稀勢の里寛

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稀勢の里 寛 Sumo pictogram.svg
Kisenosato Yutaka1.jpg
明治神宮での奉納土俵入り
(2017年1月27日撮影)
基礎情報
四股名 稀勢の里 寛
本名 萩原 寛
愛称 ハギ、キセノン[1][2][3]
生年月日 (1986-07-03) 1986年7月3日(30歳)
出身 茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市
身長 187cm
体重 175kg
BMI 50.04
所属部屋 鳴戸部屋田子ノ浦部屋
得意技 左四つ・寄り・突き・押し・左おっつけ
成績
現在の番付 横綱
最高位 第72代横綱
生涯戦歴 783勝467敗4休(91場所)
幕内戦歴 697勝424敗4休(75場所)
優勝 幕内最高優勝2回
幕下優勝1回
殊勲賞5回
敢闘賞3回
技能賞1回
データ
初土俵 2002年3月場所
入幕 2004年11月場所
趣味 スポーツ観戦(特にアメフト観戦)[4]
備考
金星3個
朝青龍1個、白鵬2個)
2017年5月30日現在

稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市[5][6])で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。第72代横綱。本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ、キセノン[1][2]身長188cm、体重175kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅[4]茨城県龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ・寄り・突き・押し。血液型はB型。締め込みの色はナス紺。生まれつき左利きであり、矯正により両利きになったが主に左手を使う[7]

来歴[編集]

入門まで[編集]

父はかつて本格的にボクシングに取り組んだ格闘家である[8]。下の名前を「ゆたか」と読むのは「ひろし」より語感が良いと父貞彦さんの思いからである[7]。兵庫県芦屋市で生まれ、2歳のときに茨城県龍ヶ崎市に転入した。「丈夫な体に育つように」と両親からは清涼飲料水やスナック菓子は一切与えられずに育ち[8]、母からは様々な手料理を振る舞われた[9]

中学2年時に牛久市へ転入したがその後も龍ヶ崎市の中学校に通う。牛久市で過ごしたのはわずか1年あまりであり、出生から入門までの間そのほとんどを龍ヶ崎市で過ごしている。出身地が牛久市とされているのは、部屋入門時の住所地が牛久市であったことによるものである。幼少期から相撲が好きで小学2年頃からよくテレビで観戦していた。相撲は小学2年生の頃から始め、初めて廻しを付けた地元の相撲大会では上級生5人に勝ち抜き優勝。4~6年時は、わんぱく相撲の茨城代表として両国国技館の土俵にも上がった[10]

小学校4年生から野球をやっており野球の能力も高かった。小学生時代は捕手を、中学1年からは投手を務め、中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もあったが、「自分はでかいだけ。野球は、うまくない」という理由で断った[11]。中学3年野球地区予選で右手首を脱臼骨折、1ヶ月以上も二の腕までギプスで固定された[7]。中学時代には美馬学(現プロ野球楽天投手)との対戦もあった[12]。中学時代の野球部の監督は野球部員としての萩原を「長身の本格派。器用さもあった」と語っており、大関時代にも本人がトークショーでその頃の自分を「技巧派」などとふざけ半分で語ることがあった[10]

出身中学で2、3年次に担任を行っていた教員の証言によると「アンバランスな印象の子でした。見た目は大人以上に大きいのに、中身は子供なんですから。わんぱくでしたよ。男子はよく休み時間にじゃれあって遊びますが、ほかの子より腕力が強いとか、体格が良いとかを忘れるんでしょうね。相手を泣かせてしまう。それで叱ると、涙をこぼすんです。でも、彼は男子の間で人気者でした。人を笑わせたり楽しませたりすることが大好きで、掃除をさぼることがあっても憎まれない。スポーツが好きで、部活や体育祭に一生懸命に取り組む。給食もたくさん食べる。そんな子です。体は大きいけれど、普通の中学生でしたよ」とのこと[13]

角界入りを考えたのは中学2年生の時であり、鳴戸部屋を訪ねた際に鳴戸からは「これは、末は大関横綱に必ずなる。ぜひ入門してほしい」と太鼓判を押された。入門にあたっては難色を示す両親や中学の先生を、鳴戸親方が熱心に説得して実現し、萩原親子は他の部屋を回ることなく入門を決めた[9]。中学卒業後に鳴戸部屋に入門。入門の関係上、中学校は3年生の2月上旬までの登校となった。入門前から力士としての自覚は持っていたようであり、中学の最後の登校日にサインを求められると一人前ではないからと断った[14]。卒業文集には「努力で天才に勝ちます」と書き残している[15]。入門の際、母からは入門後3年は相撲を続けて家に帰ってこないようにと言われて送り出された[9]

初土俵~十両[編集]

鳴戸が足の指を見て「初めて見たとき、てんぐのうちわのような指をしていた」と評したほど5本の指がきれいに分かれるなど、身体的な素質が認められていた[7]。萩原は中学2年の途中から卒業まで毎晩、ちり紙を丸めたり、市販のスポンジを買って親指と人さし指の間に詰めて睡眠することで、外反母趾にならないように気をつけた[7]。萩原を大器と見込んだ13代鳴戸は、入門したばかりの萩原を若の里(現・西岩)の付き人に指名し、若の里は毎日萩原を泥だらけになるまで稽古付けた[16]。幕下に上がるまでは実家にも帰らず、両親が電話を入れてもすぐに切るほど相撲に打ちこんだ[17]。その稽古熱心さからある親方からは「もうやらなくていい。そのへんでやめておけ」と言われるほどであった[9]

初土俵から安定して勝ち越しを重ねて十両昇進へと足を進めたが、2003年5月場所で7戦全勝しながら三段目優勝を逃し、花道で人知れず涙したがその姿を目撃した朝青龍から、「その気持ちがあれば、お前は強くなる」と慰められた[18]

十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9カ月)。ただし十両では終盤戦で頻繁に立ち合い変化に敗れ失速、二桁勝利を挙げられず同時に十両昇進し、十両を2場所で通過した琴欧州、豊ノ島に遅れをとったが、わずか3場所で通過した。当時18歳であった稀勢の里の将来と過去の大横綱とを重ね合わせて見ていた相撲ファンがいたことについては、2016年9月場所前の雑誌のインタビューで記者に問われた際に「自分はそんなこと、考えてもいませんでしたよ」と答え、若さゆえの反発はなかったかと聞かれると13代鳴門の厳しさを指して「そんなことが許される状況ではなかったからね(笑)当時、自分はあってないようなものでしたから」とコメントしている[19]

幕内 ~ 三役[編集]

2004年、11月場所は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3カ月)で番付を駆け上がり新入幕を果たす。同時にこれまで本名のままで取っていた四股名を「稀勢の里」と改名した。「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて師匠が提案、本人も納得してつけられた。新入幕からの一年は苦戦が続き、十両時代にも見られた土俵際で粘られてたまたま足が出て勝った相撲や体格に任せて無理矢理倒す相撲、相手の叩きにつけ込んだ相撲が多く、また土俵際の逆転を頻繁に許すなど詰めの甘さも目立ち、舞の海秀平には「前に出て土俵際で止まることも勉強しなければいけない」と苦言を呈された。この間は最高成績が9勝6敗で、ぎりぎりの勝ち越しと負け越しを繰り返した。

2005年、9月場所では12勝3敗の好成績を挙げ最後まで優勝争いに残り、また優勝争いの先頭だった琴欧州に土をつけ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。19歳2カ月での初の三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録。しかし翌11月場所は、自己最高位の東前頭5枚目で5勝10敗と大きく負け越した。

2006年、3月場所では東前頭7枚目で10勝5敗と2005年9月場所以来3場所ぶりの二桁勝利を上げ、翌5月場所は自己最高位の東前頭筆頭で千秋楽に8勝7敗と勝ち越し、7月場所での三役昇進を果たした(19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の年少記録)。この場所は中日までは自分よりも番付が上の力士とばかりの対戦が組まれ、8日目まで2勝6敗ながらも、2大関(琴欧州、魁皇)を破るなど、9日目から6連勝し最終的には8勝7敗と新三役で勝ち越しを収めた。翌9月場所では朝青龍から初白星を上げ、8勝7敗ながらも朝青龍に勝利したことが評価され、初の殊勲賞を受賞。翌11月場所も8勝7敗と勝ち越し、幕内に昇進して以来初めての年間全場所勝ち越しを達成した。

2007年、1月場所では千秋楽に敗れて7勝8敗と負け越し、4場所勤めた小結から陥落した。翌3月場所は6勝9敗と負け越し、5月場所も6勝9敗と3場所連続で負け越した。西前頭6枚目で迎えた7月場所は千秋楽で大関昇進が確実な関脇琴光喜に勝利するなど、11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利を挙げた。9月場所では小結に復帰するが6勝9敗と負け越した。11月場所では、中盤までは黒星が先行する展開であったが終盤に4連勝して9勝6敗と勝ち越した。

2008年、1月場所2日目に2場所連続出場停止(2007年9・11月)明けだった朝青龍に対し、朝青龍の背中について最後は豪快に土俵下へ送り倒して快勝、初の金星を獲得。10勝5敗で2度目の殊勲賞を受賞。3月場所で3場所ぶりに小結復帰を果たし、11日目に7勝4敗であったが、その後下位力士に連敗。14日目に勝ち越しを決めたものの、千秋楽に7勝7敗の西関脇の琴奨菊戦に敗れ関脇昇進を逃した。

5月場所は初日に朝青龍に勝利するなど、10勝5敗と三役では初の2桁勝利を挙げて2度目の敢闘賞を受賞。両関脇が勝ち越したため7月場所も小結に据え置きとなり、小結在位8場所と、最高位が小結の力士としては昭和以降では富士錦の10場所、出羽錦高見山の9場所に次ぐ記録となった(富士錦以外はその後関脇に昇進している)。7月場所は6勝9敗と負け越した。この年の夏のある時、8月のモンゴル巡業で顔を赤らめて現地の女性とダンスを踊っていた様子を収めた日刊スポーツの紙面が13代鳴戸から禁止されていた「過酒、色、煙草」の内「過酒、色」の証拠になったことから、13代鳴戸に3時間も正座させられた[20]

前頭2枚目に降格となった9月場所では腸捻転と診断され初日から4連敗(場所中は公表していなかった)。5日目には白鵬を破り金星を獲得したものの、12日目に負け越しが決まり、6勝9敗に終わった。この場所は出場も危ぶまれていたが、鳴戸から 「オレは現役時代、何度も病院から場所入りした。その気になれば、相撲は取れる。いまはとても大事なときだ。オレなら休まない」と緊急入院した先の病院の枕元でささやかれ、水も思うように飲めない状態で無理をして出場したということが後に明らかになっている[21]。11月場所は11勝4敗と3場所ぶりの勝ち越しと2桁勝利を挙げて小結への復帰が決まった。

