北勝鬨準人

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北勝鬨 準人
基礎情報
四股名 久我 → 北勝鬨
本名 久我 準人
生年月日 (1966-01-01) 1966年1月1日(58歳)
出身 北海道帯広市
身長 183cm
体重 148kg
BMI 44.19
所属部屋 伊勢ノ海部屋
得意技 右四つ・寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭3枚目
生涯戦歴 710勝732敗22休(116場所)
幕内戦歴 331勝389敗15休(49場所)
優勝 幕下優勝1回
データ
初土俵 1981年5月場所
入幕 1989年1月場所
引退 2000年9月場所
引退後 年寄・勝ノ浦伊勢ノ海
他の活動 日本相撲協会 理事(2期)
2022年3月 -
備考
2024年3月25日現在

北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - )は、北海道帯広市大空町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は久我 準人(くが はやと)。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ寄り。最高位は西前頭3枚目(1994年3月場所)。好物は卵焼き、趣味はサッカー観戦。現在は年寄伊勢ノ海[1]

来歴[編集]

生い立ち・現役時代[編集]

帯広市立大空中学校ではサッカー部に所属し、ゴールキーパーを務めた。卒業後北海道帯広柏葉高等学校(定時制)に入学するも受験の失敗を理由に我慢できず、1ヶ月で中退し伊勢ノ海部屋に入門した。1981年5月場所に初土俵を踏んだ。同期生には元関脇の若翔洋で現在は格闘家の馬場口洋一(元WAKASHOYO)がいる。幕下時代から有望力士として期待され、1987年1月場所で十両に昇進。昭和40年代生まれ初の関取となる。1989年1月場所で新入幕、平成初の新入幕力士の一人となる。バランスの取れた体格から将来の大器と嘱望されたが、稽古不足もあってか幕内と十両を往復する生活が続いた。1991年9月場所、6度目の入幕でようやく幕内に定着する[1]

左上手を浅く取っての型は良かったが勝ち味が遅く、素質は充分あったが三役昇進は果たせなかった。結局、幕内での二桁勝利は一度もなく、三賞も受賞できず1998年5月場所を最後に十両に陥落した。十両の土俵でも健闘していたが、幕下に陥落した2000年9月場所前に現役を引退した。年寄・勝ノ浦を師匠から取得して襲名し、伊勢ノ海部屋付きの親方として後進の指導に当たる。なお、北勝鬨の引退により100年以上続いた道産子関取が途絶えた。

四股名「北勝」とつくことから現在でも八角部屋出身と間違われることが多い。四股名の由来は競走馬の“キタノカチドキ”から来ている。同馬のように強くなりたかったからだという。

伊勢ノ海部屋を継承[編集]

2011年9月場所千秋楽の9月25日、師匠の11代伊勢ノ海が65歳で停年(定年退職を迎えることを受けて同日付で12代伊勢ノ海へ年寄名跡を変更すると共に、同部屋を継承することとなった[1][2]。ちなみに11代とは出身地が同じ北海道十勝(11代は帯広市の隣の音更町出身)というつながりがある。

2020年9月場所、1949年から続く現在の伊勢ノ海部屋では初となる外国人力士が入門。因みに、11代伊勢ノ海の頃は方針上外国人力士を入門させる意向はなかった。1部屋1人の外国出身枠や部屋の伝統を考えると悩ましかったが「入門前に面接をしたら真面目でいい子だった。2人のOBもいるから大丈夫。この子に限って引き受けた」と受け入れを決意したという[3]

日本相撲協会理事として[編集]

2022年3月に日本相撲協会の理事に就任、地方場所担当部長(大阪)となる[4]2023年5月場所後の霧島鐵力(霧馬山鐵雄から改名)の大関昇進伝達式では、協会理事として使者を務めた[5][6]

主な成績[編集]

  • 通算成績:710勝732敗22休 勝率.492
  • 幕内成績:331勝389敗15休 勝率.460
  • 現役在位:116場所
  • 幕内在位:49場所[1]
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1986年11月場所)

場所別成績[編集]

