御嶽海久司

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御嶽海 久司 Sumo pictogram.svg
Mitakeumi 2015 Sep.jpg
基礎情報
四股名 御嶽海 久司
本名 大道 久司
愛称 オオミチ、みーたん(自称)[1]、Real Deal[2]
生年月日 (1992-12-25) 1992年12月25日(24歳)
出身 長野県木曽郡上松町
身長 178cm
体重 161kg
BMI 48.29
所属部屋 出羽海部屋
得意技 突き・押し
成績
現在の番付 関脇
最高位 関脇
生涯戦歴 144勝93敗2休(17場所)
幕内戦歴 109勝84敗2休(13場所)
優勝 十両優勝1回
殊勲賞2回
敢闘賞1回
技能賞1回
データ
初土俵 2015年3月場所
入幕 2015年11月場所
趣味 ボウリングビリヤードダーツ[3]
備考
金星2個(日馬富士1個、鶴竜1個)
2017年11月26日現在

御嶽海 久司(みたけうみ ひさし、1992年12月25日 - )は、長野県木曽郡上松町出身で出羽海部屋所属の現役大相撲力士。本名は大道 久司(おおみち ひさし)。身長179cm、体重161kg、血液型はO型。得意技は突き・押し。自己最高位は東関脇2017年9月場所 - )。好物はバナナ寿司焼肉[4]。好きな俳優峰竜太[3]。父は日本人、母はフィリピン人。

来歴[編集]

大道は長野県木曽郡上松町の自然で育ち、父親と一緒にキノコやタラの芽を山で採取したり、川で泳いだり、アユやイワナ、ヤマメなどの川魚を釣って塩焼きにして食べたりしたことなどを、後に思い出として語っている[5]。大道少年が相撲を始めるきっかけとなったのは、上松町立上松小学校1年の時に大桑村で開かれた相撲大会に出場した際に、初めて挑戦した相撲で自分より体の小さな相手に負けたことである。これをきっかけに負けず嫌いの魂に火がつき、地元の木曽少年相撲クラブに入り相撲一筋の人生が始まった[6]。小学校では5年次に全日本小学生相撲優勝大会で2位となった[7]。木曽町立福島中学校に進学すると3年で全国大会ベスト8となっている。木曽青峰高在学中に国体少年の部で3位となった[8]後に東洋大学法学部企業法学科[9]に進学した。一方で大相撲入りに関しては、相撲部屋へ何度も見学に行って、厳しいということを恐れていたことから、頭になかったという[10]

東洋大学には監督の濱野文雄から「復活のために力を貸してほしい!」と低迷から脱却するための要因として期待されて勧誘された[11]。東洋大学時代は力強い突き押しを武器に、個人タイトル15冠。4年時の11月に学生横綱[12]、12月にアマチュア横綱となり、現行基準では日大出身の元幕内・市原(清瀬海)、同じく日大出身の幕内・遠藤に続き3人目となる幕下10枚目格付出の資格を得た[13]。当初はプロ入りする意向はなく、アマチュア相撲の強豪・和歌山県庁への就職が内定しており、就職したら家族を呼んで和歌山で一緒に暮らす[10]ことを考えていたが[14]、大学の相撲部の浜野監督の知人から部屋を紹介され[10]、また「最近10年くらい幕内力士が出ていなくて、今は名門とは言えないかもしれない。でも、きっと再興させたいと思っている。是非とも力を貸してほしい」という11代出羽海親方(元幕内・小城ノ花)の説得もあり[11][15]、2015年2月12日に出羽海部屋へ入門した[16]2014年2月に出羽海部屋を継承したばかりの11代出羽海にとっては初の直弟子である。後に女性週刊誌で大道は「大学卒業後、プロに進もうとは思っていませんでした。公務員試験を受け、和歌山県庁から内定をいただき、両親も喜んでくれていましたから。でも、遠藤関が活躍する姿を見て、“(大学相撲で)自分もあの人といい勝負をしてたんだよなぁ”と思うと、ふつふつと湧き上がるものがありました。でも、勝負の世界に絶対はないですし……」とコメントしており「もし結果が出なければ、“あのとき公務員になっていればよかったのに”と後ろ指をさされる。辞退した県庁のみなさんにも申し訳が立たない。行くからには、絶対に結果を出すという気持ちで入門しました」と入門時の心境を語った[4]。入門時に目標の力士として元大関・武双山(現・年寄:藤島)の名を挙げたが、2月28日新弟子検査で身長を測定したのは奇しくもその元・武双山の藤島審判副部長だった[17]。なお、大道は出羽海部屋は知っていたが部屋の出身力士は舞の海くらいしか知らず、入門した後で名門であることを改めて知ったといい、出羽海部屋が出羽海一門のトップであるということも知らなかった[10][11]

