里山浩作

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里山浩作 Sumo pictogram.svg
Satoyama 2011 Jan.JPG
基礎情報
四股名 里山 浩作
本名 里山 浩作
生年月日 (1981-05-31) 1981年5月31日(35歳)
出身 鹿児島県奄美市
身長 176cm
体重 115kg
BMI 37.13
所属部屋 三保ヶ関部屋尾上部屋
得意技 左四つ、下手投げ
成績
現在の番付 十両14枚目
最高位 西前頭12枚目
生涯戦歴 438勝421敗10休(76場所)
幕内戦歴 31勝59敗(6場所)
優勝 十両優勝1回、幕下優勝1回
データ
初土俵 2004年3月場所
入幕 2007年5月場所
趣味 マッサージ観葉植物[1]
備考
2016年11月27日現在

里山 浩作(さとやま こうさく、1981年5月31日 - )は、鹿児島県大島郡笠利町(現在の奄美市)出身で尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名は同じ。身長176cm、体重115kg。血液型A型。得意手は左四つ、下手投げ。最高位は西前頭12枚目(2007年5月場所・同年7月場所)。好物はかんきつ類。[1]

来歴[編集]

奄美の土地を自ら開拓して「里山観葉植物園」を作った父の元に里山は生まれた。[1]奄美市立赤木名中学校へ入学と同時に相撲部へ入部し、その後に進学した鹿児島商業高校でも相撲部に所属して、アマチュア横綱を2度獲得している禧久昭広の指導を受ける。高校卒業後は禧久の母校でもある日本大学へ進学し相撲部に所属した。同期には白乃波豊真将(ただし1年で退部)がいる。全国大会に出場して上位に入賞する活躍を見せたものの、三大タイトルを取れずに幕下付出の資格を得ることはできなかった。しかし、同じく幕下付出の資格を得られなかった白乃波の三保ヶ関部屋への入門が決まったので、大学の先輩である尾上親方(元小結濱ノ嶋)と話し合って入門を決意し、大学卒業と同時に三保ヶ関部屋に入門して、2004年3月場所に前相撲から初土俵を踏んだ。

序ノ口となった翌5月場所では、同場所において初土俵を踏んだ同部屋の把瑠都との稽古で負傷し、最初の二番相撲を休場するが、その後から出場して全て勝利し、5勝2休の成績を挙げて勝ち越しを果たした。同年9月場所では序二段で7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦へ進出したものの、優勝決定戦では把瑠都に破れて優勝は逃した。幕下へ昇進した2005年1月場所には初めて負け越しを経験したが、翌3月場所から4場所連続で勝ち越し、東幕下4枚目の位置まで番付を上げた同年11月場所でも5勝2敗と勝ち越しを決め、翌2006年1月場所には新十両へ昇進した。同年8月には尾上親方が新設した尾上部屋へと移籍した。約1年にわたって十両を務めた後、2007年3月場所に東十両4枚目の位置で12勝3敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、翌5月場所に新入幕(西前頭12枚目)。新入幕となった2007年5月場所では7勝8敗と負け越し、続く7月場所でも2勝13敗と大敗して、翌9月場所において十両へ陥落(西十両5枚目)。

十両へ陥落した後も首を痛めたために調子が上がらず、2008年1月場所において東十両12枚目の位置で6勝9敗と負け越し、翌3月場所では幕下へ陥落(西幕下筆頭)。同年7月場所では6勝1敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出し、8人でのトーナメントによる優勝決定戦も制して初の幕下優勝を果たした。しかし、その後も十両への復帰は果たせず、長らく幕下での土俵が続いていたが、2011年7月場所に西幕下6枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌9月場所において3年ぶりに十両へ復帰した。その9月場所は負け越し、続く11月場所は西十両13枚目の地位で土俵に上がり1勝7敗から5連勝する粘りを見せるも最終的に6勝9敗の負け越しを喫し、関取残留を逃した。

2012年1月場所には幕下へ陥落したものの(東幕下筆頭)、翌3月場所に1場所で十両へ復帰し(東十両13枚目)、関取の地位では5年ぶりとなる勝ち越しを決めた。同年7月場所にまたも幕下へ陥落したものの(西幕下2枚目)、翌9月場所において1場所で十両へ復帰(東十両13枚目)。その9月場所では12日目に勝ち越しを決めたが、その徳勝龍戦で左足首を痛めてしまい、左足関節外側靱帯損傷で全治1ヶ月という診断を受けて、翌13日目からは休場(13日目は不戦敗、8勝5敗2休)。また、本人の勝ち越しが決まると同時に、同場所前に本人が入籍していたことを尾上部屋関東後援会が後援会のFacebookページにて発表した。翌11月場所は東十両11枚目で11勝4敗と勝ち越し、翌2013年1月場所は西十両3枚目で再入幕のチャンスだったが、4勝11敗と負け越し。2013年2月16日に東京都内のホテルにて結婚披露宴を行っている。同年6月14日に第一子となる長男が誕生している。[2]

