栃ノ心剛史

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栃ノ心 剛史 Sumo pictogram.svg
Tochinoshin 08 Sep-1-.jpg
2008年9月場所に国技館に入っていく栃ノ心
基礎情報
四股名 栃ノ心 剛史
本名 レヴァニ・ゴルガゼ
ლევან გორგაძე
愛称 角界のニコラス・ケイジ
生年月日 (1987-10-13) 1987年10月13日(31歳)
出身 ジョージア (国)の旗 ジョージアムツヘタ
身長 191cm
体重 175kg
BMI 47.97
所属部屋 春日野部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付 西大関2
最高位 西大関2
生涯戦歴 532勝424敗64休(76場所)
幕内戦歴 416勝398敗26休(56場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝3回
幕下優勝2回
殊勲賞2回
敢闘賞6回
技能賞3回
データ
初土俵 2006年3月場所
入幕 2008年5月場所
趣味 睡眠料理[1][2]
備考
サンボヨーロッパ王者
金星2個(日馬富士1個、稀勢の里1個)
2018年11月25日現在

栃ノ心 剛史(とちのしん つよし、1987年10月13日 - )は、ジョージアムツヘタ出身で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名はレヴァニ・ゴルガゼグルジア語表記:ლევან გორგაძე)。愛称はレヴァニ、角界のニコラス・ケイジ身長191cm、体重175kg。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は大関2018年7月場所 - )。好物は魚類(サバサンマホッケなど)[3]

来歴[編集]

入門 - 入幕まで[編集]

相撲を始める前は柔道ヨーロッパ王者になったこともあるサンボを経験している[4]。小学生に入るころに柔道とチダオバ[5]と呼ばれるジョージアの伝統格闘技を始めた。自身も柔道と相撲の強豪選手であった弟のラシャ・ゴルカゼが「兄は真面目で、いつも練習ばかりしていた。私は真似できなかったなあ」と振り返るのを筆頭に、複数の証言者がレヴァニの練習熱心さを語っている[6]

2004年の世界ジュニア相撲選手権大会に全く相撲の稽古をしないまま出場したのが初めての相撲経験であり、この時に3位入賞を果たした。世界ジュニア大会ではほかにも重量級準優勝などの実績を残している。柔道が好きであったので角界入りについては迷っていたが、同郷の黒海に話を聞いたり家族に相談したりした末に入門。本人は後年「相撲に入っていなかったら多分、柔道でオリンピックに出ていたでしょうね。ジョージア代表で出ていた選手には一度も負けたことがなかったからね」と話している[7]。レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績や恵まれた体躯、優れた身体能力から、入門時より将来の角界を担う力士として期待された。木村山とは十両昇進後も設備上の理由で同じ個室で生活していた時期があり、木村山が結婚して夫人とともにマンション暮らしをするようになるまで相部屋生活は続いた[8]

2006年3月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世。

2007年11月場所では東幕下筆頭で勝ち越しを決め、ジョージア出身力士では黒海以来2人目の関取となった。

2008年1月場所では、十両西12枚目で12勝3敗の成績を収め新十両で優勝、翌3月場所では9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。

西前頭8枚目で迎えた2009年11月場所には12勝3敗の成績を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。この時は新小結の可能性もあったが、翌場所は西前頭筆頭に据え置かれた。入幕からしばらく勢いが衰えたことに関しては本人が後に「あのとき、もっと真面目にやっていれば、もうちょっと上に行けたかもしれない(笑い)。分からないけどね。若かったから遊びたい気持ちも大きかったんじゃないですか」と振り返っている[7]

2010年5月場所は西前頭2枚目で迎えた。初日は把瑠都に敗れたものの翌日以降4大関(日馬富士琴欧洲琴光喜魁皇)を次々になぎ倒し、順調な滑り出しをしたが、その後は失速し千秋楽に8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。それでも4大関撃破の星が認められて2回目の敢闘賞を受賞した。翌7月場所西小結に昇進したものの、琴欧洲を除く横綱・大関陣に全て敗れるなど上位の壁に阻まれ6勝9敗で負け越した。

2011年5月技量審査場所は西前頭6枚目で迎えた。この場所は好調で千秋楽まで優勝争いトップの白鵬を追って白星を重ねていった。千秋楽に日馬富士に破れて12勝3敗となり優勝は逃したが、敢闘賞を受賞した。7月場所は最高位である西小結に番付を戻したが、6勝9敗と負け越してしまった。10月18日、同月14日に門限や服装規定を破った栃ノ心ら弟子3人が師匠である春日野親方に腹や背中を素手やゴルフクラブアイアンで殴られるなどした暴行容疑が浮上し[9]、師匠と栃ノ心らは警視庁本所警察署事情聴取を受けた[10]。栃ノ心は14日に暴行を受けてから部屋を出て行き16日まで部屋に戻らなかったが[11][12]、その後春日野親方に土下座して謝罪し[13]自分の非を認め、被害届を提出しない意向である[14]。「自分が悪いことをした。これからはこういうことがないように頑張る」とコメントした[15]。関係者によると、栃ノ心は門限破りと服装違反の常習犯であり、当面は土俵内での申し合いと外出が禁止され、事実上謹慎状態にあり[11]、栃ノ心は「(申し合い)稽古はしたいけど仕方ない」と反省している[13]。ちなみに、同月5日に開かれた研修会で集まった力士に対し、放駒理事長は外出時の服装など日常の行動について注意した矢先の出来事だった[16]。師匠は「関取たる者、相撲だけじゃなく、態度や言動も伴っていないといけない。栃ノ心は、もうちょっと『心』をしっかりしてほしい」と語った[11]。27日、師匠は九州場所入りしても反省の色が見えない限り、当面は土俵内の稽古を禁止すると記者に答えた。「反省か何かがないと。嫌なら辞めてもらうしかない」とも語っている[17]。後年、自身が大関に昇進して以降の報道では「キレてもおかしくない一件でしたが、栃ノ心は『親方は自分のことを本気で考えてくれ、本気で怒ってくれた』 と感銘を受け、信頼するように。『稽古は嫌いじゃない』と語っているように、このときから稽古量もよりいっそう多くなっていった」とされている[18]。その後謹慎は解かれたが、土俵上では精彩を欠く相撲内容がしばらく続いていた。しかし次第に調子を取り戻した。 2013年7月場所は5日目の徳勝龍戦(栃ノ心が勝利)で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂の大怪我を負い、6日目から休場[19]した。その後も回復が遅れて、9月場所初日の前に『右膝前十字靱帯断裂及び右膝内側側副靱帯断裂で更に安静2ヶ月が必要』という診断書を日本相撲協会に提出して休場することになった[20]。11月場所は西十両14枚目の地位まで下がったが、10月10日付で日本相撲協会に「右膝前十字靱帯損傷、右膝内側側副靱帯損傷で、12月末までの安静加療を要す見込み」との診断書を提出した。

