熱海温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Hot springs 001.svg 熱海温泉
Atami 20120915 c.jpg
温泉情報
所在地 静岡県熱海市
座標 北緯35度06分04秒 東経139度04分01秒 / 北緯35.1011157度 東経139.0669612度 / 35.1011157; 139.0669612 (熱海温泉)座標: 北緯35度06分04秒 東経139度04分01秒 / 北緯35.1011157度 東経139.0669612度 / 35.1011157; 139.0669612 (熱海温泉)
交通 鉄道 : JR東海道新幹線またはJR東海道本線熱海駅下車すぐ
泉質 塩化物泉
湧出量 毎分18,000L
液性の分類 弱アルカリ性
浸透圧の分類 低張性
外部リンク 熱海市観光協会
テンプレートを表示
熱海温泉の位置(100x100内)
熱海温泉
静岡県における熱海温泉の位置

熱海温泉(あたみおんせん)は、静岡県熱海市にある温泉である。日本の三大温泉の一つとも言われる。

泉質[編集]

  • ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)
    • 毎分湧出量18,000リットル
    • 無色透明の源泉
    • 総源泉数500本以上
    • 湧出温度98.2度の高温泉

海岸沿いは塩化物泉源泉が多く、山沿いは硫酸塩泉源泉が多い。古くは大半の源泉が硫酸塩泉であった。ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は地下の線脈に海水の混入量が増えたため、泉質が変わった。

温泉街[編集]

温泉街の土産物店

伊豆半島北東端、熱海駅の北東から南東にかけて、相模灘に面する海沿いに旅館やホテルが立ち並ぶ。眺望を求めて山腹に立地する施設もある。昔からの温泉街は山のすそ野にある駅近辺から海岸沿いまで広がる。熱海駅併設のラスカ熱海や駅近くの商店街、起雲閣のような観光施設、海浜の海水浴場や、さらに南側にある錦ヶ浦熱海城、沖合に浮かぶ初島まで含めた観光地となっている。

熱海駅は伊東線の始発駅で、伊豆観光の東の玄関口的な立地ともなっている。

日帰り入浴施設(除く共同浴場)[編集]

外来入浴が可能な日帰り入浴施設(ホテルや旅館と兼業の物を含む)が多数存在する[1]

  • 福島屋旅館
  • 日航亭大湯
  • 妙楽湯
  • 大江戸温泉物語あたみ
  • 大月ホテル和風館
  • 夢いろは
  • ホテルミクラス
  • 月の栖熱海聚楽ホテル
  • 秀花園湯の花膳
  • 料理旅館渚館
  • やすらぎの宿みのや
  • KKRホテル熱海
  • 新かどや
  • 旅館立花
  • 湯宿みかんの木
  • うみのホテル中田屋
  • 磯料理 海辺の湯の宿 平鶴
  • 磯舟
  • 伊豆網代温泉 大成館
  • 竹林庵みずの
  • 湯の宿おお川
  • ハートピア熱海
  • ラビスタ伊豆山
  • 味と湯の宿ニューとみよし
  • かんぽの宿熱海別館
  • 島の湯(初島)
  • オーシャン スパ Fuua (熱海後楽園ホテルの併設)

共同浴場[編集]

共同浴場は下記の4軒存在する[1]。多くは鄙びた共同浴場であり、熱海の歓楽的雰囲気はない。

  • 営業中
    • 駅前温泉浴場
    • 清水町共同浴場
    • 山田湯
    • 竹の沢共同浴場(2005年から外来入浴不可の地域住民専用の会員制に)
  • 廃業
    • 上宿新宿共同浴場
    • 渚共同浴場
    • 水口共同浴場
    • 水口第2共同浴場

熱海七湯[編集]

