琴ノ若晴將

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
琴ノ若晴將 Sumo pictogram.svg
Kotonowaka 2010.JPG
元関脇・琴ノ若
基礎情報
四股名 琴ノ若 晴將
本名 鎌谷 満也(旧姓:今野)
愛称 ワカ
生年月日 (1968-05-15) 1968年5月15日(49歳)
出身 山形県尾花沢市
身長 191cm
体重 181kg
BMI 49.61
所属部屋 佐渡ヶ嶽部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ[1]
成績
現在の番付 引退
最高位 西関脇
生涯戦歴 785勝764敗100休(130場所)
幕内戦歴 608勝657敗84休(90場所)
優勝 三段目優勝2回
殊勲賞2回
敢闘賞5回
データ
初土俵 1984年5月場所[1]
入幕 1990年11月場所[1]
引退 2005年11月場所[1]
引退後 佐渡ヶ嶽部屋師匠
趣味 テレビゲーム、書道
備考
金星8個(1個、貴乃花3個、若乃花2個、朝青龍2個)
2013年4月9日現在

琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、本名:鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)[2]1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は13代年寄佐渡ヶ嶽満宗。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった、血液型はB型。長男は、琴鎌谷将且[1]

来歴[編集]

中学校入学時点で身長が180cm超を計測し、その体格を活かして柔道部員として県大会団体戦準優勝などの活躍を果たした。加えて砲丸投げに助っ人として駆り出されて山形県大会での6位入賞を果たすなどスポーツ万能の少年として尾花沢市内で話題となっていった。この話題を聞きつけた元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽はその3日後に勧誘を開始した。最初は周囲が反対し本人も断ろうとしたが、10回を超える訪問などの熱心な勧誘や「私に任せてください」という口説き文句折れて入門した。[3]1984年3月場所の新弟子検査を同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴錦などとともに受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされ初土俵が1場所遅れた。5月場所初土俵の同期生には小結浪乃花がおり、非常に仲が良いことで知られている。白鷹山の父とは中学時代に砲丸投げでしのぎを削っており、今野が6位入賞を果たした際に白鷹山の父は優勝を果たしている[4]

若い頃は大事な取組に弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、1990年7月場所に新十両、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。7勝8敗と負け越して跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにも関わらず十両陥落となった)1991年3月場所再入幕、今度は9勝6敗と勝ち越して以後幕内に定着した。

1993年9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1996年7月場所には貴乃花の両横綱を撫で斬りにして9勝6敗、三賞(殊勲賞)を獲得した[1]1998年11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。

新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷で三役を明け渡し低迷。その後は三役に戻る事はなかった。それでも時折実力のあるところを示し横綱や大関を幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。左膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。半月板の故障も甚だしく、引退後の2012年3月ごろに病院に駆け込んだ際に発覚した事実について「ヒザの水を注射針で抜いているうちに半月板の欠片がどんどん流出し、ついには自然消滅した。医者には『親方、半月板無いですね。手術したんですか?』と問われた。」と語るほど悪い状態にあった。現在でも急な段差を下りると膝が外れるという。[5]それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。

末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた[1]。この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止め水入りに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。実際水入りも4度経験した。しかし、この攻めの遅さが災いした。

1996年4月に師匠の長女と婿入りの形で結婚。この時点で佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まった。

2004年に佐渡ヶ嶽が体調を崩し入院すると、部屋付き親方が5名いる中で師匠代理を務めた。その後、佐渡ヶ嶽が65歳の停年(定年)を迎えた2005年11月場所13日目(11月25日)を最後に琴ノ若は現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名した。なお、この日の取組は駿傑に敗れて5勝8敗と負け越し、翌日の稀勢の里戦は不戦敗となった。

全盛期より衰えたとはいえ幕内の地位を維持できる実力はまだ十分にあったが、日本相撲協会の年寄は65歳の停年を迎えると部屋の師匠を続けることができず、それによって部屋の師匠が不在になればその部屋に所属している力士は本場所に出場できなくなるという事情があったため、琴ノ若は停年を迎えた師匠の跡を継ぐためにやむを得ず現役を引退する形となったものであり、彼自身は現役最後の場所を千秋楽まで務められなかったことを残念がっていた。二枚鑑札による現役続行を望む声も上がっていたが、実現には至らなかった。

