高砂部屋

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Takasago stable 2014.jpg
高砂部屋を応援する幟
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高砂部屋(たかさごべや)は、日本相撲協会所属で高砂一門相撲部屋。番付で用いるいわゆる相撲字では「はしご高」()を用いるが、部屋の看板を含めその他の活字媒体では「はしご高」を用いていない。

歴史[編集]

明治初期に角界の改革を求めて活躍した初代高砂浦五郎が一代で角界を代表する大部屋に育て上げ、現在までに横綱6人・大関8人を輩出するなど、角界屈指の名門部屋として知られる。

初代高砂(高見山大五郎)は角界の改革を求めて高砂改正組を組織し、東京相撲会所を脱退した。帰参後はもともと江戸相撲にあった「高砂」という名跡と重複する形となり、1889年に旧・高砂が高島へと改名し、新・高砂は名前は代々の通り名として「浦五郎」と名乗ることとなった。2代高砂から現在の8代高砂までは、初代高砂の名の「浦五郎」を継承している[注釈 1]

1986年5月には部屋経営を断念した大山部屋を吸収合併した。

1988年10月に5代高砂(第46代横綱・3代朝潮)が急逝したため、高砂部屋の部屋付き親方である14代尾上(元小結富士錦)が6代高砂を襲名して高砂部屋を継承した。翌1989年12月には、部屋施設を台東区橋場一丁目に移転した[1]。2001年3月場所には、闘牙が十両に陥落したことで、明治時代から続いた部屋の幕内力士在位が途絶えてしまった。

2002年2月1日、6代高砂の停年退職を間近に控え、高砂部屋から移籍して若松部屋を継承していた11代若松(元大関・4代朝潮)が名跡変更して7代高砂を襲名し、高砂部屋と若松部屋が合併した。もっとも、部屋施設は旧若松部屋の施設がそのまま利用されるなど、実質的には、若松部屋が高砂部屋を吸収合併した形であった(逆さ合併)。7代高砂は、若松部屋時代からの弟子である横綱・朝青龍や関脇・朝赤龍のほか、6代から引き継いだ小結・闘牙など多くの関取を擁して一大勢力を築いた。しかし、2000年代中期に闘牙や泉州山皇牙といった関取経験者が相次いで引退し、2010年には朝青龍も不祥事により引退して、2016年時点で関取は朝赤龍と朝弁慶の2人のみとなるなど、2000年代後半以降は部屋の勢力が急激に衰えた。それでも、1927年の東西相撲協会の合同以来、2016年11月場所まで90年間関取を絶やしたことのない部屋であったが、朝弁慶が2016年11月場所で幕下に陥落し、朝赤龍も次の2017年1月場所で幕下に陥落したため、1878年の部屋創設以来、初めて関取不在となった。同時に、継続中のものとしては最長だった関取継続の記録も138年で止まった[2]。その後、朝乃山が十両昇進を果たし、関取不在は一場所で解消している。

2020年11月26日、7代高砂の停年を間近に控え、部屋付きの親方となっていた17代錦島(元関脇・朝赤龍)と名跡を交換し、7代高砂は18代錦島、17代錦島は8代高砂をそれぞれ襲名し、8代高砂は同日付で部屋を継承した。4代以降、高見山を始め外国人力士を多く迎えている高砂部屋にとって、初の外国出身の親方が部屋を運営することになった[3]

昭和以降においては、高砂部屋からは大山部屋(後に高砂部屋と合併)・若松部屋(現在は高砂部屋と合併)・振分部屋高田川部屋東関部屋(現在は八角部屋と合併)・中村部屋(後に東関部屋と合併)・錦戸部屋が分家独立を果たしている。なお、現在の高砂部屋は合併前の若松部屋の建物を引き続き使用しており、6代高砂時代の部屋の建物は2004年2月まで錦戸部屋、同年9月からは常盤山部屋(旧千賀ノ浦部屋)が使用していたが、常盤山部屋は2021年2月に板橋区に移転した[4]。2021年5月場所後には立浪部屋が同地に移転する予定[5]

伝統的に稽古土俵は俵を使わず、浅く掘り下げた「皿土俵」と呼ばれる仕様を採用している。怪我の防止のためとされ、分家である東関部屋や錦戸部屋にも受け継がれている。

所在地[編集]

師匠[編集]

  • 初代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、前1、高見山、千葉
  • 2代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、関脇・高見山宗五郎、千葉)
  • 3代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、大関・2代目朝潮愛媛
  • 4代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、横綱・前田山、愛媛)
  • 5代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、横綱・3代目朝潮鹿児島
  • 6代:高砂浦五郎[注釈 1](たかさご うらごろう、小結・富士錦山梨
  • 7代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、大関・4代目朝潮高知
  • 8代:高砂浦五郎(たかさご うらごろう、関脇・朝赤龍モンゴル

部屋付き親方[編集]

行司[編集]

呼出[編集]

床山[編集]

  • 床弓(一等床山)

力士[編集]

太字は幕内最高優勝経験者(1911年以降)

現役の関取経験力士[編集]

横綱・大関[編集]

横綱
大関

幕内[編集]

関脇
小結
前頭

十両[編集]

その他[編集]

  • 2006年にスピードスケート今井裕介のスポンサーを務めて話題となった。
  • 部屋の公式サイトは、2007年11月場所まで昭和以降の最高齢力士であったマネージャーの松田哲博(元・一ノ矢)が管理していた。7代高砂の停年と同時に松田がマネージャーを退き、1997年の開設時から変更されていなかったサイトデザインもリニューアルされた。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b 6代高砂(元小結・富士錦)は襲名直後の1988年11月場所に「高砂彰伸」(-あきのぶ)と名乗ったが1場所で高砂浦五郎に改名している(5代高砂の死去が1988年9月場所後の番付編成会議の後で、富士錦の6代高砂は急遽の継承だったために11月場所の番付に「高砂彰伸」では記載されていないため幻の年寄名となった。なお、1989年1月場所から「高砂浦五郎」と番付に記載されている)。

出典[編集]

  1. ^ “相撲部屋モダーンに 体育館風や「高層」ビル 東京の下町に新築続々”. 朝日新聞. (1989年12月23日) 
  2. ^ “琴奨菊7度目かど番、玉鷲スロー新関脇 新番付”. 日刊スポーツ. (2016年12月26日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1756714.html 2016年12月27日閲覧。 
  3. ^ 元朝赤龍の錦島親方が8代目高砂として部屋継承 - 日刊スポーツ 2020年11月26日
  4. ^ 広い稽古場で「心機一転」 常盤山部屋、板橋へ―大相撲”. 時事ドットコムニュース - スポーツ総合. 時事通信社 (2021年2月26日). 2021年3月21日閲覧。
  5. ^ 立浪部屋、5月の夏場所後に旧常盤山部屋に移転”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年4月4日). 2021年5月2日閲覧。
  6. ^ 【夏場所】早くも波乱の予感…4大関〝1勝3敗〟 横綱不在の15日間を引っ張れるか”. 東スポ (2021年5月10日). 2021年5月11日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度42分10秒 東経139度48分13.7秒 / 北緯35.70278度 東経139.803806度 / 35.70278; 139.803806