豊真将紀行

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豊真将紀行 Sumo pictogram.svg
Homasho 2012 Jan.JPG
土俵入り中の豊真将
基礎情報
四股名 豊真将 紀行
本名 山本 洋介
愛称 ヨウスケ
生年月日 (1981-04-16) 1981年4月16日(37歳)
出身 山口県下関市(旧豊浦郡豊浦町
身長 186cm
体重 151kg
BMI 43.65
所属部屋 錣山部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
生涯戦歴 415勝344敗109休(65場所)
幕内戦歴 309勝304敗77休(45場所)
優勝 十両優勝1回
三段目優勝1回
敢闘賞5回
技能賞2回
データ
初土俵 2004年3月場所[1]
入幕 2006年5月場所[1]
引退 2015年1月場所[1]
引退後 立田川
趣味 読書、史跡巡り
備考
2015年1月16日現在

豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき、1981年4月16日 - )は、山口県豊浦郡豊浦町(現在の下関市)出身で錣山部屋に所属していた元大相撲力士。引退後は年寄立田川として後進の指導にあたっている。本名は山本 洋介(やまもと ようすけ)。現役時代の体格は身長186cm、体重151kg、得意手は右四つ・寄り・左前褌(みつ)。四股名の由来は、〈豊〉は合併のため消滅した豊浦町から、〈真〉は本人の心、〈将〉は大将、〈紀〉はものごとの初めを意味する出身校の監督の一字、〈行〉は父から一字をもらったもので、父母への御礼に従うという意味が込められている。最高位は東小結2012年5月場所)。趣味は読書、史跡巡り[1]

人物[編集]

地元の旧豊浦町立豊浦中学校(現在の下関市立夢が丘中学校)には校庭に立派な土俵小屋があり、山本少年はそこで高校生らと混じって鍛えられ、地元の大会でも優秀な成績を修めていた。その時の後輩には境川部屋豊響(本名:門元隆太)がいる。中学卒業後は誘いを受けた埼玉栄高等学校に進学し故郷を離れた。

埼玉栄高校では全国大会に出場して活躍し、学業では学年約1600人中一桁の成績を取るなど、文武共に優秀であった。その後日本大学に進学、入学当初からレギュラー格で活躍するも、蜂窩織炎の悪化により1年で相撲部を退部[1][2]。一時は相撲を諦め、警備員鳶職などアルバイト中心の学生生活を送っていた。相撲をやめて以降、在学中はバイクを嗜んでいたという。[3]日大相撲部の同期には白石(のちの白乃波)や里山がいる。

蜂窩織炎の状態が良化した頃、白石と里山の大相撲入りに触発され自身も再び相撲を志す。[3]大学を中退してアルバイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋に入門し[4]2004年3月場所に前相撲から初土俵を踏んだ。この時新弟子入門期限間近の22歳11か月であった[1]

約3年相撲から離れていたこともあり、入門当初は母校でもある出稽古先の埼玉栄高校で、エースの澤井豪太郎(豪栄道)に歯が立たず、1年生の佐野マービン・リー・ジュニア(元:幕下大翔勇、現在のマービンJr.)にさえ分が悪いなど苦労したこともあった。入門当初の豊真将に対する錣山の当時の印象は「弱かった。幕下に上がるまで4〜5年かかるな」というものであり、実際に学生相撲出身者としてはまるで精彩を欠いた滑り出しであった。稽古で序二段に勝ったり負けたりの繰り返しであるばかりか初めて番付に名前が載った2004年5月場所では序ノ口の土俵にもかかわらず次々と電車道で運ばれて4勝3敗と勝ち越すのがやっとの状態だった。[5]それでも「(新たな生活は)新鮮だったし、充実していた」と後年述懐するところに表れるようなひたむきさで基礎からみっちりと稽古を積み、井筒部屋での出稽古で鶴竜らとともに汗を流した結果徐々に本来の力を取り戻し[5]、同年11月場所では三段目で全勝優勝。スピード出世で番付を上げ、翌2005年1月場所、初土俵から5場所で幕下に昇進。幕下上位でも安定した成績を残し、同年11月場所には東幕下3枚目まで番付を上げ、5勝2敗と勝ち越し。続く2006年1月場所で十両に昇進した。その場所も好調で東十両12枚目で10勝5敗と勝ち越し、翌3月場所も12勝3敗と惜しくも十両優勝を逃したが大勝した。5月場所、初土俵からおよそ2年で新入幕(東前頭11枚目)。20代錣山が育てた最初の関取[1][6]