2006年5月27日両国国技館引退相撲を行った。引退相撲は長男・将且と行い、入門後には「琴ノ若」の四股名を継承させることを約束した。将且は高校在学中の2015年11月場所から佐渡ヶ嶽部屋に入門し、「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏んだ[6][7]。翌2016年1月場所では序の口で全勝優勝を果たしている。実際に「琴ノ若」を継承するのは、最低でも三段目以上への昇進以降としており、義父でもある先代佐渡ケ嶽の現役時の四股名でもある「琴櫻」は、大関昇進以降であれば継がせてよいと生前の先代親方と約束していたという。当の琴鎌谷は、2016年の5月場所では三段目に昇進しているが、本人の中でまだ名乗れるほどになっていないとして(佐渡ヶ嶽は、三段目となったことで襲名を勧めたものの、琴鎌谷本人が辞退した)、この時点での襲名はお預けとなっており、早くても幕下昇進以降となる見通しである。

引退時は、蔵前国技館の土俵に立った経験のある唯一の現役関取・かつ幕内力士だった。力士としての息の長さと、長時間にわたる取組の多さから、「最も長い時間本場所で相撲を取った力士」、「相撲が好きな力士」と呼ばれた。

2010年3月場所より審判部の所属となり土俵下にその姿を見ることができたが、2010年7月場所直前に弟子の琴光喜大相撲野球賭博問題により解雇処分となり、責任をとる形で同場所を謹慎処分となり、さらに9月場所前にこの問題の責任をとる形で委員から平年寄へと2階級降格処分となり、同時に審判部から巡業部へ異動となったため、審判委員を務めた時期は実質2場所のみである。さらに2011年4月には弟子の琴春日大相撲八百長問題により引退勧告処分となり、責任を取る形で昇格停止3年の処分を受けた。年寄据置処分が明けた2014年4月に発表された新たな職務分掌では委員に再昇格した。

つき手か、かばい手か[編集]

2004年7月場所中日の結びの一番は、歴史に残る一番となった。全勝の横綱朝青龍が、それまで1勝しかしていなかった幕内最年長琴ノ若の上手投げで裏返しにされた。このとき朝青龍はブリッジの体勢でこらえながら、琴ノ若の廻しを最後まで放さなかった。

一方、「すでに朝青龍は死に体」と判断した琴ノ若は、横綱の上に倒れては危ないので手を着いた。その手が、朝青龍が落ちるより一瞬早く土俵に着いた。「かばい手」と見た木村庄之助の軍配は琴ノ若に上がったがすぐに物言いが付いた。3分15秒にわたる審判団の協議の結果、朝青龍の体が落ちるのと、琴ノ若の左手が「つき手」と見なされ、それが同時と見て取り直しとなってしまった。

取り直しの一番では、朝青龍が豪快な切り返しで8連勝を飾った。しかしこの一番で死に体の解釈をめぐり、審判団の解釈は紛糾した。琴ノ若の手は明らかに早く着いてはいたが、「生き体」ならば朝青龍、「死に体」ならば琴ノ若の勝ちになる。結局、審判団の意見が分かれ「取り直しにするしかなかった」という同体判定にされてしまう。さらに取組後のインタビューで琴ノ若は「あれは『つき手』でなく『かばい手』だった。はっきり勝負が着いていたから手をついたまで。あのまま横綱の上に倒れこんでいっても良かったのだ。取り直しになるのなら『死に体』なんて制度は無くした方が良い」と憤慨しつつ語った程であった。中継後、NHKには数十件以上の電話があり、殆どが「朝青龍は既に死に体で、琴ノ若が勝っていた」との抗議だったという。

それから3日後の11日目、琴ノ若は玉乃島と対戦。琴ノ若に左上手を取られた玉乃島は、浴びせ倒しで敗れた。なおその一番で玉乃島が崩れていく時、琴ノ若は朝青龍戦と同じように手を着いて玉乃島の体をかばっていた。玉乃島は取組後「琴ノ若関が手を着いてくれなかったら自分は大ケガをしていただろう」と、その琴ノ若の気づかいに感謝していたという。

改名歴[編集]