靖国神社奉納大相撲 関脇稀勢の里関、相手は小結豪栄道関(2009年4月10日撮影)

2009年、1月場所は初日の対朝青龍戦で敗れた後1度も白星先行できず、7勝7敗で迎えた千秋楽で高見盛に勝利し8勝7敗と勝ち越し、初の関脇昇進を果たした。新関脇となった3月場所では5勝10敗の負け越しで、1場所で関脇から陥落した。

5月場所は初日から5連勝するなど好調で、千秋楽まで優勝争いに加わり、日馬富士が琴欧洲に敗れて朝青龍が白鵬に勝てば「白鵬、朝青龍、日馬富士、稀勢の里での優勝決定戦、四つ巴戦」の可能性もあったが、日馬富士が琴欧洲を破り、優勝の可能性が消えた。それでも自身最高となる13勝2敗の好成績をあげ、3度目の敢闘賞を受賞した。

7月場所は2場所ぶりに関脇に復帰(西関脇)した。中日に朝青龍を土俵際で左からの突き落としで破り、朝青龍の全勝を止めた。9日目まで7勝2敗だったが、その後3連敗。13日目に勝ち越しを決め、最終的に9勝6敗であった。1横綱(朝青龍)3大関(魁皇、琴光喜、千代大海)を破った。9月場所は中日まで5勝3敗だったがその後4連敗し、7勝7敗にこぎつけたものの、千秋楽に把瑠都に上手投げで敗れ、7勝8敗と負け越した。11月場所は小結に陥落し小結在位が歴代10位タイの10場所となった。また23歳3カ月での10場所到達は武双山の27歳6ヶ月を大幅に上回る史上最年少記録である。11月場所も6勝9敗と精彩を欠いた。

1月13日に年寄名跡荒磯取得。

2010年、前頭3枚目に陥落した1月場所は序盤5連勝と好調だったが、その後5連敗し、9勝6敗に終わった。小結に復帰した3月場所も9勝6敗と勝ち越しはしたが2桁勝利には届かず、上位陣との対戦では外国勢の白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都にはいずれも敗れている。関脇で迎えた5月場所もその4人に敗れ、8勝7敗に終わった。

7月場所は中日まで6勝2敗の成績だったがそこからこれまで苦手として来た力士に加え阿覧豊真将にも完敗するなど5連敗し、千秋楽にも鶴竜に土俵際の逆転で敗れ7勝8敗と負け越し、9月場所は12場所目の小結へ陥落した。その9月場所でも把瑠都を破ったものの7勝8敗と負け越し、11月場所は前頭筆頭に転落した。11月場所、2日目には63連勝中の白鵬を寄り切りで破って連勝記録を止めた。同時に自身3個目の金星獲得ともなった。最終的には10勝5敗となり、殊勲賞を受賞した。

2011年、1月場所は11日目に23連勝中だった白鵬を押し出しで破った。最終的に11月場所と同じ10勝5敗で取り終え、2場所連続で殊勲賞を受賞した。関脇での2桁勝利は自身初。ただし西関脇の琴奨菊が11勝を挙げたため、次の5月技量審査場所では西関脇に番付を下げた[22]。この場所では、不戦勝の琴欧洲戦を除く上位の外国人力士には全敗を喫するなど不振で、千秋楽で8勝7敗と勝ち越したが、東関脇の琴奨菊が10勝を挙げたため7月場所の番付は西関脇を維持した。

7月場所は終盤に5連勝し千秋楽では14戦全勝で優勝を決めていた日馬富士に土を付け全勝優勝を阻むなど10勝5敗を挙げ、3度目の三役での二桁勝利となったが、東関脇の琴奨菊は11勝を挙げたため9月場所の番付も西関脇のまま維持となった。その9月場所は初日から8連勝で幕内では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に初黒星を喫し、その後も2連敗したが、12日目に白鵬を小手投げで破り最終的に12勝3敗で取り終えた。この時点では優勝決定戦による逆転優勝の可能性があったが、結びの一番で白鵬が勝ったため優勝はならなかったが、白鵬を破ったことが評価されて殊勲賞を受賞した。

大関挑戦の場所となった11月場所の直前に師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝。初日から4連勝の後、5日目に平幕の豪栄道に敗れる。14日目に10勝目をあげ、この時点で大関昇進の目安である直前3場所33勝まであと1勝の32勝となったが、最近6場所中5場所で2桁勝利を挙げていること、横綱白鵬に対し3勝3敗と互角であることや相撲内容から千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開き、臨時理事会を開催するよう放駒理事長(元大関魁傑)に満場一致で要請し、30日に理事会の開催が決定。理事会で大関昇進が見送られた例がない(横綱昇進の場合のみ)ため事実上大関昇進が決定した。千秋楽は新大関の琴奨菊に敗れて(この敗戦により対琴奨菊戦は前年の11月場所から6連敗となった)10勝5敗に終わったが、相撲内容が評価されて技能賞を受賞した。しかし一部のマスコミ関係者などには、稀勢の里の大関昇進に対し疑問の声も存在した[23][24]

大関[編集]

11月30日の日本相撲協会理事会にて満場一致で昇進が決定し、正式に大関に昇進した。昇進伝達式での口上は「大関の名を汚さぬよう精進します」というシンプルなもの。新入幕から所要42場所での大関昇進は史上5位のスロー記録。小結在位12場所は大関に昇進した力士としては魁皇と武双山の11場所を抜き史上最多。

2012年

新大関の1月場所では4日目豊ノ島に押し出されて初黒星を喫する。9日目に豊真将を寄り切って勝ち越し、10日目に琴奨菊を突き落としで破り9勝1敗と好調だったが、11日目に白鵬、12日目に把瑠都に連敗し優勝争いから脱落。千秋楽は琴欧洲を寄り切り11勝4敗で取り終えた[25]

3月場所は初日から栃乃若栃煌山に連敗。5日目には時天空に敗れ2勝3敗と黒星が先行し、これが響いて9勝6敗に終わったものの、8日目に鶴竜、13日目には白鵬、14日目には把瑠都に勝利するなど存在感を示した。

5月場所、5日目妙義龍に敗れた以外は、11日目まで10勝1敗で次点とは2差つける単独トップに立っていた。しかし12日目に栃煌山、13日目に白鵬と2連敗。平幕の旭天鵬、栃煌山らと共に、優勝争いトップの11勝3敗で迎えた千秋楽は苦手の把瑠都に上手投げで敗れてしまい、11勝4敗で優勝決定戦への出場も逃す格好となった。

7月場所は4日目安美錦、7日目豪栄道と序盤での取りこぼしがあったのが響き、11日目に日馬富士に敗れて3敗となって優勝争いから脱落。14日目白鵬戦と千秋楽琴欧洲戦を連敗し、結局10勝5敗に終わった。9月場所は白鵬、日馬富士らとともに連勝を続けて大関昇進後では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に豊真将、11日目に安美錦に敗れて優勝争いから後退。さらに13日目からの横綱、大関戦に全敗を喫して10勝5敗にとどまった。直前の秋巡業(長野)で左足首の痛みを訴え途中休場するも(痛風の可能性もあった)[26]、11月場所は3場所連続の10勝5敗にとどまった。

2013年-初の綱取り挑戦-

1月場所は序盤に栃煌山、把瑠都に連敗するも、そこから8連勝して12日目まで10勝2敗としたが、そこから3連敗で4場所連続の10勝5敗に終わった。3月場所は中日まで白星と黒星が交互に並ぶ4勝4敗となったが、そこから6勝1敗と盛り返して、5場所連続の10勝5敗で取り終えた。

5月場所は初日から初の13連勝を達成した。14日目に共に全勝同士の白鵬と対決したが掬い投げで敗れて初黒星。翌千秋楽も琴奨菊に一方的に寄り倒しで敗れてしまい13勝2敗、念願の幕内初優勝はならなかった。それでも5月場所後、理事長の北の湖は全勝で優勝した白鵬と2勝差ながら、『優勝に準じる成績』であるとして「翌場所でハイレベルな優勝をすれば横綱昇進の可能性もある」との見解を示した[27](但し伊勢ヶ濱審判部長(元横綱旭富士)は「今はそういう考え(綱獲り)はない」と、北の湖理事長の発言とは全く相違の意見を述べている[28][29])。

7月場所前「13勝以上の優勝なら横綱昇進も」と北の湖理事長が公言する中[30] 、栃煌山との出稽古での負け越しや[31]日馬富士との稽古で右足の痛みを訴えるなど不調が伝えられた[32] 。7月場所は3日目栃煌山に突き落とされ初黒星を喫し[33]、5日目は千代大龍に送り出され[34]。7日目、豪栄道に寄り切られて3敗目で、綱獲りは消滅となった[35][36]。その後8日目からは7連勝、14日目には白鵬を寄り倒して連勝記録を43でストップさせている。「今場所12勝挙げれば来場所綱獲りに繋がる」と北の湖理事長が明言するも[37] 、千秋楽は又しても2場所連続で琴奨菊に完敗してしまい結局11勝4敗、綱獲りは白紙に戻った[38][39]

9月場所は3日目に隠岐の海に敗れ、9日目には先場所に引き続き千代大龍に突き出されて2敗。13日目に豪栄道に押し出されてしまい3敗目となり、14日目に白鵬との直接対決で敗れ、白鵬の27回目の優勝が決定した(「白鵬に髷掴みの反則があった」と物言いが付くも結局軍配通り)。千秋楽は鶴竜を寄り切って、2場所連続で11勝4敗。

11月場所は3日目に安美錦に、中日には豪栄道に敗れて2敗となるが、13日目に日馬富士を寄り切りで、14日目には白鵬を上手投げで全勝で並走していた両横綱を破るが、優勝の可能性は14日目で消滅するも、千秋楽は鶴竜を寄り切り13勝2敗とした。場所後北の湖理事長は、13番勝ったこと(優勝した日馬富士とは1差)、両横綱に土をつけたことを評価して『優勝に準ずる成績』にあたるとし来場所(2014年1月場所)が綱取り場所になることを明言。目安について「優勝しないと駄目。13勝以上の高いレベルが求められる。」と述べた[40]。2013年12月26日には、師匠が田子ノ浦に名跡変更したことでそれまでの鳴戸部屋の施設が使えなくなったため新施設を東京都江戸川区東小岩に新設するまでの約半年間の予定で同年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の施設を借り受ける形を取って部屋を東京都墨田区へ急遽移転する必要に追われた。このことから満足な調整ができたとは決して言えず、不安な状況の中2014年1月場所を初めて田子ノ浦部屋所属力士として迎えることとなった。[41]また、この年は綱取りと優勝は出来なかったものの全ての場所で二桁勝利以上を記録した。

