大徹忠晃

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大徹 忠晃 Sumo pictogram.svg
Daitetsu 2011.JPG
現役引退後勝負審判をつとめる大徹改め年寄湊川
基礎情報
四股名 大徹 忠晃
本名 南 忠晃
生年月日 1956年10月29日(60歳)
出身 福井県大野市
身長 193cm
体重 130kg
BMI 34.90
所属部屋 二所ノ関部屋
得意技 上手投げ・吊り
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 587勝612敗(116場所)
幕内戦歴 209勝256敗(31場所)
データ
初土俵 1971年7月場所
入幕 1983年11月場所
引退 1990年9月場所
引退後 年寄・湊川
日本相撲協会評議員
備考
金星:1個(千代の富士1個)
2015年10月3日現在

大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋所属の元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結1987年3月場所)。現在は日本相撲協会の評議員(年寄名跡「湊川」を所有)。

来歴[編集]

中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。1980年1月場所に新十両へ昇進し、1983年11月場所で新入幕を果たした。長身を活かしての吊り寄りで攻める相撲で、右上手を取ると強かったが、腰高で立ち合いが甘いため突き押し力士を苦手としていた。

1985年7月場所では2日目に横綱千代の富士うっちゃりで破り自身初となる金星を挙げた。1987年3月場所に小結へ昇進し、福井県出身力士としては昭和以降では初となる三役昇進を果たした。地方巡業では気軽にサインや写真撮影に応じるなど非常に気さくで陽気な性格で、極端に太く長い揉み上げ(後に同じような揉み上げを持つ力士として闘牙隆の鶴が登場している)で、長身で江戸時代の絵画から抜け出してきたような味わい深い風貌や廻しの色のエピソードなどから、デーモン小暮のラジオ「大徹コーナー」や集英社・『週刊少年ジャンプ』の『ジャンプ放送局』における「まわしリニューアル投稿」で大徹を初めて知ったファンなど、幅広い層のファンを多く持つ力士であった。全国からサインなどをもらいに来るファンは絶えず、二所ノ関部屋の稽古場は屋上にあって一般客は見ることができなかったものの、大徹のサインや写真撮影は例外的に認められていたほどで、未だ人気は衰えていない。

1990年9月場所限りで引退し、年寄・湊川を襲名した。初土俵から引退まで1日も休場せずに土俵を務め上げた。引退後は二所ノ関部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、2013年1月場所後に二所ノ関部屋が閉鎖されたために同じ二所ノ関一門の松ヶ根部屋へ移籍した。しかし、2014年11月場所後に松ヶ根部屋が改称されたため、現在は二所ノ関部屋所属に戻っている。2006年1月場所まで審判部に所属し、2010年7月場所では大相撲野球賭博問題により謹慎処分を受けた佐渡ヶ嶽親方の代理として4年半ぶりに審判に復帰し、翌9月場所から正式に審判部へ復帰した。現在も地元の福井で子供を対象にした相撲教室を行うなど精力的に活動している。また、JA福井県経済連が作成した若狭牛のリーフレットにも登場している。

2014年、公益法人化された日本相撲協会の評議員に就任したため、番付上は本名の「南 忠晃」名義となっている。

デーモン閣下との縁(えにし)[編集]

好角家として知られるミュージシャン・デーモン閣下との交流は、1987年4月から1990年5月に放送されたラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』がきっかけである。番組開始当時、聖飢魔IIの大教典(と称するアルバム)の歌詞がNHK内で「放送に適さない楽曲」に指定されていたことに対して、再三「迫害だ」と怒っていたところ、番組内の1コーナー「大相撲を666倍楽しむ方法」宛に、「聖飢魔II同様、NHKに迫害されている力士」として大徹の名を挙げる投稿があった。当時幕内中位あたりに定着していた大徹が登場するときに限って「5時のニュース」「明日の取り組み」「今日ここまでの結果」などに邪魔されて満足に放送してもらえない、という内容の投稿に大笑いしたデーモン閣下が「お前ら大徹を応援しろ」と言ったところ、翌週から大徹に関する投稿が激増し、ついには独立して「大徹コーナー」まで設けられるほどになった。少年隊の曲『ストライプブルー』の一節「♪抱いて強く〜」が「大徹、強く〜」と聞こえることから、大徹が負け込んでいるときには頻繁に流されていた。

