貴闘力忠茂
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|---|---|---|---|---|
| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 鎌苅忠茂→貴闘力忠茂 | |||
| 本名 | 鎌苅忠茂→納谷忠茂→鎌苅忠茂 | |||
| 生年月日 | 1967年9月28日(51歳) | |||
| 出身 |
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| 身長 | 180cm | |||
| 体重 | 152kg | |||
| BMI | 46.91 | |||
| 所属部屋 | 藤島部屋→二子山部屋 | |||
| 得意技 | 突き、押し、張り手、いなし、引き、叩き | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 引退 | |||
| 最高位 | 東関脇 | |||
| 生涯戦歴 | 754勝703敗(118場所) | |||
| 幕内戦歴 | 505勝500敗(67場所) | |||
| 優勝 |
幕内最高優勝1回 幕下優勝1回 | |||
| 賞 |
殊勲賞3回 敢闘賞10回 技能賞1回 | |||
| データ | ||||
| 初土俵 | 1983年3月場所[1] | |||
| 入幕 | 1990年9月場所[1] | |||
| 引退 | 2002年9月場所[1] | |||
| 引退後 | 年寄・大嶽 | |||
| 趣味 | パチンコ、競馬、音楽鑑賞 | |||
| 備考 | ||||
| 金星10個(曙7個、旭富士1個、大乃国1個、千代の富士1個) | ||||
| 2012年12月31日現在 | ||||
| 貴闘力 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | 貴闘力 |
| 本名 | 鎌苅忠茂 |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 148kg(大相撲現役時代の公表値) |
| 誕生日 | 1967年9月28日(51歳) |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 所属 | フリーランス |
| スポーツ歴 | 大相撲 |
| トレーナー | 佐山聡 |
| デビュー | 2014年4月16日 |
貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ、1967年9月28日 - )は、兵庫県神戸市出身(ただし、入門時は出身地を福岡市博多区としていた[2]。)で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士、プロレスラー。大相撲時代の得意技は突き、押し、張り手、いなし、引き、叩き。長男はプロレスラーの納谷幸男。三男は大嶽部屋の納谷。甥(姉の子)に元三段目若闘力がいた。株式会社GHKクリエーションズに所属。現在、全国11店舗の飲食店を展開。講演会活動に加え、グルメ研究家として活動中[1]。
目次
経歴[編集]
十両昇進まで[編集]
幼い頃より相撲が好きで力士に憧れ、小学生の頃、既に力士になると決めていた。幼少時は賭博を好む父親に迷惑を掛けられたせいか賭博が嫌いで、父親の賭博癖から借金取りが押しかけ、逃げるために小学校時代は6~7回の転校を余儀なくされ[3]、「自分は将来、このような父親にはなりたくない」と思っていた。小学校卒業後、面識がある大関の貴ノ花に入門を願った。日本相撲協会の規定で義務教育を終了しないと力士になれず、とりあえず体験入門はさせたが「3年経ったらまたおいで」と1度は帰された。その後、地元に戻り、花畑中学2年時から柔道を始めた。同中柔道部の一年先輩にプロレスラー佐々木健介がいる。 3年時には全国大会に出場、団体戦の準決勝に進出したが古賀稔彦がいた弦巻中学に敗れた。中学校卒業後、本当に元大関貴ノ花の藤島親方が師匠を務める藤島部屋に入門。入門動機は賭博癖の父親から逃れるという事もあった[3]。1983年3月場所で初土俵を踏み、1989年3月場所後に十両昇進が決まった。この時、名字をそのままに「鎌苅」としていた四股名を「貴闘力」と改名。四股名は当初「貴闘心(たかとうしん)」と親方から聞かされており、本人も色紙には「貴闘心」でサインをしていたが、新十両発表の際に「貴闘心」ではなく「貴闘力」と改名することを知ったという。入門前は賭博を嫌っていたが、徐々に「少しならいいか」という気持ちで賭博に手を染め、次第に稽古が午前中に終わると午後は競馬場やボートレースに通い夜は麻雀、の生活を続け[3]、「当たる」事しか想像ができなくなり年収の9割を賭博に費やした。