入門当初は本名を四股名とする力士も多いが既に自身の本名の姓と同じ文字の元幕内・大道阿武松部屋、現・年寄:小野川)がいたこともあり[18]、四股名には地元上松町から望める御嶽山に出羽海部屋の「海」をつけた「御嶽海」に決まった[19](ただし、「御嶽」の読みは、山は「おんたけ」と読むのに対し、四股名は「みたけ」と読む。「御嶽」の読みを「みたけ」にしたのは2014年の御嶽山噴火による被災者への配慮でもあり、部屋の行司の木村千鷲と話して決めた[10])父は嶽王(たけおう)や嶽ノ王(たけのおう)という四股名を考えていたそうであり、親戚に王という苗字の人がいたので四股名に『王』を付けることを考えたという[10]。入門当初から外出には力士にふさわしい着物や履物を身に着けないといけないため、その点で御嶽海は他の部屋と比べて厳しいと感じたという[11]

2015年3月場所で初土俵。初土俵の場所は2番相撲(3日目)に大翔鵬からプロ初黒星を付けられたものの、これがかえって緊張をほぐす契機となり[20]、最終的に6勝1敗の好成績となった。5月場所は東幕下3枚目の地位で6勝1敗の成績とし、場所後の番付編成会議にて、7月場所での新十両昇進が決定した[21]。十両昇進まで所要2場所で昇進するのは11人目である[22]。長野県は元幕内の大鷲1978年1月場所限りで引退して以来全都道府県で関取不在の期間(37年間)が最も長かったが[23]、長野県出身力士として47年ぶりの新十両となり、平成以降関取を出していない都道府県は皆無となった[24][25]

関取になってからは取的に指導やアドバイスもしなければならなくなったが、早い出世だったため当初は関取という立場であっても兄弟子たちには話しづらく、そうしたことができるようになったのは幕内上位となった2016年になってからのことであった[10]。2015年7月場所において、11勝4敗の成績を収め、十両優勝を果たした。長野県出身力士の十両優勝は、1949年5月場所の大昇以来66年ぶりである。10日目の常幸龍から激しい張り手を受け口内から激しく流血し、翌日の取り組み後に左上唇を15針縫う怪我を負った。以降の取り組みでは本来の突き押しが出来ず、いつも以上に立合いの変化を多用した[26]。 2015年7月17日、写真家の篠山紀信が、松本市美術館にて展覧会の打ち合わせの際に優勝したら御嶽海の写真を撮ると約束していた。結果、十両優勝したため2015年9月9日に出羽海部屋にて撮影が行われ、開催中であった『篠山紀信展 写真力』の展示を変更し御嶽海のモノクロ写真が白鵬や朝青龍に並んで掲げられた[27]

2015年9月場所14日目は初めて幕内で相撲を取り勝利した。また、若手のためにと中入り後最初の取組に懸賞金を掛け続けていたもち吉による初めての懸賞金を受け取った。この場所は西十両5枚目で12勝3敗という好成績だったことから、続く11月場所では新入幕となり、この場所は千秋楽に勝ち越した。2016年になり、1月場所は途中休場により入門丸1年にして初めて勝ち越しを逃したが、3月場所は10勝とした。同年4月24日から食あたりで嘔吐を繰り返し、体重が10kgも落ち、回復したと思われた矢先に風邪を引いた[28]が、西前頭8枚目として迎えた直後の5月場所は場所前の不調とは裏腹に11勝を挙げ、敢闘賞を受賞した。東前頭筆頭まで大きく番付を上げて臨んだ七月場所は7日目までの大関戦で力の差を見せつけられ1勝6敗。最終的には5勝10敗と自身初の皆勤負け越し。初めて大銀杏を結って挑んだ9月場所[29]は11日目に勝ち越しを決めるなど好調であり、最終的に10勝5敗の2けた白星を収め、11月場所では新三役となり小結に昇進した。長野県出身力士としては1932年春場所の髙登以来84年ぶり、出羽海部屋からは2005年9月場所の普天王以来11年ぶりの新三役であり、東洋大卒業者としては初である[30]。福岡県新宮町の出羽海部屋宿舎で新三役昇進会見に応じた御嶽海は、新番付を手に「率直にうれしい。(新三役の県出身力士が)八十四年もでてなかったのか、とびっくりした」と率直に喜びを語った。先場所を「上位と戦って『もうちょっとできる』と思った。その経験があったからこそ、先場所は十勝できた」と振り返り「今まで通り、しっかりと自分の相撲を取れば白星につながっていくと思う。苦しい場所にはなると思うけど、勝ち越せるよう頑張りたい」と九州場所への決意を語った。また、御嶽海の新三役昇進を記念して中日新聞社は10月31日、特別号外を発行し、上松、木曽両町で配布した[31]。11月場所では上位陣相手に健闘するものの6勝9敗で負け越し、三役の座からは陥落する。