故障からの復活[編集]

2014年1月場所を以って35場所維持した関取の座から幕下へ陥落し[21]、その1月場所も全休した。休場中は引退も考えていたが、春日野から「まさかやめること考えているんじゃないだろうな。バカじゃないか。あと10年相撲を取らないとダメなんだよ」とハッパを掛けられ続投を選ぶ。2ヶ月の入院で体重は177kgまで増えてしまい、さらに退院して部屋に戻るとちゃんこがおいしくて食べ過ぎてしまったので前年11月場所からダイエットに取り組み、体重が減るまでキャベツの千切りとレタスとリンゴだけしか食べなかった。復帰に向けた稽古については、朝、四股やスクワットで汗をかき、午後はすぐ近くの海に行って砂浜を歩き回った。退院前より27kg落ちた体重を徐々に稽古をやりながら、160kg台にまで仕上げた[22]。手術、リハビリを経て半年ぶりに稽古場に立った際には部屋の三段目力士にも勝てなくなっており、悲しくて涙が止まらなかったが、前述のように師匠に叱咤されて奮起した[23]。3月場所は西幕下55枚目まで番付を落としてしまったが、4場所ぶりに土俵に復帰して7戦全勝で復活の優勝を決めた。続く5月場所も西幕下6枚目で7戦全勝の連続優勝となり、7月場所で十両に復帰した[24]

この7月場所千秋楽に1敗でトップに立つ逸ノ城に黒星を付け、さらに13勝2敗同士で行う優勝決定戦で逸ノ城と再度対戦し、これにも勝利して見事十両優勝を果たす。直後のインタビューでは本割と決定戦の2番をこなしても右膝に痛みが現れないと復調を主張し、さらに「やめなくて良かった。次は幕内に戻るように頑張る」と語った[25]。続く9月場所は西十両5枚目の地位で大相撲史上5人目となる15戦全勝での十両優勝を果たした[26]。幕下から4連続優勝で再入幕を果たした11月場所は11勝4敗と好成績を残し、この場所では自身4度目となる敢闘賞を受賞[27]

2015年1月場所は自己最高位に近い西前頭筆頭まで番付を戻すも場所直前に部屋内でインフルエンザが流行したこと(後述)もあって振るわず、12日目には負け越しが確定し、場所を6勝9敗で終えた[28]が、5日目に大関・豪栄道を破った。なお、大関戦での白星は、2013年3月場所4日目の琴欧洲戦以来。翌3月場所は、8日目に横綱・日馬富士を破り自身初の金星獲得。12日目には大関・稀勢の里を破った。千秋楽に同郷の臥牙丸を破り、勝ち越しが決定。5月場所では西前頭筆頭で9勝6敗の成績を挙げたが、翌7月場所で三役から陥落する力士が1人も居らず、東筆頭の宝富士(こちらも9勝6敗)は小結に昇進したが栃ノ心は東前頭筆頭止まりで、三役に復帰できなかった。西筆頭で9勝を挙げながら三役に上がれなかったのは41年ぶり史上3例目だった[29]が、その7月場所も8勝7敗の勝ち越しで終えると、翌9月場所で5度目の小結昇進を果たした。幕下55枚目まで陥落した後の三役復帰は、低地位からのカムバック記録としては戦後1位であり、また、5度目にして初の東となった(過去4場所は全て西)。その場所は10勝5敗と三役では初となる勝ち越しを果たし、敢闘賞を受賞した。しかし11月場所は負け越し。

2016年1月場所も連続で負け越し、三役から落ちた3月場所も負け越した。西前頭4枚目とした5月場所は10勝を挙げ、右四つの形と場所中に決めた吊り出しが評価されて自身初の技能賞を受賞[30]。西関脇に昇進した7月場所の番付では「新小結を経験した力士が一旦幕下まで落ち、その後新関脇になったのは昭和以降では初めて」という記録を作った[31]。この場所、次場所は負け越してしまうも11月場所ではこの年、年間最多勝の稀勢の里を9月場所に続いて倒す活躍を見せ10勝をあげた。

