幕下付出

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幕下付出(まくしたつけだし)とは、大相撲において学生・アマチュア時代に優秀な成績を収めた力士の地位を優遇する制度である。幕下附出、幕下付け出しとも表記する。付け出された力士はその場所の番付には載らず、幕下で相撲を取りその本場所の成績によって翌場所の地位が決められ正式に番付に記載される。ここでは2015年に新設された三段目最下位格付出についても記述する。

幕下付出の対象[編集]

現行では義務教育を終了(中学卒業見込みを含む)した25歳未満(新弟子検査時点)の男子のうち次の基準を満たした者に幕下付出が認められる。期限はいずれも優勝の日から1年間[1]である。

幕下15枚目格付出:「全日本相撲選手権大会」(アマチュア横綱)、「全国学生相撲選手権大会」(学生横綱)、「全日本実業団相撲選手権大会」(実業団横綱)、「国民体育大会相撲競技(成年男子A)」(国体横綱)のいずれかに優勝した場合。
幕下10枚目格付出:「全日本相撲選手権大会」の優勝に加えてその他3大会のいずれか1つ以上に優勝した場合。

1966年5月以前[編集]

付け出しの制度は大正以前から存在し、その実力に応じて各段の番付上に付け出された。幕下のみに付け出されるようになったのは昭和に入ってからのことである。1960年(昭和35年)の大塚(豊國)範以降、大学を卒業したものは幕下に付け出すという慣例ができた。付け出される枚数はその都度異なり、内田(豊山)勝男は10枚目格で付け出された。

なお幕下付出力士が2点以上負け越す三段目を飛び越して序二段へ、全敗した場合序ノ口まで下げる規定が存在し、1966年3月場所に幕下50枚目格(当時は幕下は100枚)で初土俵を踏んだ山田(山田山)修身は2勝5敗と負け越したため翌5月場所は東序二段50枚目まで下げられた(その場所は7戦全勝で優勝)。

1966年5月 - 2000年(平成12年)9月[編集]

山田山のケースをきっかけに、1966年(昭和41年)5月から幕下最下位格付出に固定された。編成上は最下位の枚数(2015年現在は60枚目)と同列に扱われ、負け越しても序二段ではなく成績通りに三段目に陥落するよう改められた。実際、野村双一(出羽の花義貴)のように一度は跳ね返されてしまう力士や十両昇進を果たせなかった力士もいた。2場所連続で全勝、またはそれに近い成績を挙げれば2場所で十両に昇進できる。この期間内に2場所で十両昇進を果たした力士としては輪島博(大士)、長岡末弘(朝潮太郎)、尾曽武人(武双山正士)、竹内雅人(雅山哲士)の4人が知られる。

当初は大学相撲の体重別で上位入賞の経験があれば、卒業するとほぼ無条件で幕下最下位格に付け出された[2]が、1992年平成4年)に秋本(大凰)紀久が初土俵から3場所連続で負け越すと付出力士の資質が問題となり、同年7月場所から実質無条件が「申請から直前の2ヶ年において全日本選手権ベスト16以上、学生選手権、実業団選手権、国体成年A、東日本学生相撲選手権、西日本学生相撲選手権大会のいずれかに優勝、または3位以内が2回」に基準が厳格化され、さらに1993年(平成5年)1月からは東日本学生相撲選手権、西日本学生相撲選手権大会が対象から除外されると同時に申請可能な年齢が満20歳以上25歳未満と定められた[3]

1992年3月場所には成松(智ノ花)伸哉が27歳で幕下付出で初土俵を踏み、妻子持ちで教職を辞しての初土俵が話題となった(同年中に入門者の年齢制限が20歳未満、幕下付出資格者は23歳未満と設けられたが、年末には23歳未満、幕下付出資格者は25歳未満に緩和)。

1993年3月以降で、学生相撲出身ながらも資格が得られず前相撲から取った力士では、堤内(北勝光)康仁が初めて十両に昇進し、さらに谷地(栃乃花)仁が入幕を果たし三役まで昇進するなど活躍した。そのことで下積みの重要性が再認識され、時津風理事長(元・豊山勝男)によって[4]、基準が厳格化されるきっかけとなった。

2000年9月以降[編集]