靖国神社奉納大相撲 土俵入りする御嶽海関(2017年4月17日撮影)
靖国神社奉納大相撲 御嶽海関の相手は勢関(2017年4月17日撮影)

西前頭筆頭で迎えた2017年1月場所では初日から3横綱・4大関との対戦が続いたが、2日目に横綱日馬富士を寄り切りで破り長野県出身力士として1955年初場所初日の大昇以来62年ぶりとなる初金星を挙げると4日目には鶴竜にも勝利し、二つの金星を含む11勝4敗で初の技能賞を獲得した[32]。これにより3月場所は三役復帰となった。場所後の2月17日に佐久市中込のホテルで行われた「御嶽海関技能賞受賞祝賀会」では「応援をしていただいた皆さんの熱気を感じる。3月場所でも2ケタの勝ち星を挙げ、また佐久へ戻ってきたい。期待に応えられるよう精進します」と決意を語り、会場の盛大な拍手を浴びた[33]。2月に1日15番を計12日間取って体が鍛えられたことと初場所後に後援者との食事会が急増したことで場所直前には自己最高を更新する161㎏にまで体重が増加。場所前の稽古は同じ堺市に宿舎があり、遠藤ら関取5人を擁する追手風部屋への出稽古が中心であったが。2日、3日、6日の3日間、申し合い稽古で計35番を取ったが、結果は12勝23敗と不調であった。「立ち合いの踏み込みや出足がしっくりこない」と持ち味が影を潜めた様子が報道された[34]。東小結で迎えた3月場所は大関以上に対して自力勝利なし(5日目の白鵬戦は不戦勝)であったが関脇以下に対しては実力を発揮して14日目に勝ち越し。「ほっとしています。(勝ち越しは)うれしい。自分の相撲が取れたので良かった。体が動いている。前に出る気持ちを忘れずにやっているのがよかったのかな」と声をはずませた。自身2場所目の三役の地位であったが、この場所は9勝6敗で自身初の三役での勝ち越しであったが関脇に負け越しがおらず、地位は留め置きとなった。横綱、大関戦での勝ち星がなかった事もあり「まだまだです。横綱、大関に勝てるようにやってきたい」と気を引き締め直していた[35]。御当地の春巡業松本場所では稽古中に左手首を負傷、ほぼぶっつけ本番で挑んだ5月場所は初日から3連勝、6連敗、5連勝とツラ相撲ぶりを発揮し、8勝7敗[36]で場所を終え、7月場所は西関脇へと昇進した。長野県出身の新関脇は髙登以来84年ぶり。6月26日午後、愛知県犬山市内にある出羽海部屋名古屋場所宿舎で記者会見に臨んだ際、御嶽海は「今は上(大関)は目指していない(意識していない)。しっかり勝ち越しを続けることが大事。課題は精神的な部分。力は通用しているから、あとは気持ち。新関脇でも8勝し、そこから2桁勝利を目指したい」と抱負を語った。県出身者として84年ぶりの関脇昇進には「上の人が歴史をつくってきたことはすごいと思う。自分も歴史に刻んでいきたい」と語った[37]。宿舎に入る前日の25日朝に木曽郡内で震度5強を記録した地震の際は、上松町の実家に帰省中だった。「大きな縦揺れで目が覚めた。(地元では)御嶽山噴火災害も思い出されるかもしれないが、不安を帳消しにできるように、自分の相撲を取りたい」と強調した[38]。29日に境川部屋に出稽古へ行った際には豪栄道と三番稽古に挑み、1勝10敗。押し相撲を試みても全く歯が立たず「体力がきれて押す力もなくなってしまった。何回か来て収穫を得たい」と語る[39]

2017年7月場所では、初日に稀勢の里を破って自己最多となる46本の懸賞金を獲得し、「46本?2つ(の懸賞の束)を持ったのは初めて。気分よかった。最高のスタートが切れた」と6度目の対戦で稀勢の里に初勝利した喜びを見せた[40]。11日目に、魁皇と並ぶ歴代最多勝記録が懸かった白鵬に勝利し、記録達成を阻止した。御嶽海の左足が早く土俵を割っているようにも見えた微妙な一番であったが[41]、この一番について「めっちゃうれしかったです。横綱も記録がかかっていた一番で、緊張感が伝わってきた」と振り返り[42]、さらに「今までで一番多く舞ったんじゃないですか。いやー、うれしい。今まででいちばんうれしい」と喜んだ。同場所は9勝6敗で、2場所連続の殊勲賞を受賞した。三賞選考委員25人中21人の賛同を得ての受賞であった[41]。夏巡業では15分ほどの四股、すり足、体幹トレーニングで体を鍛えた[43]。帰京してから8月29日に稽古を再開し、この日は四股を15分ほど踏み続け、基本動作を終えると、幕下以下の兄弟子たちを相手に14番を連続で取った。夏巡業では稽古の土俵で相撲を取っていなかったこともあり、相手に与える圧力が「軽い」と振り返った。「体調は悪くなく、初日までに本場所の体の切れを戻したい」とコメントしつつ「今場所は(白鵬と稀勢の里の2横綱を破った)先場所通りにはいかない。でも、当たって前に出る相撲を貫き、隙が出たら、つけ込めるはず」と再び殊勲を狙う[44]