2014年-二度の綱取り挑戦-

2013年末のお家騒動が祟ったのか、2度目の綱取り場所となった2014年1月場所は乱調に終始し、初日の豊ノ島戦で早くも敗れた。5日目に碧山、中日に栃煌山に敗れ3敗目を喫し、この時点でもう理事長が提示した「13勝以上の優勝」の条件を達成できなくなった。続く9日目の豊響戦で4敗目を喫したことで、綱取りを来場所に繋ぐことも不可能となった。そればかりか12日目の琴欧洲戦で 場所前から痛めていた右足親指を悪化させ[42][43]、13日目の白鵬戦で6敗目を喫したことで連続2桁勝利も10場所でストップしてしまった。[44]そして右足親指負傷が限界に達し、千秋楽に「右母趾MP関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要す」との診断書を協会へ提出して休場に至ったことで通算連続出場は953回で途切れ(千秋楽の琴奨菊戦は不戦敗)、同時に7勝8敗と負け越しも決定してしまった[45]。休養期間中はジムなどでトレーニングを行い、2月10日から相撲の稽古を再開した様子が伝えられた[46]

自身初の大関角番で迎えた3月場所は、10日目に勝ち越して角番を脱出したが、11日目から横綱・大関陣に3連敗、千秋楽も豪栄道に敗れて結局9勝6敗に終わり、存在感を示せなかった。場所後は「悔しい」「完全に負けた感じだった」と、胸の内にある苦い思いを明かした[47]

5月場所は4日目碧山に押し出され初黒星を喫した以外は11日目まで白星を重ねたが、12日目に優勝争いトップの1敗同士の対決となった横綱白鵬戦では、一方的に寄り切られ2敗に後退。14日目は横綱日馬富士戦では日馬富士が稀勢の里の髷を引っ張る反則負けで白星[48]、千秋楽の鶴竜戦でも一方的に突き出して13勝2敗の好成績を挙げ、結びの結果を待った。しかし結びの一番の白鵬-日馬富士戦は白鵬が勝ち優勝を決め、又しても優勝次点に留まった。尚北の湖理事長は「今年の1月場所では負け越し、3月場所も9勝の1桁勝利が引っ掛かる。次の7月場所は仮に全勝優勝でも横綱昇進への諮問をするかどうかは不明」と綱取りには否定的なコメントを述べていた[49]

7月場所は全勝レベルのハイレベルな優勝なら綱取りもと期待されて三度目の綱取りに挑戦したが2日目早々安美錦に敗北。全勝というハイレベルな成績をクリア出来なかったため、この段階で綱取りの可能性はほぼ無くなる。さらに中日は苦手の関脇・豪栄道戦に敗れ2敗に後退し昇進が完全消滅。その後も不調で次場所への綱取り継続も出来なかった。11日目の玉鷲戦でようやく勝ち越し、13日目には横綱白鵬を小手投げで下したが、日馬富士・鶴竜に敗れ9勝6敗と1桁勝利に終わり三度目の綱取りも失敗に終わる。

翌9月場所は2日目に碧山に不覚を取り黒星。その後6連勝したが、9日目に新大関・豪栄道に敗れ2敗に後退ののち、12日目の白鵬戦まで4連敗。13日目の大砂嵐戦でようやく勝ち越したが、2場所連続の9勝6敗に留まった。続く11月場所は9日目に勝ち越しを果たしたものの10日目から黒星と白星を交互に繰り返し、11勝4敗で場所を終えた。

2015年

1月場所は3日目照ノ富士戦・9日目琴奨菊戦で黒星、10日目の遠藤戦で勝ち越し。10勝2敗で迎えた13日目の白鵬戦、一度は取り直しになるも、取り直し後の相撲で押し倒され、白鵬の史上単独1位の33回目の優勝を許す形となった。14日目の鶴竜戦は勝利したが、千秋楽に日馬富士に敗れ11勝4敗。3月場所は序盤の3敗が響き、11日目に勝ち越したものの、その後も栃ノ心と両横綱に3連敗。千秋楽の琴奨菊戦は勝利して9勝6敗の成績だった。

5月場所も4日目から栃ノ心・妙義龍に2連敗してしまったが、11日目まで2敗を守り、1敗の白鵬を追う立場で優勝争いに加わった。12日目に照ノ富士に敗れ3敗となったが、その日に白鵬も敗れたため1差は変わらず。13日目に日馬富士に敗れ4敗に後退したものの、14日目には白鵬を5場所ぶりに破った。千秋楽には3敗の照ノ富士の勝利によって優勝の可能性は消滅したが、それでも琴奨菊を破り、11勝4敗で取り終えた。7月場所は9日目に新大関・照ノ富士に押し倒されて3敗に脱落。13日目に横綱・鶴竜を寄り切ったものの、14日目に横綱・白鵬及び千秋楽に大関・豪栄道に連敗し、結局10勝5敗に留まった。9月場所は初日から4連勝したが、5日目に栃煌山に敗れて初黒星を喫し[50]、9日目に隠岐の海[51]、翌日の琴奨菊戦も敗れて3敗へ後退、14日目の鶴竜戦で4敗目を喫し、優勝争いから脱落、11勝4敗で終えた。11月場所は2日目に嘉風に敗れたものの、それ以降は白星を重ね、9日目に照ノ富士を寄り切って勝ち越し[52]、1敗を維持していたが、翌日から4連敗を喫し10勝5敗で1年を終了した。

2016年-三度の綱取り挑戦- 史上初の優勝無しでの年間最多勝

1月場所は初日の安美錦戦でいきなり黒星、8日目に日本出身力士として10年ぶりの幕内最高優勝を果たした琴奨菊戦にも良い処なく敗れ3敗に。14日目の白鵬戦でようやく勝ち越したものの9勝6敗と二桁勝利を継続できなかった。

3月場所は好調で、初日から10連勝を記録。しかし11日目に1敗の白鵬に敗れ、勝ち星を並ばれると12日目の日馬富士戦も敗北。星の差1つで白鵬を追う形となり、残りの取組は全勝で終え13勝2敗としたが、白鵬も敗れることなく優勝次点の成績だった。先場所優勝次点のため、八角理事長に「相当いい雰囲気が出れば」とハイレベルな優勝なら綱取りも議論になる[53]とされた。

5月場所は4度目の綱取り場所となり初日から連勝を続け琴奨菊との幕内史上最多60度目の対決を寄り倒しで制して10連勝を記録[54]。その後も連勝を続けていたが13日目に横綱白鵬との直接対決で立合い得意の左四つに組むも下手投げで敗れ連勝がストップし、敗因について「見ての通り」と語った[55]。対戦相手の白鵬は「相撲の神様がきょうは私にほほ笑んでくれた」「勝つなら勝ってみい、それで横綱になってみろという感じ」と語り、「誰かが言っていたね。『強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる』と。何か足りないんでしょう」と説いた[56]。翌日も横綱鶴竜に寄り切りで敗れ連敗し、白鵬に千秋楽を待たず37回目の優勝を決められてしまっている[57]。千秋楽は日馬富士に押し出しで勝ち、2場所連続での13勝で綱取りを来場所に繋いだ[58]。また、14勝なら優勝を逃しても横綱昇進の可能性もあったが、13勝に終わりそれも出来なかった[59]。横綱白鵬からは「日ごろの行い、日ごろの考え方。相撲だけ努力しても駄目」と土俵外での意識も磨くように指摘され「自分は力士として生きているから、土俵の上でしか表現できない。結果を残していないから。結果を残して、しっかりやることが自分の使命」と発言した[60]

7月場所は5度目の綱取り場所になるも怪我により休場する可能性も一部スポーツ紙により報道された[61]が出場し、初日から4連勝するも5日目に栃煌山に黒星。6日目の妙義龍との一番は一度軍配が妙義龍に上がったものの物言いがつき協議の結果判定が覆り辛くも勝利する[62]。その後、横綱鶴竜、大関琴奨菊が休場。9日目は白鵬・日馬富士ともに敗れ2敗。稀勢の里は1敗を維持する。だが10日目に松鳳山に左を差すと見せかけて右に変化され2敗に後退[63]。2敗同士で13日目に日馬富士と直接対決を迎えるが日馬富士の激しい攻めに圧倒され3敗に後退。しかし、14日目に待ったがかかり取り直しとなった一番で白鵬を土俵際の逆転で下し優勝への望みを千秋楽へ残した。横綱昇進について審判部友綱副部長は「相撲内容が良くないため決定戦になっても勝って優勝以外では横綱への昇進は厳しい」との見解を示していた[64]。千秋楽は7勝7敗で勝ち越しをかけて臨んだ豪栄道を押し出し12勝目を記録するも日馬富士が白鵬に勝利したため、決定戦にはならず優勝を逃し5度目の綱とりにも失敗した。それでも優勝次点の成績だったことを評価され、来場所も引き続き綱取りの場所となることが明言され、二所ノ関審判部長は「優勝すればみんな納得する」と語り、八角理事長は「よくやったと思う。最後の最後まで優勝争いをした」と評価し「来場所もいい成績を残して欲しい。やっぱり、優勝がほしいね」と語った[65]。大関での3場所以上連続12勝以上は、15日制以降では13人目で旭富士・武蔵丸の2回を含めて15度目の記録であり、日馬富士、鶴竜らも昇進後3場所以上連続での12勝以上はないため横綱級の活躍と評価された[66]

9月場所は6度目の綱取り場所となったが初日隠岐の海にいきなり黒星。翌日は白星も、その翌日に立ち合い変化されて栃ノ心に不覚をとり2敗に後退。優勝争いから後退するもその後は4日目から7連勝。逆転優勝をかけて11日目に初日から連勝を続けていた豪栄道との直接対決に挑むも、渡し込みに屈して敗れ3敗に後退し、優勝争いから脱落し6度目の綱取りも失敗に終わる。残り全勝で12勝なら来場所への綱取りがつながると明言されるも[67]、13日目に鶴竜に下手投げで転がされて敗北し綱取りは振り出しに戻り年内の横綱昇進が無くなった。八角理事長は「仕切り直しだよ」と白紙に戻すことを明言し「ずっと綱とりと言われて、精神的な疲れもあったのでは。リセットでいいんじゃないのか」と気遣っていた。稀勢の里は支度部屋で疲れた様子を見せ「まだまだだね」と自らの敗北を嘆いた[68]。この場所は結局千秋楽照ノ富士を寄り切りで下し10勝5敗で場所を終え、豪栄道が全勝で初優勝をしたため、現役大関で優勝経験がないのは稀勢の里のみとなった[69]。千秋楽後、稀勢の里は今場所について「(二桁勝利)それだけでしょうね。あとは何もいいとこない」と述べた[70]。また、今場所の主役に躍り出た豪栄道を囲んで万歳三唱が行われた東の支度部屋の片隅で、稀勢の里は自身を取り囲む記者を見渡しながら「来場所から見ない顔もいるでしょうね」と自嘲気味に笑っていたという。それでも最後は「まあやることは変わらないですし。しっかり頑張るしかない」と再出発を誓っていた[71]。今場所について八角理事長は「あきらめずに努力すれば、いつか必ず結果は出る。焦る必要はない」二所ノ関審判部長は「もう1度、立て直してほしい。力はあるわけだから」と再出発になった綱取りへ励ましていた[72]。また、この場所は12勝、13勝なら優勝を逃しても昇進を推挙していいのでは、との声も横綱審議委員会にあったというが10勝に終わりそれも出来なかった[73]

