栃司哲史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
栃司 哲史 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 栃司 哲史
本名 後藤 哲雄
生年月日 (1958-04-25) 1958年4月25日(58歳)
出身 愛知県名古屋市中川区
身長 180cm
体重 159kg
BMI 49.07
所属部屋 春日野部屋
得意技 突き、押し、突き落とし、いなし、叩き
成績
現在の番付 引退
最高位 西関脇
生涯戦歴 465勝448敗25休(68場所)
幕内戦歴 206勝249敗25休(32場所)
優勝 十両優勝2回
敢闘賞1回
技能賞1回
データ
初土俵 1981年3月場所
入幕 1983年9月場所
引退 1992年5月場所
引退後 年寄入間川
備考
金星3個(隆の里1個、千代の富士1個、北勝海1個)
2014年4月9日現在

栃司 哲史(とちつかさ てつお、1958年4月25日- )は、愛知県名古屋市中川区出身で、かつて春日野部屋に所属した力士である。本名は後藤 哲雄(ごとう てつお)。最高位は西関脇1988年1月場所)。現役時代の体格は180cm、159kg。得意手は突き、押し、突き落とし、いなし、叩き。

現在は、年寄入間川として、入間川部屋出羽海一門)の師匠を務めている。

来歴・人物[編集]

実家は「有限会社 後藤クレーン」という建設会社であり、2013年時点で現存している。

幼少よりスポーツ万能で、小学校の頃は水泳の大会などで優勝したが、中京中学校に入学すると相撲部に入部した。

中京中学校では全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学横綱に輝く等の優秀な成績を収め、その後、中京高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)を経て日本大学に進学した。

しかし同大学の相撲部では、全国学生相撲選手権大会準優勝という成績はあったものの、個人タイトル獲得は1個のみとやや不完全燃焼であった。

大学卒業直前の1981年1月、春日野部屋へ入門。同年3月場所に於いて、幕下付出初土俵を踏んだ(同期には、大学時代の同期生でもある後の十両・花ノ藤や後の前頭・豊ノ海、同・鬼雷砲らがいた)。

以来順調に出世し、1982年1月場所で十両昇進、1983年9月場所では入幕を果たした。

突き押しに徹した相撲で幕内で活躍し、突き押しからのいなしもうまく決まった。立ち合いに突進力があり、横綱隆の里を土俵に這わせた事もある。

1992年5月場所限りで引退した後は、年寄・入間川を襲名し、暫くは春日野部屋付きの親方として後輩達を指導していた。

しかし翌年1月に、同部屋から独立し、入間川部屋を創設。これまでに、前頭・皇司や同・燁司などを育てている。

ちなみに、長男の後藤良太はかつて埼玉栄高校の相撲部に所属しており、軽量級を中心に活躍していた。

同じ関脇を最高位としながら寺尾には相性が悪く、幕内昇進前も含め13戦全敗と一方的に負けている。その一方で、大関・若嶋津には強く、5勝1敗と得意にしていた。大関・横綱時の大乃国に対しても3勝6敗、大関時の小錦に対しては2勝3敗と健闘している。

1991年3月場所では、西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越しながらも、再入幕を見送られるという珍しい事があった。これは幕内下位で負け越したのは1人だけだった事と、東十両筆頭にいた両国が9勝6敗と同じ成績を残し彼が優先されたためで、自身は東十両筆頭に回るにとどまった。