同番組にゲスト出演した南野陽子に「大徹さんがんばってね」と言わせたセリフをサンプリングしたラップ調の専用ジングル(通称・大徹ラップ)を製作してもらうなど「大徹コーナー」はますます勢いづき、名古屋場所を直前に控えた1987年6月29日、ついに大徹本人のゲスト出演が実現した。大徹はファンの投稿にあった「(大徹は)和式便所の蓋に似ている」という話を他人事のように大笑いしたり、「若い人たちの声援が増えてうれしい」とネタにされたことを肯定的に受け止め、デーモン閣下に対しても「多くの人に相撲に興味を持ってもらえるよう、これからもよろしくお願いします」と真摯に語った。この時の自己紹介「大徹です」が、前述の大徹ラップに追加され、「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹『がんばってね』『大徹です』」という完成形に至った。番組出演後もデーモン小暮のバスタオルを身にまとって花道に登場したり、聖飢魔IIのミサ(と称するライブ)を観に行って歓迎を受けるなどといった交流が始まり、引退後も断髪式で鋏を入れてもらったり、『VAN VAN相撲界』誌上で対談したりなどという関係が続いている。

エピソード[編集]

大徹の黄土色(本人は金色と主張していた)の廻しの色は相当に強烈な印象を見る側に与えていたようで、『週刊少年ジャンプ』の投稿コーナー・『ジャンプ放送局』では、大徹の廻しの色がグリーンに変わったときには、1ページ丸ごと、大きくそれを知らせる投稿記事が載せられたほどである。この投稿コーナーは大徹の人気をさらに後押しし、新たな大徹のファンも多く生み出すこととなった。地方のラジオ局の替え歌投稿コーナーで大徹をネタにした曲が投稿され採用されたこともある。

NHK総合テレビ大相撲中継に小沢昭一がゲストとして呼ばれた際、アナウンサーが小沢に「贔屓の力士は誰ですか?」と聞くと、小沢は「大徹です」と答えた。アナウンサーがニヤニヤしながら「ほう、それはどうしてですか?」と聞くと小沢は大真面目に「勝つ気が全く見られない無欲の取組が素晴らしい」と答えた。

千代の富士を破った一番では、取り組み前に二所ノ関親方から「勝ったら100万円やる」と言われたが、「勝てるはずが無いからいいです」と断った。この話は、大徹が負けたら10万円払うという条件だったが、最終的には1万円でも断った。しかし、勝った時「半分でいいから下さい」と言って、二所ノ関親方が呆れながら怒った。千代の富士を破った一番で、NHKのインタビュールームに来て最初に受けた質問は「ここへの道はわかりましたか?」。千代の富士を破った一番の翌日、地元の福井新聞は一面にこの記事を持ってきて、特集も組んだほどである。

酒豪の多い相撲界において、徹底的な下戸で有名であり、現役時代から現在に至るまで酒は一滴も飲めない。

主な成績[編集]

  • 通算成績:587勝612敗 勝率.490
  • 幕内成績:209勝256敗 勝率.449
  • 現役在位:115場所
  • 幕内在位:31場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 通算連続出場:1199回(序ノ口以来、1971年9月-1990年9月)
  • 金星:1個(千代の富士。1985年7月場所2日目)

場所別成績[編集]

大徹 忠晃
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1971年
(昭和46年)
x x x (前相撲) 東 序ノ口 #9
4–3
 