エピソード[編集]

取組関連[編集]

  • 小学校6年生だった2005年に、「NHK福祉大相撲」の少年力士が関取に挑戦する企画で、大関返り咲き直後の栃東の胸を借りた(2017年の同企画に、胸を貸す立場として出演した際、インタビューで触れられ、放送ではその模様も流された)。
  • 先述の元幕内・大道とは2015年7月場所7日目に対戦し勝利[45]。「大道対決」はこの一番のみだった。
  • 2016年1月場所7日目の千代大龍戦は「寿司屋の常連対決」として話題になった。その4年前から千代大龍が通う九重部屋近くのすし屋に御嶽海が通い始め、千代大龍は「負けたら店で会った時に気まずいから絶対勝とうと思った」という。取り組みは千代大龍が右上手をつかむと、力強い寄りで御嶽海を破った[46]
  • 2017年5月場所4日目の高安戦で首投げによって黒星を喫した際には「意識せざるを得ないです。置いて行かれたから」と大関取りで先を越されたことを悔しがるコメントを見せ、さらに「興奮しすぎて(相撲内容が)分かっていない」と普段淡々とした御嶽海としては珍しい様子であった[47]
  • 2017年1月場所2日目に日馬富士から初金星を奪った御嶽海だが、この時インタビュールームでは泣こうとしつつも泣けないような微妙な表情をしていた。音楽評論家で作詞家の和田靜香は「まるで『お母さん~』とウソ泣きを通した80年代の聖子ちゃんのガッツある魂に重なるかのよう」と評している[48]

巡業関連[編集]

  • 2017年4月14日の春巡業松本場所では長野県のご当地力士として人気を集め、6000枚のチケットはほぼ完売するなど大盛況であった。地元の英雄として見られていた御嶽海に贈られた歓声は他の関取衆から「横綱かと思ったよ」とからかわれたほど[49][50]

土俵外の相撲関連[編集]

  • 絵がとても下手であることを自認しており、日刊スポーツの企画で絵日記を書いたときに話題になった。本人いわく「絵は本当にダメなんです。小学生のとき、50歳くらいの先生に『今まで生きてきた中で、見たことがない(くらい下手)』と言われたことがありますからね。あれは衝撃でした」[51]
  • 昇進が早く、入門当時稽古を付けてもらっていた兄弟子を今は付け人にしている。
  • 2017年5月場所前の記事では、場所に際して「まずは勝ち越し」としか言わない力士であるとされている。上位へは勝ち越しを続ければ絶対に上がるというのが本人の考え[52]。新関脇昇進会見でも「力は上に通用している。高安関と同じ地位に立ちたい気持ちはすごく大きい。でも、意識しても上には行けない」と堅実に勝ち越しを目標とした[53]
  • 東洋大学1年生のとき、全日本大学選抜相撲十和田大会決勝で遠藤聖大を破って優勝を果たした時、両親から腕時計をプレゼントされた。この腕時計は角界に入ってからも大切にしている[3]

その他相撲関連[編集]

  • 学生時代は「遊び稽古」という、土俵の外でいろいろと小技を試す嗜みを行い、勝負勘や技術を養った[54]
  • 「稽古をもっとすれば強くなる」という意見に対して御嶽海は「稽古場でやったことが本場所の土俵で出るんだ、というけれど、その逆の力士だっていると思うんです。今の自分は、稽古だけじゃないと思う『このままでは現役寿命が短くなるのでは』などとも言われますけど、例えば、今、幕下でガンガン稽古して、3年後に強くなるぞと言われても、その頃には膝がボロボロで関取になれなかった---では意味がない。"今この時の稽古"を自分なりにして、今、結果を出さないと。そう僕は思っています。それが、もしこの先の現役寿命を短くしてしまうことになっても、そこは変えたくない。僕は"今を生きている"んです」と自分なりの相撲論を展開している[54]

トークショー関連[編集]

