二所ノ関部屋

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二所ノ関部屋

二所ノ関部屋(にしょのせきべや)は、日本相撲協会所属で二所ノ関一門相撲部屋。ここでは前身の荒磯部屋についても説明する。

歴史[編集]

荒磯部屋[編集]

2019年平成31年)1月場所中に現役を引退して年寄・16代荒磯を襲名し[1]田子ノ浦部屋付き年寄として活動していた第72代横綱稀勢の里が、2021年令和3年)8月1日付で力士4人と行司1人を連れて田子ノ浦部屋から独立し、荒磯部屋を新設した[2]。部屋の新設に施設の完成が間に合わなかったため、新設当初は茨城県つくば市に部屋を構え、隣接する筑波大学を仮の稽古場として利用していた[3][4]

二所ノ関部屋[編集]

2021年(令和3年)12月24日、16代荒磯は、同じ一門の12代二所ノ関(元大関・若嶋津)と年寄名跡を交換して13代二所ノ関を襲名した[5]。これに伴い、荒磯部屋は二所ノ関部屋へと改称された[5]。なお、同日まで存在していた旧・二所ノ関部屋については、同日付で放駒部屋に改称されている[5]

2022年(令和4年)2月7日、同日付で閉鎖された尾車部屋から、13代中村(元関脇・嘉風)と幕内経験者の幕下・友風ら力士8人、呼出1人が転籍してきた[6]。その友風が2023年(令和5年)3月場所で再十両昇進したため二所ノ関部屋から初めての関取誕生、同年11月場所で再入幕したため二所ノ関部屋から初めての幕内力士誕生となった。さらに2023年9月場所で高橋(現・白熊)大の里が新十両となり、13代二所ノ関の下で入門した力士で初めての関取誕生となった。

2022年(令和4年)6月5日茨城県稲敷郡阿見町で建設が進められていた部屋施設が完成し、部屋開きが行われた[7]。この建物には土俵を2面設置したほか、屋外にはバスケットボールコートや鉄棒を設置しており、これらの設備もトレーニングの一環として活用されている[7]。茨城県に部屋を設けたのは、地元であることと、支援が大きく、衣食住の環境が良いことを挙げている[8]

所在地[編集]

師匠[編集]

荒磯部屋時代
  • 16代:荒磯寛(あらいそ ゆたか、72代横綱・稀勢の里、茨城
二所ノ関部屋時代
  • 13代:二所ノ関寛(にしょのせき ゆたか、72代横綱・稀勢の里、茨城)

部屋付き親方[編集]

  • 中村雅継(なかむら まさつぐ、関脇・嘉風、大分)※尾車部屋より移籍

力士[編集]

現役の関取経験力士[編集]

  • 友風勇太(前3・神奈川)13代二所ノ関弟子※尾車部屋より移籍
  • 大の里泰輝(前5・石川)13代二所ノ関弟子
  • 白熊優太(十5・福島)13代二所ノ関弟子

脚注[編集]

  1. ^ 稀勢の里引退と「荒磯」襲名を承認」『愛媛新聞』、2019年1月16日。2021年5月17日閲覧。
  2. ^ 荒磯親方が部屋設立初日の思い語る「責任感もあるし、やりがいもある」」『日刊スポーツ』、2021年8月1日。2022年1月29日閲覧。
  3. ^ 元稀勢の里の荒磯親方が独立し部屋新設、研究生かし常識に縛られぬ形模索か」『日刊スポーツ』、2021年5月27日。2021年5月27日閲覧。
  4. ^ 元稀勢の里「故郷へ恩返ししたい」、茨城県に「荒磯部屋」新設へ - 読売新聞オンライン 2021年5月27日
  5. ^ a b c 【初場所新番付】元横綱稀勢の里・荒磯親方 二所ノ関襲名し二所ノ関部屋」『日刊スポーツ』、2021年12月24日。2022年1月27日閲覧。
  6. ^ 尾車部屋力士の転属先決まる 尾車親方、十両矢後ら新設の押尾川部屋へ転属」『日刊スポーツ』、2022年1月27日。2022年1月27日閲覧。
  7. ^ a b 二所ノ関部屋が部屋開き 元稀勢の里の二所ノ関親方「人生をかけてやりました」…1800坪に銭湯級浴室とウォークイン冷凍庫も」『スポーツ報知』、2022年6月5日。2022年6月5日閲覧。
  8. ^ 工藤圭太「二所ノ関親方が語る茨城愛「地元が後押し、こんな最高の場所はない」…部屋を開き1年」『讀賣新聞オンライン』、2023年6月5日。2024年4月8日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度6分6.3秒 東経140度6分18.7秒 / 北緯36.101750度 東経140.105194度 / 36.101750; 140.105194