力士会

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力士会(りきしかい)とは、力士生活の向上のため力士の立場から日本相撲協会へ提言することを目的にした会であり、十両以上の力士で構成している親睦組織である。

概要[編集]

毎場所ごとに番付発表の翌日に開催され、ここで新十両昇進力士の紹介や引退力士への記念品贈呈、関取衆の身体測定(身長・体重)などが行われる。また、引退相撲に関しては力士会は無償で出場することが慣例となっている。

力士会の会長は、慣例でその年初場所番付最上位者か、先に昇進した横綱が務めることになっており、現在の会長は2016年4月から横綱・日馬富士が就いている。横綱が不在の場合には番付最上位者の大関が会長を務める場合もあるが、その年の途中で横綱に昇進した力士がいた場合には、慣例として横綱に交代する[1]。大関が就任した事例は過去に2例のみであり、歴代会長の中で最高位が大関なのは小錦八十吉のみである[2]

力士会主催のイベントとしては、ユニークな仮装行列でおなじみの「力士運動会」がある。これまでに過去9回開催されているが、平成時代以降は1991年6月と1999年2月に行われたのみである[3]。そのため、現役力士の中には「力士運動会」を知らない関取も増えてきている。2015年4月には力士会会長(当時)の横綱・白鵬翔が、久々に力士運動会を復活させようとの声が挙がっている[4]

2008年9月2日の力士会の際、抜き打ちの尿検査が実施され露鵬白露山のロシア出身の兄弟力士に大麻吸引の陽性反応が出た。このことにより両力士は解雇され、北の湖理事長(当時、のちに再任)が引責辞任した。

歴史[編集]

歴代会長[編集]

四股名と番付は就任当時のもの

代数 四股名 番付 在位 退任理由 備考
初代 玉錦三右エ門 大関 1932年1月~1938年12月 死去 就任当時横綱空位
1932年10月場所後に横綱昇進
2代 双葉山定次 横綱 1938年12月~1945年11月 引退
3代 羽黒山政司 横綱 1945年11月~1953年9月 引退
4代 東富士欽壹 横綱 1953年9月~1954年9月 引退
5代 千代の山雅信 横綱 1954年9月~1959年1月 引退
6代 栃錦清隆 横綱 1959年1月~1960年5月 引退
7代 若乃花幹士 横綱 1960年5月~1962年4月 引退
8代 大鵬幸喜 横綱 1962年4月~1971年5月 引退
9代 玉の海正洋 横綱 1971年5月~1971年10月 死去
10代 北の富士勝昭 横綱 1971年10月~1974年7月 引退
11代 輪島大士 横綱 1974年7月~1981年3月 引退
12代 北の湖敏満 横綱 1981年3月~1985年1月 引退
13代 千代の富士貢 横綱 1985年1月~1991年5月 引退
14代 北勝海信芳 横綱 1991年5月~1992年5月 引退
15代 小錦八十吉 大関 1992年5月~1993年1月 新横綱誕生 横綱空位期間
16代 曙太郎 横綱 1993年1月~2001年1月 引退
17代 貴乃花光司 横綱 2001年1月~2003年1月 引退
18代 武蔵丸光洋 横綱 2003年1月~2003年11月 引退
19代 朝青龍明徳 横綱 2003年11月~2010年1月 引退
20代 白鵬翔 横綱 2010年1月~2016年4月 2016年5月場所前に退任
21代 日馬富士公平 横綱 2016年4月~ 当代

その他[編集]

  • 2005年には、初の試みとして熱海へ関取衆で旅行を行った。その他でも、関取衆を集めて釣りなどの行事を行っている。

脚注[編集]

  1. ^ 1992年5月場所で北勝海信芳が引退して横綱が不在となったあと、翌1993年3月場所で曙太郎が横綱に昇進するまでの間、筆頭大関だった小錦八十吉が力士会会長を務めた。
  2. ^ 就任当時に大関だった初代会長の玉錦三右エ門は就任中に横綱昇進。
  3. ^ フジテレビ系列放送で企画された2012年6月開催のイベントは、力士対芸能人で腕相撲・大食い・歌力対決など行われたが、運動会とは少し趣向が異なった。
  4. ^ 白鵬が力士運動会の復活に意欲(日刊スポーツ・2015年4月29日)

関連項目[編集]