翌3月場所は東十両10枚目で9勝6敗と勝ち越し、翌5月場所は東十両5枚目で再入幕のチャンス。しかし、5勝10敗と負け越し。翌7月場所は西十両8枚目で8勝7敗、翌9月場所は東十両8枚目で8勝7敗と2場所連続の勝ち越しで、翌11月場所では東十両6枚目。その場所でも10勝5敗と3場所連続の勝ち越しを決め、翌2014年1月場所で2007年7月場所以来の再入幕(西前頭16枚目)となった。新入幕から幕下陥落にかけて見られた廻しにこだわらない相撲から徹底した前ミツ相撲に転換したことで再入幕を掴んだ。[3]カムバックに要した37場所は、和歌乃山の28場所を抜いて、昭和以降最長ブランクである。[4]

1月場所前の2013年12月25日の身体測定では幕内最軽量の123kgという結果が出た。[5]場所12日目の栃乃若戦勝った際は決まり手として一本背負いを記録した。幕内では2011年9月場所5日目に磋牙司が栃乃若に決めて以来である。[6]千秋楽の高安戦で勝てば8勝7敗となり自身初の幕内勝ち越しと技能賞獲得を果たすところだったが、髷を掴んだとして反則負けとなり7勝8敗としてしまったことで、両方とも幻に終わった。本人は「日頃の行いが悪いから」と自虐的だった。[7]翌3月場所は名目上据え置きの西前頭16枚目の地位が与えられた(関脇が1人増えているので、実質半枚降下)。その場所は4勝11敗と大敗し、翌5月場所は十両に陥落した。

西十両5枚目の地位で土俵に上がった5月場所は中日まで2勝6敗と前半は大きく出遅れ、後半追い上げたものの6勝9敗の負け越しに終わった。9月場所は初日から7連勝するなどして9日目に勝ち越しを果たす好調ぶりであったが、11日目の阿夢露戦で負傷したことで12日目には一転して「左大腿二頭筋肉離れで約3週間の安静加療を要す見込み」との診断書を提出して場所を途中休場した。里山本人は「踏ん張った際にけがをして、夜から痛みが増した。今場所は体の動きが良かっただけに残念だ」と怪我について話していた。[8]

エピソード[編集]

  • 2006年3月場所12日目(同年3月23日)の琉鵬戦で、十両では史上初となる伝え反りという決まり手で勝利した。報道では、フィギュアスケートの荒川静香選手の技に例えて「イナバウアー」と形容された。2007年11月場所10日目(同年11月20日)における栃乃花戦でも、自身2回目・十両でも2回目となる伝え反りで勝利している。
  • 色黒で彫りの深い顔立ちをしていることから、把瑠都は里山のことを「絶対日本人じゃない」と思ったという。
  • 妻も同様に相撲経験者であり日大相撲部出身者である上、アジア女子選手権優勝の実績も残している[9]。夫人は里山と同様左四つであり、廻しの切り方など妻から勉強した点もあると話している[10]
  • 2013年11月場所中、里山の無理してばかりの相撲を見かねた尾上は外食の席で「怪我でもすれば関取の座も失うぞ。嫁さん路頭に迷わす気か!?」と諫めるも、同席していた妻本人が「お金とかじゃないんです。」[11]と反論し、これが里山の再入幕への原動力となった。
  • 2014年3月場所5日目に白鵬横綱土俵入りで露払いを務めた。これは、この日の結びで白鵬と太刀持ちを務めている豊ノ島の取組が組まれたため、豊ノ島が太刀持ちの任務から外されたことに伴う代役である(普段は露払いの臥牙丸が、里山より番付上位であるため太刀持ちに回っている)。横綱土俵入りは通常、横綱と同じ部屋ないしは同じ一門の力士が務める慣例があるため、一門の違う(白鵬は伊勢ヶ濱一門、里山は出羽海一門)力士が務めるのは極めて異例のことであるが、諸事情があって伊勢ヶ濱一門の力士が務められないため、同年2月に行われた把瑠都の断髪式で白鵬の露払いを務めた経験がある里山に大役が回ってきた。
  • 2014年3月場所の奮闘ぶり追ったドキュメンタリー番組『目撃!日本列島「幕尻 里山 - 土俵際の15日 - 」』(NHK総合)が同年4月に放送された。

主な成績[編集]

2016年11月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:438勝421敗10休(76場所)
  • 幕内成績:31勝59敗(6場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2007年3月場所)
  • 幕下優勝:1回(2008年7月場所)

場所別成績[編集]

                 