入幕以後[編集]
1990年9月場所で新入幕し11勝4敗で敢闘賞を受賞。1991年5月場所から小結に昇進、以後三役から幕内上位に定着。1991年5月場所で新小結に昇進した貴闘力は3日目に、1990年11月場所で負けた千代の富士と再度対戦、千代の富士の腕をつかんで土俵外へ放り投げ「とったり」の決まり手で快勝。勝利直後のインタビューで「憧れの大横綱に勝てて嬉しいです」と語ったが、当日夜に千代の富士が「この一番を最後に現役を引退する」と表明、貴闘力が千代の富士に引導を渡す格好となった
千代の富士の引退報道を知り「本当ですか!信じられません。まだ自分は大先輩に対して偉そうな事を言える立場では無いので……」と語る。のちに千代の富士から「俺の事は気にせず頑張れ」と直接励まされた。本場所は好調を維持し9勝6敗と勝ち越し、敢闘賞を受賞。
1993年2月に当時の二子山親方と藤島親方の名跡交換・両部屋の合併に伴い、師匠は二子山親方となった元大関貴ノ花のまま二子山部屋所属となる。
1994年3月場所は一度前頭12枚目まで落ちたが12勝3敗と好成績を上げ、横綱の曙と同部屋の新大関の貴ノ浪と巴戦の優勝決定戦に出場。最初は貴ノ浪と同部屋対決となるが貴ノ浪に敗退し、2戦目は同部屋の貴ノ浪が曙に敗れて優勝を逃し、最後の3戦目で貴闘力は曙に敗れて幕内優勝を逃した。このあと幕内初優勝まで6年を要した。
史上初の幕尻優勝[編集]
1994年以後、長らく三役から幕内上位に定着していたが、前頭2枚目として臨んだ1999年11月場所で2勝13敗と大幅に負け越すと、2000年1月場所でも前頭10枚目で6勝9敗と負け越し、2000年3月場所には幕尻の前頭14枚目まで落ちた。すでに32歳であり、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は十両に落ちるだろうという見方をしていた。
2000年3月場所が始まると初日からひとり12連勝を達成し、優勝争いで首位を独走した。13日目に東2枚目横綱の武蔵丸、14日目に西横綱の曙、と取組が急遽組まれ[4]て両横綱に敗れたが、千秋楽で優勝争いの単独首位であった。千秋楽で当時西関脇の雅山と対戦し、この取組では立ち合いからの突きで一気に土俵際に追い詰められたが、そこから逆転の送り倒しで下して13勝2敗で史上初の幕尻優勝を達成した[5][1]。当時の年齢は32歳5か月で、幕内初優勝まで初土俵から実に所要102場所を要した[6]。本場所3日目に西十両3枚目の水戸泉と対戦し、十両力士との対戦した力士の幕内優勝は1961年5月場所の佐田の山以来である。
初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で男泣きした。舅の大鵬が残した偉大な功績と自身の功績を息子からも比較されて困惑していたが「ようやく子供に『どうだ、父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました」と喜び、義父の大鵬も「私の32回の優勝よりも、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しいことだ」と嬉し涙で語った
十両陥落後は幕内最高優勝を経験した力士として、2001年7月場所で十両優勝決定戦に参加した珍しい記録を持っている。優勝決定戦は史上初の8力士が争い、この場所の十両に2桁勝利の力士はいなかった(9勝6敗)。
引退後大鵬部屋へ[編集]
2002年9月場所の12日目、十両での取組で最後の相撲となったベテランの寺尾戦で敗れて3勝9敗となり、幕下陥落が確定的になったことを機に引退。その後年寄第16代大嶽を襲名し、大鵬部屋の部屋付き親方となった。その後部屋を継承した。なお本人が後年述懐するところによると、賭博の借金(後述)は大鵬に何度も肩代わりしてもらったとのことである[7][3]。
野球賭博関与、解雇へ[編集]
