千代翔馬富士雄

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千代翔馬 富士雄 Sumo pictogram.svg
Chiyoshoma 2016-1.jpg
基礎情報
四股名 翔馬 → 千代翔馬
本名 ガンバータル・ムンクサイハン
Ганбаатарын Мөнхсайхан
愛称 ムンク[1]、サイハン[1]
生年月日 (1991-07-20) 1991年7月20日(27歳)
出身 モンゴル人民共和国の旗 モンゴルウランバートル市
身長 184cm
体重 136kg
BMI 40.17
所属部屋 九重部屋
得意技 押し・左四つ・寄り・投げ[1]
成績
現在の番付 東前頭14枚目
最高位 西前頭2枚目
生涯戦歴 267勝233敗(55場所)
幕内戦歴 91勝104敗(13場所)
優勝 幕下優勝1回
データ
初土俵 2009年7月場所
入幕 2016年9月場所
趣味 バスケットボール、卓球、ビリヤード[1]
備考
2018年10月29日現在

千代翔馬 富士雄(ちよしょうま ふじお、1991年7月20日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で、九重部屋所属の現役大相撲力士。本名はガンバータル・ムンクサイハンモンゴル語キリル文字表記:Ганбаатарын Мөнхсайхан)。身長184cm、体重136kg。血液型はO型。最高位は西前頭2枚目(2017年5月場所)。得意手は押し、左四つ、寄り、投げ。愛称は、ムンク、サイハン。

来歴[編集]

父親はモンゴル相撲の大関。子供の頃はどこへ行くにも父親がそばにいたというが、そんな父には柔道相撲の練習にばかり連れて行かれたという。さらに自身と朝青龍の父親同士が知り合いという関係もあって、いずれ角界入りしようという気持ちもあった[2]。地元にやってきた13代九重(元横綱千代の富士)の紹介によって下積みとして明徳義塾高校へ留学。同高校を2年で中退して2009年7月場所に初土俵。同期生として碧山がおり、2人は相撲教習所の卒業同期でもある[3]。入門当初は87kgという軽量であったため、本人曰く本当にやっていけるかどうか心配だったといい、実際入門当初は体がある程度できあがっていた碧山に全く歯が立たなかった[4]。それでもモンゴル相撲の大関として人気を集めていた父親のことを考えると途中で諦めたら恥ずかしいと思い、相撲に打ち込んだという[2]。初土俵から三段目までは四股名を翔馬と名乗っていた。新三段目となる2010年7月場所からは千代翔馬を名乗るようになり、そこから1年余りかけて初めて幕下に昇進。それから2012年9月場所までは幕下と三段目を往復する状況であったが、翌11月場所から幕下に定着。幕下に定着する前までは同部屋・同い年の千代皇千代丸に水を空けられて悔しい思いをしたといい、これをバネに稽古に打ち込んだという[2]2013年11月場所を東幕下40枚目での5勝2敗、翌2014年1月場所を東幕下25枚目での4勝3敗としたことで続く2014年3月場所は最高位を西幕下18枚目まで更新。さらに2015年11月場所では西幕下3枚目の位置にまで進み、6勝1敗と大きく勝ち越して、2016年1月場所で十両昇進を果たした[5]。新十両会見では、「(6年半は)長かった。本当は入門から4年で昇進が目標だった。」と苦悩も明かしたが、「まだ上の番付があるので、もっと頑張りたい。(目標は)師匠のような相撲を取りたい。」と宣言した。[6]西十両12枚目に名を連ねて臨んだ同場所では、8勝7敗と見事に勝ち越し。十両では3場所目の同年5月場所で負け越したものの、4場所で通過となった。