豊真将の入幕は山口県出身力士としては35年ぶりだった。そのため、地元旧豊浦町とそれを引き継いだ今の下関市はもちろん、山口県全体で応援をしている。NHK山口放送局のニュース番組では、場所中連日その日の取り組みの結果が、豊響ら他の郷土力士の分とともに伝えられ、特に「やまぐち845」では、トップ項目で扱われる日もある。

新入幕の場所で脚を傷め、また立合いに迷いが出たこともあって、入幕直後は下位でややもたついていたが、入幕4場所目の2006年11月場所は一躍成長を見せた場所になった。初日に豊ノ島に敗れたが、その後は11日目まで10連勝で全勝の横綱朝青龍を追った。12日目に初めての大関戦となる栃東との一番に敗れ2敗に後退したが、その先も崩れず、優勝はならなかったものの14日目まで朝青龍の優勝を引き伸ばした。12勝3敗の優勝次点の成績と相撲内容が評価され、敢闘賞技能賞を同時に受賞した[1]

2007年1月場所は西前頭4枚目の地位で3日目には大関琴欧洲を初対戦で破ったものの、7勝8敗と負け越した。翌3月場所は1月場所に続き、琴欧洲を始め幕内上位力士を相手に内容のいい相撲で好成績を残し、11勝4敗の好成績で2度目の技能賞を受賞した。新三役の可能性があったが、西関脇で7勝8敗だった琴奨菊が西小結、西前頭筆頭で8勝7敗だった豊ノ島が東小結となったため、翌5月場所は東前頭筆頭に据え置かれた。9月場所でも西前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越し、新三役への昇進が確実と見られたが、西前頭3枚目で10勝5敗の琴奨菊が西小結となったため、11月場所での小結昇進は見送られた。

翌2007年11月場所では東前頭筆頭で3勝12敗、翌2008年1月場所では西前頭7枚目で4勝11敗と2場所連続で大敗を喫した。後にこの不振は血中コレステロール値の異常とその投薬治療によるものであったことが明かされた。投薬治療を食事療法に切り替えてからは、3月場所、5月場所、7月場所をいずれも9勝6敗と勝ち越した。

2008年7月場所後に左手首を手術したが、術後の経過が思わしくないため、翌9月場所は西前頭2枚目の地位ながら自身初の休場(全休)。幕尻(東前頭16枚目)に下がった2009年1月場所は11勝4敗の好成績をあげて2度目の敢闘賞を受賞した。2009年3月場所は6日目からの9連勝で11勝4敗の好成績をあげ2場所連続3度目の敢闘賞を受賞。5月場所は新三役の可能性があったが、東前頭筆頭に据え置かれた。初日から14連敗と苦しんだが、千秋楽の嘉風戦に勝利して1991年7月場所の板井以来となる15戦全敗は免れた。取り組み後、豊真将は涙ぐみ、館内は大歓声に包まれた。

2010年5月場所で東前頭2枚目に番付を上げたが場所前に首を痛め、初日から1勝もできないまま7日目から休場した。

2010年7月場所では東前頭13枚目まで番付を下げたが、初日から10連勝し優勝争いに加わる。14日目の徳瀬川戦に敗れるまで幕内優勝の可能性を残し、最終的には11勝4敗で4度目の敢闘賞を受賞した。