2017年1月場所は西小結で場所に挑むが初日から連敗。さらに5日目の正代戦で右膝外側半月板損傷の怪我をしてそのまま休場となった。6日目の高安戦は不戦敗[32]。一気に東前頭10枚目まで番付を下げた3月場所も膝の状態が芳しくなく序盤から苦しい相撲が続いた。4勝7敗と後がない状態から3連勝して千秋楽に望みを繋いだが、遠藤に敗れて7勝8敗だった。5月場所は先場所負け越しながら番付が据え置きという珍しい形で先場所に続いて東の10枚目で迎えた。この場所は痛めた膝の状態が大分よくなり、中盤に5連勝をするなど好調だった。12日目までに3敗していたため優勝争いに名前が出ることはなかったが、終わってみれば12勝3敗で照ノ富士と並んで幕内で2番目の好成績だった。しかし上位での実績があることや他に好成績の力士が多かったこともあり、三賞の候補にも上がらなかった。大関経験のない平幕力士が12勝を挙げながら三賞を受賞できなかったのは大相撲野球賭博問題による謹慎で十両に陥落し、この場所再入幕だった2010年11月場所の豪栄道以来、これを除けば1962年11月場所の大豪以来となる[33]。7月場所は東前頭2枚目の地位で土俵に上がり、この場所はそれまで全敗であった稀勢の里から金星を奪う活躍を見せた。「右四つになりたかったけど、前(まわし)のすごくいいところを取れたからね。頭をつけたのたまたまだけど」と取り口を説明する声も弾み、さらに「懸賞が31本? こんなに初めてだよ。付け人にわけてあげないと」と喜びを見せた[34]。この場所は9勝6敗の勝ち越し。7月場所は三役以上から平幕に落ちる星の力士が琴奨菊1人しかいなかったため、9月場所はわずか1枚上昇の東前頭筆頭止まり。9月場所は膝の状態が思わしくなく、初日から5連敗を喫するなど10日目の時点で僅か1勝しか出来なかった。終盤戦は下位の力士との取組が増えたことでやや星を伸ばしたが4勝11敗と大きく負け越した。11月場所は14日目に勝ち越しを決めた。

初優勝から大関へ[編集]

2018年1月場所は初日から連勝し、4日目に大関の高安、5日目に同じく大関の豪栄道に勝利し好調な幕開けとなった。7日目に横綱で全勝同士の鶴竜に敗れるものの、8日目の嘉風戦は難なく勝利し、9日目に1敗同士の関脇・御嶽海戦でも持ち味の力で圧倒した。13日目に自分より38kg重い逸ノ城を右の相四つで下すなど力相撲が冴え渡り[35]、14日目には自身と同じ2006年3月場所初土俵の松鳳山を下し、この時点で春日野部屋では1972年(昭和47年)1月場所の初代栃東以来46年ぶり、平幕力士としては2012年5月場所の旭天鵬以来6年ぶりとなる幕内最高優勝を決めた[36]。千秋楽も遠藤に勝利し、最終的に鶴竜以外全勝の14勝1敗として、初の殊勲賞、2度目の技能賞受賞が決まった。三賞ダブル受賞は2015年9月場所で殊勲賞、技能賞の嘉風以来[37]。3横綱の内2人が休場し、平幕が優勝を果たした例は、戦後15日制下ではこれが3例目[38]。躍進の背景には、生まれたばかりの長女に自分の強いところを見せたいという気持ちがあった[3]。この優勝により、部屋の特等床山床松が1年半後の定年を迎えるまでの間に、床松に部屋の幕内優勝力士の髷を結わせてあげることが実現した[39]。ちなみに、優勝パレードの旗手は同部屋でブルガリア出身、十両の碧山だった。さらなる躍進を妨げないために、場所後1滴も酒を飲まなかった[23]。2月11日の第42回大相撲トーナメントでも初優勝を決めている。14日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、そこでギオルギ・マルグベラシビリジョージア大統領から日本の国民栄誉賞に相当する勲章を授与された。自身の活躍によりジョージアでの相撲人気が高まっている中、栃ノ心は「向こうに一つでもちゃんとした土俵をつくりたい。そこで、欧州大会や世界大会がやれたらうれしい」と希望した[40]。2018年2月11日の第42回日本大相撲トーナメントでは、この時点で本場所では25戦全敗と苦手としている白鵬を右四つがっぷりからの寄り切りで下した[41]。3月場所は西関脇に昇進。30歳4ヶ月での関脇昇進はこの時点で外国出身力士の高齢三役昇進記録第5位。高齢関脇昇進記録としては第3位[42]。その3月場所では場所前に左足付け根を痛めるアクシデントがあり、1月場所の好調が影を潜める苦闘の相撲であったが千秋楽に逸ノ城を下して10勝目を挙げた[43]。5月場所は初日から12連勝と好調の波に乗り、また12日目に本場所で初めて苦手の白鵬から26戦目にして本割で初めての勝ち星を挙げた。13日目の正代、14日目の鶴竜と連敗を喫して2度目の優勝を逃したが、千秋楽はに勝って13勝2敗とした。この結果、日本相撲協会審判部が栃ノ心の大関昇進を協会理事会に諮問するよう要請することとなった[44]。そして5月30日に日本相撲協会理事会及び7月場所番付編成会議により栃ノ心の大関昇進が正式に決定、直ちに春日野部屋に昇進伝達の使者が派遣され、栃ノ心は「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進」と口上を述べ[45]、これにより栃ノ心は春日野部屋所属力士としては1962年5月場所後の栃ノ海(後に第49代横綱)・栃光の同時昇進以来の大関昇進となり、また琴欧洲ブルガリア)、把瑠都(エストニア)に続く3人目のヨーロッパ出身者の大関誕生となった[45]。三役経験者が幕下陥落後に大関昇進を果たしたのは、昭和以降では琴風(現・尾車親方)と栃ノ心だけであり、その尾車親方は「立派なものだ。けがをして半年間や1年間土俵に立つことができない力士にも、『栃ノ心を見てみろ』と言ってあげることができる。勇気を与える」と手放しで褒め称えた[46]。新大関で迎えた7月場所、初日から5連勝と好調だったが6日目に玉鷲に敗れた際に右足親指を痛め7日目から休場。新大関の休場は2000年5月場所の武双山以来でこの場所は、稀勢の里も初日から、白鵬は4日目から、鶴竜は6日目からと3横綱が全員休場しており、さらに栃ノ心の休場で3横綱1大関が休場となった。これは1999年3月場所以来(横綱貴乃花若乃花、大関千代大海)の緊急事態となった[47]。17日に再出場しないことを発表し新大関で負け越し、9月場所はいきなりのかど番になる[48]。9月場所前の8月29日に稽古を再開し、幕下と三段目の力士計4人と26番。土俵を割る場面もあり、「体が相撲の感覚を忘れている」と話した[49]。30日に関取衆との申し合いを再開し、出稽古に来た御嶽海らに10勝6敗だったが立ち合いで腰高になることが多く、得意の右四つになるまで苦労し、「駄目だね。気持ち良くない。思い切り相撲が取れない。当たれない」と本人は不満の様子だった[50]。9月1日、都内のホテルで大関昇進披露パーティーが行われた。母国の先輩力士である黒海、ジョージア駐日大使のレバン・ツィンツァゼ、小川直也も参加し、小川直也は壇上で栃ノ心を祝福していた[51]。9月場所は右足親指の状態が思わしくなく10日目を終えて6勝4敗と微妙な成績。しかし、14日目になんとか勝ち越して角番を脱出。千秋楽も同じ大関の高安を送り出しで勝利し、初の角番の場所を9勝6敗で終えた。