10月4日に両国国技館で開催された第75回全日本力士選士権大会では優勝を果たし、好調ぶりをアピールした[74]。同月7日の大相撲秋巡業入間場所では、稽古途中、稽古場に現れない力士の多さを見かね、日馬富士に近寄り「(この状況は)どうですか?」と相談。「お前が言いなさい」と促されると、後方で体を動かしていた御嶽海を呼び付け土俵際で四股を踏むように指導した。普段は自身の稽古に集中する稀勢の里が、公の場で若手に指導するのは珍しい[75]

11月場所は年間最多勝をかけて挑む場所になり、もしも優勝無しで受賞なら史上初の珍事となる。尾車親方は「3横綱がいて1年を通して一番勝っているのだから十分、綱の力はあると言える。これを評価するのも大事じゃないかな。規約があるから駄目だけど、議論があってもいい」と最多勝で優勝なら横綱資格とも言われながら場所に挑み[76]、初日から連勝するも3日目に遠藤に敗れ早くも黒星。その後白星を再び重ねていたが7日目に正代に土俵際で押し出されて敗れ2敗目を喫した[77]。さらに年間最多勝争いでも1勝差だった日馬富士がこの日勝利したため同数で並ばれてしまう[78]。しかし、この場所綱取りを狙っていた豪栄道を倒し3敗に後退させ、さらに横綱白鵬を土俵際脚一本で残しそのまま逆転で勝利して勝ち越しを決め、2敗をキープして優勝争いに絡む[79]。さらに全勝だった横綱鶴竜を小手投げで破り、その翌日もこの場所初日負けたあと10連勝し1敗で優勝争いに絡んで、さらに年間最多勝争いで並ばれていた横綱日馬富士との60回目の対戦を寄り切りで倒し、この年67勝目と自身の2013年の68勝に次ぐ勝ち星で年間最多勝争いでもリードを奪う[80]。だが、この場所3横綱を撃破する活躍を見せるも格下平幕相手に2敗したことが大きく響き、審判部副部長の友綱親方に競馬で例えて「稀勢の里は走り始めたら強い。ただ、ゲートを出るまでが…」と言われてしまうなど平幕に簡単に星を落とすことを嘆かれていた[81]。そうした心配が的中したか13日目に先場所、立ち合いに変化されて敗れている平幕の栃ノ心に下手投げで敗れ3敗に後退し[82]、さらにこの日取り直しとなった一番で日馬富士が勝利したため年間最多勝争いでも再び並ばれた[83]。前日に「内容がいい。優勝しなくても来場所が楽しみ」と絶賛していた八角理事長は「昨日までも稀勢の里。これもまた稀勢の里。だからファンが多いんだろう。何とか頑張ってね…とみんな思っている」と呟き、また来場所の綱取りについて審判部の二所ノ関部長は「もう聞かないでくれよ。帰って四股を踏めって言いたい。踏まないで休んでいるから駄目なんだ」と渋い顔で友綱副部長らも来場所の綱取りには否定的だった[84]。翌日は大関照ノ富士に勝利し年間勝利数が自己最多の68勝に並ぶ。だが、1敗の横綱鶴竜がこの日大関豪栄道に勝利したため優勝を逃した。しかし、この日横綱日馬富士が横綱白鵬に敗れたためこの段階で史上初の優勝無しでの年間最多勝の受賞が決まった[85]。日本出身力士の最多勝は98年の3代目若乃花以来で幕内で1度も優勝がなく獲得した力士は初めてになる。稀勢の里は「ふっ」と皮肉めいたようにそして自嘲気味に笑い「いただけるものは、いただいていいんじゃない?」と話した。八角理事長は年間最多勝について「地力がある証拠だ。1つくらい優勝してもおかしくないと、本人が一番思っているだろう」と称えた[86]。また、千秋楽はこの場所大関琴奨菊が二桁敗戦など不調だったためこの場所好調だった宝富士との対戦が組まれ結局、この場所平幕以外には全勝だった[87]。迎えた千秋楽平幕の宝富士を寄り切りで倒し対戦があった横綱、大関、三役力士、さらには三役経験者も栃ノ心以外には全勝で12勝3敗とし、並ばれる可能性があった年間最多勝争いでも単独での受賞を決定させる自己最多記録の69勝目を挙げ、年間通じて好成績だったが優勝出来なかったため、横綱資格の話は流れた[88]。来場所の綱取りについて二所ノ関審判部長は「1差だったらねえ」と来場所の綱取りには疑問を呈しながら、それでも「全勝とかしないと。ムードを盛り上げてください」と年間最多勝などのこれまでの安定した成績を評価し、来場所ハイレベルな優勝をした場合のみ綱取りの可能性があると来年1月の初場所の成績次第とし、審判部内では、年明けの初場所で優勝すれば昇進に値するという意見も出たため来場所は綱取りとなった[89][90]。また、稀勢の里は年間最多勝を「喜んでいいのか、悔しんだらいいのか、分からない感じです」とし「いろいろ経験させてもらって、非常に成長できた1年だったと思います。また新しい気持ちで来年に向けてやっていきたい」と来場所を見据えていた[91]。優勝を逃してきたことに横綱鶴竜は「お互いに優勝争いで邪魔してる感じで。本当にいい刺激になる。こういう相手がいると頑張れる」「ちょっとしたことだと思う。やっぱり何か1つ足りないのかな。それがあれば、次の番付に上がれる力は十分ある。自分の場合は、気持ちがすごく大事なのかな」とエールを送っていた[92]

2017年-優勝次点12回で悲願の初優勝、そして待望の横綱昇進へ-

1月場所は全勝レベルのハイレベルな成績の優勝なら昇進と言われながら7度目の綱とりに挑むが場所前の稽古で大関琴奨菊に負け越し、右足に違和感とも報じられるなどいきなり綱取りに暗雲が立ち込める[93]。だが、場所に入ると好調で初日から連勝を続けた。4日目の松鳳山戦では軍配のあげ間違いという珍事も起きたが、問題なく勝利した[94]。この珍判定に稀勢の里は「人間ですからね」と苦笑いをしていた[95]。その後も連勝を続け、7日目には全勝は幕内で白鵬と稀勢の里のみで鶴竜は3敗、日馬富士も休場し、上位陣は白鵬を除いて全員2敗以上となり白鵬との一騎打ちの様相を呈した[96]。8日目には隠岐の海を土俵際の逆転で破り8連勝とし中日勝ち越しを記録すると、同日に白鵬が敗れたため8日目で全勝で単独トップに立った[97]。また、大関での連続勝ち越し18場所は歴代4位タイ記録となり幕内18場所連続勝ち越しは自己最長タイ記録である。9日目に角番で2勝6敗だった大関琴奨菊との幕内史上最多62度目の対戦に寄り切りで敗れ連勝がストップしたが、同日、弟弟子の高安が白鵬を倒す援護射撃で貴ノ岩と並びトップを維持した。10日目には再び単独トップに立った。さらに横綱鶴竜が不調により休場した[98]。11日目には遠藤を下し6場所連続の二桁10勝目を挙げた。13日目には豪栄道が前日の遠藤戦で負傷し休場したため不戦勝で労せず12勝目を挙げた。同日、2敗で追っていた逸ノ城が敗れ、弟弟子の高安が貴ノ岩を下したため、2敗は白鵬のみとなった[99][100]。 横審の守屋委員長は「いい風が吹いているように思います。苦手の日馬富士が休場したし、本来今日はヒヤヒヤして見ないといけないと思ったけど」と話し、横綱昇進は「もちろん星はみたい。このままいってもらいたいですね」と語り、残り2日で星を落としての優勝は「13勝だったら非常に難しい。議論して決まることだと思います」と語り、14勝や13勝2敗で決定戦勝利の場合のみ昇進の可能性があると言及した[101]。14日目は上位陣の休場が相次いだため、平幕の逸ノ城との対戦が組まれた。稀勢の里は逸ノ城を下して13勝目をあげ、自身初の優勝同点以上が確定[102]、さらに唯一2敗で優勝の可能性を残していた白鵬がこの日初顔合わせの貴ノ岩に敗れ3敗に後退。その結果、稀勢の里の初優勝が決まった。支度部屋にて優勝の瞬間を迎えた稀勢の里は目を真っ赤にさせながら「そうですね、うれしいですね。最後まで集中してやりたい。本当に感謝しかないです」と声を絞り出し、涙をこぼし、11年11月に急逝した鳴戸親方(元横綱・隆の里)にささげる優勝となった[103]。また、初土俵から89場所目での初優勝であり、大関昇進後31場所での優勝は琴奨菊の26場所を超えて歴代で最も遅い記録になった[104]。 さらに千秋楽の白鵬との一番は立ち合いから白鵬に一気に攻め込まれるも、土俵際で逆転の掬い投げで白鵬を下し14勝1敗で場所を終えて初優勝に花を添えた。 稀勢の里は優勝後のインタビューでは「ずいぶん長くなりましたけど。いろいろな人の支えがあって、ここまで来られたと思います」何か一つ足りないと言われていたものについては「一日一番って気持ちで集中して、やってきたからではないでしょうか」と必死に言葉を絞り出すとこらえきれず涙を流し念願の優勝の喜びに浸っていた[105]

横綱[編集]

2017年

2017年1月場所の優勝決定後に協会審判部から八角理事長へ臨時理事会開催の依頼があり、八角理事長が横綱審議委員会へ横綱推薦を諮問を行った。 場所終了後の1月23日に開かれた横綱審議委員会において全会一致で横綱に推挙され、それを受け1月25日午前の番付編成会議並びに臨時理事会にて横綱昇進が決定、理事会終了後協会から田子ノ浦部屋(伝達式自体は部屋が手狭であることから帝国ホテルにて開催)に協会理事の春日野、二所ノ関一門の年寄である高田川審判委員の2名の使者を差し向け、伝達された[106]。これにより日本出身力士としては1998年5月場所後に横綱に昇進した若乃花勝(第66代、藤島部屋二子山部屋)以来19年ぶりに横綱に昇進し、2003年1月場所で引退した貴乃花光司(第65代、藤島部屋→二子山部屋)以来14年間途絶えていた日本出身横綱となった[107][109]。茨城県出身力士としては 1936年1月場所後に昇進した男女ノ川登三(第34代、高砂部屋佐渡ヶ嶽部屋)以来81年ぶりの横綱昇進であり、1942年1月場所で男女ノ川が引退して以来75年ぶりに誕生した横綱となった[110]。先述の若乃花が引退した2000年3月場所以来17年ぶりの4横綱時代の幕を開けた[111][112]横綱土俵入りは雲龍型を選択[113]。指導は二所ノ関一門の先輩横綱である芝田山が行い[114]、土俵入りの稽古では初代若乃花が使用した化粧廻しを借りた[115]

