岩手郡

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岩手県岩手郡の範囲(1.雫石町 2.葛巻町 3.岩手町 薄緑・水色:他郡から編入した区域)

岩手郡(いわてぐん)は、岩手県陸奥国陸中国)の

人口36,326人、面積1,404.24km²、人口密度25.9人/km²。(2016年10月1日、推計人口

以下の3町を含む。

盛岡都市圏の北部を占める。

郡域[編集]

岩手郡(第1次)[編集]

概ね下記の区域を合わせたものだが、行政区画として画定されたものではない。

  • 滝沢市の全域
  • 盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南を除く)
  • 八幡平市の一部(西根寺田、荒木田、平舘、松尾以南)
  • 雫石町の全域
  • 岩手町の全域

岩手郡(第2次)[編集]

明治30年(1897年)に発足した当時の郡域は、第1次岩手郡と同じ区域にあたる。

歴史[編集]

郡名は「岩出の森」に由来するという説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。

  • 心には 下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる - 古今和歌集六帖
  • くちなしの 色とぞみゆる 陸奥の いはての里の 山吹の花 - 夫木和歌抄

岩手郡(第1次)[編集]

盛岡城下[1]、仁王村、上田村、三割村、山岸村、上米内村、下米内村、浅岸村、加賀野村、新庄村、志家村、東中野村、川目村、東安庭村、川又村、日戸村、門村、簗川村、藪川村、下太田村、中太田村、上太田村、猪去村、上鹿妻村、下鹿妻村、下厨川村、上厨川村、大釜村、篠木村、大沢村、土淵村、平賀新田、鵜飼村、滝沢村、本宮村、向中野村、仙北町村、雫石村、長山村、西根村、上野村、御明神村、橋場村、繋村、西安庭村、南畑村、鶯宿村、玉山村(後の南岩手郡)、沼宮内村、江刈内村、大坊村、新町村、五日市村、久保村、子抱村、御堂村、川口村、寺林村、馬場村、巻堀村、永井村、好摩村、芋田村、渋民村、門前寺村、川崎村、下田村、松内村、平笠村、田頭村、寄木村、野駄村、松尾村、平舘村、堀切村、荒木田村、上関村、帷子村、寺田村、黒内村、黒石村、葉木田村、坊村、一方井村、土川村、大更村(後の北岩手郡)
  • 明治元年
  • 明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が旧領に復帰して盛岡藩が復活し、当郡の全域を管轄。
  • 明治4年
  • 明治4年
    • 中野村が東中野村に改称。
    • 盛岡城の廃城にともない城内が内丸に改称して仁王村に編入。盛岡城下各町が仁王村、志家村、仙北町村、東中野村、新庄村、加賀野村、山岸村、三割村、上田村に字地として編入。(85村)
  • 明治5年1月8日1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
  • 明治11年(1878年)11月26日
    • 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての岩手郡が発足。
    • 紫波郡砂子沢村・根田茂村の所属郡が本郡に変更。(87村)
  • 明治12年(1879年)1月4日 - 岩手郡のうち、玉山村など47か村の区域をもって南岩手郡、沼宮内村など38か村の区域をもって北岩手郡がぞれぞれ行政区画として発足。同日岩手郡(第1次)廃止。

岩手郡(第2次)[編集]

1.藪川村 2.玉山村 3.米内村 4.浅岸村 5.簗川村 6.中野村 7.本宮村 8.太田村 9.御所村 10.御明神村 11.西山村 12.雫石村 13.滝沢村 14.厨川村 21.沼宮内町 22.川口村 23.巻堀村 24.渋民村 25.大更村 26.田頭村 27.松尾村 28.平舘村 29.寺田村 30.一方井村 31.御堂村 41.葛巻村 42.江刈村 *は発足時の盛岡市(紫:盛岡市 赤:八幡平市 青:滝沢市 桃:雫石町 橙:岩手町 黄:葛巻町)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南岩手郡・北岩手郡の区域をもって岩手郡(第2次)が発足。郡役所を盛岡市内丸に設置。(1町24村)
  • 大正2年(1913年6月10日 - 厨川村の一部(盛岡駅周辺と陸羽街道沿い[3])が盛岡市に編入。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。残務処理のため郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年)4月1日 - 米内村が盛岡市に編入。(1町23村)
  • 昭和15年(1940年
    • 1月1日 - 厨川村が盛岡市に編入。(1町22村)
    • 12月23日 - 雫石村が町制施行して雫石町となる。(2町21村)
  • 昭和16年(1941年)4月10日 - 浅岸村・中野村・本宮村が盛岡市に編入。(2町18村)
  • 昭和23年(1948年)7月1日 - 九戸郡葛巻町江刈村を岩手郡に編入。(3町19村)
  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 玉山村・渋民村・藪川村が合併し、改めて玉山村が発足。(3町17村)
  • 昭和30年(1955年
    • 2月1日 - 簗川村および玉山村の一部、滝沢村の一部(滝沢字穴口の一部)が盛岡市に編入。(3町16村)
    • 4月1日(3町12村)
      • 太田村が盛岡市に編入。
      • 雫石町・御明神村・御所村・西山村が合併し、改めて雫石町が発足。
  • 昭和30年(1955年)
    • 6月1日 - 巻堀村が玉山村に編入。(3町11村)
    • 7月15日 - 葛巻町が江刈村および二戸郡田部村と合併し、改めて葛巻町が発足。(3町10村)
    • 7月21日 - 沼宮内町・一方井村・川口村が合併して岩手町が発足。(3町7村)
    • 10月 - 雫石町の一部(繋のうち繋温泉周辺)が盛岡市に編入。
  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 大更村・平舘村・田頭村・寺田村が合併して西根村が発足。(3町4村)
  • 昭和36年(1961年)11月1日 - 西根村が町制施行して西根町となる。(4町3村)
  • 平成14年(2002年)4月1日 - 二戸郡安代町を岩手郡に編入。(5町3村)
  • 平成17年(2005年)9月1日 - 安代町・西根町・松尾村が合併して八幡平市が発足し、郡より離脱。(3町2村)
  • 平成18年(2006年)1月10日 - 玉山村を盛岡市に編入。(3町1村)
  • 平成26年(2014年)1月1日 - 滝沢村が市制施行して滝沢市となり、郡より離脱。(3町)

変遷表[編集]

行政[編集]

岩手郡長(第1次)
氏名 就任 退任 備考
1 明治11年(1878年)11月26日 明治12年(1879年)1月4日
岩手郡長(第2次)
氏名 就任 退任 備考
1 明治30年(1897年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日

脚注[編集]

  1. ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。ここでは便宜的に1町に数える。
  2. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
  3. ^ 下厨川のうち字木伏、平戸、片原、下田、三十軒、中川原、三ツ家、館坂、馬頭、長畑、小屋、塚頭、狐森、権現坂、宿田、宿田後、境田川原、寺ノ下、畑中など。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

先代:
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行政区の変遷
- 1879年 (第1次)
次代:
南岩手郡北岩手郡
先代:
南岩手郡・北岩手郡
行政区の変遷
1897年 - (第2次)
次代:
(現存)