光法賢一

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基礎情報
四股名 峯山 → 光法
本名 峯山 賢一
愛称 ミネヤマ
生年月日 (1973-08-18) 1973年8月18日(45歳)
出身 鹿児島県熊毛郡南種子町
身長 182cm
体重 137kg
BMI 41.36
所属部屋 宮城野部屋
得意技 左四つ、寄り、下手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭9枚目
生涯戦歴 582勝572敗14休(113場所)
幕内戦歴 21勝39敗(4場所)
優勝 序ノ口優勝1回
データ
初土俵 1989年3月場所
入幕 2001年11月場所
引退 2008年1月場所
引退後 年寄安治川二子山立田川西岩音羽山(退職)
備考
2015年7月27日現在

光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年8月18日 - )は、鹿児島県熊毛郡南種子町出身で宮城野部屋に所属していた元大相撲力士。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重137kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ、下手投げ、寄り。血液型B型。愛称は本名の「ミネヤマ」。

来歴[編集]

中学卒業と同時に宮城野部屋に入門し、1989年3月場所で初土俵を踏んだ。1991年9月場所において18歳で幕下へ昇進したものの、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し、十両昇進までに7年以上掛かってしまった。1996年11月場所から四股名を「光法」と改めるが、これは茨城県ひたちなか市にある道明寺の住職が考案した3つの候補の中から、父と祖父の名前にそれぞれ「光」という字が入っており、父の名である「みつのり」とも読めるとの理由で選んだという。『平成九年度大相撲力士名鑑』において「十両に昇進すれば弘法の四股名も待っている」と書かれたこともある。1999年1月場所においてようやく新十両への昇進を果たした。

その後は十両に定着して安定した成績を残した。2001年11月場所には新入幕を果たして東前頭14枚目の位置で8勝7敗と勝ち越し、翌2002年1月場所には自己最高位となる西前頭9枚目の位置まで番付を上げた。しかし、幕内での勝ち越しは新入幕の場所の1回だけにとどまり、まもなくして十両に陥落した。以後、幕内には定着できなかったものの、十両には「十両の番人」的な存在として長らく在位し続けた。しかし、2007年7月場所において幕下へ陥落し、西幕下9枚目の位置で迎えた同年11月場所を最後として、場所後の同年12月7日に引退を表明し、安美錦の持つ年寄名跡を借りて年寄安治川を襲名した。

左半身の体勢からの下手投げは強烈なものがあり、張り手と蹴手繰りも得意技だった。また、まれに腕捻りを見せた。

2010年2月1日に行われた日本相撲協会理事選[1]では、それまでの慣習を破って一門の2代大島親方(元大関・旭國)ではなく貴乃花親方(元横綱・貴乃花)に投票したことで、貴乃花親方が当選する代わりに一門の大島親方が落選することになった。翌2日に一門が開いた会合で自ら貴乃花親方に投票したことを打ち明けた上で、同日深夜記者会見を開き、「角界を変えてほしいという思いがあった」と述べ、同時に「周囲の方々に迷惑を掛けた」として日本相撲協会を自主的に退職する旨を表明した[2]。しかし翌3日に再度会見を開き、立浪一門の慰留を受けて退職を撤回している。[3]

その後、2010年4月に立浪一門から離脱して貴乃花グループの大嶽部屋に入る意思を示し、時津風一門の年寄名跡である錦島(当時の所有者は霜鳳)への名跡変更を図った。しかし、立浪一門内で既に年寄名跡の手配の世話が始まっていたにも関わらず、同年3月以降は宮城野部屋に姿を見せず一門との連絡を絶った上、他一門の名跡を取得しようとしていたことで立浪一門の困惑と怒りを買い、実質的な破門状態となった[4]。こうした中、大相撲野球賭博問題で大嶽部屋の師匠である16代大嶽(元関脇・貴闘力)が解雇され、12代二子山(元十両・大竜)が17代大嶽を襲名して部屋を継承したことにより、貴乃花が持つ二子山の名跡が空位となったため、2010年7月7日付で13代二子山を襲名し、年寄名跡・安治川を安美錦に返却した。そして、同年8月6日に貴乃花部屋へと移籍した。

2013年2月20日には元小結・豊山の所有している年寄名跡を借りて年寄・立田川を襲名した。2015年1月9日には現役の若の里が所有している年寄名跡を借りて年寄・西岩を襲名した[5]。2015年7月27日に、元大関貴ノ浪の遺族が所有していた名跡を譲り受け、音羽山を襲名した[6]

協会の職務としては、2011年以降は相撲教習所を担当していたが、2015年6月に死去した先代・音羽山の後任として2015年9月場所からは勝負審判に転属となった。2017年3月場所より再び相撲教習所担当に戻った。