  • 2017年6月16日、長野県阿智村昼神温泉郷の障害者支援施設「阿智温泉療護園」を訪れ、利用者ら約120人と交流した。東小結で臨んだ5月の夏場所で勝ち越して初の殊勲賞を獲得し、7月の名古屋場所では関脇昇進が有力になっている御嶽海は「さらにその上を目指していきたい」と意気込みを語った。利用者から「ご飯は何杯食べるか」などの質問が飛び、御嶽海関が「夜は茶わんで10杯くらい。これでも少ない方」と答えると驚きの声が上がった。理想の女性像を聞かれると「きれいめな人が好き」と照れながら話し、会場から笑いを誘った。訪問のお礼に、好物のプリンが職員から贈られると、思わず笑みがこぼれた御嶽海。交流後には利用者や子どもたちに囲まれ、サインや握手に快く応じていた。握手をした利用者の女性は「大きくて優しそうな手だった」と感激していた。御嶽海との交流は、同施設が毎年開いている利用者とその家族の交流会に先立ち開催。御嶽海が村内の旅館関係者と親交があり、同日にこの旅館を訪れていたことから実現した[55]
  • 2017年10月1日、坂城町鉄の展示館で一日館長を務めた。同館で開催中の特別展「大相撲と日本刀」を見学したり、トークショーに登場したりして、詰めかけた大勢のファンらと交流した。 同館で山村弘町長から一日館長の任命を受けた御嶽海関は「先場所は、ハラハラドキドキさせました。来場所は、皆さんが落ち着いて見ることが出来るように頑張りたいと思います」とあいさつ。続いて、握手会に臨み、集まった約560人のファンらを笑顔と握手で迎えた。特別展「大相撲と日本刀」の会場では、展示中の歴代横綱の化粧まわしや、土俵入りで使用された太刀などを学芸員の説明を聞きながら熱心に見て回った。トークショーでは、2017年9場所に7勝6敗で迎えた14日目以降「ストレスで胃炎になった。けっこうしんどかった」。だが、千秋楽で勝ち越し、「ほっとした。胃の痛みもどこかへ行ってしまった」。また「(自身は)さみしがり屋でコンビニも1人では入れない」と言う。「彼女はいますか?」との質問には「一緒にいてなごめるような人」がタイプと返答。「彼女、募集中です」などと、巧みなトークで会場を沸かせた[56]

趣味・嗜好・特技[編集]

  • 特技は料理。実家に帰省した際にエビチリを家族に振る舞ったことがある。天麩羅も作ることができる。2017年の記事では年上好きであり、タレントなら篠崎愛がタイプと答えている[57]
  • 三役初昇進からしばらくした頃の記事では「カラオケでは玉置浩二をよく歌う」とコメント。2017年のバレンタインデーにはチョコレートは6つしかもらっておらず、番付が上がってもあまりモテるようになっていないとつぶやいていた[58]
  • 2017年3月場所前の週刊誌の記事では「僕はスラッとしたクール系の女性が好きです。北川景子さんや相武紗季さん、米倉涼子さんのような。でも性格はおっとり系がいいなぁ。そういうギャップに弱くて(笑)。お互いに成長できる関係が理想です。自分より人生経験豊富な人は勉強になる部分がたくさんあるので、年上の女性に惹かれます」と答えている[4]
  • 温泉が好きであり、父親の実家に近い長野県の開田高原の中にある温泉には、少なくとも月に1回は通っていたそうである。「硫黄のにおいが好き。地元の温泉は鉄分が強い真っ茶色なんですけど、硫黄がすごく強い。乳頭温泉も硫黄のにおいがすごくて、好きな温泉でした」と御嶽海は2016年の夏巡業中に振り返っている[59]

その他[編集]

  • 2017年5月場所中、同じ東洋大OB(卒業後、御嶽海在学途中まで職員として勤務)である村田諒太のプロボクシング世界タイトル挑戦があったが、御嶽海は「ニュースで見ただけ」と自らの相撲に集中した[36]
  • 2017年11月12日から御嶽海のヒノキで作った彫像の販売がインターネットなどで始まった。御嶽海の地元である上松町の樹脂切削加工会社「今泉製作所木曽工場」が手掛け、#Dスキャナーを使って計測した本人の立体データを基に、木曽産のヒノキの角材を工作機械で削りだした。御嶽海の彫像は台座部分を含めて高さ23cm。大銀杏を結い、御嶽山が描かれた化粧まわしを締めた御嶽海が仁王立ちしている。筋肉の隆起や化粧まわしのかざり部分など、細部の質感までリアルに表現されているのが特徴である[60]

取り口[編集]