素質・取り口[編集]

非常に力が強く足腰も強い。握力は左右ともに90kgを超える[1]。右四つの相撲が得意で左上手を取ると力を発揮する。その状態から豪快な吊り出しを見せることがあり、土俵際でのうっちゃりも足腰の強さゆえによく決まる。極めて稀に内無双などの特殊技を使用することもある(2015年1月場所11日目において、逸ノ城に対して使用)。

決まり手は主に寄り切りが多いが、投げ技も力強く地力のある相撲を身につけてきている。2013年7月場所に負った大怪我から復帰して以降はそれ以前より強くなったとされており、2014年11月場所前の座談会では元文化放送アナウンサー坂信一郎が「廻しの取り方も下から取るようになった」と差し身が向上した様子を述べていた。同じ座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「十両であっても左上手を取ったら、絶対取りこぼしが無かった」と安定感の向上を評価していた[52]

しかし2016年3月場所前の座談会では振分が「パワー一辺倒だからもう少し器用さがないと」「大ケガをしたからさらにパワーをつけたんだなという感じがして、だからまたケガをしかねない」と指摘しており、浦風も「自分も力任せの相撲という印象なんだよな」と同調している。高崎はこれに関して「右四つ左上手という型はあるんだけど、十分になるまでの工夫がもうちょっとほしいね」と注文を付けている[53]。大怪我をする前は受ける相撲であったがその後は前に出るようになり、2017年1月場所前の座談会でお笑い芸人のはなわが指摘している[54]。2017年3月場所前の座談会では甲山(元幕内・大碇)から「幕下まで落ちて復活したころはおっつけながら上手を取る相撲が目立っていましたけど」と評され上で竹縄(元関脇・栃乃洋)から「栃ノ心は上半身だけで相撲を取ろうとするのが、また目立ってきましたね。先場所(2017年1月場所)の休場するきっかけとなった一番もまさにそうでした」と再び相撲が雑になったと指摘された[55]

合い口を見ると、関脇以下でも玉乃島や朝赤龍といった一世代上の左四つ力士に対して不利であり、同じ左四つなら宝富士とも合い口はあまり良くない。大関以上には左四つの名手が多いため、それらの力士にも苦労している。相撲が遅いのも難点であり、2017年7月場所などは20秒以上所要した相撲が15番中6番、1分以上所要した相撲が15番中2番であった[56]。とはいえ型にはまったときには得意の右四つの相撲が冴え渡り、自然と身体が付いてくる。また、立ち合いを工夫して立つことも増えており、時折諸手気味に立つこともある。2018年1月場所は4日目の高安戦で右のかかとが土俵外に突きそうなところで残したり、13日目の逸ノ城戦ではやくみつるからも「頭を付けたり、胸を合わせるのを避けたりするのでは?」と思われたところがっぷりになったりと、力相撲や腰の強さが最大限発揮された[57]

2018年1月場所後の武蔵川のコラムでは、自分の型があるからこそ優勝までたどり着けたのだと評価され、今後については突っ張りや押しを覚えて相撲の幅を広げるべきだと助言されている[58]。初優勝した時点では自分でも突っ張りや右からのおっつけがある程度できるようになっている[23]。2018年7月場所で新大関昇進したが7日目から休場した。新大関で休場は武双山以来18年ぶりであり、大関2場所目の角番も2000年の武双山以来となった。

合い口[編集]