2010年6月に週刊誌で野球賭博関与を報じられ、警視庁の事情聴取で関与を認めた[8]。6月28日に日本相撲協会へ退職届を提出したが受理されなかった[9]。6月27日に、一連の賭博問題を受けて設置された特別調査委員会から除名もしくは解雇処分の勧告案が出され[10]、翌日の臨時理事会と評議員会で勧告案が受け入れられ、7月4日の臨時理事会で処分が決定、大関琴光喜啓司と共に解雇処分された。相撲協会は当初、賭博関与を申告すれば厳重注意で済ませるとしていたが、琴光喜や大嶽親方は発覚時点で当初関与を否定していたことや、賭け金が他の力士に比べ多かった事などが解雇理由となったとしている[11]。部屋持ち親方の解雇処分は2007年の時津風部屋力士暴行死事件における元時津風の双津竜以来2例目、現役親方では元山響の前乃臻から3例目である。
大嶽の名跡は、15代大嶽親方だった元十両大竜忠博の二子山親方が再び継いでいる。その後、7月5日に大鵬幸喜の三女と離婚、養子縁組も解消したため、本名が鎌苅忠茂に戻った[12]。上記の不祥事により大鵬が死去した際にも葬儀への出席が許されなかった[13]。
貴闘力が賭博に熱中したきっかけは、オーストラリア巡業のカジノで5500万円勝利が忘れられず、総額で5億円負けた[14]。だが今では「日本にカジノを造ってほしくない」とも言っている。
2018年9月26日放送分の『スッキリ』では、自身が解雇される際に「息子が大相撲に入門するのだから協会の不利益になることを話さないように」と当時の理事が全員居並ぶ前で圧力を掛けられていたことを明かした[15]。
解雇以降[編集]
2010年10月1日、かつての自身の部屋の近く、江東区扇橋2丁目に、焼肉店「焼肉本店ドラゴ(Drago : 伊)」を開店[16]。店の命名者は弟弟子だった貴乃花で、看板を揮毫し、開店日にも店を訪れている。開店時に元幕内駿傑を雇用するなど、引退力士の再就職支援も行っている。現役時代から神戸牛を扱う地元兵庫県の企業と懇意で、牛肉の仕入れを確保したことから焼肉店経営者として成功した。相撲=がっつり、がっつり=肉、肉=牛肉、牛肉=神戸、神戸=貴闘力、の連鎖が生み出す物語性、SNS映え、高原価率、などが成功要因[17]とみられる。
相撲協会を解雇されて以降も治らなかった賭博依存症で2013年に焼肉店の税金支払いを滞納し、一時は社員の給料を払えなくなったこともあり、医療機関で受診するとチェック項目20問中で全問に該当する完全な依存症と診断された[18]。依存症者を対象とした自助グループに通うなどして脱却したように見えたが[3]、2017年3月11日に東京都内で開催された「依存症への理解を深めるシンポジウム」で「正直2年間はやっていなかった」とした上で、近年ロシアで焼き肉店を開く関係からパスポートを再取得し、「悪い友だちに韓国へ連れて行かれ、自分は金を持っていかなかったが、カジノで『ちょっとやってみ-な』と100万円を手渡されてやったら1000万円になった。ほんの2ヶ月前のことです」と自身の賭博再発を明かし、「1000万円はすぐにゼロになってしまった。漢江に飛び込もうかとも思った」と話して「ほんとに…ギャンブル忘れてがんばるしかないなと思ってます」と述べた。司会の松本俊彦精神科医が「依存症は再発も含めてが治療経過です」と話すと、頭上を見上げて神妙な表情でその言葉に聞き入った[19]。
日馬富士の貴ノ岩に対する傷害事件で貴乃花と白鵬の対立が報じられ、「本当のことはわからないけど、私が知っている貴乃花親方は細かいことでグズグズ言い続けるような男じゃない。貴乃花親方が『白鵬の野郎』とか『あいつは嫌いだ』なんて発言したわけじゃないでしょう、2人の対立構図なんてマスコミが作り上げた虚像ですよ」と完全否定している[20]。
プロレスへの転向[編集]
2014年4月16日に、リアルジャパン代々木競技場第2体育館大会でリングネーム「貴闘力」として参戦し、大仁田厚と矢口壹琅とプロレスデビュー戦を行い勝利した[21]。元々プロレス参戦はこの1戦のみのつもりであったことと「本業が忙しい。借金があるのではなくプロレスは好きでやっていた」という考えから第3戦となる2015年1月12日のレジェンドプロレス後楽園ホール大会を最後に引退[22]し、のちに曙とプロレス対決が決定した[23]。
特徴・人物[編集]
気合い十分の仕切り、突っ張り[編集]
平成に入って時間一杯になるまで立ち上がろうとしない力士が増えた(昭和50年代後半までは時間前に立つ力士も多かった)中で時間前の仕切も気合充分、いつでも立つぞという構えは仕切の本来あるべき姿に近いとされた。実際、時間前に立つことも多く、そうした取り組みではしばしば激しい攻防を展開して土俵を沸かせた。そうでなくとも、しばしば張り手も飛び出す(張り手の応酬もする)回転の良い突き押しの相撲内容は見ごたえ十分で、1991年7月場所での琴椿との壮絶な突っ張りの応酬など名勝負の名に値する激闘は多い。敢闘賞10回受賞という事実がその相撲ぶりを示している[1]。