基本的に突き押しを得意とするがとっさの変化も見られる。藤島は新入幕を迎えた御嶽海を「力が強いというよりも、瞬発力なんです。ほかの力士よりコンマ何秒か速いのです」と評しており、NHK大相撲ジャーナルの編集長である緒方喜治は「藤島親方の若いころを思い出すのではないですか」と感想を漏らしている。阿武松は「いちばんいいのは、膝が常に曲がっていることです。だから体の芯がブレません。叩きも食いにくいのです」と評する一方で「ただ、押しきれないときに差すことがありますが、差してしまうとまだまだ。これからの課題です」と注文を付けている[61]。中学生の時にもろ差しになって密着する相撲を取っていたので四つになることもあるが、部屋でも「まわしがないと思って取れ」と押し相撲に徹するように指導されている。[10]あまり稽古熱心でないことでも知られており、2016年11月場所前の座談会では出羽海部屋の部屋付き親方でもある中立からは「入門以来、がっちり稽古をした日はないかもしれない(笑)。何というか、周りに合わせて稽古をしているというか。だから、そのうち、大きなけがをするんじゃないかな。そこが心配だね。ちょっと痛かったりするとすぐに逃げようとするから」と苦言を呈された[62]朝日山は2016年11月場所前に押しをベースとしてその流れで廻しを取って攻める相撲を評価しており、今後この相撲をどう取ればよいかにつて「具体的に話すと、まずは、丸い体でバンと一発頭から当たります。背中を丸めて、当たる角度も考えます。そして、パンパンパンと弾くような突っ張り、または伸びのある突っ張りで相手をのけぞらします。そして、もう一回しゃがんで中にもぐりこむのです。理想的な形としては嘉風のようなイメージです」と話している[63]。2017年1月場所中の朝日新聞の記事では御嶽海の指導に当たる中立が、場所4日目に鶴竜を破った相撲を指して「俺らの方がビックリしているよ。場所前のけいこでは、春日野部屋の力士に歯が立たないんだもの。でも、本場所の一番になると力を出す。あいつは『場所相撲』だな」とうなった[64]。おっつけは相撲の流れの中で多用することがあり、2017年3月場所7日目の日馬富士戦では敗れはしたがおっつけで土俵際まで追い詰めた[65]。2017年5月場所前の元黒姫山の論評では、土俵の真ん中で四つになることをせずに土俵際まで押し込んで最後に四つになるケースが増えれば、2ケタ白星も楽に狙えるだろうと言われた[66]。ケガを訴えても直後の場所では平気で土俵に上がるタイプであり、2017年5月場所前の西岩(元関脇・若の里)は「何場所か前でしたけど、場所直前にケガをして自力で立てなかったのに、初日はケロッとしていい相撲を取っていましたからね。御嶽海のケガは信用できません(笑)」と発言しており、同時に「いかにも現代っ子というか、入った部屋が良かったんですね」と感想を述べている[67]。2017年5月場所の相撲を見た尾車は「以前は押し相撲だったが、組んでも相撲が取れるようになった」とこの時点での御嶽海を評している[68]。2017年7月場所前のコラムでは、舞の海が「当たってもろ差しといういい意味での癖がついています。また塩を取りに行く時、厳しい顔つきで肩を回したりしますが、朝青龍や日馬富士のように、自分をのせていくのがうまいと思います」「御嶽海は、稽古で負けながらも、相手の癖とか強いところをチェックしているのではないでしょうか。御嶽海は稽古場では死んだふりをしているので、それにだまされちゃいけないんですよ(笑)」[69]2017年7月場所後の記事では緒方喜治が、一瞬不利な体勢になっても瞬時に立て直す相撲センスなどを評価している[41]。同時期の座談会では、錣山が「相撲がはっきりしなくてこれだけ勝っているのですから、すごいと思いますね」と感心している[70]。2017年9月場所前の記事では中立(元小結・小城錦)が「決まり手は寄り切りや押し出しになるが、そこに至るまで相手の嫌がる方に、かいなや足を素早く運べる。教えて出来る技ではなく、子どものころからつちかわれた天性の素質」と言っており、八角理事長は「高安には厳しいかち上げを受け、白鵬には張り手を、どんどん受けたらいい。四つになっても勝てるなんて勘違いしたらいけない」ときついコメントを残している[71]

主な成績[編集]

2017年11月場所終了現在

  • 通算成績:144勝93敗2休(17場所)
  • 幕内成績:109勝84敗2休
  • 幕内在位:13場所
  • 三役在位:6場所(関脇3場所、小結3場所)
  • 十両成績:23勝7敗(2場所)
  • 三賞
    • 殊勲賞:2回(2017年5月場所、2017年7月場所)
    • 敢闘賞:1回(2016年5月場所)
    • 技能賞:1回(2017年1月場所)
  • 金星:2個
    • 日馬富士1個(2017年1月場所)
    • 鶴竜1個(2017年1月場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(2015年7月場所)
御嶽海 久司
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2015年
(平成27年)
x 幕下付出 #10
6–1 
東 幕下 #3
6–1 
西 十両 #12
優勝
11–4
西 十両 #5
12–3 
西 前頭 #11
8–7 
2016年
(平成28年)
西 前頭 #10
5–8–2[72] 
西 前頭 #13
10–5 
西 前頭 #8
11–4
東 前頭 #1
5–10 
西 前頭 #5
10–5 
東 小結
6–9 
2017年
(平成29年)
西 前頭 #1
11–4
東 小結
9–6 
東 小結
8–7
西 関脇
9–6
東 関脇
8–7 
東 関脇
9–6 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

