陸奥嵐幸雄

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基礎情報
四股名 南 幸雄 → 陸奥嵐 幸雄
本名 南 幸雄
愛称 東北の暴れん坊[1]
生年月日 1943年1月12日
没年月日 (2002-07-30) 2002年7月30日(59歳没)
出身 青森県上北郡甲地村(現在の東北町
身長 177cm
体重 115kg
BMI 36.71
所属部屋 宮城野部屋
得意技 左四つ、吊り、河津掛け
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 557勝551敗5休(88場所)
幕内戦歴 375勝417敗3休(53場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
敢闘賞4回
技能賞1回
データ
初土俵 1961年9月場所[1]
入幕 1967年3月場所[1]
引退 1976年3月場所[1]
備考
金星2個(大鵬1個、柏戸1個)
2014年3月9日現在

陸奥嵐 幸雄(むつあらし ゆきお、1943年1月12日 - 2002年7月30日)は、青森県上北郡甲地村(現在の東北町)出身で宮城野部屋所属の元大相撲力士。本名は南 幸雄(みなみ ゆきお)。身長177cm、体重115kg。得意手は左四つ、吊り、河津掛け。最高位は東関脇[1]

来歴[編集]

農家の四男坊に生まれ、幼少期より腕白であった反面学業や運動は得意としていた。中学卒業後は父の反対を押し切り兄達を頼って上京。ガソリンスタンドや運送業などの職に就いたが生来の気の強さと短気さが祟ってなかなか仕事が続かず、1960年の秋に交通事故で重傷を負って帰郷して地元で次の仕事に就くもこれも飽きてしまい、再び上京したところでトラックの運転手になった。その職場の得意先の1つが宮城野部屋の向かい側にあり、配送に向かう度に宮城野部屋力士達の間で「強そうなアンちゃんだ」と話題になった。ある日部屋の間で荷物を下ろしていると部屋の幕下・仙葉から大相撲入りするよう勧誘され、ほぼ即決した。1961年(昭和36年)9月場所、元横綱吉葉山の興した宮城野部屋より初土俵。1965年(昭和40年)11月場所、新十両となり、1967年(昭和42年)3月場所に新入幕を果たし、その場所で13勝2敗(新入幕の最多勝記録である)の好成績で敢闘賞を受賞[2]1968年(昭和43年)7月場所では12勝3敗の成績で敢闘・技能の両賞を手にする活躍を見せた[2]。関脇在位は1場所にとどまった[2]が、盛んに奇手『河津掛け[1]1975年(昭和50年)7月場所11日目、大関魁傑戦)やアゴを上げたままで強引に吊り出す[2](1967年3月場所9日目、前頭5枚目清國戦)という荒っぽい取り口で、セオリー無視の豪快な相撲で個性派力士として名をはせ、“東北の暴れん坊”の異名をとった[2][1]。一時期は親方の養女と結婚、部屋の後継者とも目されたが、後に離婚し、後継候補から降りた。

1967年9月場所10日目、新三役小結)の場所、初顔で横綱大鵬に挑戦。左四つがっぷりから先に大鵬を吊り上げたが、逆に高々と吊り出された。しかし、その後の対戦では大鵬から3勝(不戦勝1つを含む。10敗)を上げている。私生活でも東北の暴れん坊ぶりを発揮しており、1976年には暴力団組長と懇談中口論に発展した末に組員が天井に発砲した件で同席していた白田山と共に3ヶ月間の減給1割などの処分を受ける[3]。大変な酒豪であり、酒が好きなだけ飲めると聞いたことが入門の決め手となったという。

どういうわけか富士櫻に弱く関脇同士にもかかわらず11回対戦して全敗だった。

1976年(昭和51年)3月場所限りで引退し年寄安治川を襲名、籍を友綱部屋に移し、友綱部屋から独立して安治川部屋を興した[1]が、健康上の問題もあって、1993年(平成5年)4月、大島部屋の元横綱・旭富士[4]名跡・部屋とも譲り廃業した。廃業直後に部屋の古参の幕下力士陸奥北海が十両に昇進し、「俺がいなくなったとたんに力出しやがって」と苦笑していたという逸話が伝わる。

2002年(平成14年)7月30日、脳梗塞のため死去[5]

主な成績[編集]