  • 今野 満也(こんの みつや)1984年5月場所
  • 琴今野 満也(ことこんの -)1984年7月場所-1988年1月場所
  • 琴の若 實哉(ことのわか -)1988年3月場所-1998年7月場所
  • 琴乃若 將勝(- まさかつ)1998年9月場所
  • 琴乃 將勝(ことのわか -)1998年11月場所-1999年5月場所
  • 琴ノ 晴將(- てるまさ)1999年7月場所-2005年11月場所

はくさかんむりが「十十」のように離れた旧字体

年寄変遷[編集]

  • 佐渡ヶ嶽 満宗(さどがたけ みつむね)2005年11月-

主な成績[編集]

  • 通算成績:785勝764敗100休 勝率.507
  • 幕内成績:608勝657敗84休 勝率.481
  • 現役在位:130場所
  • 幕内在位:90場所 (歴代5位)
  • 三役在位:9場所 (関脇2場所、小結7場所)
  • 幕内通算出場:1260回(歴代5位)
  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:2回 (1996年7月場所,1998年9月場所)
    • 敢闘賞:5回 (1995年7月場所,1996年3月場所,1998年7月場所,2004年3月場所,2004年9月場所)
  • 金星8個(1個,貴乃花3個,若乃花2個,朝青龍2個)
  • 各段優勝:三段目優勝2回(1987年5月場所,1989年9月場所)

場所別成績[編集]

琴ノ若晴將[8][9]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1984年
(昭和59年)
x x (前相撲) 西 序ノ口 #47
6–1 
西 序二段 #99
4–3 
西 序二段 #67
3–4 
1985年
(昭和60年)
西 序二段 #84
2–5 
東 序二段 #106
5–2 
西 序二段 #72
3–4 
東 序二段 #90
6–1 
西 序二段 #22
4–3 
西 序二段 #4
6–1 
1986年
(昭和61年)
東 三段目 #49
2–5 
東 三段目 #81
4–3 
西 三段目 #59
2–5 
西 三段目 #97
6–1 
東 三段目 #39
3–4 
西 三段目 #51
5–2 
1987年
(昭和62年)
東 三段目 #23
6–1 
東 幕下 #47
2–5 
東 三段目 #12
優勝
7–0
東 幕下 #15
3–4 
西 幕下 #19
4–3 
東 幕下 #12
3–4 
1988年
(昭和63年)
西 幕下 #19
3–4 
東 幕下 #27
3–4 
西 幕下 #35
5–2 
東 幕下 #23
3–4 
西 幕下 #35
休場
0–0–7
東 三段目 #16
6–1 
1989年
(平成元年)
東 幕下 #43
5–2 
西 幕下 #26
1–1–5 
東 幕下 #55
4–3 
西 幕下 #41
1–2–4 
西 三段目 #13
優勝
7–0
東 幕下 #13
3–4 
1990年
(平成2年)
西 幕下 #20
6–1 
東 幕下 #7
5–2 
西 幕下 #2
6–1 
西 十両 #11
9–6 
西 十両 #6
11–4 
西 前頭 #14
7–8 
1991年
(平成3年)
東 十両 #1
10–5 
西 前頭 #14
9–6 
東 前頭 #11
8–7 
東 前頭 #8
8–7 
西 前頭 #6
7–8 
東 前頭 #8
7–8 
1992年
(平成4年)
西 前頭 #9
7–8 
東 前頭 #11
7–8 
西 前頭 #12
8–7 
東 前頭 #10
8–7 
東 前頭 #4
7–8 
東 前頭 #6
7–8 
1993年
(平成5年)
西 前頭 #8
6–9 
西 前頭 #12
9–6 
西 前頭 #7
8–7 
西 前頭 #2
8–7 
西 小結
8–7 
東 小結
7–8 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #1
6–9 
東 前頭 #3
7–8 
西 前頭 #3
5–10 
東 前頭 #7
8–7 
西 前頭 #1
7–8 
東 前頭 #2
8–7 
1995年
(平成7年)
東 前頭 #1
5–10 
東 前頭 #4
7–8 
東 前頭 #5
9–6 
西 小結
9–6
東 小結
4–11 
西 前頭 #3
8–7 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #2
5–10 
西 前頭 #4
11–4
東 小結
5–10 
東 前頭 #2
9–6
西 小結
4–11 
西 前頭 #3
5–10 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #6
8–7 
西 前頭 #1
2–10–3[10]
西 前頭 #10
8–7 
西 前頭 #4
6–9 
西 前頭 #6
6–9 
東 前頭 #8
9–6 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #3
7–8 
東 前頭 #4
8–7 
東 前頭 #3
4–11 
西 前頭 #9
11–4
東 前頭 #2
9–6
西 小結
10–5 
1999年
(平成11年)
西 関脇
8–7 
西 関脇
6–9 
西 前頭 #1
2–13 
東 前頭 #10
9–6 
西 前頭 #4
7–8
東 前頭 #5
8–7 
2000年
(平成12年)
東 前頭 #2
6–9
西 前頭 #3
休場[11]
0–0–15
西 前頭 #14
10–5 
東 前頭 #7
8–7 
西 前頭 #6
7–8 
東 前頭 #7
8–7 
2001年
(平成13年)
東 前頭 #2
5–10 
西 前頭 #6
6–9 
西 前頭 #8
9–6 
東 前頭 #2
8–7 
東 前頭 #1
7–8 
東 前頭 #4
7–8 
2002年
(平成14年)
西 前頭 #5
8–7 
西 前頭 #2
4–11 
東 前頭 #6
9–6 
西 前頭 #1
2–9–4[12] 
東 前頭 #9
休場[13]
0–0–15
東 前頭 #9
10–5 
2003年
(平成15年)
東 前頭 #3
7–8 
西 前頭 #3
7–8
西 前頭 #4
8–7 
西 前頭 #2
1–2–12[14]
東 前頭 #12
休場[13]
0–0–15
東 前頭 #12
7–3–5[15] 
2004年
(平成16年)
東 前頭 #13
休場[13]
0–0–15
東 前頭 #13
11–4
東 前頭 #5
8–7 
西 前頭 #2
3–12 
東 前頭 #9
10–5
西 前頭 #5
9–6 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #2
4–11 
東 前頭 #9
8–7 
東 前頭 #8
8–7 
東 前頭 #7
4–11 
東 前頭 #13
8–7 
西 前頭 #11
引退
5–9–0[16]
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)