2月5日に横綱昇進後初の日本大相撲トーナメントが両国国技館で行われ、決勝で東前頭10枚目・貴ノ岩を突き落としで下し、初優勝を果たした[116]。3月6日、大阪市港区にある田子ノ浦部屋の3月場所の稽古場で嘉風と稽古を行ったが、2番目の手合わせで嘉風の頭がぶつかって左目上に裂傷を負い、11針を縫った。稽古を切り上げた稀勢の里は「大丈夫。けがのうちに入らない。痛みはほぼゼロ」と笑顔を見せ、翌日以降も稽古を続ける考えを示した。4年前にも出稽古に来た日馬富士との相撲で、同じ箇所を裂傷したことがある[117][118]

横綱としての初の場所となった2017年3月場所は、格下勢を全く寄せ付けず初日から12連勝と好調であった。新横綱で迎えた場所で初日からの12連勝は1場所15日制が定着した1949年以降では、玉の海と旭富士に並ぶ歴代2位タイの記録となった。しかし13日目の日馬富士戦にて日馬富士に寄り倒された際に左肩を負傷した[119]。休場の可能性も囁かれたが、左肩に大きなテーピングをして強行出場。しかし土俵入りの柏手の音すら弱々しく聞こえるほどけがの状態は深刻であり[120]、14日目の鶴竜戦は一方的に寄り切られ、この時点で1敗で並んでいた照ノ富士に逆転を許してしまう。千秋楽には左の二の腕が内出血で大きく黒ずむほどけがが悪化している中で、優勝争い単独トップの照ノ富士との直接対決を迎える。優勝決定戦と合わせて二連勝することが必要な稀勢の里の優勝はほぼ無いと思われたが、本割で突き落としで勝利、決定戦に望みをつなぐ。引き続いての優勝決定戦ではあっさりともろ差しを許して土俵際まで押されたが、体を入れ替えての一発逆転の小手投げが決まって勝利し、奇跡的な逆転優勝を決める。1995年1月場所の貴乃花光司以来となる22年ぶり史上9人目の新横綱昇進場所優勝を逆転で飾った[121]。また1998年7月場所と9月場所を制した貴乃花光司以来19年ぶりの日本出身力士の2場所連続優勝となった。優勝力士インタビューで稀勢の里は「いやもう、自分の力以上に最後は…。本当に諦めないで、最後まで力を出して良かった」と話すと、はばかることなく涙を流した[122]。場所後の4月に行われた春巡業はけがの回復を優先して全休[123]。5月2日の体重測定では1月場所前の175㎏から9㎏増の184㎏を計測し、増量が負傷の足枷になることを懸念する報道もあった[124][125]。同日、部屋で本格始動したが稽古は非公開の形で行われた。田子ノ浦によると、三段目力士を相手に20分ほど相撲を取った。午後から両国国技館で行われた力士会に参加した稀勢の里は、相撲を取った感触を「いいんじゃないですか。(けがは)ほぼ問題ない」と明るい表情で語った。この日は約1カ月ぶりに実戦的な動きで上半身を使った。これまでは「基本的には下半身中心」の鍛錬を続けていた[126]。5月3日の稽古総見は欠席したが、師匠の田子ノ浦が欠席の連絡を入れ忘れるハプニングが発生(連絡を入れれば「姿だけは見せろ」と説得される可能性があったため、稀勢の里の調整のために田子ノ浦がわざと無断欠席させたという見方もある[127])[128]。この場所は痛めた左上腕付近の負傷が完治せず、11日目に途中休場。前半戦を6勝2敗で折り返しながら、9日目からは左腕をほとんど使えず10日目には6勝4敗であった[129]。6月15日、休場後初の出稽古では阿武咲と15番取って11勝4敗であり、内容について「見ての通りでしょう。(阿武咲は)いい相撲を取っていた」と話した[130]。26日は番付発表の当日であるにもかかわらず稽古を行っていた。番付発表当日は稽古を休むのが通例であり、ましてや時の横綱がそうした日に稽古場で体を動かすのは極めて異例[131]

力士として・取り口など[編集]

基本的にはおっつけを武器とした押し相撲と左四つに組む四つ相撲を中心とした取り口である。

元々は突き押しを武器に出世し、特に左からのおっつけは幕内でも1、2を争うほど強烈で立ち合いを制した時はそのおっつけだけで相手を浮き上がらせ、そのまま一気に土俵の外に持っていくこともある[132]

また番付を上げていくのと同時に左四つの型を身に付け[133]、大関昇進以後は左四つ右上手が絶対の型と言われるほどになった。

ほとんど異常と表現できるほどの下半身の粘り、腰の重さが身上で腰高や脇の甘さ故に相手に二本差されたり、上手を取られ頭をつけられる絶好の体勢を許して土俵際まで追い込まれてもそれで負けることがまずない。逆に攻める方の頭が上がり、形成を逆転されるケースがほとんどである。白鵬は土俵際逆転の投げ、突き落としでしばしばこの相手に落としている。また、片足一本で残すことも多く、横綱になってからも棒立ちで右足一本で残して勝ったことがある(2017年5月場所3日目の千代の国戦など)[134]

また土俵際に追い詰められたときの左からの突き落としも強烈であるが、これが出るときは得てして立ち合いに失敗して中に入られた時なので相撲内容としては決して良いとは言えない。

弱点としては脇の甘さと腰高、そして致命的なメンタル面の弱さが挙げられる。 メンタル面については多くの相撲界OBや好角家から言われており[135]、特に優勝の為の大事な一番等になると極端に動きが悪くなることで知られる。

器用な力士とは言い難く、喧嘩四つの相手には差し手争いで手こずり自分の型になるまで時間がかかることが多い。 また絶対の型である左四つ右上手の型になってからの攻め手が基本的に寄りしかなく、先述のように腰高でもある為なかなか寄り切れずに勝負をつけるのに時間がかかることも少なくない(それでもこの型になればほぼ負ける事は無い為、絶対の型であることに変わりはない)。

碧山のような強烈な突き押しを持つ力士に対しては、時折まともに受けてしまい、土俵を割ってしまう事もある。 良い時は横綱相手にも互角以上にわたり合えるが、悪い時は平幕相手にも呆気なく取りこぼす。 このようなメンタル面の弱さと力士としての不器用さが、実力がありながら初優勝までに89場所、優勝次点12回を要した要因であると言える。

非常に怪我の少ない力士であり初土俵から横綱に昇進した2017年1月場所まで休場は1度しかない(その一度は千秋楽での不戦敗なので星取表に休場を表す「や」と記載されたことは一度もない)。稀勢の里が怪我に苦しまず相撲を取れているのは関取になるまで廻しを一切取らなかったことと入門後も13代鳴戸から既成の食品をほとんど与えられなかったことによる[16]。たとえ怪我をしてもよほどのことが無い限りそのまま出場する力士でもあり、これは13代鳴戸の教えにもよるが、2014年1月場所千秋楽の休場を心底後悔していることも大きい[136]

土俵下での様子の変遷については作家の乃南アサが雑誌で話しており、稀勢の里が同世代の力士である朝青龍に出世において水を開けられた頃に関しては「そのころ、キセノンは土俵下で取組を待っている間に、目をぱちぱちさせて、まばたきの回数が増えていき、顔面も紅潮してきて」と語っていたが、その後大関時代後半に至った稀勢の里については「ところが、そのまばたきが、だんだん減ってきたんです。紅潮もしなくなった。近頃は例のアルカイックスマイル」と話している[137]

2017年3月場所を見た元黒姫山の論評では、研究してくる相手には相手の立合いをフェイントでかわすこと、出足鋭くぶちかましてくる相手には張り差しで機先を削ぐことなどを助言している[138]

「体重を増やし過ぎではないか?」と言われることもあるが、調子の良い場所ではその体で低く構えて取り、土俵際でかわされることが無くなるなど、体の大きさに動きが付いてくる[139]

制限時間がいっぱいになると、顔面を2回たたいてから塩を取って仕切っている。

合い口[編集]

いずれも2017年5月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には16勝43敗と大きく負け越している(ただし、白鵬から10勝以上勝利している力士は2017年5月現在、朝青龍・琴欧洲・日馬富士・稀勢の里の4名しかいないことには注意が必要である)。2008年11月場所から2010年9月場所まで11連敗を喫していたが、2010年11月場所では寄り切りで勝つとともに白鵬の連勝を63で止める大金星を挙げた[140]。2013年11月場所14日目、それまで全勝だった白鵬を上手投げで2場所ぶりに破った[141]。最近では2017年1月場所で初の千秋楽結びの一番で対決し土俵際で逆転の掬い投げで勝利し、初の14勝を上げている。大関昇進後から横綱昇進前、白鵬には9勝しているが、その内6勝は白鵬に星の差を1つ以上つけられ自力優勝の可能性がない状況であった。稀勢の里の横綱昇進後は対戦なし。
  • 横綱・日馬富士には24勝37敗と負け越している。特に2009年3月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫していた。日馬富士の横綱昇進後は、2013年3月場所から5連勝したことがある[142]。その後5連敗を喫していたが、2015年11月場所千秋楽で久々に勝利した。なお、日馬富士との幕内取組数は現時点で61回を数えるが、これは大相撲史上2位の記録である。
  • 横綱・鶴竜には31勝18敗と大きく勝ち越している[143]。しかし2014年1月場所14日目で鶴竜に敗れた際右足親指の怪我が悪化、翌日の千秋楽は自身初の不戦敗・休場、同時に大関で7勝8敗と負け越してしまった。2015年9月場所14日目は、鶴竜が立会い2度の連続変化(横綱歴代初)を喰らって敗れ優勝争いから脱落。さらに2016年5月場所14日目も一方的に寄り切られて、この瞬間白鵬に優勝をさらわれた。
  • 大関・豪栄道には26勝14敗(不戦勝1有り)と大きく勝ち越している。但し、稀勢の里が大関昇進後の成績は18勝12敗(不戦勝1有り)。
  • 大関・照ノ富士にも12勝3敗(優勝決定戦で1勝)と大きく勝ち越している。
  • 元大関・琴奨菊には30勝34敗(不戦勝・不戦敗各1有り)と拮抗しながら負け越しているが、2012年5月場所から2013年3月場所まで5連勝していた。しかし2013年5月場所では寄り倒しで敗れて、幕内初優勝の可能性がなくなった[144]。尚、琴奨菊との幕内取組数は2016年3月場所時点で59回目となったが、これは武蔵丸-貴ノ浪戦の58回を超え、史上単独の最多記録を達成。現在は幕内対戦64回と記録更新中である(琴奨菊は時天空に7勝16敗、魁皇に12勝16敗と負け越しているが、稀勢の里は時天空に13勝6敗、魁皇に16勝12敗と勝ち越している)。
  • 栃煌山にも25勝15敗と勝ち越しているが、稀勢の里の大関昇進後から横綱昇進前は16勝10敗である。
  • 栃ノ心にも16勝8敗と勝ち越している。
  • 平幕の中でも特に碧山を苦手としており、13勝6敗と勝ち越してはいるものの、2014年の対戦成績は1勝4敗と大きく負け越していた。その後は稀勢の里の方が勝ち越してはいるが、度々土をつけられている。

