隆の鶴伸一

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基礎情報
四股名 隆の鶴伸一
本名 積山伸一
生年月日 1976年6月18日(40歳)
出身 鹿児島県出水市
身長 188cm
体重 175kg
BMI 49.51
所属部屋 鳴戸部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 前頭八枚目
生涯戦歴 393勝364敗70休
幕内戦歴 26勝45敗4休
データ
初土俵 1992年3月場所
入幕 2003年1月場所
引退 2006年5月場所
引退後 鳴戸部屋田子ノ浦部屋師匠
備考
2013年12月25日現在

隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち、1976年6月18日 - )は、鹿児島県出水市出身で鳴戸部屋所属の元大相撲力士。本名は積山伸一(せきやま しんいち)。身長188cm、体重175kg。長く伸びた揉み上げが特徴。最高位は西前頭8枚目(2003年3月場所)。得意技は左四つ、寄り。現在は年寄田子ノ浦血液型はB型。

人物[編集]

理髪店の長男として生まれる。1992年3月場所に初土俵を踏んだ。同じく関取まで昇進した同部屋の若の里隆乃若(現・タレント)は同期入門である。三段目までは順調に番付を上げていったが、幕下を目前にして小さいころから悩まされていた足の病気が限界に達したため、1995年7月場所と続く9月場所を連続して休場し、最初となる足の手術を行った。そして休場明けで序二段へ陥落した同年11月場所では7戦全勝で序二段優勝を果たし、続く1996年1月場所と3月場所でも三段目で連続して勝ち越したものの、今度は両足に激痛が走る症状が出るようになり、再度手術を行わなければならなくなった。

2回目となる手術は両足親指を切断して痛みの原因となっている神経を除去した上で、再度両足の親指を縫い合わせるという大手術となった。そのため、11ヶ月にもわたる入院生活を余儀なくされ、1996年7月場所から5場所連続して休場し、三段目から番付外まで番付を落とした。両足親指を切断したため、両足の足袋は欠かすことができなかった。しかし、1997年5月場所に再度前相撲を取ると、翌7月場所から7場所連続して勝ち越しを決め、1998年7月場所に幕下へ昇進し、その後は幕下中位から下位に定着した。自己最高位となる西幕下4枚目の位置で迎えた2000年11月場所で4勝3敗と勝ち越し、続く2001年1月場所でも東幕下3枚目の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、入門から9年かかって2001年3月場所に新十両へと昇進した。そして新十両から1年10ヶ月後の2003年1月場所に新入幕を果たした。

腰高ではあったが、体格を生かして攻める取り口だった。2003年5月場所には初日から10連敗の上11日目から休場し、0勝11敗4休という惨敗を喫し、翌7月場所では十両へ陥落した。翌9月場所では幕下まで陥落するが、その場所は6勝1敗と大きく勝ち越して翌2002年1月場所に1場所で十両へ復帰し、2004年9月場所で再入幕を果たした。翌11月場所で4勝11敗と大きく負け越し、翌2005年1月場所に十両へ陥落してからは十両で相撲を取り続けた。しかし、2006年3月場所に西十両10枚目の位置で初日に闘牙に勝った後から14連敗を喫して1勝14敗と大敗し、翌5月場所では幕下へと陥落した。その5月場所では本来の相撲が全く取れずに11日目までに6連敗を喫し、12日目に引退届を提出した。29歳での引退であった。引退後は準年寄・隆の鶴として鳴戸部屋の部屋付き親方となり、同年10月9日に東京都内のホテルで断髪式を行った。

2007年5月31日に準年寄の期限切れを前に同期生の若の里から名跡を借りて年寄・西岩を襲名した。両親が聴覚障害者であるため手話を使うことができ、聴覚障害者に相撲の魅力をアピールする役割が期待されている。

2011年11月7日に師匠である13代鳴戸親方(元横綱隆の里)が急逝し、翌8日に行われた日本相撲協会の緊急理事会で部屋継承が承認されたため、若の里に西岩の名跡を返却すると共に急遽鳴戸の名跡を取得し、14代鳴戸を襲名して鳴戸部屋を継承した[1]。同年11月場所後の理事会で稀勢の里の大関昇進が決定した際には、亡き師匠の遺影の前で部屋の師匠として使者を迎えた。

日本相撲協会は2014年からの公益財団法人への移行に伴い、年寄名跡を協会側で一括管理するために、2013年12月20日までに年寄に対して協会へ年寄名跡証書を提出することを求めていたものの、14代鳴戸は年寄・鳴戸の名跡証書の所有者である13代鳴戸夫人との話し合いが付かず、日本相撲協会が定めた期限までに年寄・鳴戸の名跡証書を提出できなかった[2][3]ため、14代鳴戸は2012年2月に急逝した14代田子ノ浦(元幕内・久島海)の夫人が所有する年寄・田子ノ浦の名跡を正式に取得し、同年12月25日に日本相撲協会へ年寄・田子ノ浦の名跡証書を提出すると共に、正式に16代田子ノ浦を襲名した[4]。これに伴い、鳴戸部屋の名称も田子ノ浦部屋へと変更された。

エピソード[編集]

隆の鶴は闘牙(高砂部屋)と容貌が瓜二つで、両者による取組は話題を集めた。2001年3月場所に十両にて初対戦し、その時は闘牙が突き倒しで勝利している。2003年3月場所に行われた2回目の対戦は幕内での初顔合わせとなり、その時は隆の鶴が寄り切りで勝利している。翌5月場所にも対戦し、その時は闘牙が突き出しで勝利した。幕内では最後の対戦となった2004年11月場所では隆の鶴が寄り切りで勝利している。以降は十両で4回対戦していて、それらを含めての両者の対戦成績は隆の鶴の5勝3敗である。