いずれも2018年5月場所終了現在

  • 横綱・白鵬には1勝25敗。2018年5月場所、26度目で初勝利。
  • 横綱・鶴竜には2勝22敗。鶴竜の大関昇進後から横綱昇進前までは4戦全敗。鶴竜の横綱昇進後は1勝8敗。2010年11月場所、3度目で初勝利。最近では2018年3月場所で勝利。
  • 横綱・稀勢の里には9勝16敗。稀勢の里の大関昇進後から横綱昇進前までは5勝10敗。稀勢の里の横綱昇進後は1勝。2009年9月場所、2度目で初勝利。最近では2017年7月場所で勝利。
  • 大関・豪栄道には10勝15敗。豪栄道の大関昇進後は7勝8敗。2011年7月場所、3度目で初勝利。最近では2018年1月場所で勝利。
  • 大関・高安には7勝9敗(不戦敗による1敗を含む)。高安の大関昇進後は1勝3敗。
  • 元大関・琴奨菊には8勝24敗。琴奨菊の大関在位中は14戦全敗。2009年11月場所、3度目で初勝利。最近では2018年5月場所で勝利。
  • 元大関・照ノ富士には2勝9敗。照ノ富士の大関在位中は2勝7敗。2015年11月場所、5度目で初勝利。最近では2016年5月場所で勝利。
  • 元横綱・朝青龍には2戦全敗だった。
  • 元横綱・日馬富士には6勝23敗だった。日馬富士の大関昇進後から横綱昇進前までは4勝9敗。日馬富士の横綱昇進後は2勝13敗。2009年9月場所、2度目で初勝利。最後に勝った2015年7月場所は不戦勝。
  • 元大関・出島には4勝3敗だった。2008年7月場所、2度目で初勝利。最後に勝ったのは2009年5月場所だった。
  • 元大関・千代大海には1勝1敗だった。2009年9月場所、2度目で初勝利。
  • 元大関・琴光喜には2勝2敗だった。2010年1月場所、3度目で初勝利。最後に勝ったのは2010年5月場所だった。
  • 元大関・魁皇には2勝6敗だった。2010年5月場所、4度目で初勝利。最後に勝ったのは2010年9月場所だった。
  • 元大関・雅山には5勝6敗だった。2009年7月場所、2度目で初勝利。最後に勝ったのは2012年9月場所だった。
  • 元大関・把瑠都には1勝12敗だった。把瑠都の大関昇進後から関脇に陥落する前までは1勝8敗。2011年5月場所、8度目で初勝利。
  • 元大関・琴欧洲には4勝12敗(不戦勝による1勝を含む)だった。2010年5月場所、4度目で初勝利。最後に勝ったのは2013年3月場所だった。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 0 1 朝赤龍 3 5 安美錦 10 10 阿覧 7 7
7 4 逸ノ城 11 5 隠岐の海 7 5 魁聖 9 7
旭天鵬 9 5 琴勇輝 6 0 正代 5 4 宝富士 9 7
豪風 12 4 玉乃島 2 6 玉鷲 13 4 土佐ノ海 3 1
豊ノ島 8 8 北勝力 1 3 御嶽海 5 2 妙義龍 11 7
嘉風 15 9 若の里 5 2
小結
岩木山 3 2 遠藤 4(1) 3 阿武咲 0 1 臥牙丸 5 3
垣添 6 5 黒海 2 2 霜鳳 2 0 常幸龍 2 0
松鳳山 12 3 貴景勝 1 3 高見盛 1 4 千代鳳 1 0
千代大龍 4 2 時天空 5 7 白馬 5 1 普天王 3 3
豊真将 5 7 露鵬 0 1 若荒雄 2 3
前頭
朝乃山 1 0 阿炎 1 0 荒鷲 3 2 石浦 3 1
宇良 1 1 大砂嵐 2 1 4 0 春日王 2 0
北太樹 4 3 皇風 1 0 旭秀鵬 1 1 光龍 2 0
琴春日 1 0 佐田の海 4 2 佐田の富士 3 2 翔天狼 8 3(1)
蒼国来 4 1 大栄翔 3 1 大翔丸 4 0 大道 5 0
貴ノ岩 1 1 千代翔馬 1 2 千代の国 5(1) 1 千代白鵬 2 2
千代丸 3 0 剣武 1 0 天鎧鵬 1 1 德勝龍 3 2
德瀬川 1 1 土佐豊 4 0 豊桜 1 0 豊響 10 5
鳰の湖 1 0 錦木 2 1 白露山 1 0 富士東 2 0
武州山 4 0 北勝富士 2 0 誉富士 1 0 将司 1 2
舛乃山 1 1 猛虎浪 2 0 山本山 0 3 豊山 1 0
芳東 2 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年5月場所終了現在、現役力士

略歴[編集]

  • 2006年3月場所 - 初土俵
  • 2006年7月場所 - 序二段昇進
  • 2006年11月場所 - 三段目昇進
  • 2007年1月場所 - 幕下昇進
  • 2008年1月場所 - 十両昇進、十両初優勝
  • 2008年5月場所 - 新入幕
  • 2009年11月場所 - 初三賞
  • 2010年7月場所 - 新三役、新小結
  • 2013年9月場所 - 十両陥落
  • 2014年1月場所 - 幕下陥落
  • 2014年3月場所 - 幕下優勝
  • 2014年5月場所 - 幕下優勝(2回目、連覇)
  • 2014年7月場所 - 返り十両、十両優勝(2回目)
  • 2014年9月場所 - 十両優勝(3回目、全勝)(幕下から4連続優勝)
  • 2014年11月場所 - 返り入幕
  • 2015年3月場所 - 初金星
  • 2016年7月場所 - 新関脇
  • 2018年1月場所 - 幕内初優勝
  • 2018年2月 - 第42回大相撲トーナメント優勝
  • 2018年7月場所 - 新大関

エピソード[編集]