関脇以下での最高成績9回は歴代最多。
研究者の一面[編集]
力士としては小柄な部類に入る体躯だったが、古い書籍を読み漁って過去の名力士たちの逸話を参考にするなど、熱心な研究でこれを補った。廻しを取られないようにするため、塩水を吹きかけて特にきつく締めていた。こうした廻し姿は力士の大型化にともなってゆるく締める力士が増えていた時代にあって評価された。付き人を背負ってのすり足や、ゴムチューブを利用した筋力トレーニング(プロレス好きの影響)など、独特の稽古でアイデアマンとしても知られた。
当時の人気番組「カルトQ」の大相撲がテーマの回には出場を希望し、実際筆記予選ではトップクラスの成績だったが、「現役力士にはご遠慮願いたい」とやんわりと出場を断られたという。
幕内での珍しい決まり手としては「二丁投げ」があり、貴闘力は都合3回この決まり手で勝っている。1991年5月場所2日目には、当時大関の霧島に対して鮮やかな二丁投げが決まり殊勲の星を挙げた。
鬼門の九州場所[編集]
なぜか11月場所に弱く、1992年から最後の11月場所となった2001年まで10年連続で11月場所は負け越した。特に1996年11月場所は、同年7月に10勝、同年9月に11勝を挙げ大関昇進のチャンスだったが、場所中に尿管結石で入院するアクシデントも有って、結局6勝9敗に終わり大関昇進はならなかった。
曙を倒すのが仕事[編集]
横綱である曙に対して相性が良く、通算15勝(28敗・決定戦1敗)を挙げ金星だけでも7個もせしめた。これは、高見山(対輪島)と並ぶ、ひとりの横綱からの金星獲得の最多タイ記録である。こうした曙に対する強さから『優勝するのはうちの横綱(貴乃花)。俺は曙を倒すのが仕事』と公言したことすらある。逆に曙からすれば天敵と言える相手で、翌日の相手が貴闘力だと決まると「どちらが横綱かわからない」と言われるほどの気落ち、気負いぶりだった。
「立合い、最初の両手突きさえ外せば、曙は怖くない、ということを、全幕内力士に証明してみせたのが、彼の最大の功績」(小坂秀二)の評さえある。
一方、武蔵丸には8勝37敗で、金星はない。曙を毎場所の様に苦しめながら、武蔵丸にはまるで歯が立たないので、合口の面白さの実例と言われた。若乃花、貴乃花とは同部屋で対戦がなかったこともあって、曙以外からの金星は2個と少ない。大関昇進を期待されたこともあったが、武蔵丸やライバル琴錦などに分が悪く、取りこぼしが多かったため果たせなかった。
曙や武蔵丸との対戦では仕切の際に相手を挑発し、態度が汚いと評されることもあった。天覧相撲の曙戦で待ったを繰り返し、睨み合いを演じて、説明に窮し面目を失った二子山理事長から叱責を受けたのはその好例である。この一件は待ったに制裁金が導入されるきっかけの一つともなった。
プロレス好き[編集]
現役時代には巡業中にテリー・ファンクと軽くプロレスのまね事をやったことがあり、冗談でテリーが「今夜からメーンでできる」と評しもした。カール・ゴッチが二子山部屋の稽古場を見学しに来ていた際には根掘り葉掘り聞いてくるところ四股を教えたため「教えてくれたから、俺のプロレス技を全部教えてやる」と感謝されたという。後年貴闘力が「教えてもらえば良かったな」と当時について悔いていた様子が伝えられている。プロレスを短期間で引退したことについては「毎日練習はしている。ただ、先生が総合の練習ばかりさせるんだ。蹴りとかタックルとか。『親方に求められているのは迫力。蹴りもパンチも真剣にやらないとダメ』って。俺は総合をするわけじゃないのに」とトレーナーを務めた佐山聡との意見が相違していたことについて胸の内を明かしている[22]。
主な成績[編集]
主な成績[編集]
- 通算成績:754勝703敗 勝率.518
- 幕内成績:505勝500敗 勝率.502
- 通算連続出場:1456回
- 幕内連続出場:1005回
- 現役在位:118場所
- 幕内在位:67場所
- 三役在位:26場所(関脇15場所、小結11場所)
各段優勝[編集]
- 幕内最高優勝:1回(2000年3月場所)
- 幕下優勝:1回(1989年7月場所)
三賞・金星[編集]
- 三賞:14回
- 殊勲賞:3回(1991年3月場所、1997年7月場所、2000年3月場所)
- 敢闘賞:10回(1990年9月場所、1991年5月場所、1991年7月場所、1994年3月場所、1994年5月場所、1994年7月場所、1996年1月場所、1996年7月場所、1996年9月場所、2000年3月場所)※同賞の最多受賞記録[1]
- 技能賞:1回(1993年5月場所)
- 金星:9個(大乃国1個、旭富士1個、曙7個)