温泉街には、熱海七湯(あたみななゆ)と呼ばれる、江戸時代までの古くからの7つの源泉が存在したが、明治以降の周辺での源泉開発の影響でかつての自然湧出の姿は失われた。そして大湯1962年(昭和37年)に、その他の6つは1997年(平成9年)に、文化財・観光資源として人工的に復元された[2]

熱海七湯は以下の7つの源泉である。

  • 大湯(おおゆ、大湯間歇泉) - かつての熱海温泉の中心的源泉。
  • 野中の湯(のなかのゆ) - 藤森稲荷神社の東方。湯気あり。
  • 小沢の湯(こさわのゆ) - 地名に由来。静岡銀行熱海支店の裏側北方。高温蒸気でゆで卵が作れる。
  • 風呂の湯(ふろのゆ) - 福島屋旅館脇。隣接した水の湯(みずのゆ)とセット。
  • 佐治郎の湯(さじろうのゆ) - 所有者に由来。銀座通り内、スルガ銀行静岡中央銀行の間。効用から目の湯(めのゆ)とも。
  • 清左右衛門の湯(せいざえもんのゆ) - 死亡した農民に由来。古谷旅館西方。湯気あり。
  • 河原湯(かわらゆ) - かつての東浜の河原に位置した庶民のための源泉。国道135号沿いセブンイレブン熱海銀座町店南方。

大湯間歇泉[編集]

熱海の間欠泉。明治時代
熱海温泉の大湯間欠泉
(この現在のものは人工)

大湯(大湯間歇泉)は世界の三大間欠泉とまで謡われていたが自噴しなくなり、現在は人工の間欠泉として整備されている。かつては1日に何回も湯と蒸気を噴出し、江戸時代後期には1日8回を数えていたが、明治時代に入り減少した[3]。1883年の記録では昼夜3回ずつの噴出があった[3]明治時代中期(1902年頃)に自噴が止まり、驚いた町民は物理学者の本多光太郎に調査を依頼し、本多は助手の寺田寅彦とともに復旧に成功した[4]。この頃は日に平均4回8分の噴出があった[5]。周辺の温泉掘削が増えた影響で1905年に再び止まったため、新しい掘削を埋めて処置したが、1912年の神津俶祐調査時には1日平均2回3分に減少していた。その後、関東大震災の際に再び自噴が始まったが、昭和初期に再び自噴が止まった。その後、1962年(昭和37年)に人工の間欠泉として整備され、現在に至っている。

大湯間欠泉の傍には、日本最初の電話ボックスが再現されている(現在の熱海ニューフジヤホテルアネックス館脇)。

また、外国人として記録に残る中で初めて富士山頂に達した幕末期の駐日イギリス公使ラザフォード・オールコックの記念碑と、彼の愛犬で同登山に同行し、帰路に寄った熱海のこの大湯間欠泉で大火傷を負い、同地で亡くなったスコティッシュ・テリアのトビーの墓所がある。大火傷を負ったトビーは地元の人々から手厚い看病を受けたが、その甲斐もなく亡くなってしまった。墓所は、これを悲しんだ地元の人々によって建立されることとなり、オールコックはこれに感謝したと伝わる。墓碑には「poor Toby(かわいそうなトビー)」と記されている。

歴史[編集]

熱海は歴史的にも古い温泉であり、およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。また、天平宝字の頃に箱根権現万巻上人が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている[6]

江戸時代初期の慶長9年(1604年)、徳川家康が7日間湯治で逗留した記録がある(『徳川実紀』)。以来、徳川将軍家御用達の名湯として名を馳せ、徳川家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。

明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。最も代表的な作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、この作品によって熱海の名は全国的に知られることとなった。国道135号沿いに登場人物である貫一・お宮の像がある。他に永井荷風の『冬の日』や林芙美子の『うず潮』などがある。

