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花光節夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
花光 節夫
基礎情報
四股名 遠藤 節夫→花光 節夫→花光 節男→花光 節夫
本名 遠藤 節夫
生年月日 (1940-06-21) 1940年6月21日
没年月日 不明
出身 岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市
身長 178cm
体重 130kg
BMI 41.03
所属部屋 花籠部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭3枚目
生涯戦歴 462勝435敗17休(74場所)
幕内戦歴 170勝205敗(25場所)
優勝 十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
データ
初土俵 1958年5月場所
入幕 1965年11月場所
引退 1970年9月場所
引退後 年寄・大嶽→同・放駒→料理店経営
備考
金星1個(柏戸1個)
2019年7月13日現在

花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明[1])は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。

来歴・人物

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父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。

高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。

1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。

左四つからの寄りという地味な相撲を得意とし、二桁勝利や三賞三役とは縁はなかったが幕内を通算25場所務めた。

唯一の金星1968年(昭和43年)5月場所、3日目に柏戸から挙げたものであった。だが、同場所では惜しくも7勝8敗と負け越したため、殊勲賞受賞を逃してしまった。

1970年(昭和45年)3月場所以降は幕内から遠ざかり、同年9月場所では幕下まで番付を落とし、同場所限りで現役を引退した。

引退後は、年寄大嶽を当時現役だった大鵬(横綱)から借り受けて襲名し、花籠部屋や大鵬部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たった。

1974年(昭和49年)からは、同じく現役力士だった龍虎(小結)より放駒の名跡を借り受けていたが、1975年(昭和50年)5月場所限りで廃業(名跡保有者である、龍虎自身の引退に伴う)。

廃業後は青森市で、季節料理・鍋物料理の店「ちゃんこ道場」を経営した。

主な成績・記録

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  • 通算成績:462勝435敗17休 勝率.515
  • 幕内成績:170勝205敗 勝率.453
  • 現役在位:74場所
  • 幕内在位:25場所
  • 金星:1個(柏戸1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1965年9月場所)
    • 三段目優勝:1回(1959年11月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(1958年7月場所)

場所別成績

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花光 節夫
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1958年
(昭和33年)
x x (前相撲) 東序ノ口6枚目
優勝
8–0
東序二段37枚目
5–3 
西序二段18枚目
6–2 
1959年
(昭和34年)
三段目102枚目
2–6 
東序二段5枚目
6–2 
東三段目82枚目
5–3 
東三段目69枚目
4–4 
東三段目66枚目
7–1 
東三段目25枚目
優勝
8–0
1960年
(昭和35年)
西幕下53枚目
4–4 
東幕下47枚目
3–5 
東幕下53枚目
4–4 
西幕下50枚目
6–1 
西幕下31枚目
5–2 
東幕下23枚目
3–4 
1961年
(昭和36年)
西幕下28枚目
4–3 
東幕下21枚目
5–2 
東幕下13枚目
3–4 
西幕下14枚目
3–4 
東幕下19枚目
4–3 
東幕下13枚目
4–3 
1962年
(昭和37年)
西幕下10枚目
3–4 
西幕下13枚目
4–3 
東幕下9枚目
6–1 
東幕下2枚目
6–1 
東十両14枚目
8–7 
東十両11枚目
8–7 
1963年
(昭和38年)
東十両6枚目
12–3 
東十両筆頭
8–7 
東十両筆頭
6–9 
西十両3枚目
6–9 
東十両5枚目
7–8 
東十両6枚目
9–6 
1964年
(昭和39年)
東十両筆頭
5–10 
東十両6枚目
7–8 
東十両7枚目
8–7 
東十両6枚目
7–8 
東十両7枚目
5–10 
東十両13枚目
12–3 
1965年
(昭和40年)
東十両5枚目
11–4 
東十両2枚目
5–10 
東十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
7–8 
西十両5枚目
優勝
12–3
東前頭14枚目
8–7 
1966年
(昭和41年)
東前頭14枚目
9–6 
西前頭10枚目
9–6 
東前頭7枚目
5–10 
西前頭12枚目
7–8 
東前頭13枚目
4–11 
西十両3枚目
12–3 
1967年
(昭和42年)
西前頭11枚目
8–7 
西前頭8枚目
8–7 
西前頭5枚目
6–9 
西前頭6枚目
6–9 
西前頭9枚目
7–8 
西前頭9枚目
9–6 
1968年
(昭和43年)
東前頭3枚目
5–10 
西前頭8枚目
9–6 
西前頭3枚目
7–8
西前頭3枚目
4–11 
西前頭8枚目
8–7 
西前頭6枚目
6–9 
1969年
(昭和44年)
東前頭9枚目
6–9 
東前頭11枚目
9–6 
東前頭5枚目
6–9 
西前頭9枚目
7–8 
東前頭10枚目
7–8 
東前頭11枚目
8–7 
1970年
(昭和45年)
東前頭7枚目
2–13 
東十両3枚目
0–5–10 
西十両13枚目
9–6 
西十両7枚目
2–13 
西幕下7枚目
引退
0–0–7
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 5 11 朝岡 3 0 浅瀬川 3 5 朝登 3 1
旭國 3 1 天津風 1 1 荒波 2 1 追風山 2 2
大位山 0 1 扇山 2 1 小城ノ花 4 1 魁罡 2 3
海乃山 4 8 開隆山 4 2 柏戸 1 2 和晃 1 0
金乃花 1 1 北ノ國 1 3 北の花 2 0 北の富士 1 2
君錦 1 2 清國 1 2 麒麟児 0 2 黒姫山 2 0
高鉄山 5 6  琴櫻 2 2 佐田の山 0 1 大心 1 3
大雪 0 1  大鵬 0 1 大文字 2 3 大雄 9 7
大竜川 1 4 高見山 2 5 玉嵐 1 0 玉乃島 1 2
鶴ヶ嶺 2 2 天水山 1 1 時葉山 3 5 戸田 3 9
栃東 4 5 栃勇 1 0 栃王山 4 2 栃富士 1 0
豊國 2 4 錦洋 1 3 長谷川 2 5 花田 2 0
廣川 5 5 福の花 4 8 富士錦 6 3 藤ノ川 3 4
二子岳 4 3 前田川 0 1 前の山 2 5 三重ノ海 0 3
禊鳳 2 7 明武谷 6 5 陸奥嵐 1 7  豊山 1 2
吉王山 1 0 義ノ花 4 7 若杉山 2 0 若浪 8 9
若鳴門 6 2 若二瀬 4 5 若見山 5 3 若吉葉 1 2

改名歴

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  • 遠藤 節夫(えんどう せつお)1958年7月場所-同年9月場所
  • 花光 節夫(はなひかり -)1958年11月場所-1959年1月場所
  • 花光 節男(- せつお)1959年3月場所
  • 花光 節夫(- せつお)1959年5月場所-1970年9月場所(引退)

年寄変遷

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  • 大嶽 節夫(おおだけ せつお)1970年9月-1974年1月
  • 放駒 節夫(はなれごま -)1974年1月-1975年5月(廃業)

脚注

[編集]
  1. ^ 『大相撲力士名鑑』(共同通信社刊)の「花光」の欄の「没年月日」の項には、「不詳」と記載されている。

参考文献

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関連項目

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