  • 通算成績:557勝551敗5休 勝率.503
  • 幕内成績:375勝417敗3休 勝率.473
  • 現役在位:88場所
  • 幕内在位:53場所
  • 三役在位:4場所(関脇1場所、小結3場所)
  • 三賞:5回
    • 敢闘賞:4回(1967年3月場所、1968年7月場所、1970年3月場所、1971年1月場所)
    • 技能賞:1回(1968年7月場所)
  • 金星:2個(大鵬1個、柏戸1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1967年1月場所)
    • 幕下優勝:1回(1965年9月場所)

場所別成績[編集]

陸奥嵐幸雄
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1961年
(昭和36年)
x x x x (前相撲) 東 序ノ口 #26
5–2 
1962年
(昭和37年)
東 序二段 #44
4–3 
東 序二段 #31
6–1 
東 三段目 #84
5–2 
東 三段目 #35
3–4 
西 三段目 #45
4–3 
東 三段目 #35
2–5 
1963年
(昭和38年)
東 三段目 #56
3–4 
東 三段目 #73
6–1 
東 三段目 #25
5–2 
東 幕下 #88
3–4 
西 三段目 #2
3–4 
東 三段目 #8
6–1 
1964年
(昭和39年)
東 幕下 #69
5–2 
東 幕下 #52
3–4 
西 幕下 #58
5–2 
西 幕下 #43
4–3 
西 幕下 #39
5–2 
西 幕下 #23
4–3 
1965年
(昭和40年)
西 幕下 #20
4–3 
西 幕下 #14
4–3 
西 幕下 #9
4–3 
西 幕下 #7
3–4 
西 幕下 #11
優勝
7–0
西 十両 #15
8–7 
1966年
(昭和41年)
東 十両 #12
6–9 
西 十両 #16
9–6 
西 十両 #10
7–8 
西 十両 #11
8–7 
西 十両 #5
4–9–2 
東 十両 #15
10–5 
1967年
(昭和42年)
東 十両 #4
優勝
11–4
東 前頭 #14
13–2
東 前頭 #4
7–8 
東 前頭 #3
9–6 
西 小結
4–11 
西 前頭 #4
10–5 
1968年
(昭和43年)
東 前頭 #1
6–9
西 前頭 #3
5–10
西 前頭 #5
7–8 
西 前頭 #5
12–3
東 小結
4–11 
西 前頭 #4
9–6 
1969年
(昭和44年)
東 前頭 #1
5–10 
西 前頭 #5
11–4 
東 前頭 #1
4–11 
西 前頭 #5
11–4 
西 前頭 #1
7–8 
西 前頭 #1
8–7 
1970年
(昭和45年)
東 前頭 #1
5–10 
西 前頭 #4
11–4
西 小結
6–9 
東 前頭 #2
2–13 
東 前頭 #10
10–5 
東 前頭 #2
5–10 
1971年
(昭和46年)
東 前頭 #4
12–3
東 関脇
4–11 
西 前頭 #1
3–12 
西 前頭 #8
9–6 
東 前頭 #2
3–12 
西 前頭 #8
9–6 
1972年
(昭和47年)
西 前頭 #2
6–9 
西 前頭 #6
5–7–3[6] 
西 前頭 #12
10–5 
東 前頭 #6
7–8 
西 前頭 #7
9–6 
西 前頭 #2
6–9 
1973年
(昭和48年)
東 前頭 #6
7–8 
東 前頭 #8
8–7 
東 前頭 #6
6–9 
西 前頭 #10
8–7 
東 前頭 #8
7–8 
西 前頭 #9
8–7 
1974年
(昭和49年)
西 前頭 #8
8–7 
東 前頭 #6
6–9 
東 前頭 #10
7–8 
西 前頭 #10
8–7 
西 前頭 #7
2–13 
西 十両 #3
8–7 
1975年
(昭和50年)
西 十両 #1
8–7 
西 前頭 #14
8–7 
東 前頭 #11
9–6 
西 前頭 #5
8–7 
東 前頭 #2
3–12 
東 前頭 #12
8–7 
1976年
(昭和51年)
西 前頭 #8
7–8 
東 前頭 #12
引退
3–12–0
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 陸奥嵐(1963年1月場所から)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p29
  2. ^ a b c d 『大相撲ジャーナル』2017年6月号109頁
  3. ^ 朝日新聞 2010年5月27日
  4. ^ 陸奥嵐と同じ一門、青森県出身ということで目をかけられており、引退相撲後は安治川部屋付きになっていた。
  5. ^ 元関脇陸奥嵐関死去 脳こうそく”. 共同通信 (2002年7月30日). 2013年1月30日閲覧。
  6. ^ 左足首関節捻挫により6日目から途中休場、10日目から再出場

関連項目[編集]