巌雄謙治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
巌雄 謙治 Sumo pictogram.svg
Ganyu 2010 Sep.jpg
基礎情報
四股名 巌雄 謙治
本名 平野 建司
生年月日 1970年8月6日(46歳)
出身 兵庫県姫路市
身長 185cm
体重 173kg
BMI 50.55
所属部屋 北の湖部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 400勝382敗46休(85場所)
幕内戦歴 144勝195敗6休(23場所)
データ
初土俵 1986年3月場所
入幕 1996年3月場所
引退 2000年5月場所
引退後 山響部屋師匠
他の活動 日本相撲協会理事(1期)
備考
2016年3月29日現在

巌雄 謙治(がんゆう けんじ、1970年8月6日 - )は、兵庫県姫路市出身で北の湖部屋所属の元大相撲力士。 本名は平野 建司(ひらの けんじ、後に兼司)、李 建司。身長185cm、体重173kg。得意技は右四つ、寄り、叩き。最高位は西前頭筆頭(1997年9月場所)。現在は年寄山響

来歴[編集]

中学校時代はバスケットボール砲丸投などに借り出されていたが、中学校3年から本格的に相撲を始めた。引退間もない北の湖親方に入門を勧められ、1986年3月に初土俵を踏む。ちなみに彼が北の湖部屋最初の入門力士(北の湖の一番弟子)である。

仕切り線に近い所で仕切って立ち、体格を生かして左上手を取って寄る取り口で、両膝を負傷していたため、下がり出すと脆かったので上位に定着できなかった。立ち合いに変わっての叩き込みが多かった。幕内を連続23場所務めたが2000年1月場所には十両に陥落、同年5月場所には幕下まで陥落したため場所前の4月に引退した。番付上は2000年5月場所の幕下が最後となる。

引退後は、準年寄・巌雄、年寄・小野川を経て山響を襲名。現在、山響部屋の師匠として後進の指導にあたっている。

2014年1月30日日本相撲協会公益財団法人に移行したことに伴い、湊川親方大嶽親方と共に日本相撲協会の評議員に就任した。これに伴い、評議員在任中は番付上の表記が本名の「平野 兼司」となっていた。2016年1月21日に、同年の理事候補選挙への立候補を理由に辞表を提出し、同日中に評議員退任が承認された。[1]

2015年11月場所(九州場所)中の2015年11月20日、部屋付き親方として所属する北の湖部屋の師匠、北の湖敏満(公益社団法人 日本相撲協会理事長)が直腸がんによる多臓器不全により死去したため、翌21日の日本相撲協会臨時理事会により、所属力士は親方(師匠)がいないと本場所の土俵に上がれないための緊急措置として師匠代行となり、2015年11月場所中は所属力士は場内アナウンスや星取り表上など北の湖部屋で行われた。場所後に部屋を継承し、北の湖部屋から改称された「山響部屋」の師匠となった。[2]

2016年1月29日日本相撲協会の理事候補選挙が行われ、10票を獲得して当選を果たした[3]。この時から山響は貴乃花派と見られており[4]、同年3月28日の理事会で行われた理事長選では、当選した現職理事長の八角(元・北勝海)ではなく貴乃花を相撲協会の新しい理事長に推している[5]

エピソード[編集]

  • 在日韓国人(三世)であることを公にしており、長野オリンピックの際には志願して韓国選手団の先導を務めた(他に、在日韓国人であることを公言していた当時の関取には、金開山=本名登録が 金 龍水→松山龍水 がいた)。
  • 現役時代より、同じ1970年(昭和45年)生まれの蒼樹山(学年は上)、敷島(同学年)と仲が良く、3人の現役時代の最高位は揃って西前頭筆頭だった。
  • 師匠の北の湖の急逝によって後継者となり、北の湖部屋を引き継ぎ山響部屋として師匠を務めることになった。北の湖は、姫路市出身だった先代増位山に育てられたが、奇しくも師匠と同郷となる姫路市出身の巌雄に部屋を継承させることになった。

主な成績[編集]

