序二段

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序二段(じょにだん)は、大相撲番付の1つ。三段目の下、序ノ口の上。

概要[編集]

呼称の由来は、番付表の下から2段目に書かれることに由来する。上から数えたら4段目であるため、江戸時代には「四段目」と呼ばれていた。15日間で7番の相撲を取る。

三段目以上とは異なり定員は決まっておらず、人数は毎場所変動する。1990年代前半は新弟子が激増したために200枚を超えることもあった。2018年5月場所現在までの最多枚数は1994年平成6年)5月場所における210枚(延べ420人)である[1]。大半の場所で三段目に在位する力士数を上回り、全段で最も多くの力士が在位するが、2007年時津風部屋力士暴行死事件2010年大相撲野球賭博問題2011年大相撲八百長問題など不祥事が続発して以降、力士数が顕著に減少し、2013年(平成25年)1月場所では、1979年(昭和54年)3月場所以来34年ぶりに東西で100枚未満となり、三段目に在位する力士数を下回った。平成以降の最小枚数は2014年平成26年)3月場所における89枚(延べ178人)である。序ノ口との比率について、規定は明文化されていないが、21世紀以降は5月場所のみ序二段75%に対し序ノ口25%、5月場所以外は序二段80%に対し序ノ口20%が目安とされている。

優勝賞金は20万円。大相撲本場所の幕下以下の取組でスイス式トーナメントを導入している関係上[2]、力士数が多い序二段では、大半の場所で7戦全勝の力士が現れる。全勝力士が2人現れて千秋楽に全勝同士の優勝決定戦が行われる場所もしばしばである[3]2013年3月場所では様々な要因が相重なり[4]、34年ぶりに全勝力士が不在になった[5]

昇進・陥落要件[編集]

序二段に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではない。1990年代以降の番付編成の傾向をみると、以下の成績を上げれば翌場所の三段目昇進は確実とされる。

  • 20枚目以内は4勝以上。
  • 40枚目以内は5勝以上。
  • 70枚目以内は6勝以上。
  • 71枚目以下は7戦全勝(優勝の有無を問わず、無条件で昇進)。

しかし、1967年3月場所に東序二段81枚目に在位し、7戦全勝で優勝を決めた伊勢ノ海部屋河野山朝雄は、翌1967年5月場所に敢行された番付削減の影響により三段目に昇進できず、同場所も東序二段9枚目[6]に据え置かれた。幕下以下1場所7番制が定着した1960年7月場所以降、序二段で全勝した力士が翌場所も序二段に留まったケースはこれが唯一とされる。

序ノ口への陥落についてはさらに流動的で、特に翌場所に大量の新弟子が序ノ口に登場する5月場所は、序二段で負け越しても、序二段下位で全敗あるいは全休でもしない限り陥落せず[7]、逆に序ノ口で負け越した力士までが新弟子に押し上げられる形で序二段に昇進するケースも多い。

1950年代までは、場所前半の前相撲新序の資格を得た優秀な新弟子は場所後半に序ノ口の取組に出場し、さらに次場所でいきなり序ノ口を飛び越して序二段の番付に載せたことがあった。現在は前相撲出場力士が序ノ口力士と対戦することはないため、前相撲に出場した力士は必ず1場所以上の序ノ口経験を必要としている。

記録[編集]

いずれも、2018年3月場所終了時点の記録である。

  • 序二段以下まで陥落した元幕内の力士は、男嶌騏乃嵐[8]佐嘉昇玉海力[8]若ノ城鳥羽の山琉鵬舛乃山の8人おり、このうち琉鵬と舛乃山は序ノ口まで陥落した。なお、当該8人に陥落後幕内に再昇進した力士はいない。
  • 1909年6月場所に大相撲の優勝制度が設けられて以降、序二段優勝を3回以上記録した力士は1人もおらず、2回記録した力士も鶴ノ富士朝陽丸慶天海栃飛龍をはじめ11名しかいない。そのうち5名は2回目の優勝を記録する前に十両もしくは幕下上位への在位を経験し、負傷や疾患による休場で序二段まで番付を降下させ、復帰直後に優勝した。
  • 優勝を伴わない7戦全勝も含めると、春日野部屋の棟方弘光(1993年7月場所・1994年3月場所・2002年11月場所[9]でいずれも決定戦敗退)の3回が最多記録である。
  • 序二段に在位した場所数が最も多い力士は、北の湖部屋[10]北斗龍定裕で現役生活186場所中151場所在位した。
  • 序ノ口から序二段に昇進した回数が最も多い力士は、二所ノ関部屋の笠力充将で34回記録した。

脚注[編集]

  1. ^ 当場所では序ノ口も69枚(69枚目は東のみ・延べ137人)存在し、序二段・序ノ口の合計人数も史上最多の延べ557人となっていた。
  2. ^ 同部屋・力士間の親族関係など、厳密な規定を無視すると、スイス式トーナメントでは出場力士128名中1名が必然的に7連勝となる。
  3. ^ 1991年11月場所から2001年1月場所までは、56場所連続で序二段に全勝力士が複数現れ、全勝同士の優勝決定戦が行われていた。
  4. ^ 当場所の序二段の枚数は東西94枚まで減少し、必然的に6番相撲まで連勝を続ける力士が2~3名をなり得る状況であった。更に、初戦から6連勝した力士が序ノ口には1名しかおらず(後の幕内石浦)序二段には2名、三段目には3名(そのうち番付が最も低い力士が元幕内・土佐豊)おり、審判部が星違いの対戦を避けるためにか序二段の両者を直接対戦させず、「石浦-(6連勝力士の下位の方)」、「(6連勝力士の上位の方)‐土佐豊」の割を組み、いずれも序二段側が敗れたため序二段の全勝力士不在という珍事に至った。
  5. ^ 6勝1敗が元十両飛天龍を含め9人。
  6. ^ 河野山は最終的にこれを自己最高位として、三段目に昇進することなく廃業したため、史上初の三段目以上に在位することなく引退した序二段優勝経験者とされる。
  7. ^ 序二段も大量増員されるため、序二段の中で番付は下がる。
  8. ^ a b 騏乃嵐及び玉海力は序二段に陥落した場所前に引退し、番付に掲載されたのみで出場はしなかった。
  9. ^ 当場所の序二段優勝は、後の小結時天空だった。
  10. ^ 2016年より山響部屋

関連項目[編集]