2016年9月場所で新入幕[7]。7月31日に13代九重が死去し、20代佐ノ山だった元大関千代大海が14代九重を襲名し新師匠となって初の入幕力士である。新入幕の昇進会見では「うれしいですね。先代の相撲を毎日、映像で見て勉強していた。」と喜びを語った。9月場所の目標を聞かれるとポツリと「勝ち越しです。」と答えたところ、同席していた新師匠が「10番勝ったら三賞を取れる。そう言いなさい。」と軌道修正を促したが、「一番一番です。」と謙虚な姿勢を崩さなかった[8]。この場所は12日目に勝ち越しを確定させたが、残りを3連敗して8勝7敗で場所を終えた。11月場所は10日目から給金相撲を4連続で落としたものの14日目に勝ち越し、千秋楽も勝って9勝6敗として2場所連続幕内勝ち越しとなった。2017年1月場所は14日目から給金相撲を懸けたが千秋楽まで2連敗して7勝8敗と3場所振りに負け越してしまった。翌3月場所は11日目を終えて8勝3敗と平幕で3番目に早く勝ち越し、優勝争いに参加する活躍を遂げたが、これについて本人は「全然気にしてない。まあ、一番一番。」と受け流していた。九重部屋は部屋別では最多となる52回の優勝を誇ることを聞くと「知らなかったっす。50年で52回ですか。先代の親方も優勝していて、今の師匠も優勝してる。まだまだですけど、近づけるように努力をしていきたい。」とコメントした。自己最高の132㎏で場所に臨んだ事に記者が言及すると「食べても、飲んでも強くはならない。稽古です。先代からも、やればいいことが返ってくるから、自分のためにやれ、と言われ続けた。」と言った[9]。だが12日目に4敗目を喫して優勝争いから脱落、その後失速して9勝6敗に終わった。4月の春巡業では3日目の加東場所で逸ノ城に投げられた際に負傷、そのまま巡業を離脱して帰郷[10]。初の上位総当たり戦となる5月場所は10日目に負け越しを喫するなど上位の壁に阻まれ、最終的に5勝10敗となり三役昇進はならなかった。当場所5日目の稀勢の里戦で敗れた際には「横綱が若い衆と遊んでいるみたいでしたね。力をつけてまた対戦したい。」と取組の感想などについてコメントした[11][12]。5月場所で前頭5枚目前後の地位に上がる星の力士が少なかったため、7月場所は幸運にも2枚半減の東前頭5枚目で踏みとどまった。しかし運が悪いことにこの7月場所は上位陣の休場が相次いでいたため8日目から2横綱2大関と対戦する羽目になった。結局大関・横綱との対戦では9日目の豪栄道に勝った[13]のみで、最終成績は5勝10敗に終わった。東前頭8枚目で迎えた翌9月場所でも序盤から星が伸びず、11日目の豪風戦で敗れて4勝7敗と追い込まれたが、その後を4連勝して8勝7敗と勝ち越した。10月28日の秋巡業広島場所では日馬富士に、29日の福山場所では白鵬に、それぞれ、立合い確認の相手に指名される経験をした[14][15]。翌11月場所は東前頭6枚目で迎えたが、9日目の北勝富士戦で3度に亘って立合いが不成立となった挙句、最初の不成立の際に北勝富士を突き飛ばす仕草を見せ、取組後に審判部副部長の藤島(元大関・武双山)から口頭注意を受けた[16]。同場所は7勝7敗同士の取組となった千秋楽の安美錦戦に敗れて負け越し。2018年1月場所は序盤から白星を先行させたものの、11日目から5連敗と失速して6勝9敗の負け越し。翌3月場所は8場所ぶりに幕内の二けたの番付となったが、足を痛めた影響で本来の相撲が取れず、序盤は1勝5敗と大きく黒星を先行させた。しかし中盤から足の状態が良くなるにつれて調子を上げ、10日目からは6連勝をするなど先場所とは対照的な成績で9勝6敗と勝ち越した。9月場所は足の怪我の状態があまり良くなっていない中で東前頭15枚目の地位の力士として土俵に上がった。場所中に右足裏裂傷を負ったが、13日目に勝ち越しを決めて幕内残留を確定させた[17]。しかし残りの2番は両方黒星で、8勝7敗に終わっている。

人物[編集]

新入幕を果たした際には、14代九重が「先代が一番よく褒めた関取なんです。珍しくね。うちの関取衆は誰ひとり褒められてないから。『一番稽古するのは千代翔馬だ』と、それは若い衆の頃から言われていました。気迫を前面に出して、なかなか相撲っぷりもいいし、先代が手塩にかけて育てたと言えます」「稽古量のわりには出世に時間が掛かったけれど、先代の相撲を毎日ビデオで見ていたのは、彼しかいない。素直で研究熱心で、前の晩に見た相撲を翌日の稽古場で試すんです。先に先に動く頭のいい子でもある」と評した。一方で「課題としては、冷静さがないんですよね。初日から3連敗するとか、気迫が前面に出過ぎる。先代が『頭を使って相撲を取れ』と言ったのは、そういうこともあるんだと思う。気持ちで相手に勝れば、相撲に勝てると思ってしまうタイプでね」と弱点も語った[18]