昭和30年代は新婚旅行の代表的な行き先で、白いドレスに白のスーツケースを持った、それと分かるアベックで賑わった。高度経済成長期に入ると団体旅行を誘致するようになり、昭和40年代は年間450万人以上が宿泊していた[7]。そのうち男性客目当てのストリップ劇場や風俗店が増え、歓楽街が形成された。これによるイメージの低下や、1964年東海道新幹線開通を皮切りとした新幹線網の整備で東京から遠方の温泉地にも容易に出かけられるようになったことも重なり、家族連れの客離れが進んだ。バブル崩壊後は団体客が減少。休館する旅館が目立つようになり、町に寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環に陥った。当時老舗であった「つるやホテル」(平成13年閉館)などの大型ホテルの廃業がそれに拍車をかけた。

こうした長期低落傾向が、東日本大震災(2011年)を底に反転し、熱海復活として注目されている。熱海駅と旅館・ホテル街を結ぶ位置にある熱海銀座商店街で増えた空き店舗を、東京からのUターン者や地元住民、市が青空市開催と意欲ある店主の誘致、業態転換などで再生させた[7]首都圏の西隣で新幹線駅がある元々の有利さは健在で、旅館・ホテル業界も花火大会などで、個人・小グループ客にとっての魅力向上に努めたことも奏功した[8]

近年の新幹線通勤の広がりに伴い、高額所得者が熱海に温泉付の自宅を構えて東京都内へ新幹線通勤する光景も多く見られるようになっている。

歓楽街の代名詞[編集]

かつて熱海温泉が日本を代表する歓楽温泉として栄華を誇ったことから、他地方の同様なあるいは有名な温泉街温泉郷が「○○の熱海」と宣伝したり、そう呼ばれたりしたことがある。

これらの温泉街も熱海温泉と同様に、バブル経済の崩壊、レジャーの多様化などの事情により客離れが進み、現状の温泉街を評して「かつて『○○の熱海』と呼ばれた××温泉は……」との文脈で語られる例も見られるようになった[9][10]

その一方で、「山陰の熱海」を名乗る皆生温泉のように、否定的・消極的な意味を伴わず、普通に宣伝文句として用いている例もある。

特殊な例として、磐梯熱海温泉は、開湯時の領主が伊豆出身であることから借名されたものであり、当地とのゆかりのある名称となっている。

アクセス[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 日帰り入浴施設|熱海市公式ウェブサイト
  2. ^ 熱海七湯めぐり - 熱海市
  3. ^ a b 高柳友彦、温泉地における源泉利用 : 戦前期熱海温泉を事例に 『歴史と経済』 2006年 48巻 3号 p.41-58, doi:10.20633/rekishitokeizai.48.3_41
  4. ^ 勝木渥、本多の磁気理論と,わが国におけるWeiss理論の受容の過程 I. : 聞書きにもとづく物性物理学史(3) 『物性研究』 1978年 31巻 1号 p.1-、物性研究刊行会
  5. ^ 神津俶祐熱海温泉調査報文 『地学雑誌』 1912年 24巻 11号 p.754-764, doi:10.5026/jgeography.24.754
  6. ^ 熱海の温泉”. 熱海市役所. 2016年4月10日閲覧。
  7. ^ a b 「熱海復活 地域挙げて町おこし奏功」『産経新聞』朝刊2018年9月2日(総合面)2018年9月19日閲覧
  8. ^ なぜ「熱海」は人気観光地に返り咲いたか アラフィフのおじさんたちが大奮闘プレジデント・オンライン(2017年10月12日)2018年9月19日閲覧。
  9. ^ 浅虫温泉(東北の熱海)の例 - 中園美穂(青森県史編さん調査研究員) (2015年3月23日). “遊興地となる浅虫温泉 = 22”. 陸奥新報 (陸奥新報社). http://www.mutusinpou.co.jp/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%A8%E9%A2%A8%E6%99%AF/2015/03/35640.html 2015年11月28日閲覧。 
  10. ^ 浅虫温泉を「東北の熱海」と称した例 - 『河北新報』1994年8月11日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]