しかし、2018年1月6日に、所属部屋師匠の貴乃花から、同じ一門の28代小野川(元幕内・大道)に「音羽山」を襲名させるために退職するよう迫られていると、スポーツ報知で報じられると[7]、1週間後の同月13日付で日本相撲協会を退職し、「音羽山」も報道通りに28代小野川が襲名することになった[8]

エピソード[編集]

  • 横綱白鵬の兄弟子にあたる。入門当初から白鵬の素質に注目していて「あいつは強くなる」と予言していたが、実際、すぐに追い抜かれてしまった。その一方で白鵬が入門したばかりのごく初期には旭鷲山に対して「あいつは床山になったほうがいいのではないか」と漏らしたこともあった。後に2006年1月場所と翌3月場所に同部屋の白鵬が千秋楽まで優勝争いに絡んでおり、自らの取組後も優勝旗手の可能性があるため支度部屋に待機していたが、用なく終わってしまった。続く5月場所では優勝決定戦の末に白鵬が初優勝し、晴れて初旗手を務めた。
  • 本人が関取になって以来、ずっと付け人をしていた望櫻とのコンビを「光法組」と称している。2006年7月場所以降、望櫻は白鵬の付け人をしていたが、白鵬が全休だった同年11月場所に1場所だけ「光法組」が復活された。望櫻は2010年5月場所に2代目光法として四股名を引き継いだが、場所後に大相撲野球賭博問題に関与していた事実が発覚して出場停止処分を受け、また2011年2月10日には引退届を提出し(協会は受理せず保留)、その1週間後に大相撲八百長問題の余波で「白鵬の八百長に関与している」との風聞を週刊誌に書かれる事態となった[9]
  • 明るい性格で非常に「いい人」であると言われる。趣味は洋画・音楽鑑賞。
  • 2008年5月31日に両国国技館で断髪式を行ったが、止め鋏は当時の宮城野部屋の師匠である11代宮城野(元十両・金親)ではなく、前師匠で宮城野部屋の部屋付き年寄である15代熊ヶ谷(元幕内・竹葉山)が入れた。
  • 2005年11月場所に引退した元幕内の五城楼とは同年同日生まれであり、同年同日生まれ同士の対戦も実現している。
  • 大量の塩を撒くことで有名だった元幕内・北桜と対戦した際は、毎回光法も大量の塩を撒いた。

主な成績[編集]