里山 浩作
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2004年
(平成16年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #10
5–0–2
 
西 序二段 #92
6–1
 
東 序二段 #15
7–0
 
東 三段目 #21
6–1
 
2005年
(平成17年)
西 幕下 #41
3–4
 
西 幕下 #54
5–2
 
東 幕下 #40
5–2
 
東 幕下 #23
5–2
 
西 幕下 #12
6–1
 
東 幕下 #4
5–2
 
2006年
(平成18年)
西 十両 #13
9–6
 
西 十両 #8
9–6
 
東 十両 #4
7–8
 
西 十両 #4
9–6
 
東 十両 #2
6–9
 
西 十両 #5
8–6–1[12]
 
2007年
(平成19年)
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #4
優勝
12–3
西 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #12
2–13
 
西 十両 #5
6–9
 
東 十両 #9
6–9
 
2008年
(平成20年)
東 十両 #12
6–9
 
西 幕下 #1
2–5
 
西 幕下 #8
3–4
 
東 幕下 #14
優勝
6–1
東 幕下 #3
2–5
 
西 幕下 #9
2–3–2
 
2009年
(平成21年)
東 幕下 #25
4–3
 
西 幕下 #18
5–2
 
東 幕下 #11
4–3
 
東 幕下 #9
2–5
 
東 幕下 #22
6–1
 
東 幕下 #9
2–5
 
2010年
(平成22年)
西 幕下 #19
3–4
 
東 幕下 #26
5–2
 
西 幕下 #15
2–5
 
西 幕下 #30
5–2
 
東 幕下 #15
3–4
 
東 幕下 #19
3–4
 
2011年
(平成23年)
東 幕下 #24
4–3
 
八百長問題
により中止
西 幕下 #20
5–2
 
西 幕下 #6
5–2
 
東 十両 #12
7–8
 
西 十両 #13
6–9
 
2012年
(平成24年)
東 幕下 #1
4–3
 
東 十両 #13
8–7
 
東 十両 #10
4–11
 
西 幕下 #2
4–3
 
東 十両 #13
8–5–2[13]
 
東 十両 #11
11–4
 
2013年
(平成25年)
西 十両 #3
4–11
 
東 十両 #10
9–6
 
東 十両 #5
5–10
 
西 十両 #8
8–7
 
東 十両 #8
8–7
 
東 十両 #6
10–5
 
2014年
(平成26年)
西 前頭 #16
7–8
 
西 前頭 #16
4–11
 
西 十両 #5
6–9
 
東 十両 #9
7–8
 
西 十両 #9
9–3–3[14]
 
東 十両 #3
5–10
 
2015年
(平成27年)
西 十両 #7
5–10
 
西 十両 #10
11–4
 
東 十両 #4
9–6
 
西 前頭 #15
5–10
 
西 十両 #4
7–8
 
東 十両 #6
7–8
 
2016年
(平成28年)
西 十両 #6
9–6
 
東 前頭 #15
6–9
 
西 十両 #1
6–9
 
西 十両 #4
5–10
 
西 十両 #9
5–10
 
東 十両 #14
9–6
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『相撲』2014年3月号30頁から31頁
  2. ^ 【初場所】里山、3年ぶり珍手「一本背負い」 2014年1月24日06時02分 スポーツ報知
  3. ^ <大相撲初場所>小さい体で奮闘 史上最長で再入幕の里山 毎日新聞 1月17日(金)9時56分配信
  4. ^ 貴ノ岩、鏡桜が初場所で新入幕 nikkansports.com 2013年12月24日
  5. ^ 幕内最重量は佐田の富士の201キロ、最軽量は里山の123キロ SANSPO.COM 2013.12.26 05:00
  6. ^ 【初場所】里山、3年ぶり珍手「一本背負い」 2014年1月24日06時02分 スポーツ報知
  7. ^ 里山、反則負けで技能賞逃す「日頃の行いが悪いから」/初場所 SANSPO.COM 2014.1.26 21:31
  8. ^ 里山休場、左脚肉離れ 十両以上で9人休む Sponichi Annex 2014年9月25日 11:54
  9. ^ 里山結婚披露宴、妻も日大相撲部出身 nikkansports.com 2013年2月16日19時32分
  10. ^ 十両・里山が結婚披露宴 美菜夫人も相撲でアジアV nikkansports.com 2013年2月16日19時32分
  11. ^ 元横綱・曙が『K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO』開幕戦でレミー・ボンヤスキーとの対戦を間近に控えていた際の会見で口にした発言の引用である。
  12. ^ 右膝関節挫傷で全治3週間、14日目から途中休場
  13. ^ 左足関節外側靱帯損傷で全治1ヶ月、13日目から途中休場
  14. ^ 左大腿二頭筋肉離れで全治3週間、12日目から途中休場

外部リンク[編集]