2010年11月場所前には、深刻なアクシデントに見舞われた。10月23日の秋巡業、尼崎場所で右足親指の傷口からばい菌が入る破傷風[7]で、30日に突然41度を超す高熱が出た。病院に駆け込んだが、一時は意識を失うほどの重い症状で、生死をさまよう体験もした。豊真将自身「三途川で、死んだじいちゃんが出てきた。あんなことは人生で初めてだった…」と語った程だった。3日間高熱はひかなかったものの完治して退院、場所前には出稽古ができるまでに回復した。同場所では東前頭3枚目で7勝8敗と負け越したが、2大関(琴欧洲・把瑠都)に土をつけた。なお、琴欧洲戦の勝利は2007年3月場所以来、把瑠都戦の勝利は2006年11月場所以来。

2011年7月場所は東前頭9枚目で11勝4敗の成績を挙げ、5回目の敢闘賞を受賞した。翌9月場所では、東前頭筆頭で10勝5敗と2桁勝利を挙げ、同年11月場所でようやく待望の新三役(西小結)昇進を果たした。なお30歳6ヶ月での三役昇進は、1958年以降初土俵の力士としては第4位の高齢昇進だった[8]。しかし新小結の11月場所は初日から7連敗を喫し、4勝11敗と大きく負け越した。5月場所(最高位となる東小結)、11月場所で小結(西小結)に復帰したがいずれも4勝11敗に終わった。

翌2013年1月場所は左肩腱板断裂により全休し[9]、翌3月場所は初めて十両へ陥落。その場所も怪我が完治しなかったため全休した[10]。幕下落ちも懸念されていたが、翌5月場所の番付は西十両14枚目と十両にとどまった。同場所から2場所連続で9勝6敗と勝ち越し、9月場所には西前頭13枚目まで大きく番付を上げた。西十両6枚目から9勝6敗で9枚の上昇は異例である。その9月場所では9日目に左肩のテーピングが取れ、10日目に1年ぶりの幕内勝ち越しを決めるなど調子を万全に近いところまで戻した様子がうかがえた。最終的に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。2014年1月場所前の1月3日には虫垂炎の手術を受け、場所直前の様子は師匠によると「手術した傷口がまだ塞がっていないので、今場所は、途中から出場することも厳しいと思う」と言い、このため豊真将は1月場所を休場することを選択した。[11][12]

翌3月場所は2度目の十両陥落となったが、1月場所中から既に稽古場に降りていたこともあり、絶好調で格の違いを見せつける相撲を展開。初日から14連勝して千秋楽に北の富士賞に王手をかけたが、大道に敗れて全勝優勝はならなかった。それでも堂々14勝1敗で十両優勝を飾った[13]。東前頭7枚目に地位で迎えた同年5月場所の途中、同郷の元大関であり理事長経験者でもある先代放駒こと魁傑が急死するという悲報に見舞われたが、最終的には9勝6敗の勝ち越しを果たす。なお場所途中に魁傑の訃報が伝えられただけに、この場所の9日目に同じ山口県出身の幕内力士である豊響と対戦したことは話題になった。[14]

東前頭2枚目まで番付を戻した7月場所は5日目の日馬富士戦で右膝前十字靱帯損傷など右脚を4カ所も痛める重傷を負い、全治2ヶ月の診断を受ける。怪我については、右の膝から太ももが左の倍近くも腫れ上がって自力で歩けず「足の先までしびれている」と話す。結果的にこの取組が現役最後の一番となった。6日目から途中休場したが早期復帰に向けて手術をしない方針を明かした[15]が、8月2日には手術を受けた。西十両9枚目まで下がった翌11月場所は、手術を受けた右膝の回復が思わしくないため、錣山が直前まで様子を見た末に初日から休場(初日は不戦敗)。同日「右膝脱臼で今後2か月のリハビリ加療を要する」との診断書を日本相撲協会に提出した。[16]

2015年1月場所は幕下転落。この場所は初日から休場となった後、6日目の1月16日に引退を発表。年寄・立田川を襲名した[17][18]。2016年1月30日には断髪式が行われ、約300人がはさみを入れた。断髪式は全席の観客に見やすくするため、正面→東→向正面→西→正面と向きを変えながらの、いわゆる回転式で進行したため、これがおそらく角界初の試みであるとして話題となった。[19]