(以下、引退力士)

  • 元横綱・朝青龍には4勝13敗と大きく負け越している。
  • 元大関・魁皇には16勝12敗と稀勢の里の方が勝ち越している。特に、2009年1月場所から11月場所まで6連勝をしていた。しかし、その後は2010年5月場所から2011年1月場所まで4連敗を喫していた。
  • 元大関・琴欧洲には15勝27敗と負け越している。2009年1月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫したこともある[145]。2005年9月場所の14日目には、前日まで朝青龍と星1つの差で優勝争いのトップを走っていた琴欧州(当時)を押し出しで破り、琴欧州の初優勝のチャンスを阻む星を挙げている(この場所は優勝決定戦で朝青龍が琴欧州を破り、朝青龍が優勝している)。稀勢の里の兄弟子の若の里も琴欧洲には5勝9敗と負け越している。
  • 元大関・琴光喜には12勝11敗と互角である。初顔から2007年までの対戦成績は2006年11月場所から2007年5月場所まで4連敗を喫するなど3勝8敗と大きく負け越していたが、2007年7月場所の千秋楽には前日まで朝青龍と1敗で並び、優勝を争っていた琴光喜を突き落としで破り、琴光喜の優勝のチャンスを阻む星を挙げた(この場所は結びで朝青龍が勝ち、朝青龍が優勝している)。2008年以降は2008年11月場所から2009年7月場所まで4連勝をするなどして9勝3敗と一転して大きく勝ち越している。
  • 元大関・把瑠都には6勝21敗と大の苦手であり、2012年5月場所では千秋楽に対戦して上手投げで敗れ、優勝決定戦の進出を逃した[146]。最後の対戦となった2013年5月場所では稀勢の里が寄り倒しで勝利したが[147]、その一番で把瑠都は左膝を痛めて翌日から休場、2013年9月11日に引退を表明した[148]
  • 元大関・千代大海には8勝13敗と負け越している。初顔から2007年11月場所まで10連敗していたが、2008年以降は一転して8勝3敗と稀勢の里の方が大きく勝ち越している。稀勢の里の兄弟子の若の里も千代大海には5勝26敗と大きく負け越している。
  • 元大関・栃東には5戦全敗である。

人物・エピソード[編集]

昔ながらの力士[編集]

  • 1980年代の生まれでありながら、「昔ながらの力士」と言われることが多く、SNSで自身が情報を発信することはない。たまにYahooニュースにアップロードされたものをチェックする程度であり、本人も「チャラチャラする必要もないと思うしね」「力士も最近(ファンに)近づき過ぎている部分があるからね」と話している[149]
  • 大相撲レポーターの横野レイコは稀勢の里について「先代師匠(元横綱・隆の里)の方針もあり、テレビのバラエティ番組には出ないんです。だから、カメラの前で笑顔を見せることもほとんどない」と雑誌の記事の上でコメントしている[150]

相撲関連[編集]

  • 2017年4月24日、「北斗の拳」のケンシロウ、ラオウ、トキの3兄弟を描いた三つぞろいの化粧まわしが贈られることが明らかになった。自身が着用する化粧まわしにはラオウの絵が、太刀持ちの化粧まわしにはケンシロウの絵が、露払いの化粧まわしにはトキの絵が描かれている。きっかけは、大関昇進時に有志で作られた後援会の会員に、かつて週刊少年ジャンプの編集長として最大発行部数653万部を達成し、現在は漫画の編集などを手がけるコアミックス堀江信彦がいたことである。堀江は従来より「横綱になったら化粧まわしを贈る」と約束しており、稀勢の里は「北斗の拳がいいです。ラオウでお願いします」と言ったという[151][152]。自身が着用する化粧まわしのデザインとして、「北斗の拳」の主人公ケンシロウでなくラオウを希望した理由は、「孤独にならないと強くなれない」という13代鳴戸親方の教えを愚直に守り、言い訳をせずに孤独に邁進してきた自身の姿が、孤独に戦うラオウに重なるためであるという[153]
    • その化粧廻しは同年5月6日に東京都港区のグランドプリンス新高輪で行われた横綱昇進披露宴でお披露目された。その披露宴ではまた、ゆずがサプライズ登場してヒット曲「栄光の架橋」を熱唱した[154]
  • 2017年6月11日、茨城県水戸市にある第19代横綱・常陸山の像の前で横綱土俵入りを行った。常陸山の生家跡には太刀持ち高安、露払いに松鳳山を従えて雲龍型を披露。「角聖」と呼ばれた常陸山は稀勢の里と同じ茨城県出身だけに「大横綱で茨城の先輩横綱。こういう機会をつくっていただき光栄」と引き締まった表情で話した。土俵入りの前には水戸市内にある常陸山の墓にも足を運んだ[155]
  • 2017年6月9日に横綱力士碑刻名報告祭に出席し、自らの名を石碑に刻んだ。約3000人の見物客が集まる中、雲龍型の横綱土俵入りも披露した。一時行われていなかった刻名式が復活したのは第66代横綱・若乃花の時からだが、人気力士だった若乃花の土俵入りですら見物客は約700人だった。最近では第70代横綱・日馬富士の時が約600人、デング熱の感染予防のため土俵入りが行われなかった第71代横綱・鶴竜の時は約300人[156]
  • 2017年6月11日、水戸市内にある同じ茨城県出身の第19代横綱常陸山の生誕の地で土俵入りを奉納し「ありがたく光栄な機会。少しでも近づきたい」と3800人の参列者の前でさらなる進化を誓った。世界規模の活動などで相撲の地位を高めた郷土の大先輩について問われると「ちょっとレベルが違うから、思いを継ぐとか軽はずみな発言はできない。一歩ずつ近づけるように精進したい」と神妙な表情。 土俵入りの前には同市内にある墓所へお参りした。「子どもの頃、教科書に(常陸山が)載っていた」と、同郷だからこその憧れもある[157]
  • 2017年5月13日、同5月場所の土俵祭りと優勝額贈呈式が行われた。稀勢の里は同年の1月場所、3月場所を連破し1度に2枚の額を受け取った。同一力士が2枚同時に受け取るのは2015年5月場所前の白鵬以来2年ぶり。日本出身力士に限ると1996年9月場所前の貴乃花以来21年ぶり。大関と横綱での優勝額を同時に受け取るのは1962年1月場所の大鵬以来55年ぶり[158]

趣味・嗜好[編集]

  • 酒はほとんど飲まず、場所中に至っては一切飲まない[149]
  • 13代鳴戸親方は食についてこだわりを持っていたが、稀勢の里自身はそういったものを持たない。実際のところ13代鳴戸の死後、美味しいと思ったものを食べ続ける食生活を送っており、特に麺類は同じものを食べ続けている[149]
  • 趣味はスポーツ観戦。とくにアメフトを好み、テレビでプロ顔負けの解説を披露したこともある。その縁で、アメフトの名門・関西学院大学の鳥内秀晃監督と親交が深く、稀勢の里自身が「大阪の師匠」と慕う。「うちの練習場に来てキャッチボールしたこともあるけど、『師匠』は社交辞令やねん(笑)。ふだんはアメフトの話ばっかりで、相撲の話はあまりしないよ。でも、『いつも大一番で負けるのは考えすぎちゃうか。土俵に上がったら考えんとやったほうが得ちゃうか』と言ったことがある。そしたら『そうなんですが、仕切りのときに考えちゃうんです』言ゆうてたな」というのは鳥内の弁[150]
  • 大相撲レポーターの横野レイコによるとカラオケの十八番はBEGINの『島人ぬ宝』[150]

生活・信条[編集]

  • 田子ノ浦部屋にほど近い江戸川区の小岩小学校で初優勝と横綱昇進の報告会が行われ、小学校の児童から「お相撲さんにとって一番大切なものは」と質問された時には「感謝の気持ち。その気持ちを持って学校生活を送ってくれたら僕もうれしい」と模範的に答えた。また、「お米を毎日どれくらい食べますか」と質問された時には「体をつくる10代、20代前半は1升ぐらい食べた時もあった。今は体調管理で茶わん1杯くらい」と答えて会場の人々を驚かせた[159]
  • 13代鳴戸の教えとして今でも心に残っているのは「心の上に刃」と言われたこと。花道で勝った関取が付け人とグータッチを行うことなどは「あんなのはヤバいですよ」と言っている[160]
  • 稀勢の里の父は晩婚であり、稀勢の里は父が40歳の時に生まれたため、横綱昇進後の稀勢の里に関して「寛の結婚観からすれば、現役でいる間は結婚しないでしょう。決して器用な男ではありませんから。結婚と相撲、両立はできませんよ。今は本人が相撲だけに邁進したいはず。綱取りは成し遂げましたが、まだまだ本人も、納得いく相撲は取れていないんですから」と雑誌の記事でコメントしており、さらに「じつは私も結婚して彼の親になったのは40歳のときでしたよ。それに何より、師匠の鳴戸親方にしても、現役中は独身を通していた。そういうことも寛は、横綱はよく知っているんです。まあ晩婚が当たり前の時代ですから、いまどき男は40歳までに結婚すればいいでしょう。あと10年は相撲道に専心してもらいたい」と続けた[161]
  • 2017年5月場所直前の5月12日、日本相撲協会は場所の懸賞の申し込みが、場所前時点で史上最多の2219本に上ると明らかにした。稀勢の里の人気が最大の要因であるとされていた。その中でも全体の3割近くにあたる608本が、3連覇をめざす稀勢の里を指定したものである[162]

その他[編集]

  • 部屋が小岩に移転した当初は田子ノ浦部屋が移ってきたことすら知らない人が多かったが、それから2年半で初日前日に呼び出しが各商店などを回って取組を呼び上げる「触れ太鼓」の数は一気に増えた。最初の数軒から、2017年1場所は14軒。5月場所前は17軒に。[163]

略歴[編集]