闘牙は2006年3月場所に東十両10枚目の位置で2勝13敗と大敗して、翌5月場所に幕下へ陥落した。隆の鶴も西十両10枚目の位置で1勝14敗(1勝は初日に闘牙から挙げたもの)と大敗し、闘牙と同時に幕下へ陥落した。闘牙が同年5月場所直前に引退を表明すると、隆の鶴も同年5月場所では西幕下8枚目の位置で初日から6連敗し場所中に引退を表明するなど、両者は何かと縁があった。なお、2人の間ではお互いに「間違われても怒らない」という申し合わせをしていたという。

容貌は非常によく似ていたものの、組み止めてから前へ出る隆の鶴に対し、突っ張ってから叩き込む闘牙と、取り口は対照的であった。隆の鶴の断髪式には一門が違う闘牙が招かれて鋏を入れた。整髪時に揉み上げも「断髪」した。

主な成績[編集]

  • 通算成績:393勝358敗70休(85場所)
  • 幕内成績:26勝45敗4休(5場所)

場所別成績[編集]

隆の鶴伸一
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1992年
(平成4年)
x (前相撲) 東 序ノ口 #28
4–3
 
東 序二段 #140
4–3
 
西 序二段 #107
2–5
 
東 序二段 #147
3–4
 
1993年
(平成5年)
東 序ノ口 #4
3–4
 
東 序ノ口 #13
5–2
 
西 序二段 #123
4–3
 
東 序二段 #93
3–4
 
西 序二段 #116
4–3
 
西 序二段 #84
4–3
 
1994年
(平成6年)
西 序二段 #64
5–2
 
東 序二段 #23
4–3
 
西 序二段 #1
5–2
 
東 三段目 #71
3–4
 
西 三段目 #92
6–1
 
東 三段目 #38
3–4
 
1995年
(平成7年)
東 三段目 #56
3–4
 
東 三段目 #74
3–4
 
西 三段目 #87
5–2
 
西 三段目 #55
5–2
 
西 三段目 #28
休場
0–0–7
東 三段目 #86
休場
0–0–7
1996年
(平成8年)
西 序二段 #46
優勝
7–0
東 三段目 #49
4–3
 
東 三段目 #34
4–3
 
東 三段目 #19
休場
0–0–7
東 三段目 #79
休場
0–0–7
東 序二段 #40
休場
0–0–7
1997年
(平成9年)
東 序二段 #111
休場
0–0–7
西 序ノ口 #2
休場
0–0–7
(番付外) 東 序ノ口 #56
6–1
 
東 序二段 #128
7–0
 
西 三段目 #94
5–2
 
1998年
(平成10年)
西 三段目 #63
4–3
 
東 三段目 #45
5–2
 
東 三段目 #20
4–3
 
東 三段目 #8
5–2
 
西 幕下 #47
2–5
 
東 三段目 #9
5–2
 
1999年
(平成11年)
東 幕下 #47
4–3
 
西 幕下 #37
3–4
 
東 幕下 #50
4–3
 
東 幕下 #41
4–3
 
東 幕下 #31
2–3–2
 
西 幕下 #46
5–2
 
2000年
(平成12年)
東 幕下 #33
5–2
 
東 幕下 #18
4–3
 
西 幕下 #12
4–3
 
東 幕下 #9
2–5
 
西 幕下 #19
6–1
 
西 幕下 #4
4–3
 
2001年
(平成13年)
東 幕下 #3
4–3
 
西 十両 #13
9–6
 
東 十両 #8
7–8
 
西 十両 #10
7–8
 
東 十両 #12
10–5
 
西 十両 #7
6–9
 
2002年
(平成14年)
十両 #9
休場
0–0–15
西 十両 #9
7–8
 
西 十両 #10
9–6
 
東 十両 #5
9–6
 
東 十両 #3
8–7
 
東 十両 #2
10–5
 
2003年
(平成15年)
西 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #8
4–11
 
東 前頭 #14
0–11–4
 
西 十両 #10
5–10
 
東 幕下 #1
6–1
 
西 十両 #9
8–7
 
2004年
(平成16年)
東 十両 #5
6–9
 
東 十両 #9
9–6
 
東 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
9–6
 
西 前頭 #16
9–6
 
西 前頭 #12
4–11
 
2005年
(平成17年)
東 十両 #3
6–9
 
東 十両 #6
8–7
 
東 十両 #3
4–11
 
東 十両 #11
7–8
 
東 十両 #12
7–8
 
西 十両 #12
8–7
 
2006年
(平成18年)
東 十両 #7
6–9
 
西 十両 #10
1–14
 
西 幕下 #8
引退
0–6–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

各段優勝[編集]

  • 序二段優勝:1回(1995年11月場所)

改名歴[編集]

  • 積山 伸一(せきやま しんいち)1992年3月場所-2001年1月場所
  • 隆の鶴 伸一(たかのつる -)2001年3月場所-2006年5月場所

年寄変遷[編集]

  • 隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち)2006年5月-2007年5月[準年寄]
  • 西岩 伸一(にしいわ -)2007年5月-2011年11月
  • 鳴戸 伸一(なると -)2011年11月-2013年12月
  • 田子ノ浦 伸一(たごのうら -) 2013年12月-

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 西岩親方が部屋継承へ…鳴戸親方死去 スポーツ報知 2011年11月8日閲覧
  2. ^ 実態が借株であったためこのままでは部屋運営の資格を失っていた。
  3. ^ 『相撲』2014年2月号17頁に「実際の経営者は高谷家(先代未亡人とその子女)だった」と報じられている。
  4. ^ 日刊スポーツ (2013年12月27日). “稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし”. 2013年12月29日閲覧。

外部リンク[編集]