合い口[編集]

いずれも2017年11月場所終了現在
  • 横綱・白鵬には2勝5敗(うち不戦勝1)。2017年7月場所の取組は、白鵬に史上最多となる通算1047勝目がかかる取組であったが、寄り切りで勝利して記録達成を1日遅らせた。
  • 横綱・鶴竜には2勝3敗。直近の勝利は2017年5月場所で、決まり手は押し出し。
  • 横綱・稀勢の里には1勝5敗。稀勢の里の横綱昇進後は1勝2敗。直近の勝利は2017年7月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 大関・豪栄道には2勝5敗。直近の勝利は2017年11月場所で、決まり手は叩き込み。
  • 大関・高安には3勝7敗。高安の大関昇進後は2敗。直近の勝利は2017年1月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 元大関・琴奨菊には6勝3敗。琴奨菊の大関在位中は2勝2敗。
  • 元大関・照ノ富士には3勝4敗(うち不戦勝1)。照ノ富士の大関在位中は2勝4敗。
  • 元横綱・日馬富士には2勝5敗。2017年1月場所で自身初めての金星を獲得。最後の勝利は2017年5月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 1 2 4 0 逸ノ城 1 2 隠岐の海 1 1
魁聖 0 3 琴勇輝 2 0 正代 5 3 宝富士 2 1
豪風 4 1 玉鷲 8 2 栃煌山 5 1 栃ノ心 2 2
豊ノ島 1 0 妙義龍 1 0 嘉風 3 3
小結
阿武咲 2 1 臥牙丸 1 3 松鳳山 3 2 千代鳳 4 1
千代大龍 2 3
前頭
明瀬山 1 0 阿夢露 1 0 荒鷲 2 0 宇良 1 0
遠藤 2 2 大砂嵐 1 0 北太樹 2 0 旭秀鵬 0 2
佐田の海 2 0 里山 1 0 蒼国来 1 4 大栄翔 2 0
大翔丸 1 1 貴景勝 1 2 貴ノ岩 2 0 千代の国 6 0
德勝龍 2 2(1) 豊響 2 0 錦木 1 0 英乃海 1 0
北勝富士 2 2 誉富士 1 1
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2017年11月場所終了現在、現役力士

脚注[編集]