  • 2002年3月場所 - 初土俵
  • 2004年1月場所 - 幕下優勝
  • 2004年5月場所 - 新十両
  • 2004年11月場所 - 新入幕
  • 2006年7月場所 - 新小結
  • 2009年3月場所 - 新関脇
  • 2012年1月場所 - 新大関
  • 2014年 - 第59回伊勢神宮奉納大相撲優勝
  • 2016年 - 第61回伊勢神宮奉納大相撲優勝
  • 2016年 - 第75回全日本力士選士権大会優勝
  • 2016年 - 年間最多勝
  • 2017年1月場所 - 幕内最高優勝(1回目)
  • 2017年 - 第41回日本大相撲トーナメント優勝
  • 2017年3月場所 - 新横綱 幕内最高優勝(2回目)

主な成績[編集]

2017年5月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:783勝467敗4休(91場所)勝率.626
    • 幕内成績:697勝424敗4休(75場所)勝率.622
      • 横綱成績:19勝7敗4休(2場所)勝率.731
      • 大関成績:332勝133敗(31場所)勝率.714
      • 関脇成績:86勝64敗(10場所)勝率.573
      • 小結成績:91勝89敗(12場所)勝率.506
      • 前頭成績:169勝131敗(20場所)勝率.563
  • 通算在位:91場所
    • 幕内在位:75場所
      • 横綱在位:2場所
      • 大関在位:31場所
      • 関脇在位:10場所
      • 小結在位:12場所
      • 前頭在位:20場所
  • 年間最多勝2016年(69勝21敗)
  • 幕内(通算)連続勝ち越し記録:19場所(2014年3月場所~2017年3月場所)
  • 幕内連続2桁勝利記録:10場所(2012年5月場所~2013年11月場所)
  • 幕内連続12勝以上勝利記録:3場所(2016年3月場所~2016年7月場所、2016年11月場所~2017年3月場所)
  • 大関連続勝ち越し(角番無し)記録:18場所(2014年3月場所~2017年1月場所)歴代4位タイ

各段優勝[編集]

  • 幕内最高優勝:2回(2017年1月場所 - 3月場所)
  • 幕下優勝:1回(2004年1月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:9回
    • 敢闘賞:3回(2005年9月場所、2008年5月場所、2009年5月場所)
    • 殊勲賞:5回(2006年9月場所、2008年1月場所、2010年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所)
    • 技能賞:1回(2011年11月場所)
  • 金星:3個
    • 朝青龍1個(2008年1月場所)、白鵬2個(2008年9月場所、2010年11月場所)

タイトル[編集]

場所別成績[編集]

稀勢の里[164]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
x (前相撲) 東 序ノ口 #26
6–1 
東 序二段 #61
6–1 
西 三段目 #95
4–3 
西 三段目 #77
5–2 
2003年
(平成15年)
西 三段目 #49
5–2 
西 三段目 #21
3–4 
東 三段目 #37
7–0 
東 幕下 #25
3–4 
西 幕下 #35
5–2 
東 幕下 #25
4–3 
2004年
(平成16年)
東 幕下 #18
優勝
7–0
東 幕下 #1
5–2 
西 十両 #12
9–6 
東 十両 #6
8–7 
西 十両 #3
9–6 
西 前頭 #16
9–6 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #12
6–9 
西 前頭 #15
8–7 
西 前頭 #11
5–10 
西 前頭 #15
7–8 
西 前頭 #16
12–3
東 前頭 #5
5–10 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #9
8–7 
東 前頭 #7
10–5 
東 前頭 #1
8–7 
西 小結
8–7 
東 小結
8–7
東 小結
8–7 
2007年
(平成19年)
東 小結
7–8 
東 前頭 #1
6–9 
西 前頭 #3
6–9 
西 前頭 #6
11–4 
東 小結
6–9 
東 前頭 #2
9–6 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #1
10–5
東 小結
8–7 
東 小結
10–5
東 小結
6–9 
東 前頭 #2
6–9
東 前頭 #4
11–4 
2009年
(平成21年)
東 小結
8–7 
西 関脇
5–10 
東 前頭 #4
13–2
西 関脇
9–6 
東 関脇
7–8 
東 小結
6–9 
2010年
(平成22年)
西 前頭 #3
9–6 
東 小結
9–6 
東 関脇
8–7 
東 関脇
7–8 
東 小結
7–8 
東 前頭 #1
10–5
2011年
(平成23年)
東 関脇
10–5
八百長問題
により中止
西 関脇
8–7 
西 関脇
10–5 
西 関脇
12–3
東 関脇
10–5
2012年
(平成24年)
西 大関 #3
11–4 
東 大関 #2
9–6 
東 大関 #2
11–4 
東 大関 #1
10–5 
西 大関 #1
10–5 
西 大関 #1
10–5 
2013年
(平成25年)
東 大関 #1
10–5 
東 大関 #1
10–5 
東 大関 #1
13–2 
東 大関 #1
11–4 
東 大関 #1
11–4 
東 大関 #1
13–2 
2014年
(平成26年)
東 大関 #1
7–8[165] 
東 大関 #2
9–6[166] 
東 大関 #1
13–2 
東 大関 #1
9–6 
西 大関 #1
9–6 
西 大関 #1
11–4 
2015年
(平成27年)
東 大関 #1
11–4 
東 大関 #1
9–6 
東 大関 #1
11–4 
東 大関 #1
10–5 
西 大関 #1
11–4 
西 大関 #1
10–5 
2016年
(平成28年)
東 大関 #1
9–6 
西 大関 #1
13–2 
東 大関 #1
13–2 
東 大関 #1
12–3 
東 大関 #1
10–5 
西 大関 #1
12–3 
2017年
(平成29年)
東 大関 #1
14–1 
西 横綱 #2
13–2[167] 
東 横綱
6–5–4 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

2017年5月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
碧山 13(1) 6 朝青龍 4 13 朝赤龍 11 5 安美錦 31 17 荒鷲 2 0
阿覧 9 3 15 0 石出 3 0 逸ノ城 8 3 蒼国来 1 0
岩木山 2 3 遠藤 4 3 皇司 1 0 大砂嵐 5 0 大栄翔 1 0
隠岐の海 18 3 魁皇 16 12 魁聖 11 0 海鵬 4 0 千代翔馬 1 0
臥牙丸 6 0 垣添 5 3 鶴竜 31 18 春日王 1 3 千代の国 1 0
春日錦 2(1) 0 片山 2 0 北桜 1 1 北太樹 4 0
旭鷲山 2 3 旭天鵬 14 9 豪栄道 26(1) 14 黒海 5 1
琴欧洲 15(1) 27 琴奨菊 30(1) 34(1) 琴ノ若 3(1) 1 琴光喜 12 11
琴勇輝 4 0 琴龍 1 2 佐田の海 4 0 佐田の富士 1 0
霜鳥 1 2 十文字 2 0 常幸龍 1 0 正代 5 1
松鳳山 11 2 貴ノ岩 2 0 高見盛 4 2 宝富士 16 1
豪風 21 5 玉飛鳥 0 1 玉春日 4 1 玉乃島 4 2
玉鷲 9 1(1) 千代鳳 4 0 千代大海 8 13 千代大龍 5 2
千代白鵬 1 0 出島 4 6 照ノ富士 12* 3 闘牙 1 0
時津海 5 2 時天空 13 6 德勝龍 1 0 德瀬川 1 0
土佐ノ海 1 0 栃東 0 5 栃煌山 25 15 栃栄 2 1
栃ノ心 16 8 栃乃洋 6 2 栃乃花 0 1 栃乃若 3 1
豊桜 3 2 豊ノ島 30 9 豊響 6 1 白馬 2 0
白鵬 16 43 白露山 4 2 追風海 0 2 把瑠都 6 21
日馬富士 24 37 普天王 7(1) 2 武雄山 1 3 北勝力 5 1
将司 1 0 舛ノ山 1 0 御嶽海 5 0 雅山 16 4
妙義龍 16 4 山本山 1 0 嘉風 15 5 龍皇 0 1
露鵬 5 2 若荒雄 3 0 若兎馬 1 1 若ノ鵬 0 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2017年3月場所終了現在、現役力士

改名歴[編集]

  • 萩原 寛(はぎわら ゆたか)2002年3月場所-2004年9月場所
  • 稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)2004年11月場所-