2000年(平成12年)9月から基準をさらに厳格化され現行の規定となり、付け出される枚数が幕下10枚目格付出と幕下15枚目格付出に改められた。当初はタイトルを取った当年度限り有効とされていたが、新制度適用第1号の垣添徹が資格取得後の怪我で初土俵が遅れたため、優勝の日から1年間と有効期間が改められている。幕下15枚目以内で全勝した場合は十両昇進の対象とする内規があるため、最短1場所で関取になることが可能になった。15枚目格付出力士は9人、10枚目格付出力士は、市原(清瀬海)孝行アマチュア横綱に加え国体成年Aに優勝し、この制度となって初めて10枚目格付出の資格を得て2007年1月場所に初土俵を踏んだ。現行の規定になってから2017年現在まで1場所で十両昇進した力士はおらず、2場所で十両に昇進した力士としては成田(豪風)旭内田(普天王)水遠藤聖大、アルタンホヤグ・イチンノロブ(逸ノ城駿)、大道(御嶽海)久司矢後太規の6人がいる(遠藤、御嶽海は10枚目格付出)。

一方で、2004年(平成6年)1月場所初土俵の大西(嘉風)雅継は、日本体育大学3年次に付出資格であるアマチュア横綱のタイトルを獲得しながら卒業を優先したため資格が失効し、4年次に3大タイトルを獲得できなかったため前相撲からのデビューとなり、「タイトルホルダー初の前相撲デビュー」として注目された。2015年(平成27年)3月場所初土俵の中村(北勝富士)大輝は、日本体育大学2年次に学生横綱、3年次に国体横綱と付出資格を2度得ながら、4年次に3大タイトルを獲得できず前相撲デビューに。その他、学生横綱では佐久間(常幸龍)貴之日本大学2年次にタイトル獲得。2011年(平成23年)5月技量審査場所初土俵)、正代直也東京農業大学2年次にタイトル獲得。2014年(平成26年)3月場所初土俵)が前相撲からデビューしている。

2006年(平成18年)に実業団横綱となった石前辰徳(鳥取県体育協会)は幕下付出を申請したが、資格取得時は24歳であったものの2007年(平成19年)1月場所の新弟子検査時に25歳となるため、年齢制限により入門と付出が承認されず、角界入りを断念した。

2006年5月場所において、幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ下田圭将(若圭翔裕樹)が7戦全勝優勝を達成し、内規によってデビュー1場所での十両昇進が有力視されていたが、十両下位の力士の負け越しが少なかったこともあり昇進は見送られた#幕下付出力士の番付編成上の扱いの例参照)。その後若圭翔は十両に昇進することなく、2016年3月場所限りで引退した。

三段目最下位格付出の対象[編集]

現行では義務教育を終了(中学卒業見込みを含む)した25歳未満の男子のうち次の基準を満たした者に三段目最下位格付出が認められる。期限はいずれも8強進出の日から1年間[1]である。

三段目最下位(100枚目)格付出:「全日本相撲選手権大会」「全国学生相撲選手権大会[5]全日本実業団相撲選手権大会」「国民体育大会相撲競技(成年男子A)」のいずれかで8強以上に進出した場合。

2016年3月[編集]

2016年3月場所において、石橋広暉(朝乃山英樹、2015年度全日本相撲選手権3位)と小柳(豊山)亮太(同ベスト8)の2名が、制度が導入されてから初の三段目最下位格付出として初土俵を踏んだ。この2人は負け越し知らずのまま関取に昇進し、2017年9月場所では同時入幕(朝乃山は新入幕・豊山は再入幕)も果たしている。

2017年3月[編集]

2017年3月場所において、大波(若隆景)渥(2016年度全国学生相撲選手権準優勝)と村田亮(同ベスト4)の2人が三段目最下位格付出として初土俵を踏んだ。

問題点[編集]

日本相撲協会が幕下付出基準を厳格化したのは、下積みの重要性とともに、鳴り物入りで大学卒業後デビューした久島海啓太琴光喜啓司よりも、タイトル獲得後すぐ大学を中退した武双山正士が一気に番付を駆け上がったことから、真に実力のある者はすぐに関取に昇進できるように優遇し、その他には付け出しを認めないことで、年齢の若いうちにプロデビューさせるいわゆる「叩き上げ力士」の増加も狙ってのことだが、学生相撲出身等の実力者が前相撲でデビューすると序ノ口や序二段の優勝を含めた成績上位者を占めることが多いため、「高校、大学相撲経験があった方が有利」という状況はくつがえることはなく、基準が厳格化しても、相撲協会の思惑に反して中卒の叩き上げで成長する力士は思うように増加していないのが現状である。下級生のタイトル獲得者が大学を中退するケースも出ていない。