同年9月場所では10勝5敗と勝ち越し、翌場所で返り入幕を果たす。この時花道でガッツポーズを取っていた姿が、NHKの大相撲中継で放送された。

入間川部屋の名古屋場所に於ける宿舎は、名古屋市中川区にある実家の敷地を利用しており、稽古場はその隣にある。[1]日本大学相撲部の後輩に当たる皇司燁司や、磋牙司らを幕内力士へと育て上げ、協会では審判委員を務めるなどしていたが、2011年に弟子の幕内・将司、幕下・恵那司(いずれも最高位)が大相撲八百長問題に関与していた監督責任で委員から主任へ1階級降格処分を受けた。2012年4月に委員に復帰し、現在は役員以外の親方衆で構成される年寄会の副会長を務めている。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:465勝448敗25休 勝率.509
  • 幕内成績:206勝249敗25休 勝率.453
  • 現役在位:68場所
  • 幕内在位:32場所
  • 三役在位:4場所(関脇1場所、小結3場所)
  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:1回(1984年5月場所)
    • 技能賞:1回(1987年11月場所)
  • 金星:3個(隆の里1個、千代の富士1個、北勝海1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1989年1月場所、同年7月場所)
  • 対横綱戦:4勝15敗(隆の里・千代の富士・北勝海・大乃国に各1勝)
  • 対大関戦:14勝32敗(若嶋津5勝、大乃国・朝潮・北天佑・小錦2勝、旭富士1勝)

場所別成績[編集]

栃司 哲史
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1981年
(昭和56年)
x 幕下付出 #60
6–1 
東 幕下 #30
5–2 
東 幕下 #17
4–3 
西 幕下 #13
5–2 
東 幕下 #4
4–3 
1982年
(昭和57年)
東 十両 #13
7–8 
西 幕下 #1
3–4 
西 幕下 #5
5–2 
東 幕下 #1
3–4 
東 幕下 #7
4–3 
東 幕下 #5
5–2 
1983年
(昭和58年)
西 十両 #12
9–6 
東 十両 #9
8–7 
東 十両 #5
9–6 
西 十両 #1
8–7 
東 前頭 #13
7–8 
西 十両 #2
9–6 
1984年
(昭和59年)
東 前頭 #14
9–6 
西 前頭 #8
7–8 
東 前頭 #9
10–5
西 前頭 #1
3–12
東 前頭 #13
5–10 
東 十両 #5
8–7 
1985年
(昭和60年)
西 十両 #4
8–7 
東 十両 #2
8–7 
東 十両 #1
10–5 
西 前頭 #13
6–9 
西 十両 #3
8–7 
東 十両 #3
10–5 
1986年
(昭和61年)
東 十両 #1
9–6 
東 前頭 #12
9–6 
東 前頭 #5
8–7 
西 小結
4–11 
東 前頭 #3
7–8
東 前頭 #4
8–7 
1987年
(昭和62年)
西 小結
7–8 
東 前頭 #1
5–10 
東 前頭 #6
7–8 
西 前頭 #6
6–9 
西 前頭 #11
8–7 
東 前頭 #6
10–5
1988年
(昭和63年)
西 関脇
7–8 
西 小結
5–10 
東 前頭 #4
5–10 
西 前頭 #8
6–9 
西 前頭 #13
4–4–7[2] 
東 十両 #5
7–8 
1989年
(平成元年)
西 十両 #5
優勝
11–4
東 十両 #1
8–7 
東 前頭 #14
6–6–3[3] 
東 十両 #2
優勝
12–3
東 前頭 #13
9–6 
西 前頭 #7
8–7 
1990年
(平成2年)
東 前頭 #2
4–11
東 前頭 #10
7–8 
西 前頭 #11
8–7 
東 前頭 #8
9–6 
西 前頭 #2
休場[4]
0–0–15
東 十両 #1
7–8 
1991年
(平成3年)
東 十両 #3
8–7 
西 十両 #1
9–6 
東 十両 #1
6–9 
東 十両 #5
9–6 
東 十両 #1
10–5 
東 前頭 #11
2–13 
1992年
(平成4年)
西 十両 #6
8–7 
西 十両 #4
5–10 
東 十両 #9
引退
4–9–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

年寄変遷[編集]

  • 入間川 哲雄(いるがまわ てつお)1992年5月-

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 入間川部屋宿舎は親方の実家中日新聞+ 2013/7/2
  2. ^ 右腓腹筋皮下断裂により8日目から途中休場
  3. ^ 腰部筋筋膜炎により5日目から途中休場、9日目から再出場
  4. ^ 左肘軟骨除去により初日から休場

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]