取り口[編集]

『平成二十二年度大相撲力士名鑑』(ベースボール・マガジン社)には、得意技が「左前ミツ、寄り」であると表記されている。守りの堅さを生かした取り口である。立合いの当たりはあまり強くなく押し込まれることも多いが、頭を付け低い姿勢を常に保って攻撃をしのぎ、前褌を取って攻めるなり相手の引きに乗じおっつけを活かして押し込むなどして反攻に転じる。この取り口は前に落ちることの少ない足腰の強さに支えられている。だが師匠の錣山曰く相撲勘が悪いことが弱点であり、稀勢の里と共に相撲勘の悪い好例として扱われたこともある。[20]ややもすると受け身になりがちな取り口でもあることでいつしか「守りの豊真将」と言われるようになったが、2009年5月場所千秋楽に幕内皆勤全敗を回避した白星を得たことから心境が変わり[21]、2010年7月場所では積極果敢な攻めを活かして初日から10連勝する、2010年11月場所の把瑠都戦などで仕切り線から大きく後退して相手がフワッと立ったところを一気に攻める奇襲を行うなど取り口にも積極性が増した。[22]

夏場所と九州場所には相性が悪く、幕内では夏場所での勝ち越しは2008年と2014年の2度、九州場所での勝ち越しは2006年の1度しかない。逆に春場所と名古屋場所には相性が良く、幕内では毎年9〜11勝を挙げて勝ち越していて、引退まで皆勤の負け越しがなかった。対横綱戦は22戦全敗と、対横綱戦未勝利の記録としては2017年11月場所終了時点ではワースト3位の連敗記録[23]

評価・その他[編集]

  • 性格は、真面目・温厚・人見知りしないと自他共に認めるもので、そのためファンサービスも良かった。武士を思わせる堂々とした風貌で、現役時代には手刀塵手水といった所作が非常に細やかで丁寧であった[1]。また勝ち負けに関係なく、取組後に深々と礼をする所作が清々しかったという声も多い。幕内力士土俵入りの際には、平幕力士の中では隆の山高見盛安美錦豊ノ島旭天鵬らと並び大きな声援を受ける部類に入っていた。金を稼ぐことの厳しさ、人間関係の重要性は警備会社のアルバイト中に学んだといい、これが人間性を大きく高める契機となったという。所作を丁寧に行うようになったきっかけは「ピシッとやると、大きく見えて、相手を威圧できる」という錣山の教えであり、その所作の良さに指導した本人である錣山も豊真将の引退会見で「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と称賛していた。[24]
  • 同門の横綱・鶴竜と仲が良いといわれる。豊真将の師匠は錣山親方(元関脇寺尾)で、鶴竜の師匠は錣山の実兄である井筒親方(元関脇逆鉾)。井筒三兄弟として人気力士であった逆鉾と寺尾の弟子という、いとこのような関係で仲が良く、稽古を共にすることもあった。2014年春場所に鶴竜が初優勝した際(豊真将自身も十両優勝)には、優勝パレードで旗手を務めた。
  • NHK大河ドラマ平清盛」で、平安時代の力士役として出演。大河ドラマで現役力士が出演することは史上初。
  • Facebookを利用している。
  • 豊響と同じくフグがデザインされた化粧廻しを「豊真将下関有志一同」から贈られている[25]。この化粧まわしは引退後に下関市に寄贈されている[26]
  • 2013年5月場所前の稽古では三段目の力士と5分、初日前日に幕下の松本と10番取って勝てず、場所が始まっても4日目まで初日が出ないために負け越しを濃厚視するも、親方に励まされた後届いたメール[27]に感涙したというエピソードが『相撲』2013年11月号の『琴剣 相撲のす』に描かれた。

主な成績[編集]

通算成績[編集]