また、見直しの契機となった栃乃花も3年時に学生選手権で3位に入るなど故障がなければ幕下付出資格を取得していた可能性が高い実力者であり、見直し以降前相撲から初土俵を踏んで関取昇進を果たした力士もほとんどが旧基準を満たしていた。大学で4年間相撲部に在籍し、実績が旧基準にも満たない力士は幕下で壁に当たり低迷するケースが多く、2007年11月場所の磋牙司洋之まで関取昇進者はいなかった。このように、基準見直し以降、数年の前相撲デビュー学生出身関取の増加は「前相撲から取った力士が下積み経験のおかげで昇進を果たした」ことよりも、「付出力士に匹敵する実力者が前相撲から取った」結果といえ、前者に該当する力士は基準改正以前を含めても大翔大豪志古市貞秀、北勝光程度であった。しかし、2009年以降は旧基準を満たさない力士からも関取が多く出始めており、2010年3月場所で磋牙司が新入幕、2013年1月場所には松鳳山裕也が小結に昇進している[6]

事実上大学4年時の主要大会の成績のみでデビュー時の番付に大差がつくという基準自体も「真に実力のある者はすぐに関取に昇進でき」ているのかという意味で問題視されている。史上最速タイの所要6場所で十両へ昇進した土佐豊祐哉、史上最速タイの十両昇進に加え史上最速の所要9場所で幕内へ昇進した常幸龍、史上2位となる初土俵から12場所で三賞を受賞した正代のような大学相撲の実力者は、少なくとも十両昇進までは前相撲デビューでもそのハンデを感じさせない。一方で、付出力士の中でも学生時代にやや実力が劣ると見られていた大岩戸義之武誠山一成吐合明文朝陽丸勝人、若圭翔らは、十両に定着あるいは昇進できず低迷した[7]。このような事態を懸念してか、大学4年生がタイトルを獲得しても自信がないことなどを理由にプロ入りを断念するケースもみられる。特に2009年は学生選手権、国体、全日本選手権を全て大学4年生が制覇した[8]にもかかわらず、翌年は幕下付出力士がいなかった。なお、仮に現在の基準を過去の力士に適用した場合、出島武春(元大関)は三段目最下位格付出デビュー[9]、同学年の増健亘志(元十両)は幕下15枚目格付出デビュー、出島・増健の3学年後輩となる琴光喜(元大関)は大学3年次に獲得したアマチュア横綱のタイトル失効前に中退して角界入りするという条件[10]付きで幕下10枚目格付出デビューとなる。

2000年代以降、若手中堅関取における学生相撲出身者の占める割合は急増し、同年代の関取のうち過半数が外国人や学生相撲出身者で占められていることも珍しくない。付け出し力士の入門先は師匠の出身大学等である程度ルートができている場合も多く、特定の部屋に学生出身力士が集まる傾向が強いが、学生相撲の古豪である日本大学相撲部出身の力士はさまざまな部屋に入門する傾向がある。超大物の場合は引退後の身の振り方まで確約される場合もあるという[11]

幕下付出力士の番付編成上の扱いの例[編集]

大相撲には「幕下15枚目以上で全勝優勝した者は十両に昇進」という内規があるが、2006年5月場所で幕下15枚目格付出で7戦全勝優勝した下田(若圭翔)のケースでは、東幕下筆頭で上林(大岩戸)が5勝2敗、西筆頭の龍皇が4勝3敗で、十両から幕下に陥落する成績の力士が2名であった。1996年1月場所で西幕下筆頭で4勝3敗の琴藤本が昇進を見送られ、西2枚目で5勝2敗の彩豪、西9枚目で7戦全勝の旭天鵬が十両に昇進した例もあったことから下田が十両へ昇進する可能性も低くなかった。

この際、放駒審判部長は「昇進の権利があるが、第一優先ではない」と述べ、北の湖理事長は「東西の番付に力士はおり、付出は正位より地位が下である(同等ではない)」との見解を述べた。ただし、龍皇を優先したとしてもこの場所十両東8枚目で5勝10敗であった隆乃若を幕下に陥落させることも可能であった[12]が、幕下15枚目格付出で全勝優勝した下田の翌場所の番付での十両昇進はならなかった。