  • 生涯成績:582勝572敗14休(113場所)勝率.504
  • 幕内成績:21勝39敗 勝率.350
  • 幕内在位:4場所
  • 各段優勝:序ノ口優勝:1回(1989年5月場所)
光法賢一[10]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1989年
(平成元年)
x (前相撲) 西序ノ口8枚目
優勝
7–0
東序二段46枚目
4–3 
西序二段20枚目
3–4 
西序二段38枚目
3–4 
1990年
(平成2年)
西序二段60枚目
4–3 
東序二段26枚目
3–4 
西序二段46枚目
6–1 
西三段目86枚目
4–3 
西三段目63枚目
4–3 
東三段目40枚目
4–3 
1991年
(平成3年)
西三段目25枚目
3–4 
西三段目40枚目
5–2 
東三段目11枚目
3–4 
西三段目24枚目
5–2 
西幕下58枚目
4–3 
西幕下44枚目
5–2 
1992年
(平成4年)
西幕下29枚目
4–3 
西幕下22枚目
4–3 
東幕下18枚目
4–3 
東幕下10枚目
3–4 
西幕下14枚目
3–4 
東幕下20枚目
5–2 
1993年
(平成5年)
東幕下9枚目
3–4 
東幕下15枚目
4–3 
東幕下10枚目
4–3 
西幕下6枚目
4–3 
東幕下3枚目
3–4 
東幕下7枚目
2–5 
1994年
(平成6年)
西幕下22枚目
4–3 
西幕下16枚目
4–3 
東幕下12枚目
4–3 
東幕下8枚目
4–3 
西幕下6枚目
2–5 
東幕下19枚目
1–6 
1995年
(平成7年)
西幕下48枚目
5–2 
西幕下28枚目
3–4 
東幕下40枚目
4–3 
東幕下32枚目
4–3 
西幕下25枚目
4–3 
東幕下19枚目
4–3 
1996年
(平成8年)
東幕下14枚目
3–4 
西幕下24枚目
5–2 
東幕下12枚目
3–4 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下28枚目
1–6 
西幕下54枚目
6–1 
1997年
(平成9年)
東幕下27枚目
3–4 
西幕下36枚目
5–2 
西幕下21枚目
5–2 
東幕下10枚目
5–2 
東幕下5枚目
2–5 
東幕下18枚目
4–3 
1998年
(平成10年)
東幕下13枚目
3–4 
東幕下23枚目
2–5 
東幕下40枚目
6–1 
西幕下18枚目
5–2 
東幕下11枚目
6–1 
西幕下2枚目
5–2 
1999年
(平成11年)
東十両12枚目
9–6 
東十両6枚目
8–7 
西十両4枚目
5–10 
西十両9枚目
9–6 
東十両6枚目
6–9 
東十両10枚目
7–8 
2000年
(平成12年)
西十両11枚目
7–8 
東十両12枚目
1–7–7 
西幕下13枚目
0–0–7 
東幕下13枚目
6–1 
東幕下3枚目
4–3 
東十両12枚目
10–5 
2001年
(平成13年)
西十両4枚目
5–10 
西十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
8–7 
西十両筆頭
8–7 
東十両筆頭
8–7 
東前頭14枚目
8–7 
2002年
(平成14年)
西前頭9枚目
3–12 
東十両2枚目
5–10 
西十両6枚目
7–8 
西十両7枚目
10–5 
東十両4枚目
8–7 
東十両3枚目
9–6 
2003年
(平成15年)
東前頭14枚目
5–10 
東十両2枚目
7–8 
西十両3枚目
7–8 
西十両4枚目
7–8 
西十両5枚目
8–7 
西十両3枚目
8–7 
2004年
(平成16年)
西十両筆頭
7–8 
東十両3枚目
9–6 
東前頭17枚目
5–10 
西十両4枚目
5–10 
西十両9枚目
10–5 
東十両4枚目
7–8 
2005年
(平成17年)
東十両5枚目
6–9 
東十両7枚目
6–9 
東十両9枚目
7–8 
東十両10枚目
9–6 
西十両6枚目
6–9 
東十両9枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
東十両10枚目
6–9 
東十両13枚目
9–6 
西十両9枚目
9–6 
西十両6枚目
5–10 
西十両10枚目
8–7 
東十両9枚目
6–9 
2007年
(平成19年)
東十両12枚目
9–6 
東十両9枚目
6–9 
東十両12枚目
6–9 
東幕下2枚目
4–3 
西幕下筆頭
2–5 
西幕下9枚目
2–5 
2008年
(平成20年)
西幕下20枚目
引退
––
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 峯山 賢一(みねやま けんいち)1989年3月場所 - 1996年9月場所
  • 光法 賢一(こうぼう -)1996年11月場所 - 2007年11月場所

年寄変遷[編集]

  • 安治川 賢一(あじがわ -)2007年12月 - 2010年7月
  • 二子山 賢一(ふたごやま -)2010年7月 - 2012年2月
  • 二子山 謙一(- けんいち)2012年2月 - 2013年2月
  • 立田川 謙一(たつたがわ -)2013年2月 - 2015年1月
  • 西岩 賢一(にしいわ けんいち)2015年1月 - 2015年7月
  • 音羽山 貞賢(おとわやま ただけん)2015年7月 - 2018年1月

脚注[編集]

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  1. ^ 親方衆に造反の衝撃、大島親方はぼう然 - 日刊スポーツ
  2. ^ “造反者”は安治川親方だった!協会退任へ (1-2ページ) - サンスポ
  3. ^ 安治川親方、退職発言を撤回…一門は追及せず - 読売新聞
  4. ^ 安治川親方が「二子山」襲名へ 2010年7月7日 スポーツ報知
  5. ^ “元幕内光法の立田川親方が「西岩」に名跡変更”. SANSPO.COM. (2015年1月9日). http://www.sanspo.com/sports/news/20150109/sum15010919280002-n1.html 2015年1月9日閲覧。 
  6. ^ 日本相撲協会公式ツイッター
  7. ^ “貴乃花親方“恩人”と決別…音羽山親方に相撲協会からの退職促す”. スポーツ報知. (2018年1月6日). http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180106-OHT1T50043.html 2018年1月13日閲覧。 
  8. ^ “相撲、北太樹引退「小野川」襲名 元光法の音羽山親方は退職”. 中日新聞. (2018年1月13日). http://www.chunichi.co.jp/s/article/2018011301001749.html 2018年1月13日閲覧。 
  9. ^ 実際には半年前から2011年3月場所で引退することが決まっており、3月場所が中止になったために2月に引退届を提出したもので、掲載記事との直接の因果関係はない。“白鵬付け人・光法の引退届に協会“待った””. スポーツニッポン. (2011年2月19日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/02/19/kiji/K20110219000274960.html 2016年7月25日閲覧。 
  10. ^ Bashos and results of Kobo”. szumo.hu. 2007年7月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]