場所別成績[編集]
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 (昭和58年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口33枚目 6–1 |
西序二段103枚目 4–3 |
東序二段78枚目 3–4 |
東序二段90枚目 3–4 |
| 1984年 (昭和59年) |
東序二段92枚目 6–1 |
東序二段18枚目 2–5 |
東序二段44枚目 1–6 |
東序二段74枚目 4–3 |
西序二段64枚目 6–1 |
西三段目99枚目 6–1 |
| 1985年 (昭和60年) |
西三段目50枚目 2–5 |
西三段目82枚目 6–1 |
西三段目38枚目 5–2 |
東三段目11枚目 2–5 |
東三段目39枚目 5–2 |
西三段目8枚目 5–2 |
| 1986年 (昭和61年) |
東幕下43枚目 3–4 |
西幕下57枚目 3–4 |
東三段目10枚目 5–2 |
西幕下44枚目 2–5 |
東三段目14枚目 3–4 |
西三段目22枚目 2–5 |
| 1987年 (昭和62年) |
西三段目52枚目 6–1 |
西三段目5枚目 5–2 |
東幕下45枚目 3–4 |
西幕下56枚目 5–2 |
東幕下35枚目 3–4 |
西幕下43枚目 5–2 |
| 1988年 (昭和63年) |
西幕下25枚目 3–4 |
西幕下33枚目 4–3 |
西幕下27枚目 3–4 |
西幕下37枚目 6–1 |
東幕下17枚目 4–3 |
東幕下11枚目 4–3 |
| 1989年 (平成元年) |
東幕下8枚目 5–2 |
東幕下5枚目 6–1 |
西十両13枚目 6–9 |
西幕下2枚目 優勝 7–0 |
東十両10枚目 7–8 |
東十両12枚目 8–7 |
| 1990年 (平成2年) |
西十両8枚目 11–4 |
東十両3枚目 8–7 |
西十両筆頭 9–6 |
東十両筆頭 10–5 |
東前頭13枚目 11–4 敢 |
西前頭2枚目 5–10 ★ |
| 1991年 (平成3年) |
東前頭8枚目 9–6 |
西前頭筆頭 9–6 殊★ |
西小結 9–6 敢 |
西関脇 9–6 敢 |
東関脇 8–7 |
東関脇 8–7 |
| 1992年 (平成4年) |
西関脇 7–8 |
東前頭2枚目 6–9 |
東前頭5枚目 6–9 |
東前頭8枚目 9–6 |
東前頭2枚目 10–5 |
西張出小結 5–10 |
| 1993年 (平成5年) |
西前頭5枚目 5–10 |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭6枚目 11–4 技 |
東小結 8–7 |
東小結 7–8 |
東前頭筆頭 5–10 |
| 1994年 (平成6年) |
東前頭7枚目 6–9 |
東前頭12枚目 12–3[注 1] 敢 |
西前頭筆頭 9–6 敢★ |
西小結2 10–5 敢 |
西関脇 8–7 |
西関脇 6–9 |
| 1995年 (平成7年) |
西前頭筆頭 7–8 ★ |
東前頭2枚目 8–7 |
東小結 5–10 |
西前頭3枚目 9–6 ★ |
東前頭筆頭 8–7 |
西小結 7–8 |
| 1996年 (平成8年) |
東前頭筆頭 12–3 敢★ |
西関脇2 8–7 |
西関脇2 7–8 |
西小結 10–5 敢 |
西関脇 11–4 敢 |
東関脇 6–9 |
| 1997年 (平成9年) |
西前頭筆頭 11–4 |
西関脇 7–8 |
西小結 6–9 |
西前頭筆頭 11–4 殊★ |
西関脇2 9–6 |
西関脇2 6–9 |
| 1998年 (平成10年) |
東前頭筆頭 5–10 |
西前頭4枚目 7–8 ★ |
東前頭5枚目 9–6 |
西前頭筆頭 10–5 ★ |
西関脇 8–7 |
西関脇 5–10 |
| 1999年 (平成11年) |
東前頭2枚目 8–7 |
東前頭筆頭 8–7 |
西小結 5–10 |
東前頭3枚目 4–11 |
東前頭7枚目 9–6 |
東前頭2枚目 2–13 |
| 2000年 (平成12年) |
東前頭10枚目 6–9 |
東前頭14枚目 13–2 敢殊 |
西小結2 2–13 |
西前頭8枚目 9–6 |
東前頭4枚目 6–9 |
東前頭5枚目 4–11 |
| 2001年 (平成13年) |
東前頭12枚目 8–7 |
西前頭9枚目 5–10 |
西前頭14枚目 5–10 |
西十両2枚目 9–6 |