また、翌場所の下田の番付は西幕下3枚目で5勝2敗だった影山の東筆頭より下の西筆頭であったことから、結果として幕下15枚目格での全勝は上位での勝ち越しに劣る扱いとなった。幕下付出は「真に実力のある者はすぐに関取に昇進できるように優遇」する制度であるものの、この件により、幕下15枚目格付出は番付編成上は幕下15枚目より劣ることが既成事実となり、16枚目よりは上だが15枚目よりは下、言うならば15.5枚目のような位置づけになることが明確となった。ただし、審判部は「番付は生き物」という見解を示しており[13]、今後も勝敗のほか十両力士の成績および十両以上の引退力士数との兼ね合いや相撲内容などによって基準が変動することも考えられる。

三段目付出力士の取組編成上の扱いの例[編集]

2016年3月場所で制度創設後初めての三段目付出力士として初土俵を踏んだ石橋(朝乃山)と小柳(豊山)の場合は、初日にいきなり対戦が組まれたが、本来は三段目の実力を持っているのか否かを確認するための付出制度であったという理由から、このような取組編成は間違いであったとされている[14]。次に同じ場所で複数人が三段目付出として初土俵を踏んだ2017年3月場所では、若隆景と村田の直接対決はすぐには組まれなかったが、両者とも4連勝として勝ち越した時点で、三段目相応の実力を持っていると判断されて5番目で直接対決が組まれた[15]

幕下付出の場所で優勝した力士(昭和以降)[編集]

優勝同点(平成以降)[編集]

幕下・三段目以外の付出[編集]

過去には、非常に実力のある力士の場合、幕内付出にされる場合もあった(由良ノ海楫五郎など)が、2016年現在ではアマチュア時代にどれだけの実績を挙げても、必ず幕下10枚目格または15枚目格、三段目最下位格で初土俵を踏むことが厳格に定められているため、このようなケースは現行の規定ではあり得ない。また、明治から大正にかけて大坂相撲が存在していた頃には、さまざまな事情で大坂相撲から東京相撲へ移籍するケースも多く、その際には幕内をはじめ、実力相応の地位に付け出されることもあったが、2016年現在では興行そのものが日本相撲協会に一元化されているため、このようなケースは完全に消滅している。

雷電爲右エ門などは江戸相撲に関脇でデビューしている。ただし、雷電の場合は番付に関脇として記載されているので付出の例とはならない。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 資格取得時点で24歳の場合は25歳の誕生日を迎えるまで。
  2. ^ 例として長尾(舞の海)秀平は全日本相撲選手権ベスト32の実績を認められる形で幕下付出を承認された。
  3. ^ 生沼芳弘「大相撲における学生力士の研究」2001年
  4. ^ 実際に厳格化の中心となったのは「学生相撲出身」の時津風親方ではなく「中卒叩き上げ」の北の湖親方とされる[1]
  5. ^ 三段目最下位格付出制度創設時には全国学生相撲選手権大会は対象となっていなかったが、2016年7月17日の理事会で追加が決まった。
  6. ^ 大学時代に病気のため一度は相撲を諦めていた豊真将紀行も前相撲からスタートしたが、付出の同期力士を追い越し最終的に小結まで昇進した。
  7. ^ 大岩戸は初土俵から9年かけて幕内昇進も在位は1場所のみ。吐合と若圭翔は十両に昇進できぬまま初土俵から10年で、武誠山は同じく12年で、朝陽丸は同じく6年それぞれ引退。
  8. ^ 森本太良(拓大)が学生選手権・国体の2冠、冨田元輝(日大)が全日本選手権で優勝。
  9. ^ 1995年度全日本相撲選手権ベスト4。
  10. ^ 同年度はアマチュア横綱の他に国体横綱、学生横綱も獲得。大学4年次は国体、学生選手権は連覇も全日本選手権(大学2年次にも獲得)は3連覇ならず。
  11. ^ 大翔山直樹は、同郷の中川親方(前2・清惠波)から年寄名跡の譲渡を提示され、立浪部屋に入門したことが明らかになっている。
  12. ^ 幕下上位力士との兼ね合いもあるが、以前戦闘竜や久島海は同様の成績で幕下に陥落している。
  13. ^ 「番付は生き物」という見解は幕下に限らずすべての地位において適用していて、番付編成において確固たる基準が存在しないことを事実上示している。
  14. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年4月号(春場所総決算号) 91頁
  15. ^ “東洋大出身同士、デビュー場所4戦全勝対決は村田が若隆景を小手投げで下す”. スポーツ報知. (2017年3月21日). http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170321-OHT1T50042.html 2017年3月29日閲覧。 
  16. ^ 新興力士団〜大日本関西角力協会より編入。

参考文献[編集]

公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』69p

関連項目[編集]