  • 通算成績:400勝382敗46休(85場所)
  • 幕内成績:144勝195敗6休
  • 幕内在位:23場所

場所別成績[編集]

巌雄 謙治
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1986年
(昭和61年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #10
4–3
 
西 序二段 #123
4–3
 
西 序二段 #97
3–4
 
西 序二段 #111
6–1
 
1987年
(昭和62年)
西 序二段 #40
5–2
 
西 序二段 #4
2–5
 
西 序二段 #39
5–2
 
東 序二段 #4
4–3
 
西 三段目 #90
5–2
 
東 三段目 #54
3–4
 
1988年
(昭和63年)
東 三段目 #68
6–1
 
東 三段目 #18
4–3
 
東 三段目 #5
4–3
 
東 幕下 #46
5–2
 
東 幕下 #28
1–6
 
西 幕下 #56
休場
0–0–7
1989年
(平成元年)
西 幕下 #56
4–3
 
東 幕下 #44
0–1–6
 
東 三段目 #20
休場
0–0–7
東 三段目 #80
休場
0–0–7
西 序二段 #40
優勝
7–0
東 三段目 #45
6–1
 
1990年
(平成2年)
東 幕下 #60
3–4
 
東 三段目 #15
3–4
 
西 三段目 #31
6–1
 
東 幕下 #52
5–2
 
東 幕下 #31
4–3
 
西 幕下 #18
3–4
 
1991年
(平成3年)
西 幕下 #25
6–1
 
東 幕下 #8
2–5
 
西 幕下 #20
4–3
 
東 幕下 #13
3–4
 
東 幕下 #18
優勝
7–0
東 幕下 #1
4–3
 
1992年
(平成4年)
東 十両 #13
3–12
 
東 幕下 #9
5–2
 
西 幕下 #4
休場
0–0–7
東 幕下 #44
2–5
 
西 三段目 #3
6–1
 
東 幕下 #33
5–2
 
1993年
(平成5年)
西 幕下 #20
0–1–6
 
西 幕下 #60
6–1
 
東 幕下 #31
4–3
 
西 幕下 #24
3–4
 
西 幕下 #32
5–2
 
西 幕下 #20
3–4
 
1994年
(平成6年)
東 幕下 #29
3–4
 
西 幕下 #42
5–2
 
西 幕下 #26
6–1
 
東 幕下 #12
3–4
 
東 幕下 #20
5–2
 
西 幕下 #12
3–4
 
1995年
(平成7年)
東 幕下 #20
4–3
 
東 幕下 #15
5–2
 
西 幕下 #7
優勝
7–0
東 十両 #11
9–6
 
西 十両 #7
9–6
 
東 十両 #3
8–7
 
1996年
(平成8年)
東 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #15
9–6
 
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #13
8–7
 
東 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #7
6–9
 
1997年
(平成9年)
東 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #1
3–12
 
東 前頭 #7
7–8
 
1998年
(平成10年)
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #3
3–12
 
東 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #5
3–12
 
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #3
3–12
 
1999年
(平成11年)
西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #7
5–10
 
東 前頭 #12
7–7–1
 
西 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #9
5–10
 
東 前頭 #14
0–10–5
 
2000年
(平成12年)
東 十両 #10
7–8
 
東 十両 #12
2–13
 
東 幕下 #10
引退
0–0–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 平野 建司(ひらの けんじ)1986年3月場所-1986年3月場所
  • 厳雄 建司(がんゆう -)1986年5月場所-1986年7月場所
  • 巖雄 建司(がんゆう -)1986年9月場所-1992年9月場所
  • 巌雄 謙治(- けんじ)1992年11月場所-2000年5月場所

年寄変遷[編集]

  • 巌雄 謙治(がんゆう けんじ)2000年4月-2001年12月[準年寄]
  • 小野川 謙治(おのがわ -)2001年12月-2002年3月
  • 小野川 兼司(- けんじ)2002年3月-2006年12月
  • 山響 兼司(やまひびき -)2006年12月-2007年2月
  • 山響 謙司(やまひびき -)2007年2月-

脚注[編集]

[ヘルプ]

外部リンク[編集]