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “新横綱・稀勢の里効果!白星発進で視聴率も初場所初日から2・2ポイント上昇の17・6%”. スポーツ報知. (2017年3月13日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170313-OHT1T50064.html 
  2. ^ a b 加藤ミリヤの「痛快!ワードパンチ!」Vol.6.1”. 東海ウォーカー (2017年2月22日). 2017年5月9日閲覧。
  3. ^ 愛称「キセノン」は作家の乃南アサがツイッター上で「キセノン」を連呼したことによって一般化。
    『大相撲中継』2017年5月27日号14頁
  4. ^ a b 部屋紹介 田子ノ浦部屋
  5. ^ 稀勢の里関 プロフィール牛久市公式ホームページ 2013年6月25日閲覧
  6. ^ 相撲人名鑑 2013年6月25日閲覧
  7. ^ a b c d e 「寛」は語感良いから「ゆたか」/稀勢の里 寛の略歴 日刊スポーツ 2017年1月22日9時57分 紙面から
  8. ^ a b 稀勢父「綱息子」に辛口注文 母心は複雑「大関のままずっと…」 Sponichi Annex 2017年1月26日 05:53
  9. ^ a b c d 『大相撲中継』2017年5月27日号6-7p
  10. ^ a b 稀勢の里「まわしが恥ずかしい」と照れた小学生時代 スポーツ万能、野球もエース 産経ニュース 2017.1.22 20:16
  11. ^ 朝日新聞 2013年11月18日 16面
  12. ^ 楽天美馬から稀勢の里刺激
  13. ^ 良き師匠との出会い、固く入門決意 中学時代の担任、若林克治さん(49) 産経ニュース 2017.1.31 20:03
  14. ^ 良き師匠との出会い、固く入門決意 中学時代の担任、若林克治さん(49) 産経ニュース 2017.1.31 20:03
  15. ^ 良き師匠との出会い、固く入門決意 中学時代の担任、若林克治さん(49) 産経ニュース 2017.1.31 20:03
  16. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年4月号20-21頁
  17. ^ 稀勢の父・貞彦さん、息子の結婚は「不器用ですから。『相撲に専念するしかない』といっている」 SANSPO.COM 2017.3.27 15:49
  18. ^ 稀勢の里、朝青龍「お前は強くなる」で悔し涙を糧に 日刊スポーツ 2017年1月22日9時59分 紙面から
  19. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.4 8頁
  20. ^ 稀勢の里が3時間も正座への罪滅ぼし/連載 日刊スポーツ 2017年2月7日14時30分
  21. ^ 【隆の里から稀勢の里へ】腸ねん転で緊急入院「オレなら休まない」 鳴戸親方の甘え、妥協許さぬ指導 (1/2ページ) ZAKZAK 2017.01.27
  22. ^ 大相撲八百長問題の影響で3月場所は中止となった。同場所の番付に代わって発表された順席では西関脇となった。
  23. ^ 稀勢の里の大関昇進“合点”がいかないZAKZAK2011年12月6日配信
  24. ^ 満場一致 千秋楽に決まっていた稀勢の里大関昇進“裏”リアルライブ2011年12月11日配信
  25. ^ 稀勢11勝「課題見つかった」/初場所nikkansports.com2012年1月22日配信
  26. ^ 稀勢痛風か、巡業リタイア 2012年10月7日9時21分付け 
  27. ^ 北の湖理事長、稀勢の内容を高評価 来場所は綱とりスポニチ2013年5月26日配信
  28. ^ またも勝負弱さ見せた大関・稀勢の里に北の湖理事長が大甘発言リアルライブ2013年5月27日配信
  29. ^ 稀勢の里の綱取りめぐり協会分裂東スポWeb2013年5月27日配信
  30. ^ 稀勢の里“綱ノルマ下がった”理事長14勝以上から13勝でもVならスポニチ2013年7月7日配信
  31. ^ 稀勢の里が出稽古「強いっすね」7勝11敗日刊スポーツ2013年7月1日配信
  32. ^ 稀勢、綱獲りに暗雲!?不調の日馬相手に“ボロボロ”スポニチ2013年7月4日配信
  33. ^ 稀勢の里、平幕・栃煌山に痛恨の1敗…綱とり場所3日目に土スポーツナビ2013年7月10日配信
  34. ^ 稀勢の里「綱」厳しく=千代大龍に屈し2敗-大相撲名古屋場所5日目時事ドットコム2013年7月11日配信
  35. ^ 白鵬は7戦全勝、稀勢の里は3敗目/名古屋場所サンスポ2013年7月13日配信
  36. ^ 稀勢の里「甘いっすね」msn産経ニュース2013年7月13日配信
  37. ^ 稀勢 来場所へ綱獲りつなぐ 北の湖理事長「12勝なら盛り上がる」スポニチ2013年7月19日配信
  38. ^ 【名古屋場所】北の湖理事長「物足りない」稀勢の綱とりは白紙スポーツ報知2013年7月21日配信
  39. ^ 稀勢の里、秋の綱獲り消滅/名古屋場所日刊スポーツ2013年7月22日配信
  40. ^ 稀勢の里、初場所で綱とり=大相撲時事ドットコム2013年11月24日配信
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  43. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号52頁には尾崎勇気がこの怪我について場所後に行われた座談会で「場所前からみたいだったけど、怪我は絶対に言うなと先代から徹底されていたので」と証言している様子が確認される。
  44. ^ 稀勢、連続2桁勝利が10場所でストップ/初場所 SANSPO.COM 2014.1.24 20:54
  45. ^ 稀勢、初の休場でかど番へ 連続出場は953回で途切れる/初場所 SANSPO.COM 2014.1.26 13:39
  46. ^ 稀勢の里が稽古再開「何とかいい方向に」 nikkansports.com 2014年2月10日17時34分
  47. ^ 稀勢の里「悔しい」 綱取りで先越され、賜杯争いも絡めず 大相撲春場所 産経新聞 2014.3.23 22:06
  48. ^ 稀勢の里、攻めた結果の反則勝ち 逆転Vに望みつなぐ 朝日新聞 2014年5月24日21時11分
  49. ^ 稀勢の里の綱とり、名古屋全勝でも不明 横綱審議委 日本経済新聞 2014/5/26 20:29
  50. ^ 稀勢の里 悔しい初黒星に無言…序盤で早くも1敗 スポニチ 2015年9月18日 5時30分
  51. ^ 稀勢の里“和製”V遠のく痛恨2敗目…早くも照と2差 スポニチ 2015年9月22日 5時30分
  52. ^ 稀勢 照“返り討ち”先場所右膝“破壊”リベンジ一蹴  スポニチ 2015年11月17日 5時30分
  53. ^ 稀勢の里 夏場所綱取りへの2大条件
  54. ^ 稀勢の里、26秒の真っ向勝負で琴奨菊を圧倒!幕内最多60度目の対決制し10連勝
  55. ^ 稀勢の里、悲願V遠のき「見ての通り」
  56. ^ 白鵬 横綱相撲で稀勢圧倒 「相撲の神様がほほ笑んでくれた」
  57. ^ 白鵬が37度目優勝 稀勢の里は2敗
  58. ^ 稀勢の里、名古屋Vで横綱だ 2場所連続13勝評価
  59. ^ 弱い横綱の乱造に」 稀勢の里“綱取り継続”にファン苦言
  60. ^ 稀勢の里、白鵬の“土俵外指摘”に「土俵で結果を」
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  62. ^ 稀勢の里、たす勝った!連敗危機も左足一本でV戦線残った/名古屋場所
  63. ^ 稀勢の里、松鳳山の立ち合い変化にはまり2敗目
  64. ^ 審判部が24日の会合で稀勢の里の横綱昇進に関して話し合いへ
  65. ^ 稀勢の里昇進 「来場所優勝なら納得」
  66. ^ 稀勢の里12勝でVならずも 秋場所に綱取りつながった
  67. ^ 【秋場所】3敗で稀勢の里「綱取り消滅」…弟弟子・高安に話題さらわれた
  68. ^ 稀勢の里4敗で綱とり白紙、理事長「仕切り直しだ」
  69. ^ 稀勢の里、あっけなく=大相撲秋場所14日目
  70. ^ 稀勢の里、綱取り振り出しに…千秋楽で何とか2ケタ白星「あとはいいとこない」
  71. ^ 雑誌相撲 2016年10月号 秋場所総決算号 12頁(2016年9月29日発売)
  72. ^ 稀勢の里5敗目に沈黙「いつか必ず結果出る」理事長
  73. ^ 稀勢の里、3場所連続綱とりの成否は…ノーモア北尾の声も
  74. ^ 稀勢の里が全日本力士選士権で初優勝 綱とり再出発 日刊スポーツ 2016年10月4日9時13分 紙面から
  75. ^ 稀勢の里が「土俵出ろ」若手に異例の指導! 2016年10月8日6時0分 スポーツ報知
  76. ^ 稀勢の里、年最多勝なら横綱資格!?尾車親方が提言
  77. ^ 正代、稀勢の里から初白星「うれしい」恩師に勇姿
  78. ^ 日馬富士、年間最多勝で稀勢の里に並んだ!御嶽海を破り6連勝
  79. ^ 稀勢の里、白鵬下し2敗死守 綱とり途切れ重圧解放
  80. ^ 稀勢の里が3横綱撃破…日馬富士破り1敗の鶴竜を猛追
  81. ^ 【大相撲九州場所】稀勢の里 残り4日間全勝か「いつもの」で終わるのか
  82. ^ 因みに、勝った栃ノ心は「大関は心の中で緊張していたのではないか。自分は気合が入ったけど、緊張はしていなかった」とコメントを残している。
    【白星黒星】復活V消えた白鵬「状態はいつもと違う」/九州場所 sanspo.com 2016年11月25日 19時58分
  83. ^ 稀勢の里、栃ノ心に破れ3敗…優勝争い一歩後退
  84. ^ 稀勢の里またか…初優勝絶望的3敗目、理事長皮肉「これも稀勢」
  85. ^ 稀勢の里、無念の年間最多勝=大相撲九州場所
  86. ^ 稀勢の里、年間最多勝が確定 優勝なしでは初
  87. ^ 稀勢の里と琴奨菊は今場所戦わず 近年珍しい割崩し
  88. ^ 稀勢の里、単独での年間最多勝決定!自己最多の69勝…優勝経験なしでの受賞は史上初
  89. ^ 初の年間最多勝も…稀勢の里ため息
  90. ^ 稀勢、優勝ゼロで年間最多69勝 安定感と勝負弱さ「喜んでいいのか、悔しがったらいいのか」
  91. ^ 稀勢の里「喜んでいいのか…」複雑Vなし年間最多勝
  92. ^ 鶴竜「稀勢は何か1つ足りない」ライバルへエール
  93. ^ 【大相撲初場所】右足に違和感…稀勢早くも綱取り暗雲?
  94. ^ 大関稀勢の里、物言い付くも好調の松鳳山を下し4連勝
  95. ^ 稀勢の里「人間ですからね」“珍”差し違えに苦笑
  96. ^ 早くも「2強」マッチレースの様相…審判部長は歓迎
  97. ^ 稀勢の里8連勝、隠岐の海を土俵際で逆転
  98. ^ 大相撲 横綱・鶴竜が休場
  99. ^ 豪栄道「ぐねった」足首捻挫か 病院「帰ってから」
  100. ^ 大相撲 豪栄道が休場 1敗の稀勢の里は不戦勝に
  101. ^ 横審の守屋委員長 稀勢の横綱昇進に言及「いい風が吹いている」
  102. ^ 稀勢の里が万全の相撲で1敗キープ 逸ノ城の挑戦を退ける
  103. ^ 悲願の初優勝…稀勢の里、亡き師匠へ恩返し
  104. ^ 稀勢の里が悲願の初優勝「うれしい」涙で声絞り出す
  105. ^ 稀勢の里「ずいぶん長くなりました」初の優勝インタビューで男泣き
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  109. ^ このほか、日本国籍取得者として大関時代の1996年に日本国籍を取得し1999年5月場所後に横綱に昇進・2003年11月場所で引退した武蔵丸光洋(第67代、武蔵川部屋)がおり、「日本人力士」としては18年ぶりの横綱昇進・13年ぶりの現役横綱となる[108]
  110. ^ 【茨城新聞】稀勢の里、72代横綱 「名に恥じぬよう精進」 茨城新聞クロスアイ 2017年1月26日
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  112. ^ 17年ぶり4横綱時代 新横綱Vは過去4度/連載 日刊スポーツ 2017年3月12日
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  125. ^ 【稀勢の里 3連覇を阻む壁】異常な“増量”の吉凶 強くはなるが鈍くなる…負傷の足枷になる可能性も (2/2ページ)  ZAKZAK 2017.05.13
  126. ^ 2017年5月3日 朝刊
  127. ^ 協会は面目丸つぶれ ZAKZAK 2017.05.06
  128. ^ 稀勢の里、総見を“無断欠席” 師匠が失念に広報部長「こういうのは困る。大関とは違う」 SANSPO.COM 2017.5.3 17:23
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  130. ^ 稀勢の里 テーピングなし休場後初出稽古 関取相手も初 動き上々 DAILY SPORTS ONLINE 2017.6.16
  131. ^ 【大相撲名古屋場所】燃える稀勢の里 番付発表当日に異例の稽古 2017年6月27日 16時30分
  132. ^ 稀勢の里 自身初の横綱3連倒 強烈左おっつけで日馬撃破 デイリースポーツ 2016年11月25日
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]