エピソード[編集]

  • 地元の尾花沢市では、地元企業でもあり後援会のスーパー「おーばん」が、琴ノ若が白星を挙げると花火を揚げ、市民に勝利を報告していた。
  • 2006年7月31日には地元山形で、琴欧州などと少年相撲教室を開催した。
  • 琴欧洲が大関に昇進したときに、親方はまだ断髪前だったのでまげを結ったままだった。
  • 公傷制度が適用された最後の力士である。
  • 親方となってからは、場所中度々花道の奥に現れて、土俵上の弟子の取組を心配そうに見つめている様子が、大相撲中継でも映されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p25
  2. ^ 佐渡ヶ嶽部屋公式ホームページでは2011年4月頃から晃有(みつなり)と記載されている
  3. ^ 師匠紹介  佐渡ケ嶽部屋ホームページ
  4. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p56
  5. ^ 『相撲』2013年11月号81頁
  6. ^ 佐渡ケ嶽親方の長男、九州場所デビューへ 埼玉栄高・鎌谷将且 スポニチアネックス 2015年9月11日(2015年11月8日閲覧)
  7. ^ 佐渡親方長男の鎌谷ら合格 九州場所新弟子検査 スポニチアネックス 2015年11月8日(2015年11月8日閲覧)
  8. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
  9. ^ 琴ノ若 晴將 力士情報 - sumodb
  10. ^ 腰椎捻挫により12日目から途中休場
  11. ^ 左膝半月板損傷
  12. ^ 左膝前十字靱帯及び左膝外側側副靱帯及び左膝外側半月板損傷により11日目から途中休場
  13. ^ a b c 公傷
  14. ^ 上腕二頭筋長頭腱断裂・大胸筋挫傷により3日目から途中休場
  15. ^ 左膝関節捻挫及び左膝外側側副靱帯損傷により10日目から途中休場
  16. ^ 14日目に引退。年寄佐渡ヶ嶽襲名

関連項目[編集]

外部リンク[編集]