  • 通算成績:415勝344敗109休(65場所)
  • 通算勝率:.547
  • 幕内成績:309勝304敗77休
  • 幕内勝率:.504
  • 幕内在位:45場所
  • 三役在位:3場所 (小結3場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2014年3月場所)
  • 三段目優勝:1回(2004年11月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:7回
    • 敢闘賞:5回(2006年11月場所、2009年1月場所、2009年3月場所、2010年7月場所、2011年7月場所)[1]
    • 技能賞:2回(2006年11月場所、2007年3月場所)[1]
  • 金星:なし

場所別成績[編集]

                                                                                                           

豊真将紀行[28]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2004年
(平成16年)
x (前相撲) 東 序ノ口 #13
4–3 
東 序二段 #114
6–1 
西 序二段 #33
6–1 
西 三段目 #68
優勝
7–0
2005年
(平成17年)
東 幕下 #42
4–3 
東 幕下 #34
5–2 
西 幕下 #24
6–1 
東 幕下 #8
4–3 
東 幕下 #7
5–2 
東 幕下 #3
5–2 
2006年
(平成18年)
東 十両 #12
10–5 
東 十両 #5
12–3 
東 前頭 #11
6–9 
東 前頭 #14
9–6 
東 前頭 #11
7–8 
東 前頭 #11
12–3
2007年
(平成19年)
西 前頭 #4
7–8 
西 前頭 #5
11–4
東 前頭 #1
5–10 
東 前頭 #6
9–6 
西 前頭 #1
8–7 
東 前頭 #1
3–12 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #7
4–11 
東 前頭 #13
9–6 
西 前頭 #11
9–6 
東 前頭 #6
9–6 
西 前頭 #2
休場[basho 1]
0–0–15
西 前頭 #15
7–8 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #16
11–4
東 前頭 #7
11–4
東 前頭 #1
1–14 
東 前頭 #15
10–5 
西 前頭 #6
7–8 
西 前頭 #7
6–9 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #12
9–6 
西 前頭 #5
9–6 
西 前頭 #2
0–7–8[basho 2] 
東 前頭 #13
11–4
東 前頭 #2
7–8 
東 前頭 #3
7–8 
2011年
(平成23年)
東 前頭 #4
8–7 
八百長問題
により中止
東 前頭 #2
3–12 
東 前頭 #9
11–4
東 前頭 #1
10–5 
西 小結
4–11 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #4
7–8 
西 前頭 #5
11–4 
東 小結
4–11 
東 前頭 #6
9–6 
東 前頭 #3
9–6 
西 小結
4–11 
2013年
(平成25年)
東 前頭 #5
休場[basho 3]
0–0–15
東 十両 #1
休場[basho 4]
0–0–15
西 十両 #14
9–6 
西 十両 #6
9–6 
西 前頭 #13
10–5 
東 前頭 #4
5–10 
2014年
(平成26年)
西 前頭 #7
休場[basho 5]
0–0–15
西 十両 #2
優勝
14–1
東 前頭 #7
9–6 
東 前頭 #2
1–5–9[basho 6] 
東 前頭 #13
休場[basho 7]
0–0–15
西 十両 #9
休場[basho 8]
0–1–14
2015年
(平成27年)
東 幕下 #7
引退
0–0–3
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

注釈[編集]

  1. ^ 左手手関節三角線組軟骨複合体損傷術後により初日から休場
  2. ^ 頸椎(けいつい)捻挫により7日目から途中休場
  3. ^ 左肩腱板断裂により初日から休場
  4. ^ 左肩腱板損傷により初日から休場
  5. ^ 虫垂炎術後により初日から休場
  6. ^ 右膝前十字靱帯損傷により6日目から途中休場
  7. ^ 右膝脱臼により初日から休場
  8. ^ 右膝脱臼により初日から休場(1敗は不戦敗のため、実質全休)

改名歴[編集]

力士[編集]

  • 山本 洋介(やまもと ようすけ)2004年3月場所 - 2004年11月場所
  • 豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき)2005年1月場所 - 2015年1月場所

年寄[編集]