  1. ^ 2016年2月11日に行われたNHK福祉大相撲にて自称。
    「みーたん」御嶽海、でんぱ組と福祉大相撲で共演 日刊スポーツ 2016年2月12日9時1分 紙面から
  2. ^ NHK大相撲英語実況でのニックネーム
    大空出版『相撲ファン』vol.3 63頁
  3. ^ a b c 『相撲』2016年11月号34ページから35ページ
  4. ^ a b c 週刊女性2017年3月28日号
  5. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号25頁
  6. ^ 長野県上松町出身・大道久司選手 産経新聞 2015年2月13日(2015年5月28日閲覧)
  7. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 118頁
  8. ^ 第65回(平成22年)国民体育大会本大会入賞者 公益財団法人長野県体育協会
  9. ^ 相撲部 大道久司選手が出羽海部屋入門を発表 東洋大学
  10. ^ a b c d e f g h 『大相撲ジャーナル』2016年10月号88ページから91ページ
  11. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p79
  12. ^ 大道、中村破り学生横綱 全国学生相撲第1日 日本経済新聞 2014年11月8日(2015年5月28日閲覧)
  13. ^ 大道が学生横綱に続きアマ横綱で幕下10枚目資格 涙こらえきれず 産経新聞 2014年12月19日(2015年5月28日閲覧)
  14. ^ 【新風力士】御嶽海 御嶽山噴火の地元を「勇気づけたい」 スポニチアネックス 2015年3月9日(2015年5月28日閲覧)
  15. ^ 学生横綱・アマ横綱の2冠を達成した大道久司選手が大相撲デビュー Archived 2015年5月28日, at the Wayback Machine. 東洋大学報WEB2014
  16. ^ アマ横綱大道がプロ初稽古 日刊スポーツ 2015年2月12日(2015年5月28日閲覧)
  17. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 20頁
  18. ^ その元幕内・大道からは「俺が名前を変えようか?」との申し出が御嶽海にあったという。“本名「大道」御嶽海寂しい 日刊スポーツ 2016年1月22日付紙面 4面参照”
  19. ^ 出羽海部屋 大道久司選手のしこ名が「御嶽海(みたけうみ)」に決定 東洋大学
  20. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 19頁
  21. ^ 相撲、新十両に御嶽海と高立 デイリースポーツonline] 2015年5月27日(2015年5月27日閲覧)
  22. ^ 御嶽海、最速所要2場所新十両!逸&遠藤らと並んだ Archived 2015年9月24日, at the Wayback Machine. スポーツ報知 2015年5月28日(2015年5月28日閲覧)
  23. ^ 御嶽海、十両昇進確実 県内出身関取、37年ぶり復活へ Archived 2015年5月28日, at the Wayback Machine. 信濃毎日新聞 2015年5月25日(2015年5月28日閲覧)
  24. ^ 長野から47年ぶり関取、御嶽海ら喜び語る 大相撲 朝日新聞 2015年5月27日(2015年5月28日閲覧)
  25. ^ 長野県から関取が誕生したことで、関取不在の期間が最も長い都道府県は1990年から関取不在の福井県になった。
  26. ^ 御嶽海が相撲人生初の流血…常幸龍の張り手で唇負傷 2015年7月21日19時30分
  27. ^ 松本市美術館 篠山紀信展作品の一部が替わりました!
  28. ^ 御嶽海まさかの食中毒で10キロ減少 Daily Sports Online 2016.5.2
  29. ^ 御嶽海、いよいよ大銀杏姿 きょう11日秋場所初日 信毎Web 2016年9月11日
  30. ^ 『相撲』2016年11月号8ページ
  31. ^ 自分の相撲、しっかりと 御嶽海が小結昇進で抱負 中日新聞 2016年11月1日
  32. ^ 御嶽海、初の技能賞に笑顔 「技なんてあんまりない…」 朝日新聞 2017年1月22日
  33. ^ 活躍の御嶽海 佐久で祝う会「来場所も2ケタ勝ち星を」 /長野 毎日新聞2017年2月18日 地方版
  34. ^ 御嶽海、三役で初の勝ち越し狙う 信濃毎日新聞 3月11日
  35. ^ 小結御嶽海、三役の壁突破し勝ち越し「まだまだ」 日刊スポーツ 2017年3月25日19時50分
  36. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p79
  37. ^ 御嶽海、新関脇に昇進 高登以来、県出身84年ぶり CHUNICHI Web 2017年6月27日
  38. ^ 「木曽の地震 相撲で不安消す」 新関脇・御嶽海が会見 信毎Web 2017年6月27日
  39. ^ 「ちょっと意識変え」新関脇の御嶽海、初の出稽古 毎日新聞2017年6月29日 18時04分(最終更新 6月29日 18時16分)
  40. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p27
  41. ^ a b c 『大相撲中継』2017年8月12日号 p4
  42. ^ 新関脇御嶽海 白鵬の大記録阻止して勝ち越し決める「めっちゃうれしかった」 デイリースポーツオンライン 2017年7月19日
  43. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p16
  44. ^ 「前に出る」磨く御嶽海 部屋稽古再開 信毎web(信濃毎日新聞) 8月30日(2017年9月6日閲覧)
  45. ^ 御嶽海「大道対決」制し7連勝 FBあおられ意識 日刊スポーツ 
  46. ^ すし屋の常連対決、千代大龍に軍配 朝日新聞DIGITAL 2016年1月16日21時36分
  47. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p26
  48. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 pp24-25
  49. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号23頁
  50. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号40頁
  51. ^ 夏の絵日記2016 日刊スポーツ 
  52. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号24頁
  53. ^ 日刊スポーツ 2017年6月27日
  54. ^ a b Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p30
  55. ^ 「大きい!」御嶽海関に感激 阿智の障害者施設利用者らと交流 CHUNICHI Web 2017年6月19日
  56. ^ 長野)御嶽海関が一日館長 坂城町鉄の展示館 朝日新聞DIGITAL 2017年10月3日03時00分(2017年10月6日閲覧)
  57. ^ 週刊FLASH 2017年2月7日号
  58. ^ 週刊FLASH 2017年3月21日号
  59. ^ 夏の絵日記2016 8月24日 御嶽海 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日)
  60. ^ 中日新聞 2017年11月11日
  61. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年1月号19ページ
  62. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号59ページ
  63. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号86ページから87ページ
  64. ^ 「あいつは『場所相撲』」 親方もうなる御嶽海 朝日新聞DIGITAL 2017年1月11日20時59分 
  65. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年5月号39ページ
  66. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号10-11頁
  67. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号52頁
  68. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p52
  69. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p20-21
  70. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p14
  71. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p67
  72. ^ インフルエンザのため中日から休場、11日目から再出場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]