  • 栃ノ心の出身国「Georgia」は、日本においては長らく「ジョージア」という英語での発音ではなく、ロシア語由来の「グルジア」という発音で呼ばれていたが、栃ノ心自身は来日当初よりジョージア出身と名乗り、缶コーヒージョージアを愛飲するなど、ジョージアの国名に愛着を持っている[59]。グルジアでは、2008年にロシアとの武力衝突が発生し、ロシアへの反発が高まり、国名を「ジョージア」とするよう各国に求めていた。2015年4月、日本では在外公館名称位置給与法が改正され、「グルジア」は「ジョージア」と呼ばれるようになった[60]。栃ノ心が缶コーヒージョージアを愛飲している縁で、自身の初優勝を機に2018年3月場所からジョージアの懸賞金が栃ノ心指定で1本設定されるようになった[61]
  • 2009年5月末、緊迫する対ロシア情勢の中で徴兵検査を受けるため、母国ジョージアに帰国(黒海、臥牙丸も同様)。1か月あまりの軍事訓練を受けて7月には日本に戻った。激しい訓練による減量が心配されたが、体重はむしろ増えており、太ももがたくましくなった。7月場所では勝ち越した[62][63][64]
  • ジョージアで歯科技工士の資格を取得している[65]
  • 東北地方太平洋沖地震が起きてから、ジョージアでは「日本はあと48時間で水没する」「放射能が飛び散れば全員が死ぬ」との誤報があり、母が泣きながら電話してきた。大使館から日本南部への避難を薦められているが、特に避難はしていない[66]
  • 2012年9月場所中に同じジョージア出身の黒海が引退。「3日前ぐらいに電話で連絡をもらった。目標にしてきた力士だったので、いつか対戦するのを楽しみにしていた」とコメントした[67][出典無効]
  • 2011年1月場所を終えて取組用の締め込みを新調した際、初めにピンク系統の派手なものを選んだが春日野に反対され、結果として濃紺の締め込みに決めた。本人は「一番新しそうだったから」と理由を語ったが、実は春日野が現役時代に締め込んでいたものであった。この新しい廻しは締め心地が良かったようであり、次の5月技量審査場所では12勝3敗(次点)の好成績を収めた上で敢闘賞を獲得した[68][69]。その後2016年1月場所から銀鼠色の廻しに変更する際も新たに師匠から借り受けた[70]
  • 2015年1月場所直前、大相撲の春日野部屋がインフルエンザ禍に悩まされた。1月3日に出羽海部屋で行われた出羽海一門の連合稽古では、自身と栃飛龍がインフルエンザで欠席した。当日の稽古で大関・豪栄道と力勝負を演じた関脇碧山も「5人くらいインフルエンザがいる。自分ものどが痛い。風邪をひいているので病院に行きます」と、鼻声で稽古場を後にしていた[28]。場所中には2日目から4日目にかけて千代鳳がインフルエンザで休場し、陣幕審判委員も5日目から8日目まで同病で休場するなど、高砂一門でもインフルエンザ渦が確認された[71][72]
  • 2015年1月場所11日目の逸ノ城戦で激しい投げ技の掛け合いの中、自身もあまり稽古しない内無双を初めて決めて勝った。
  • 酒豪として知られており、ある日境川部屋へ出稽古へ行ったときには境川から「飲んでるか」と突っ込まれてしまった[73]。実家がワイン農家であり、土地柄も手伝って13歳のころから本人も飲んでいたといい、これについて「近所の親たちや親せきがよく家に集まってお酒を飲むんだけど、そのときは子供たち同士も別の部屋で飲むのが普通なんです(笑)。自分のところで作ったワインを家で飲むのは別にいいんで、」[7]と言っている。ただ、妻はワインを飲まないので結婚してから家ではあまり飲まなくなったという[7]
  • 2016年の夏巡業では、雪駄は鼻緒がゴム製で太いため踵が痛くなるという理由で履いておらず、草履を履いていると話した[74]
  • 九州場所中は、モツマヨネーズをかけた明太子に舌鼓を打つ。九州場所になると福岡の食べ物が旨すぎて太ってしまうようであり、2017年11月場所前は平常体重より約10㎏重い182㎏まで太ってしまったという[3]
  • 近年、締め込みを銀鼠色に変更した。これは師匠の春日野が、1990年5月場所から短期間用いたものを譲り受けたものである[75]

主な成績[編集]

2018年11月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:532勝424敗64休(76場所)
  • 通算勝率:.556
  • 幕内成績:416勝398敗26休(56場所)
  • 幕内勝率:.511
  • 三役在位:11場所(関脇3場所、小結8場所)
  • 大関通算:22勝15敗8休(3場所)

各段優勝[編集]

  • 幕内最高優勝:1回(2018年1月場所)
  • 十両優勝:3回(2008年1月場所、2014年7月場所、2014年9月場所)
  • 幕下優勝:2回(2014年3月場所、2014年5月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:11回
    • 殊勲賞:2回(2018年1月場所、2018年3月場所)
    • 敢闘賞:6回(2009年11月場所、2010年5月場所、2011年5月技量審査場所、2014年11月場所、2015年9月場所、2018年5月場所)
    • 技能賞:3回(2016年5月場所、2018年1月場所、2018年5月場所)
  • 金星:2個
    • 日馬富士1個(2015年3月場所)
    • 稀勢の里1個(2017年7月場所)

場所別成績[編集]