北勝鬨 隼人
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1981年
(昭和56年)
x x (前相撲) 東序ノ口31枚目
5–2 
東序二段121枚目
4–3 
東序二段97枚目
5–2 
1982年
(昭和57年)
東序二段59枚目
4–3 
西序二段35枚目
2–5 
西序二段60枚目
6–1 
西三段目85枚目
5–2 
東三段目50枚目
4–3 
東三段目28枚目
4–3 
1983年
(昭和58年)
東三段目16枚目
1–6 
東三段目51枚目
0–0–7 
西序二段12枚目
6–1 
西三段目44枚目
4–3 
東三段目28枚目
3–4 
東三段目44枚目
4–3 
1984年
(昭和59年)
東三段目33枚目
2–5 
西三段目61枚目
6–1 
東三段目13枚目
5–2 
東幕下48枚目
4–3 
西幕下33枚目
3–4 
西幕下46枚目
5–2 
1985年
(昭和60年)
西幕下26枚目
5–2 
西幕下12枚目
3–4 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下31枚目
3–4 
西幕下39枚目
5–2 
西幕下23枚目
4–3 
1986年
(昭和61年)
東幕下13枚目
5–2 
西幕下6枚目
2–5 
西幕下21枚目
4–3 
西幕下15枚目
4–3 
東幕下10枚目
6–1 
東幕下2枚目
優勝
7–0
1987年
(昭和62年)
西十両9枚目
9–6 
西十両6枚目
9–6 
西十両5枚目
8–7 
西十両4枚目
7–8 
東十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
7–8 
1988年
(昭和63年)
西十両5枚目
8–7 
東十両3枚目
6–9 
東十両8枚目
8–7 
西十両4枚目
6–9 
東十両9枚目
9–6 
東十両4枚目
10–5 
1989年
(平成元年)
東前頭13枚目
6–9 
西十両2枚目
9–6 
西前頭13枚目
8–7 
西前頭10枚目
5–10 
西十両筆頭
9–6 
西前頭13枚目
6–9 
1990年
(平成2年)
西十両筆頭
10–5 
東前頭13枚目
6–9 
東十両2枚目
7–8 
西十両3枚目
6–9 
東十両7枚目
8–7 
西十両3枚目
8–7 
1991年
(平成3年)
西前頭14枚目
8–7 
西前頭10枚目
7–8 
東前頭13枚目
5–10 
西十両筆頭
8–7 
西前頭13枚目
8–7 
西前頭9枚目
9–6 
1992年
(平成4年)
東前頭4枚目
6–9 
西前頭7枚目
6–9 
西前頭10枚目
8–7 
西前頭7枚目
7–8 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭5枚目
7–8 
1993年
(平成5年)
西前頭7枚目
7–8 
西前頭8枚目
8–7 
西前頭4枚目
休場
0–0–15
西前頭4枚目
5–10 
東前頭9枚目
6–9 
東前頭14枚目
8–7 
1994年
(平成6年)
西前頭8枚目
8–7 
西前頭3枚目
6–9 
西前頭5枚目
6–9 
東前頭8枚目
7–8 
西前頭10枚目
7–8 
東前頭13枚目
9–6 
1995年
(平成7年)
西前頭7枚目
7–8 
東前頭10枚目
7–8 
東前頭12枚目
9–6 
東前頭5枚目
4–11 
東前頭12枚目
8–7 
東前頭10枚目
8–7 
1996年
(平成8年)
西前頭6枚目
5–10 
東前頭12枚目
9–6 
東前頭4枚目
4–11 
東前頭9枚目
8–7 
西前頭4枚目
4–11 
西前頭9枚目
8–7 
1997年
(平成9年)
西前頭5枚目
6–9 
東前頭7枚目
6–9 
西前頭11枚目
7–8 
西前頭13枚目
7–8 
西前頭14枚目
8–7 
西前頭11枚目
8–7 
1998年
(平成10年)
西前頭10枚目
7–8 
東前頭13枚目
8–7 
東前頭11枚目
5–10 
東十両筆頭
4–11 
東十両7枚目
7–8 
西十両9枚目
8–7 
1999年
(平成11年)
東十両8枚目
8–7 
東十両2枚目
3–12 
西十両9枚目
10–5 
西十両3枚目
8–7 
西十両筆頭
7–8 
西十両2枚目
5–10 
2000年
(平成12年)
西十両5枚目
9–6 
東十両3枚目
6–9 
西十両5枚目
4–11 
西十両10枚目
5–10 
東幕下3枚目
引退
0–0–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 3 4 安芸乃島 4 11 安芸ノ州 3 2 0 2
朝乃翔 5 6 朝乃若 4 7 旭里 1 0 旭豊 3 6
板井 3 2 恵那櫻 2 2 巨砲 6 2 小城錦 6 8
小城ノ花 5 7 魁皇 0 2 春日富士 7 7 巌雄 5 2
旭鷲山 3 3 旭天鵬 1 1 旭道山 8 7 鬼雷砲 9 9
霧島 3 6 起利錦 1 2 久島海 5 5 剣晃 6 3
高望山 2 0 五城楼 3 2 琴稲妻 14 13 琴ヶ梅 5 3
琴椿 4 3 琴錦 1 5 琴ノ若 7 7 琴富士 10 4
琴別府 6 9 琴龍 3 4 小錦 4 7 逆鉾 1 2
薩洲洋 1 0 敷島 5 3 陣岳 2 3 大輝煌 1 0
大至 3 4 太寿山 1 0 大翔鳳 7 2 大翔山 2 5
大善 3 6 大飛翔 0 1 貴闘力 4 6 貴ノ浪 2 11
貴乃花 0 14 孝乃富士 3 2 隆三杉 12 9 多賀竜 1 2
大刀光 0 1 立洸 2 1 玉海力 4 1 玉春日 0 3
玉龍 0 1 千代大海 1 1 常の山 1 0 出島 0 1
寺尾 10 10 闘牙 0 1 時津洋 7 3 栃東 0 1
栃司 0 2 栃乃洋 1 1 栃乃藤 1 0 栃乃和歌 7 9
巴富士 2 5 智ノ花 3 3 豊ノ海 4 2 浪乃花 6 5
花ノ国 0 6 濱ノ嶋 8 8 肥後ノ海 5 4 富士乃真 1 1
星岩涛 1 0 舞の海 10 9 三杉里 6 12(1) 水戸泉 6 8
湊富士 6 6 武蔵丸 0 6 武双山 2 3 大和 0 4
力櫻 3 3 両国 4 1 若翔洋 7 1 若瀬川 3 6
若の里 0 1 若ノ城 2 3 若乃花 4 9 和歌乃山 1 2
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴[編集]