  • 立田川 豊英(たつたがわ とよひで)2015年1月16日 -

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p29
  2. ^ そのため白石や里山とは稽古したことがなかったという。
  3. ^ a b エリート街道を迂回して入門 小結・ 豊真将(中)(1/2ページ) 日本経済新聞 2011/11/14 17:44
  4. ^ 同じ山口県出身の元放駒親方も彼が中学生の頃から目をつけていたというが、中学時代は「高校に進学する」ということであきらめ、高校時代は「大学に進学する」ということであきらめ、大学時代は「相撲を辞めた」ということであきらめたという。
  5. ^ a b エリート街道を迂回して入門 小結・ 豊真将(中)(2/2ページ) 日本経済新聞 2011/11/14 17:44
  6. ^ 前相撲からの所要13場所での幕内昇進は旭富士、貴花田(後の貴乃花)、武蔵丸の3横綱と並び、史上9位タイ(当時)の速さ。
  7. ^ この時の高熱の原因が破傷風であったことは引退の際に伝えられている。
    豊真将、ケガに勝てず引退 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2015年1月17日9時15分 紙面から(2017年8月28日閲覧)
  8. ^ もうすぐパパの豊真将 史上4位の高齢新三役! スポニチ 2011年11月1日 06:00
  9. ^ 豊真将、朝赤龍が休場 大相撲初場所初日 47news 共同通信 2013/01/13 11:54[リンク切れ]
  10. ^ 豊真将 左肩腱板損傷で休場、治療に専念 スポニチ 2013年3月10日 12:00
  11. ^ 稀勢の里 初日は豊ノ島と対戦 2014年(平成26年)1月10日13時6分 NHK Webニュース
  12. ^ 『相撲』2014年4月号: 本人は「自分は以前から自己管理が甘いところがあり、今回は本当に勉強になった」と雑誌内のインタビューでこの虫垂炎についてコメントを寄せていた。
  13. ^ 豊真将が13連勝で十両優勝 NHKニュース 3月21日 17時16分
  14. ^ 「山口といえば魁傑」豊真将と豊響、同郷の先達にささげる熱戦 MSN産経ニュース 2014.5.19 20:53
  15. ^ 豊真将 右脚重傷から再起誓う「諦めない」「手術はしない」 Sponichi Annex 2014年7月20日 17:45
  16. ^ 十両豊真将が膝脱臼で休場 nikkansports.com 2014年11月9日11時33分
  17. ^ 豊真将引退、「立田川」襲名”. 日刊スポーツ (2015年1月16日). 2015年1月16日閲覧。
  18. ^ 元小結の豊真将が引退 14年7月に右膝痛め手術”. スポーツニッポン (2015年1月16日). 2015年1月16日閲覧。
  19. ^ 元豊真将の立田川親方“回転式”断髪式「絶対いい」 日刊スポーツ 2016年1月30日16時50分
  20. ^ 『どすこいFM』 2009年9月場所12日目
  21. ^ 守りから攻めへ、意識改革 小結・ 豊真将(下)(1/2ページ) 日本経済新聞 2011/11/14 17:44
  22. ^ 守りから攻めへ、意識改革 小結・ 豊真将(下)(2/2ページ)日本経済新聞 2011/11/14 17:44
  23. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p51
  24. ^ 2015年の大相撲界、心に響いた「10の言葉」 舞台裏で発せられた力士や親方たちの肉声 東洋経済ONLINE 2015年12月29日
  25. ^ 下関出身の力士 写真が掲載されているサイト
  26. ^ 元小結・豊真将が下関市へ化粧まわし寄贈 郷土玩具「ふく笛」あしらう /山口 会員限定有料記事 毎日新聞2016年7月6日 地方版
  27. ^ 「洋介、これからがお前と俺の意地を懸けた勝負だよ。これからの一年、俺たちの根性とプライドを見せてやろうな。」というメールに心を打たれて、夫人と2人で大声を出して泣いたという。
  28. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2009年3月30日閲覧。

外部リンク[編集]