                                                                                                                                       
栃ノ心剛史 [76]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2006年
(平成18年)
x(前相撲)東序ノ口17枚目
5–2 
東序二段95枚目
5–1–1 
西序二段49枚目
7–0 
西三段目49枚目
6–1 
2007年
(平成19年)
東幕下59枚目
5–2 
西幕下41枚目
5–2 
東幕下28枚目
5–2 
西幕下18枚目
6–1 
東幕下6枚目
5–2 
東幕下筆頭
5–2 
2008年
(平成20年)
西十両12枚目
優勝
12–3
東十両4枚目
9–6 
東前頭14枚目
7–8 
西前頭14枚目
8–7 
東前頭10枚目
8–7 
西前頭4枚目
3–12 
2009年
(平成21年)
西前頭11枚目
8–7 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭13枚目
9–6 
西前頭5枚目
9–6 
東前頭筆頭
4–11 
西前頭8枚目
12–3
2010年
(平成22年)
西前頭筆頭
5–10 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
8–7
西小結0
6–9 
西前頭2枚目
9–6 
西小結0
6–9 
2011年
(平成23年)
東前頭2枚目
4–11 
八百長問題
により中止
西前頭6枚目
12–3
西小結0
6–9 
東前頭4枚目
8–7 
東前頭2枚目
2–13 
2012年
(平成24年)
東前頭9枚目
10–5 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭8枚目
9–6 
東前頭4枚目
9–6 
西小結
6–9 
東前頭3枚目
5–10 
2013年
(平成25年)
東前頭6枚目
9–6 
西前頭筆頭
7–8 
西前頭2枚目
2–13 
西前頭11枚目
3–3–9[77] 
西十両筆頭
休場[77]
0–0–15
西十両14枚目
休場[77]
0–0–15
2014年
(平成26年)
西幕下15枚目
休場[77]
0–0–7
西幕下55枚目
優勝
7–0
西幕下6枚目
優勝
7–0
東十両12枚目
優勝
13–2
西十両5枚目
優勝
15–0
東前頭8枚目
11–4
2015年
(平成27年)
西前頭筆頭
6–9 
西前頭4枚目
8–7
西前頭筆頭
9–6 
東前頭筆頭
8–7 
東小結
10–5
東小結
7–8 
2016年
(平成28年)
西小結
6–9 
西前頭2枚目
6–9 
西前頭4枚目
10–5
西関脇
6–9 
東前頭2枚目
5–10 
西前頭6枚目
10–5 
2017年
(平成29年)
西小結
0–6–9[78] 
東前頭10枚目
7–8 
東前頭10枚目
12–3 
東前頭2枚目
9–6
東前頭筆頭
4–11 
西前頭6枚目
9–6 
2018年
(平成30年)
西前頭3枚目
14–1
西関脇
10–5
東関脇
13–2
西大関2
5–2–8[79] 
西大関2
9–6[80] 
西大関2
8–7 
2019年
(平成31年)
x x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 栃ノ心 剛(とちのしん つよし)2006年3月場所 - 2017年3月場所
  • 栃ノ心 剛史(- つよし)2017年5月場所 -