エピソード[編集]

  • 2017年夏巡業中、日刊スポーツの絵日記企画で、絵が苦手ながらもオオカミを描いた。モンゴルでは縁起が良い動物であり、モンゴル族の祖先という言い伝えがあったり、知恵があって勇敢な動物としてあがめられていると言われる。「モンゴルではオオカミの足首の骨とかをお守りにして持つんです。自分も持ってます。実家には毛皮もありますよ」と千代翔馬は記者に教えた[19]
  • 2018年7月場所には緑の地にライオンの描かれた浴衣で場所入りした[20]

取り口[編集]

入門当初は体重が87kg[2]しかなく、圧力に欠けるため投げ主体の相撲を取り、引き技も多用していた。当初から投げが得意で取り分け上手投げが強みだが、幕下に定着する前まではまともな寄りや押しに屈する場面が多かった。幕下に定着するようになって120kgに迫る体格を手に入れてからは引き技が影を潜め、代わりに廻しを引いてのしぶとさが活きるようになった。2014年1月場所後の稽古場では廻しの引き付けを活かし、体重180kgの千代丸に勝つこともあった[21]。稽古場で強い反面本場所に弱いとされ、部屋の弟弟子である千代大龍が不思議がっている様子が伝えられたこともある[2]。新十両会見では13代九重から「まあ、しょせん無理だろうけど。」とくぎを刺されたものの「(九重)親方みたいに前まわしを取って攻める相撲を取りたい。」と取り口についての抱負を語った[22]。新入幕を果たしたころの相撲ぶりについては、2016年9月場所前の座談会で35代木村庄之助が「この力士も投げばかりという感じだね」と評した[23]阿武松には2016年9月場所後の座談会において「もっと上にいこうと思えば変化を減らして、踏み込んで速く上手を取る相撲を目指してほしいです。」と注文を付けられた[24]。2017年3月場所6日目の取組後には「立ち合いだけしっかり当たって、あとは体に任せる。当たりが悪いと軽いし、何もできない。」と自身の相撲ぶりについて語った[25]。入幕してからも引き技が強く、2016年11月場所などは勝った9番中4番が叩き込みによる白星であった。2017年3月場所6日目に北勝富士を叩き込みで破った際にも「立ち合いだけしっかり決めて、あとは流れに任せようとした。」と、あたかも引き技を前提としているかのようにコメントした[26]。2018年3月場所前の寸評では、しぶとさと思い切りの良さで動きながら勝つ相撲を取りつつも、自ら「自分の持ち味がない。」と自分の型を模索している様子が伝えられた[27]

主な成績[編集]

2018年9月場所終了現在

  • 通算成績:267勝233敗(55場所)
  • 幕内成績:91勝104敗(13場所)
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(2015年9月場所)
  
千代翔馬 富士雄
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2009年
(平成21年)
x x x(前相撲) 東序ノ口31枚目
6–1 
東序二段65枚目
3–4 
2010年
(平成22年)
西序二段92枚目
5–2 
東序二段42枚目
4–3 
東序二段17枚目
4–3 
東三段目100枚目
4–3 
東三段目80枚目
2–5 
東序二段6枚目
5–2 
2011年
(平成23年)
西三段目72枚目
4–3 
八百長問題
により中止
東三段目55枚目
5–2 
東三段目13枚目
5–2 
東幕下56枚目
3–4 
西三段目8枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
東三段目23枚目
6–1 
西幕下44枚目
2–5 
西三段目8枚目
5–2 
西幕下48枚目
2–5 
西三段目11枚目
5–2 
西幕下49枚目
5–2 
2013年
(平成25年)
西幕下34枚目
3–4 
東幕下41枚目
4–3 
東幕下32枚目
4–3 
東幕下25枚目
3–4 
西幕下33枚目
3–4 
東幕下40枚目
5–2 
2014年
(平成26年)
東幕下25枚目
5–2 
西幕下18枚目
5–2 
東幕下10枚目
4–3 
東幕下8枚目
3–4 
東幕下13枚目
4–3 
西幕下11枚目
3–4 
2015年
(平成27年)
西幕下16枚目
2–5 
西幕下30枚目
5–2 
西幕下20枚目
4–3 
西幕下15枚目
4–3 
東幕下11枚目
優勝
6–1
西幕下3枚目
6–1 
2016年
(平成28年)
西十両12枚目
8–7 
東十両10枚目
11–4 
西十両2枚目
7–8 
西十両3枚目
9–6 
西前頭12枚目
8–7 
東前頭10枚目
9–6 
2017年
(平成29年)
東前頭6枚目
7–8 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭2枚目
5–10 
東前頭5枚目
5–10 
東前頭8枚目
8–7 
東前頭6枚目
7–8 
2018年
(平成30年)
東前頭7枚目
6–9 
東前頭10枚目
9–6 
東前頭6枚目
6–9 
東前頭8枚目
4–11[28] 
東前頭15枚目
8–7 
東前頭14枚目
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 翔馬 富士男(しょうま ふじお)2009年5月場所 - 2010年5月場所
  • 千代翔馬 富士雄(ちよしょうま ふじお)2010年7月場所[29] -