東 序二段 #75
2–2
 
1972年
(昭和47年)
東 序二段 #63
0–3
 
西 序二段 #87

 
西 序二段 #87
5–2
 
西 序二段 #28
3–4
 
東 序二段 #36
4–3
 
東 序二段 #22
3–4
 
1973年
(昭和48年)
東 序二段 #32
5–2
 
東 三段目 #71
2–5
 
西 序二段 #10
3–4
 
西 序二段 #22
5–2
 
西 三段目 #66
4–3
 
東 三段目 #51
3–4
 
1974年
(昭和49年)
東 三段目 #64
5–2
 
東 三段目 #38
4–3
 
東 三段目 #29
3–4
 
東 三段目 #39
3–4
 
東 三段目 #47
4–3
 
西 三段目 #35
3–4
 
1975年
(昭和50年)
東 三段目 #44
2–5
 
東 三段目 #62
4–3
 
西 三段目 #48
5–2
 
西 三段目 #21
3–4
 
西 三段目 #32
5–2
 
西 三段目 #4
4–3
 
1976年
(昭和51年)
東 幕下 #53
4–3
 
西 幕下 #45
3–4
 
西 幕下 #57
3–4
 
西 三段目 #9
5–2
 
西 幕下 #45
4–3
 
西 幕下 #32
2–5
 
1977年
(昭和52年)
東 幕下 #55
4–3
 
西 幕下 #43
4–3
 
西 幕下 #31
5–2
 
東 幕下 #16
3–4
 
東 幕下 #23
5–2
 
東 幕下 #11
3–4
 
1978年
(昭和53年)
西 幕下 #16
3–4
 
西 幕下 #23
4–3
 
東 幕下 #18
3–4
 
西 幕下 #26
3–4
 
西 幕下 #35
4–3
 
東 幕下 #28
4–3
 
1979年
(昭和54年)
東 幕下 #22
6–1
 
西 幕下 #4
2–5
 
東 幕下 #22
2–5
 
西 幕下 #41
7–0
 
東 幕下 #5
4–3
 
西 幕下 #3
4–3
 
1980年
(昭和55年)
西 十両 #12
2–13
 
西 幕下 #11
3–4
 
東 幕下 #18
2–5
 
西 幕下 #37
3–4
 
東 幕下 #46
6–1
 
東 幕下 #22
5–2
 
1981年
(昭和56年)
東 幕下 #10
4–3
 
東 幕下 #7
2–5
 
西 幕下 #19
4–3
 
西 幕下 #11
4–3
 
西 幕下 #8
1–6
 
西 幕下 #32
6–1
 
1982年
(昭和57年)
東 幕下 #10
4–3
 
東 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #4
5–2
 
西 十両 #13
8–7
 
東 十両 #9
10–5
 
西 十両 #3
6–9
 
1983年
(昭和58年)
東 十両 #8
9–6
 
西 十両 #4
9–6
 
東 十両 #1
5–10
 
東 十両 #7
9–6
 
西 十両 #4
11–4
 
西 前頭 #11
8–7
 
1984年
(昭和59年)
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
1985年
(昭和60年)
西 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #4
4–11
東 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #3
5–10
 
1986年
(昭和61年)
西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #10
7–8
 
西 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #1
5–10
 
1987年
(昭和62年)
東 前頭 #6
9–6
 
西 小結
3–12
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #4
4–11
 
西 前頭 #10
8–7
 
1988年
(昭和63年)
東 前頭 #5
5–10
 
西 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #11
5–10
 
1989年
(平成元年)
東 十両 #2
6–9
 
西 十両 #5
6–9
 
東 十両 #10
10–5
 
西 十両 #3
5–10
 
西 十両 #9
10–5
 
東 十両 #5
5–10
 
1990年
(平成2年)
西 十両 #11
9–6
 
西 十両 #5
7–8
 
東 十両 #7
8–7
 
東 十両 #4
5–10
 
西 十両 #10
引退
6–9–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 1971年11月から1972年3月までは中学生のために特別扱い

出典[編集]

関連項目[編集]