東前頭14枚目 6–9 |
東十両筆頭 7–8 |
| 2002年 (平成14年) |
東十両2枚目 9–6 |
西前頭14枚目 6–9 |
東十両筆頭 4–11 |
東十両7枚目 5–10 |
西十両11枚目 引退 3–10–0 |
x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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改名歴[編集]
- 鎌苅 忠茂(かまかり ただしげ)1983年3月場所-1989年3月場所
- 貴闘力 忠茂(たかとうりき -)1989年5月場所-2002年9月場所
年寄変遷[編集]
- 大嶽 忠茂(おおたけ ただしげ)2002年9月-2010年7月
テレビ出演[編集]
- しくじり先生 俺みたいになるな!! 2時間スペシャル(テレビ朝日、2016年2月8日) - 「ギャンブル依存症になっちゃった先生」として出演。
- ワイドナショー(フジテレビ) - 2018年に大相撲の「専門家」として登場以来、ギャンブル問題や店舗経営など様々な話題で、軽妙な語り口を披露している。また、三男・納谷幸之介の大相撲デビューにより、父親としてのコメントもしている。
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p25
- ^ 大相撲レファレンス
- ^ a b c d e 貴闘力「ギャンブルやってなきゃ横綱なれた」賭博の怖さ赤裸々に語る withnews 2015年12月02日
- ^ この影響により、同2000年3月場所は曙-武蔵丸の割が壊され、両横綱の取組が消滅するという事態となった。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.60
- ^ のちに旭天鵬が2012年5月場所に更新。
- ^ 貴闘力が5億円を失った「ギャンブル依存症」 周囲の人を巻き込む恐ろしい病気に戦慄! キャリコネニュース 2016.2.10
- ^ 大嶽親方が賭博認める 協会、21日に臨時理事会、東京新聞、2010年6月18日。
- ^ 大嶽親方が日本相撲協会に退職願提出、asahi.com、6月28日。
- ^ 朝日新聞 2010年6月29日
- ^ 朝日新聞 2010年7月5日
- ^ 【大相撲】元大嶽親方が離婚、元横綱大鵬との養子縁組も解消 産経新聞 2010年8月1日
- ^ 元貴闘力 ギャンブル依存症のきっかけ Daily Sports Online 2016年2月8日
- ^ 貴闘力「5億負けた」ギャンブル依存症の過去を激白! 日刊大衆 2016年2月10日 08時00分 (2016年2月13日 09時33分 更新)
- ^ 貴闘力、生放送で『相撲協会の圧力』を暴露 ネットで「よくいった」「ひどすぎる」の声相次ぐ grape 2018-09-26(株式会社グレイプ、2019年1月24日閲覧)
- ^ 公式発表
- ^ 貴闘力「ちゃんこ」ではなく焼肉を選んだ本質 東洋経済ONLINE(文・はんつ遠藤、2017年10月11日閲覧)
- ^ 「勝った夢、絶った今も」元貴闘力が語るギャンブル NIKKEI STYLE 2016/12/23
- ^ 貴闘力、2カ月前にカジノ出入り告白「ギャンブルは体が悪くならない」 デイリースポーツ 2017.3.11
- ^ 貴闘力がブチかます「相撲スキャンダルと力士改革」(3)私が知る貴乃花親方は… アサ芸プラス 2018年2月5日 12:56(徳間書店、2018年2月26日閲覧)
- ^ “貴闘力が大仁田厚とプロレスデビュー戦”. nikkansports.com. (2014年2月5日) 2014年2月5日閲覧。
- ^ a b 貴闘力が激白「わずか3戦で引退を決意した理由」 東スポWeb 2015年1月10日 09時00分
- ^ “貴闘力対曙戦が決定 秋にもプロレス対決”. nikkansports.com. (2015年4月25日) 2015年8月7日閲覧。
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2011年1月22日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 貴闘力 忠茂 - 日本相撲協会
- マネージメント 貴闘力│GHKクリエーションズ
- 焼肉本店ドラゴ
- 焼肉肉しゃりドラゴ
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