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『相撲』2016年7月号59ページ
  2. ^ a b c d e 『大相撲ジャーナル』2014年9月号97頁
  3. ^ 日本人力士は初土俵の場所後に半年間の通所が義務付けられ、外国人力士はこの期間が1年設けられる。
  4. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号67ページ
  5. ^ 剣翔、千代翔馬が新十両昇進 再十両は千代の国、出羽疾風 SANSPO.COM 2015年11月25日(2015年11月25日閲覧)
  6. ^ 千代翔馬「6年半長かった。師匠のような相撲を」 日刊スポーツ 2015年11月25日12時7分
  7. ^ “九重親方育てた千代翔馬新入幕、安美錦十両 新番付”. 日刊スポーツ. (2016年8月29日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1701752.html 2016年8月29日閲覧。 
  8. ^ “新入幕の千代翔馬“ウルフ魂”継承「先代の相撲を毎日、映像で見て勉強していた」”. スポーツ報知. (2016年8月29日). http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160829-OHT1T50132.html 2016年8月29日閲覧。 
  9. ^ 九重部屋 独立50周年記念パワー! 千代の国・千代翔馬2敗守った! 東京中日スポーツ 2017年3月20日 紙面から
  10. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号18頁
  11. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p19
  12. ^ 千代翔馬、稀勢の下半身の粘りに「横綱が若い衆と遊んでいるみたいでした」 SANSPO.COM 2017.5.18 19:39
  13. ^ ちなみに当該白星は自身にとって大関戦初勝利であった。 豪栄道が4敗目 千代翔馬は大関戦初勝利 デイリースポーツ 2017.7.17
  14. ^ 秋巡業終了 休場明けの3横綱が九州出場へ意欲 産経ニュース 2017.10.29 18:16(産経新聞社、2017年11月6日閲覧)
  15. ^ 日刊スポーツ 2017年10月29日
  16. ^ 千代翔馬、3度合わず 手つき不十分で注意/九州場所 SANSPO.COM 2017.11.20 20:57(産経新聞社、2017年11月23日閲覧)
  17. ^ 『相撲』2018年10月号 p.63
  18. ^ 新生・九重部屋初の新入幕、千代翔馬。2人の師匠の教えを胸に土俵に上がる。 Number Web 2016/09/10 08:00
  19. ^ 8月23日 千代翔馬「特別なオオカミ」 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社、2018年8月31日閲覧)
  20. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.86
  21. ^ 『相撲』2014年3月号80頁
  22. ^ 新十両昇進の千代翔馬、目標は「攻める相撲」 九重親方「しょせん無理」 2015年11月25日12時43分 スポーツ報知
  23. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号75ページ
  24. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号17ページ
  25. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号37ページ
  26. ^ 御嶽海「自分の立ち合い、良すぎて『あれっ』と…」 SANSPO.COM 2017.3.17 19:41
  27. ^ 『相撲』2018年3月号 p.55
  28. ^ 右母趾MP関節炎及び右母趾末節骨骨折のため千秋楽を休場(不戦敗)
  29. ^ 日本相撲協会公式サイト(携帯版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]