へと変更された。

2004年1月場所においてロシア出身の露鵬が新十両へ昇進し、改称してからは初となる関取が誕生した。しかし、2008年に発覚した大相撲力士大麻問題に関連して、同年9月2日深夜から3日未明にかけて露鵬の大麻取締法違反の容疑で警視庁家宅捜索を受け、同年9月8日には露鵬が日本相撲協会からの解雇処分を受け、師匠である16代も委員から平年寄への降格処分を受けた。

2010年1月に行われた日本相撲協会理事選挙において、貴乃花(元横綱・貴乃花)が二所ノ関一門内の事前調整を拒否して独自に立候補を表明し、16代と部屋付き親方である12代二子山(元十両・大竜)は貴乃花に対する支援を表明して貴乃花へ投票したために、大嶽部屋はそれまで所属していた二所ノ関一門から事実上の破門扱いを受けた。その後はどの一門にも属さずに、貴乃花が率いる「貴乃花グループ」(現・貴乃花一門)に参加した。

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題に関連して、同年7月4日付で16代が日本相撲協会を解雇されたため、同年7月6日に部屋付き親方である12代二子山が17代大嶽を襲名して部屋を継承した。同年7月8日には16代による賭博開帳図利の容疑で部屋は再び警視庁の家宅捜索を受けた。2013年7月場所においてエジプト出身の大砂嵐が新十両へ昇進し、17代が部屋を継承してからは初となる関取が誕生している。

部屋の正面玄関には縦看板の「大嶽部屋」、横看板の「大鵬道場」の2枚の看板が掲げられている。

所在地[編集]

師匠[編集]

  • 一代年寄:大鵬 幸喜(たいほう こうき、横綱・大鵬、北海道
  • 16代:大嶽忠茂(おおたけ ただしげ、関脇・貴闘力兵庫
  • 17代:大嶽忠博(おおたけ ただひろ、十両・大竜大阪

力士[編集]

現役の関取経験力士[編集]

関脇[編集]

小結[編集]

前頭[編集]

十両[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度40分55.9秒 東経139度47分45.1秒 / 北緯35.682194度 東経139.795861度 / 35.682194; 139.795861

  1. ^ 大鵬から年寄名跡・大嶽を借用していた。後に15代放駒に名跡変更している。
  2. ^ この為、現在も阿武松部屋は大鵬部屋→大嶽部屋の分家として扱われている。