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『相撲』2016年7月号26ページから27ページ
  2. ^ 落ち込んでいるときにジョージアの音楽を聴きながら料理作りに集中していると嫌なことを忘れるという。
  3. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p4-7
  4. ^ 東京中日スポーツ「栃ノ心スピード新十両 グルジア生まれ20歳」 2007年11月29日オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ
  5. ^ 土俵やリングが無く投げ技のみの格闘技であり、上半身への攻撃と足掛けのみが認められるというもの。
  6. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.3 44頁から46頁
  7. ^ a b c d 大空出版『相撲ファン』vol.3 41頁から43頁
  8. ^ 『相撲』2014年3月号70頁
  9. ^ 春日野親方、弟子を暴行か 「アイアンで殴打」認める 47News 2011年10月18日
  10. ^ 春日野親方、弟子を暴行か「アイアンで殴打」認める スポーツニッポン 2011年10月18日
  11. ^ a b c しっかりしろ!殴られた栃ノ心を謹慎に 日刊スポーツ 2011年10月19日
  12. ^ 栃ノ心は猛省「自分が悪いことをした」 サンケイスポーツ 2011年10月20日
  13. ^ a b 暴行騒動の“発端”栃ノ心、現在は「外出禁止」 スポーツニッポン 2011年10月20日
  14. ^ 厳重注意 春日野親方 殴打認める 弟子に「もうげんこつは入れない」 スポーツニッポン 2011年10月19日
  15. ^ 弟子アイアン殴打の春日野親方「力で押さえ付けないと言うこと聞かない」 MSN産経ニュース 2011年10月19日
  16. ^ 帽子にシャツ姿はNG…放駒理事長、力士の服装など注意 スポーツニッポン 2011年10月5日
  17. ^ 栃ノ心、まだ土俵稽古禁止 反省促す デイリースポーツ 2011年10月28日
  18. ^ 週刊FLASH 2018年6月12日号
  19. ^ 千代の国、栃ノ心が休場 日刊スポーツ 2013年7月12日
  20. ^ 栃ノ心 さらに2カ月の安静 右膝大けがで秋場所休場 スポーツニッポン 2013年9月14日閲覧
  21. ^ 栃ノ心、年末まで安静 右膝負傷で九州場所休場 MSN産経ニュース 2013.11.10 14:33
  22. ^ 幕下55枚目から3年ぶり三役に 大相撲・栃ノ心(上) 日本経済新聞 2015/9/7付
  23. ^ a b c 『相撲』2018年3月号 p.3-6
  24. ^ 栃ノ心が幕下連続優勝 大相撲夏場所 日本経済新聞 2014年5月23日(2014年5月23日閲覧)
  25. ^ 栃ノ心が十両優勝「やめなくて良かった」 nikkansports.com 2014年7月28日11時6分 紙面から
  26. ^ 栃ノ心、十両15戦全勝V 史上5人目 nikkansports.com 2014年9月28日15時31分
  27. ^ 高安が殊勲賞 栃ノ心は敢闘賞 nikkansports.com 2014年11月23日13時8分
  28. ^ a b 春日野部屋 インフル禍 nikkansports.com 2015年1月4日8時42分 紙面から
  29. ^ 西大関に照ノ富士、琴奨菊かど番 名古屋場所新番付 日刊スポーツ 2015年6月29日(2015年6月29日閲覧)
  30. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年6月号(夏場所総決算号) 6頁から7頁
  31. ^ “魁聖・栃ノ心、新関脇に昇進 名古屋場所の番付発表”. 朝日新聞. (2016年6月27日). http://www.asahi.com/articles/ASJ6S64B5J6SUTQP02G.html 2016年6月30日閲覧。 
  32. ^ 栃ノ心が右膝負傷で休場 大相撲初場所、再出場厳しく
  33. ^ この他に2015年3月場所において臥牙丸が千秋楽に勝って12勝としても三賞なしが確定していた(千秋楽に敗れ11勝4敗)
  34. ^ 栃ノ心ウホウホ金星「初めて」稀勢破り懸賞31本 日刊スポーツ 2017年7月11日20時56分
  35. ^ 日刊スポーツ 2018年1月27日
  36. ^ “栃ノ心、1敗守り初優勝 欧州勢3人目 新入幕から58場所目のVは4番目の遅さ”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年1月27日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/01/27/kiji/20180127s00005000250000c.html 2018年1月27日閲覧。 
  37. ^ 平幕Vの栃ノ心、14勝で三賞ダブル受賞 鶴竜は11勝で場所終える/初場所 SANSPO.CPM 2018.1.28 17:36(産経新聞社、2018年1月28日閲覧)
  38. ^ 『相撲』2018年3月号 p.114-115
  39. ^ 定年前…優勝力士の髪結う夢かなった 春日野部屋の床松 朝日新聞DIGITAL 2018年1月28日16時48分 (朝日新聞社、2018年1月29日閲覧)
  40. ^ 栃ノ心 初優勝は「うれしい疲れ」ジョージア大統領から勲章授与へ Sponichi Annex 2018年2月14日 18:10(スポーツニッポン新聞社、2018年2月26日閲覧)
  41. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p15
  42. ^ 『相撲』2018年3月号 p.52-53
  43. ^ “栃ノ心10勝「まずケガ治して」3場所連続2ケタへ”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年3月25日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201803250000666.html 2018年5月30日閲覧。 
  44. ^ “「大関栃ノ心」30日誕生へ 3場所37勝は最多タイ”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2018年5月27日). https://www.sankei.com/sports/news/180527/spo1805270020-n1.html 2018年5月30日閲覧。 
  45. ^ a b “大関昇進の栃ノ心「教え守り稽古に精進」と口上 欧州出身は3人目”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2018年5月30日). https://www.sankei.com/sports/news/180530/spo1805300013-n1.html 2018年5月30日閲覧。 
  46. ^ “尾車親方、幕下から再起の栃ノ心に「勇気を与える」”. SANSPO.COM. 産経デジタル. (2018年5月30日). http://www.sanspo.com/sports/news/20180530/sum18053019360014-n1.html 2018年5月31日閲覧。 
  47. ^ “栃ノ心、7日目から休場 新大関の休場は2000年夏場所の武双山以来”. スポーツ報知. (2018年7月14日). https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180714-OHT1T50068.html 2018年7月17日閲覧。 
  48. ^ “新大関・栃ノ心 名古屋場所は再出場せず 秋場所でいきなりカド番”. Sponichi annex. スポーツニッポン. (2018年7月17日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/07/17/kiji/20180717s00005000155000c.html 2018年7月17日閲覧。 
  49. ^ 栃ノ心が久々の稽古 「相撲勘、戻ってくる」 毎日新聞2018年8月29日 19時41分(毎日新聞社、2018年8月30日閲覧)
  50. ^ 栃ノ心、出稽古の御嶽海らに10勝6敗も不満 負傷箇所気になり「思い切り相撲が取れない」 SANSPO.COM 2018.8.30 17:15(産経新聞社、2018年8月30日閲覧)
  51. ^ 栃ノ心が大関昇進披露 大使も駆けつけ「近い将来、横綱に」と期待 2018年9月1日17時16分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年9月3日閲覧)
  52. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年12月号68頁から69頁
  53. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年4月号63頁
  54. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号60ページ
  55. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号69ページから70ページ
  56. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p57-73
  57. ^ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.4-5
  58. ^ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.6-7
  59. ^ “グルジアが呼称変更 ジョージア出身の栃ノ心”. 日刊スポーツ. (2015年4月17日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1462681.html 2015-4-19 ]閲覧。 
  60. ^ “グルジアを「ジョージア」に=国名表記変更、関連法成立”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2015年4月14日). http://jp.wsj.com/articles/JJ11966346498133244657317119543382046867552 2015年4月19日閲覧。 
  61. ^ 出身地だけじゃない「ジョージア」懸賞の理由 日刊スポーツ 2018年3月14日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2018年4月4日閲覧)
  62. ^ 【大相撲】栃ノ心と黒海がジョージアで徴兵検査 - MSN産経ニュース
  63. ^ 徴兵検査受けたジョージア出身力士が再来日 - 大相撲ニュース : nikkansports.com
  64. ^ 栃ノ心軍事訓練1カ月で体重7キロ増えた - 大相撲ニュース : nikkansports.com 2009年7月3日
  65. ^ “17歳で来日、母を泣かせた栃ノ心 30歳での初優勝”. 朝日新聞. (2018年1月27日). オリジナル2018年1月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180127120950/https://www.asahi.com/articles/ASL1W5QSKL1WUTQP01W.html 2018年1月27日閲覧。 
  66. ^ 栃ノ心不安「母国で誤情報が…」 - 大相撲ニュース : nikkansports.com 2011年3月24日
  67. ^ 2012年9月22日 NHK大相撲中継より
  68. ^ 『相撲』2012年1月号42頁から43頁
  69. ^ 『相撲』2012年3月号93頁
  70. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年7月号(名古屋場所展望号) 27頁
  71. ^ 千代鳳インフル復帰も相撲勘戻らず nikkansports.com 2015年1月15日20時22分
  72. ^ 陣幕親方が再出場=大相撲初場所9日目 時事通信 2015/01/19-21:17
  73. ^ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号60頁
  74. ^ 夏の絵日記2016 8月23日 栃ノ心 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日)
  75. ^ 平成28年春場所
  76. ^ 栃ノ心 剛 力士情報”. Sumo Reference. 2010年1月18日閲覧。
  77. ^ a b c d 右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂により大相撲平成25年7月場所6日目から休場
  78. ^ 右膝外側半月板損傷で6日目から休場
  79. ^ 右足親指側副靭帯損傷のため7日目から休場
  80. ^ 角番

関連項目[編集]

外部リンク[編集]