  • 久我 準人(くが はやと)1981年5月場所~1986年11月場所
  • 北勝鬨 準人(きたかちどき-)1987年1月場所~2000年9月場所

年寄変遷[編集]

  • 勝ノ浦 準人(かつのうら はやと)2000年9月~2011年9月
  • 伊勢ノ海 準人(いせのうみ-)2011年9月~
    • 日本相撲協会公式サイトおよびその前身の「goo大相撲」では襲名から2016年7月場所まで「伊勢ノ海人」と誤記されていた。

エピソード[編集]

  • 2004年11月14日、この日初日を迎えた11月場所で業務をしていた際、会場である福岡国際センター付近の歩道にて無差別での襲撃を狙っていた暴漢に襲われる。しかし勝ノ浦(当時)は全治3日の怪我を負いながらもその暴漢を取り押さえ、駆けつけた警察官に引き渡した。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p30-34
  2. ^ 勝ノ浦親方 師匠定年の伊勢ノ海部屋継承へ スポーツニッポン 2011年9月15日閲覧
  3. ^ 伊勢ノ海部屋に新風バットトクトホ・トゥルトクトホ 日刊スポーツ 2020年9月21日9時40分 (2020年9月23日閲覧)
  4. ^ 伊勢ノ海親方は大阪場所担当部長、佐渡ケ嶽親方は審判部長 日本相撲協会が新職務分掌を発表」『日刊スポーツ』、2022年3月30日。2022年3月30日閲覧。
  5. ^ 新大関・霧馬山が誕生 新しこ名は師匠と同じ「霧島」に 口上は「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」」『スポーツ報知』、2023年5月31日。2023年5月31日閲覧。
  6. ^ この伝達式では、同じ一門の枝川審判委員が同行した。

外部リンク[編集]